2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第314回 平成生まれの女の子2


 半年前、「平成生まれの女の子」という話を書いた。今回は現場で出会った、また別の子の話である。

 事前の監督面接で催淫CDを聴かせたところ、彼女の反応は悪くなかった。「お願い、入れて!」という言葉が出てきて、軽くイッてもいるようだ。反応がイマイチの子だったら、セックスについてレクチャーすることもあるけれど、彼女には必要ないだろうと思った。

 ただ、プロデューサーの資料には、これまでの体験人数が130~140人とある。25歳にしては多い。そして、恋人はなかなかできないらしい。「セックスのとき、目を見てしてる?」と訊いたら「えっ、目を見るの!?」と言うので、性体験が多いのに恋人ができない現状に絡めて、目合(まぐわい)の重要性を話した。

 事前面接も終わって、「じゃあ、現場で」と立ち上がると、「監督、しないの?」と意外そうに言う。面白いことを言う子だなと思った。彼女は「歯ブラシもちゃんと持ってきてるし」とバッグから出して見せてくれた。

 催淫CDを聴き終えて「もう我慢できない!」と抱きついてくる子ならいる。さんざん欲情させるだけさせておいて、わざと満たさないままCDが終わってしまうからだ。だが、歯ブラシを持っていこうと彼女が思ったのは、そのずっと前。催淫CDを聴いたからではない。

 その後、出演した「ザ・面接」でもこんな場面があった。面接官2人に挟まれて、彼女は市原の質問に答えている。敏感指数を訊かれれば「ふつうの人が100だとしたら、私は120かなぁ」とか……。ひとしきり話が終わって「とりあえずやってみようや! 声うるさい?」と訊く市原に対して、「やってみる?」と彼女。

 事前面接から感じていたことだが、彼女はほとんどタメ口である。僕に対しても、市原に対しても。だからといって、とくべつ不快というわけでもない。なぜだろう。話し方も内容も軽いがゆえに、そこに賢(さか)しらな何かを感じないからだろうか。

 軽いといえば、半年前に書いた平成生まれの子も、「友達同士でふつうにセックスする」と言っていた。今回の彼女もまたセックスに重い意味づけはなく、ほんの挨拶代わりというか、彼女にとっては握手みたいなものかなと思える。もっとも、社交辞令的なものから自分の気持ちを込めるものまで、握手にもいろいろあるけれど……。僕は「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」で引きつづき彼女を撮ってみることにした。

 千葉の別荘兼スタジオに1泊2日で出かけた。さっそく事前面接のときの「監督、しないの?」について訊いてみる。「なんでオレとしようと思ったの?」。すると彼女はこんなふうに答えた。「最初にプロデューサー面接があって、さらに監督が面接するってことは、セックスして私の感度を確かめたいんだろうなと思ったから」。

 それはちょっと先走りじゃないの……と思わないでもないが、話していると彼女の考え方が合理的で、頭の回転も速いのが伝わってくる。そこへ持ってきてタメ口というのは、やはり僕ら大人をどこかで見下しているのだろうかとそのときは思った。

 ところが、僕が話した目合の話を彼女はちゃんと受けとめていたようだ。実際「ザ・面接」の現場で、セックスを終えた直後の彼女に僕は感想を求めている。以下はそのやりとりである。「どうしたの?」「初めての感覚です」「だって今までいっぱいしたんだろ?」「今まではただやるだけでした」「今回は違った?」「ちょっと好きになりそうです」。彼女は目合を体験したのである。そして今見返してみれば、ここではタメ口になっていないことに気づく。

 千葉のロケでは、そのタメ口についても訊いてみた。すると彼女は「リスクは覚悟してます」と言う。直そうとしてもクセで出ちゃうんですよ――というわけではなさそうだ。なぜそうするのかまではわかないけれど、彼女としては意識してタメ口を使い、結果「生意気だ」とか「礼儀を知らない」とか言われたとしても、あたふたはしないということだろう。

 体験人数の多さに関しても訊いた。ちなみにプロデューサー資料では130~140人だが、「ザ・面接」では80人と答えている。本当はいったい何人なのか? 「150人かな……よく覚えていない」そうである。ナンパされて……という成り行きが多いらしい。

 これだけの人数だし、ナンパされたら誰でもOKしちゃうのかと思いきや、まず食事からという相手とはセックスしないという。つまり「食事→ホテル」という段取りなんか踏まずに、やりたいなら最初から「やりたい」と言い、ホテルに直行する男とだけやるというわけである。

 昭和の人間からすると、事を運ぶための手順は必要だろうとついつい考えてしまう。いきなりホテルに誘ったりしたら、「私そんな女じゃないわよ!」と言われるんじゃないかと。

 しかし、彼女は合理的に考える。いや、単に合理的なだけではなく、「かくあるべき」という社会性に縛られていない。タメ口で話すのも、上下を重んずるピラミッド型の力学の中に、彼女がいないからだろう。社会のモノサシで判断したり、社会が敷いたレールに乗っかることなく、自分のしたいことを優先する。ともすれば軽く見られがちだし、リスクも確かに大きいだろう。だが、彼女は失敗も含めてその体験を自らの血肉としてゆく。だから、自分の行動に後悔はしていない。

 近ごろは彼女のような子が増えてきた。たとえば、一夫一婦制は現実的にはもはや機能していないにもかかわらず、今すぐそれが変わるかといえば、おそらく変わらないだろう。けれども、彼女のような子たちが30代40代になり、主導的立場に立ったとき、きっと世の中は大きく変わっていくはずである。そんな平成の世を僕は見てみたいと思う。









Aito-sei-long


第313回 エロスと笑い


 これまでいろいろなシリーズを撮ってきた。しかし「ザ・オナニー」にしても「いんらんパフォーマンス」にしても、どこかの時点で終わっている。なぜ「ザ・面接」だけが20年以上続いているのか……その一因について今回は書いてみたい。

 とはいえ、シリーズ開始から3年経った頃、僕は「ザ・面接」をいったんやめた。それまでは白昼、事務所でレイプっぽいものを撮っていたけれど、ビデ倫からは「やり過ぎだ」と指摘され、フェミニズム集団も抗議に乗り込んできた。そういう圧力とのせめぎ合いの中、僕は撮影を続けていた。けれども、やめた理由は、外圧とのせめぎ合いに疲れてしまったからではない。

 程なくして僕は販売会社の責任者に呼ばれ、「ショップさんもこのシリーズを当てにしてるのに、途中でやめるってのは、プロとして違うんじゃないですか」と言われた。確かに売ってくれる人や見てくれる人がいるからこそ、僕も撮ることができるんだなぁと遅まきながら思った。だから再開させることにしたのだが、元のままというのでは気が進まない。なぜならば、やめた理由が僕の中でのマンネリだったからである。

 そうは言っても、もともと作品に青写真があるわけではないから、ここをこう変えようみたいなプランもない。どう変わるかなんて撮ってみなきゃわからないのだ。ただ、始めた当初は男優たちもレイプするのに一杯いっぱいだったのに、慣れてくると余裕が出てきて、自分の引き出しも増える。僕にとってはそれがマンネリの要因でもあるのだけれど、慣れたがゆえに生まれた思わぬ副産物もあった。

 たとえば隊長の市原が、男優のちょっとした不手際にツッコミを入れるようになった。すると、それまで女の子の悲鳴と喘ぎ声しかなかった現場に、一見場違いな笑いが起きた。レイプというきわどい行為を大真面目にやっていて、予期せぬところで生じたポカだから、おかしいのである。その一瞬のタイミングを逃さず、独特のセンスとボキャブラリーでツッコむ市原。彼でなければできない芸当だった。

 それからは男優同士もツッコミを入れたり、足を引っ張り合ったり、裏切ったり……笑いは随所に散りばめられていく。エロと笑いは並び立たないと思う人は多いだろう。特にヌクためのみにビデオを見る人にとっては、笑いなど邪魔なだけだと。全盛期たくさん出ていたAV雑誌で、作品評価の指標に「興奮度」や「美人度」はあっても「笑い度」なんてないわけだ。けれども、もしも全編猥褻だけだったとしたら、おそらく「ザ・面接」はここまで続いていなかっただろう。

 ちょっと話は変わるが、ノーマン・カズンズというアメリカ人のジャーナリストがいた。彼の著書は日本でも翻訳出版されていて、その代表作が『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)だ。今から50年ほど前、彼は膠原病にかかるが、医者からは治る見込みが500分の1(0.2%)しかないと宣告されてしまう。そこで自らがその病気の原因と治療法を研究し、医者のサポートのもと、「笑い」とビタミンCの摂取によって奇跡的な回復を遂げるのである。

 現在「笑い」の効能は医学的にも実証されている。笑うことによって、がん細胞やウイルスを撃退するナチュラルキラー細胞が活性化したり、脳の働きが活発になったり、自律神経のバランスが取れたりする。そして、β-エンドルフィンも分泌される。β-エンドルフィンとは、多幸感をもたらし、モルヒネの6.5倍もの鎮痛作用があるといわれる脳内麻薬だ。膠原病であちこちの関節痛に苦しんでいたカズンズも、腹を抱えて笑えるテレビ番組を10分間見て笑うことによって、少なくとも2時間は痛みを感じずに寝られたのだという。ちなみにこのβ-エンドルフィンは、性的に高揚したときにも分泌されることが確認されている。

 話をもとに戻そう。「ザ・面接」がここまで続いてきた一因は、結局、現場に笑いがあったからだと僕は思っている。むろん、医学的な効能があるから取り入れようと考えたわけではない。僕自身が撮っていて面白いから楽しいから続いたのだ。でも、今ふり返ってみれば、性的な高揚を自然と本能が求めるように、笑いもまた体が求めていたのではないかと思うのである。











Aito-sei-long

第311回 続カリフラワー


 今回は尿検査だけでは済まない。オチンチンの先からボールペンくらいの内視鏡を入れられるのだ。検査を担当するのは女医とナース2人。3人の女性に囲まれて検査用の椅子に……。8年前の分娩台とはずいぶん形状が違う。ああ、これならよかったと思いつつ腰を下ろすと、足を載せた部分が左右に開きながら持ち上がり、同時に背もたれが後ろに倒れて、結局、分娩台スタイルになる。下半身は丸出しのまま。こりゃ、恥辱責めだな……。

 麻酔なしで内視鏡が入ってくる。技術は日進月歩。この8年間で内視鏡はダウンサイジングしたのか。多少は細くなったのかもしれないが、痛みは以前と大差ない。女医とナースはモニターを見ながら、「わっ、ある! ある!」と言っている。恥辱責め検査が終わり、手術の日程が決まった。

 前日に入院したが、明けて手術当日、朝まず点滴用の針を入れる。男の看護師と女の看護師がペアでやってきた。男のほうはどうも新米らしい。先輩看護師の見守るなか、彼がやるようだ。「親指を握って力を入れてください」。静脈が浮き出るようにするのだろう。力を入れて握っていると、腕のあちこちを2本の指で叩いている。叩いている。まだ叩いている。おいおい、そんなに難しくないだろ? でも新人君だし、プレッシャーをかけるとよけい時間がかかりそうだから、大人しくしていた。すると、力を入れた僕の腕を関節のところで一生懸命曲げようとする。何がしたいんだよ。でも、彼は何も言わない。僕もだんだんイライラしてくる。点滴用の針を刺しかけて抜いたり……。べつに大した痛みじゃないが、チクチクやられているとイライラが倍加する。そのうち、刺した針が中で血管を突き抜けたのがわかる。見る見るうちに内出血し、その部分がタンコブのように腫れてくる。でも、彼は何事もなかったかのように無言で止血用の絆創膏を貼ると、別の血管を探してまたチクチクしはじめた。ええ加減にせえよ。たまらず「ダメだよ、君」と新米を制し、先輩看護師を見据えて「あんた、やってよ」と言い募った。彼女は一度刺しただけで静脈に入った。針を固定するまで5秒とかからない。

 手術の時間になると、別の看護師に付き添われてエレベーターまで歩く、点滴のぶら下がったスタンドを押しながら。エレベーターを4階で降り、その先の自動ドアが開くと、目の前には小さな体育館ほどもある廊下が広がっている。廊下の両側に手術室が並ぶ。左の奥から2番目に入り、全部脱いで手術台に横向きで寝る。膝を抱えるように体を丸め、背中に麻酔を打つ。腰椎麻酔である。冷たいもの、先の尖ったものを順に当て、下半身の感覚がないのを確認してから手術が始まる。

 内視鏡&電気メスが尿道から入れられ、膀胱内に達する。痛っ! あれ? 麻酔打ったのに……。さらに膀胱の先(おそらく尿管か)にも腫瘍がないか見るため内視鏡が入るが、そっちはもっと痛い。おかしい。前回の手術でこんなことはなかった。僕の痛みに気づいた看護師が「じゃあ、少し眠くなるようにしますから」と言って、酸素マスクのようなものを顔に当てた。酸素ではなく眠くなるガスでも出ているのだろう。なんだ、最初からこうしてくれればよかったのに……と思ったときには、もう眠りに落ちていた。目が覚めたのは、移動式のベッドで通路を運ばれているときだ。手術は無事に終わっていた。

 翌朝、20代のナース2人が病室にやってきた。股間を洗ってくれるためである。手術でオチンチンの先からはかなりの量出血しており、内腿から肛門にまでベットリ血が付着している。特に陰毛にこびり付いた血は固まってカチカチになっている。なのでトイレまで行って、まず僕を便座に座らせ、便座の前のあいている部分から1人がお湯をかけ、もう1人が手できれいに洗ってくれるのである。内腿も肛門も陰毛もオチンチンも……。ちなみにナース2人はどちらもお世辞抜きで可愛い。こりゃ、本物のコスプレだわ……。

 それはそうと、なぜ麻酔を打ったにもかかわらず痛かったのか、ずっと僕は気になっていた。前回の手術のワンシーンを思い出す。手術が終わったとき、執刀医が麻酔医に「見事なブロックでした」と言った。それを覚えていたのは多少の違和感があったからだ。2人の力関係はわからないが、どっちにしても身内でヨイショしているように感じた。しかし、麻酔は打てば効くものと思い込んでいたけれど、実際は麻酔医の腕に左右されるのかもしれない。

 今回の入院で感じたのは、病院がさらにシステマティックになったことだ。病院が建て替わったのは通院で知っていたが、受付や診察室のみならず病室や手術室の設備はかつての古い建物からは隔世の感がある。そればかりか、入院用品(パジャマやタオル)のセットレンタルから、患者に関する一括デジタルデータ管理まで、じつに機能的なのだ。しかしである。そのシステムにたずさわる人間の技量には、大きな開きがあるのを感じた。人によってこんなに差があるのかと。「○○病だったら○○病院の○○先生がいい」みたいな話をよく耳にする。僕はそういうふうに病院や医者を選んだ経験はないが、今回、そう言う人の気持ちもわかるような気がした。

 最後に、表在性膀胱がんとのつきあい方だが、今回の再発には8年あった。何年後に再発するかわからないけれど、仮に同じ間隔で再発するとしたら、僕は85歳になっている。だいたいそれまで生きているかどうかもわからない。もし生きている間にまたカリフラワーが発育したら、そのときは恥辱責めを楽しむつもりである。










Aito-sei-long

第310回 カリフラワー


 このところ病気ネタが多くて申し訳ないと思いつつ、今回もまた――。僕は膀胱がんである。耳は聞こえなくなるわ、息は切れるわ……と来て、ついにがんなのかと思われる方もいるだろう。

 でも、がんが見つかったのは8年前のこと。2007年10月のとある金曜の晩、おしっこをしたら便器が真っ赤になった。痛みはない。土曜・日曜も依然として真っ赤。尿に混じってるとはいえ、こんなにたくさん出血したら体じゅうの血がなくなっちゃうんじゃないかというくらい出てくる。けれども病院はやってない。月曜になればと思っていたが、月曜の朝、出血は嘘のように止まっていた。いったい何だったのか?

 当時はまだうつの最中だった。かかりつけの心療内科で、畑違いと知りつつも血尿のことを話すと、超音波エコーで膀胱を診てくれた。しかし、主治医はなにも言わない。やはり心療内科で膀胱はわからないか……と思ったのだが、次に診察に行った際、「とりあえず紹介状を書いておいたので、泌尿器科で検査してもらったらどうでしょう」と言う。

 あれ以来出血もないし、どうしようかなとは思ったものの、結局、紹介状にある病院の泌尿器科に行った。診察室に入って症状を話すと、「痛みはぜんぜんなかっただろ?」と医者が親しげに訊いてくる。「ぜんぜんなかったです」。「ああ、やっぱりな……」そこまで言って口ごもる。

 しばしの沈黙。なんとなくヤな予感。「『やっぱりな』というのはどういうことですか? ひょっとして、がんですか?」。すると医者は「そうだよ」と事もなげに言ってのける。そして「とりあえず覗いてみましょう」と。

 その日の午後、検査室で僕は素っ裸の上に検査着をまとい、分娩台のようなところに乗った。両足を上げた状態で固定される。足ばかりでなく、胴も手も固定されて動かない。だが、ずっとアダルトを撮ってきたから、これしきのことでは動じない、わけがない。

 いったい何をしようってのか!? 内視鏡が用意される。ええ~、まさかこれを入れるの? 尿道から? 無理でしょ。だってボールペンくらいの太さがあるじゃん。

 僕の胸中などおかまいなしに、ボールペン、いや内視鏡がオチンチンの先から入ってくる。このまま? 麻酔しないの!? 全神経覚醒のまま、そいつは容赦なく尿道をズタズタにしながら逆行し、膀胱内まで侵入してくる。内視鏡をグリグリしながら医者は「モニター見て!」と言ってるが、こっちは痛みでそれどころじゃない。

 「いやぁ、いっぱいあるなぁ」とか言っている。チラッと見ると、小さなカリフラワーみたいなのがあちこちに……。「膀胱がんに間違いないね」ということで、手術が翌月に決まった。

 膀胱がんには「浸潤(しんじゅん)性」と「表在(ひょうざい)性」の2種類がある。浸潤性は膀胱の壁に浸み込み、進行が早く、他の臓器にも転移する。一方、表在性は膀胱の壁に発育するが、浸潤はせず、転移もしない。僕はこの表在性のほうだった。なので、がんと言ってもさほど深刻ではない。まぁ、ポリープみたいなもんだろうと思った。

 手術ではまた尿道に内視鏡(&電気メス)を入れられるが、今度は麻酔医もついて下半身麻酔の状態だから痛みはない。だから、余裕でモニターを見ていた。小さなカリフラワーは全部で15個か16個あった。それを電気メスで順に切り取ってゆく。こちらも痛みはない。

 検査もそうだが、手術でも大変なのは術後の排尿である。トイレに行くのが憂鬱になるくらい痛い。尿道は満身創痍なのだ。鎮痛薬はもらっているけれど、当分の間はおしっこしながら身悶える。

 表在性膀胱がんは再発の可能性が高い。切り取ったカリフラワーがまた芽を出す。そうすると同じ手術で切除することになる。僕の場合はとりわけ数が多くて、完全に取り切れなかったのもあるようだから、なおさらである。

 こうして3カ月に1度の検査が始まった(ちなみにこの検査は尿検査。結果の数値が上がっていれば内視鏡を入れての検査になる)。だが、3年が過ぎても数値は上がらない。つまり、カリフラワーは育っていないのだ。危険水域を越えたのか、それ以降、検査が半年に1度となる。

 そして4年、5年が経っても、相変わらず数値は上がってこなかった。医者も「不思議だねぇ。遅くても3年後に再手術というのがふつうなんだけど……」なんて言っている。もう何年間も股間節の矯正を続けていて、自然治癒力も高まっているはずだから、案外このまま再発しないのかも……と僕は思った。

 それが今年の3月、ふたたび便器が真っ赤になった。膀胱がんが再発したのだった――。

(つづく)









Aito-sei-long

第308回 対話 Ⅰ


――いま恋人がいないということ?
――
――でも、たまにセックスする相手はいるんだ。
――
――その人のこと、好きじゃないの?
――
――心から好きになれる人が、いないってことなのかな?
――
――なんでだろうね。
――
――自分のことは好き?
――
――なるほど、もっと自分がこうだったら、というのがあるのね。
――
――ああ、上昇志向か……。
――
――だけど自分を好きじゃない人が、誰かを好きになれるのかな?
――
――自分でも他人でも、好きになる心の場所は同じっていうかさ。
――
――そうそう、同じモード。
――
――極端な話、嫌いモードだと、なにもかも色褪せて見えたりね。
――
――どうしたらいいんだろう。
――
――え? 自分を好きになる方法?
――
――自分を好きになれない原因は、どこにあるんだろうね?
――
――オレも自分で自分をダメだなぁって思ってた時期はあったよ。
――
――でも、そう思っても何も変わらなかった。むしろ悪くなったね。
――
――そりゃそうだよね、自分が自分と戦ってる状態なんだし……。
――
――で、あるときそんな自分を許したの。
――
――だって可哀想でしょ。オレしか許せるヤツはいないんだから。
――
――その後、何か変わったかということ?
――
――うーん、少なくとも生きるのがラクになったね。
――
――あと、固まっていたものが溶け出した感じがしたかな。
――
――さっき、自分に自信がないって言ってなかった?
――
――自信って、自分を好きになることから生まれると思うんだよ。
――
――自信が持てると、人は内側から輝き出す。男も女も。
――
――類は友を呼ぶじゃないけど、同じような人間が出会う。
――
――そう、だからあなたが輝けば、輝いてる人と引き合う。
――
――大好きな人も現われるものなんだね。











Aito-sei-long

第307回 幸せって何だろう?


 ちょうど1年前、突発性難聴になった。それは完治したのだが、かかった総合病院では呼吸器内科にもまわされ、結果、肺気腫と診断された。てっきり歳のせいかと思っていたが、重い家具を動かしたり、ウォーキングで上り坂に差しかかると確かに息切れすることがあった。

 以来、月に1回、呼吸器内科へ吸引薬をもらいに通っている。朝1回それを肺に吸い込むと上り坂も苦にならない。主治医からは「タバコをやめましょう」と行くたびに言われる。「禁煙外来に行ってください」とも。タバコをやめれば、今より悪くなることはない、つまり今の状態をキープできるというわけである。

 なのに、僕はずっとタバコをやめていない。禁煙外来にも行ってない。タバコを吸わない人が読んだら、アホかと思うだろう。もしも今40代とか50代だったら、あるいは娘がまだ学校に通っていて、これから社会人になるとかだったら、主治医の言うとおりにしていたかもしれない。

 だが、娘たちも結婚し、子どもを産んで、家庭を持っている。僕はもう77歳だ。60代にわずらったうつが進行して、心身が極端に衰弱し、死を覚悟したことがある。そのとき墓も買ったし、わずかばかりの財産も娘たちに分割で渡しはじめている。何歳まで生きられるのかわからないが、その時間を延ばすことが僕にとっての最優先事項ではなく、残りの人生も自分らしく生きたいと思うのだ。タバコに限らず、自分の好きなことを我慢して生きていても、あまり楽しくないのではないか。

 WHOの「世界保健統計」(2014年最新)によれば、国別平均寿命ランキングで日本が1位。最近、香港が日本を抜いたという情報もあるが、いずれにしても世界に冠たる長寿国なのは間違いない。一方、国連の「世界幸福度報告書」(2013年最新)によれば、国別幸福度ランキングで日本は43位(1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スイス)。長寿で世界一と言われるより、幸福度で世界一と言われるほうが僕はうれしい。

 幸福とは何だろう? その尺度は人によって異なるはずだが、僕は〈思考〉と〈感情〉と〈本能〉のバランスがうまく取れていることではないかと思う。

 たとえば、富や名声を得たいというのは〈思考面〉。家族・恋人・友人や仕事の人間関係をうまくやりたいというのは〈感情面〉。食欲や性欲を満たしたい、健康でいたいなどは〈本能面〉。これらはあえて端的な例をあげたが、実際には2つないし3つが絡み合っている場合も多い。

 食べるカネにも困っているので、今より収入のいい仕事を見つけたいというのは〈本能面〉から〈思考面〉。営業成績を上げたいが思うようにいかなくて落ち込むというのは〈思考面〉から〈感情面〉。風俗に行って、体だけでなく心もホカホカになったというのは〈本能面〉から〈感情面〉。

 では〈思考〉と〈感情〉と〈本能〉のバランスがうまく取れているとはどういうことなのか? 3つのうちの何かが突出していたり、逆に欠落してたりしないということである。社長の椅子は手に入れたが、友達と呼べる人間が1人もいないというのでは幸せなはずがない。愛する家族はできたが、仕事がないというのも困る。

 とりあえず生活していけるだけのカネがあり、社会における自分の居場所があって、友がおり、つねにイライラしたり不安に苛まれるということなく、セックスでも相手とつながれる。それが僕の考える幸福である。バランスが取れているなら、ひとつひとつは分相応でいい。きっとそれが等身大に生きるということだろうし、自分らしいということだろう。

 タバコを吸い続けて、いよいよ息切れがしてダメになったとき、幸せな人生だったなぁ~と思えれば最高である。










Aito-sei-long

第306回 宗教について思うこと


 地下鉄サリン事件から20年が経過した。最後のオウム裁判の判決は今月にも言い渡されることだろう。けれども、これでオウム問題が終わるわけではなく、オウム真理教の後継団体アレフは今なお信者を増やしているという。

 若い人たちはかつてオウムが起こした事件の数々をリアルタイムでは知らないかもしれない。だがこの20年、メディアはことあるごとにオウムの特集を組んできた。ネットを開けば、オウムがしてきたことはすぐにでも見ることができる。なのに、なぜ今アレフに入信する人がいるのだろう。

 社会が不安定だから、居場所がなかったり、自分の存在価値を実感できない人たちが、拠りどころを求めて吸収されていくのだろうか。

 先日見たテレビの特集番組では、アレフにおいてクンダリニーの覚醒とチャクラの開発のため、信者が呼吸法を実践しているところが映っていた。「何秒吸って、何秒止めて、何秒吐いて」とやっている。呼吸法によってトランス状態を作り出し、そこで暗示を入れれば、簡単にマインドコントロールができてしまう。たとえば仮に「神の理想の国を創る。あなたは選ばれた人なんだ。社会は堕落している。神の国を実現するためには、この堕落した社会を消さなければいけない」と言われたらどうなるだろう……。

 また、呼吸法でトランスに入っているときには幻覚を見ることがある。それは光だったり、過去世だったり、宇宙創成の何かだったりもする。「チャネリング」シリーズの頃、そのような現象は現場でよく起きた。重要なのは、光などを見たことではなく、それを通して本人にいったいどんな気づきが起きたかのほうである。ところが、気づきも起きないうちから「光が見えたのは、悟りの一歩手前まで来ている証(あかし)だ。だからもっと修行しよう!」と言われれば、言われるがまま修行にいっそうのめり込み、そこでの教えがすべてになってしまうに違いない。

 話は変わるが、僕が生まれ故郷にいられなくなり16で大阪に出て、20代後半で実家に戻ったときには、母だけでなくもう父も亡くなっていた。日に幾度となく妹が仏壇に手を合わせていた。亡き父母に語りかけているものと最初は思っていた。けれども、仏壇の中に両親の位牌は見当たらず、妹が拝んでいるのは小さな掛け軸のようなものだったのだ。僕がいない間に、妹はある宗教に入信していた。

 実の兄が家を飛び出し、腹違いの妹弟たちと暮らすなか、妹はその宗教に頼らなければ生きるのがつらすぎたのかもしれない。何もしてやれなかった身としては申し訳ないと思うけれど、妹のその宗教への入れ込み方は僕から見れば度を越していた。その世界がすべてになっている。一方、妹から見れば、そのありがたい教えを理解しようともしない僕はきっと愚かな人間に映ったのだろうが……。

 カルト教団や新興宗教のみならず多くの宗教は、自分のところ以外を邪教と見なす。いや、同じ宗教でも宗派が違えば、お互いがお互いを否定し合う。宗教宗派間の争いでは、血で血を洗う凄惨な行為がくり返されるのも珍しくはない。人々を救済するはずの宗教が、なぜ平気で人を殺せるのか。それは、“絶対”というものを作ってしまったからではないかと思う。この世に絶対などないにもかかわらず、それを持ってしまったがゆえに、それを守ろうとするがゆえに、戦わざるを得なくなる。

 もちろん、僕は宗教のすべてを否定しているわけではない。宗教が多くの人々を救っているというのも事実である。だが、宗教から学ぶことはあっても、僕は“信者”にはならない。自分の人生をその宗教の教義・教典に預けるつもりはないし、“絶対正しい教え”に隷従したくもない。日々右往左往しながらも、その体験を通して学び、自分の足で歩いていきたいと思うから……。







Aito-sei-long

第305回 テロの時代


 先月、NHKの時論公論という番組の中で、アメリカ国家情報長官が公聴会で述べた「テロの発生件数」について伝えていた。「昨年、世界で発生したテロ事件は、1月から9月までの9カ月間でおよそ1万3000件。犠牲者は3万1000人。これは統計がある過去45年間で最悪となる見通しだ」という。

 これを聞いて僕は、かつてこのブログでも何度か書いた「多次元的な円」を思い起こしていた。これまでの「ピラミッド型の力学」が終わり、「多次元的な円」の世界がやってくるというものだ。書いたブログの一部を再録する。

 〈「ピラミッド型」では、頂点に国王や大統領といった支配者がいて、階層が下に行くほど人口が増える。力学的には上への絶対服従が条件であり、上意下達でなければピラミッド型は機能しない。こう書くと、どこぞの独裁国家の話かと思われるかもしれないが、日本のほとんどの会社組織はピラミッド型ではないだろうか。

 この「ピラミッド型の力学」がずっと地球上を支配してきたし、長い間、人々もそれが正しいと信じてきた。というか、多少の難はあっても、さしあたってそれに代わるものはないと大多数の人たちは考えてきた。

 ところが、蔓延する閉塞感。今までのようにカリスマ的なトップがいて、その人の言うことを聞いておけば上手くいくという考えは、至る所で破綻をきたしている。つまり「ピラミッド型の力学」ではもう立ち行かなくなっているのではないか。〉

 一方、「多次元的な円」では、上も下もなく、すべての人がインタラクティブにつながっている。一人ひとりが中心となって何層にも広がっていく円のような状態だ。そこでは頂点を目指すがあまり自分を見失うことはない。しかし、誰かに寄りかかったり、ぶらさがったりもできなくなる。

 話をテロに戻そう。4年前、「アラブの春」と呼ばれる政変が起きた。北アフリカと中東諸国に起こった一連の民主化運動である。これによって、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンなどでは、長期にわたって独裁していた政権が相次いで崩壊していったのだ。

 ところが、時論公論によれば、独裁政権の崩壊後、各国は民主化をめざして動き出したものの、国内の対立や混乱は逆に増すばかりだった。ついには内戦状態に陥り、政府の統治が行き届かない「権力の空白地帯」があちこちにできてしまったという。この「権力の空白地帯」こそが、国際テロや過激派組織の拠点になっていると指摘する。そして、過激な思想に共鳴した人々によるテロが、世界各地に拡散していると。

 これまで独裁政権によって押さえ込まれていたものが、「ピラミッド型」が壊れたがゆえに、それぞれに動き出したわけである。僕がこれまで書いてきた「多次元的な円」は、どちらかと言えば“いい話”だった。これからは頂点にいる人間に頼るのではなく、自分たちが何かをやらなきゃいけない。自分が主人公なのだと。そういう意味では、過激派組織もまた自分が主人公なのだ。いわば負の多次元的円である。

 アメリカ国家情報長官は公聴会にて「過激派組織の数、メンバーの数、そして支配地域が、史上最大の規模になった」と語った。由々しきことではあるけれど、これはもう避けられない過渡期なのだと僕は思う。

 では、どうしたらいいのだろうか。危険な場所には近寄らないというのは誰もが真っ先にあげることだろう。たしかに、わざわざ過激派組織の拠点になっている場所への渡航はしないに越したことはない。だが、それ以上に大切なのは、自分の中にネガティブなものを溜め込まないことではないかと思うのだ。ネガティブなものが溜まっていると、同じようにネガティブなものを持つ人間たちと共鳴し、出会うことになる。

 僕が子どもの頃から隣村の連中とケンカに明け暮れて、ヤクザとつきあうようになり、その世界に入って縁が切れなくなっていったのは、母親の死とともに始まった自分を出せない生活において蓄積していく心の闇が、やはり同じように心に闇を持つ者たちを呼び寄せ、関係を深くしていったのだと思う。

 これは、いじめにも言えるだろう。いじめている側が悪いのは言うまでもないが、しかし、いじめられている子の中にも、その子のせいではないとしても、つらさや怒りや寂しさといったネガティブなものが中和されないまま残っているように見える。

 もはやテロは日本人にとっても他人事ではない時代になったけれど、テロに限らず、「多次元的な円」においては、これまで出会うはずのないものが出会い、連鎖していくことになる。そこでは、意識するとしないにかかわらず、何を発信しているのかが、自分の先々を決めてゆく。くれぐれもネガティブなものがあれば中和しておいていただきたい。










Aito-sei-long

第304回 生後2カ月の笑顔


 ちょうど1年前、上の娘とその息子2人(僕にとっては孫だが)が東京に帰ってきた。2年半の間、夫の転勤にともない北海道に行っていたのだ。夫はまだしばらく北海道だが、上の子が小学校入学、下のが幼稚園入園というタイミングに合わせて一足早く戻ったのである。

 それまでも夏休み、正月、春休みには帰ってきていたし、東京のマンションは友人に貸していたから、わが家に寝泊まりした。上の孫は僕に懐(なつ)いていて、よく祖師谷公園に2人で出かけたものである。北海道に帰るとき羽田空港まで送っていくと、見えなくなるまで何度もふり返って手を振る姿が目に浮かぶ。

 こちらに戻ってくるとなれば、元いたマンションに暮らすことになるが、わが家からはスープが冷えてもまぁ飲める程度には近い。そうなれば、今まで以上に孫と遊ぶ時間も増えるだろう、と僕は思っていた。ところがである。小学校に上がった孫には仲のいい友達ができ、水泳教室など習い事も始めたものだから、ほとんどわが家には来なくなった。

 あてが外れた僕は寂しいなぁと内心思っていたのだが、一昨年から同居を始めた下の娘がこの1月に男の子を出産した。初めての孫ではないし、これまで娘2人を育ててはきたものの、これがまったく違うのである。

 どう違うのかといえば、上の娘の孫は、近くとはいえ一緒に暮らしてはいなかった。だから、日々の成長を目の当たりにしてはいないのだ。娘の場合は目の当たりにしてきたわけだが、向き合い方が違う。

 女房が言った。「夢中だったから、こんなふうに見られなかったわよね」。若いときは、きっと今みたいに余裕がなかったのだろう。たとえば、ちょっと顔色が悪かったりしたら、病院に行ったほうがいいかなぁと考える。最初の子を4日で亡くした新米の親だから、過剰に反応していたところもあったかもしれない。それが、2人の子を育て上げたという経験も手伝ってか、今は余裕をもって見られるのである。

 同じ屋根の下に暮らしているから、娘夫婦とは日々言葉を交わしてきたけれど、孫が生まれるとその会話量が比較にならないほど増えた。話題はむろん孫についてである。「きょうはどうしてた?」とか、「今の子は成長が早いなぁ」とか。「お父さんにお馬さん(ごっこ)してもらったよね」と幼い頃の記憶もよみがえる。

 外孫は、自分の娘が産んだ子なので気兼ねがないとよくいわれる。内孫だと、自分の息子の子ではあるが、お嫁さんに遠慮があるという意味である。たしかに母と子の結びつきのほうが父と子よりも強い。とりわけ赤ん坊の場合は。ただし、外孫にはそうそう会えないという一面もある。

 ところが、今回は気兼ねがないうえに毎日会えるのだ。僕ら夫婦にとってはこのうえなくラッキーな状況である。「通い婚」の話で書いたが、産んだ娘にとっても自分の実家だから同様に気兼ねはないだろう。それに困ったり迷ったりしたときには、母親という子育ての先輩が24時間ついている。

 僕が帰宅するのはだいたい9時すぎである。そのとき孫が起きていれば娘が2階から抱いて降りてきてくれる。顔を見て語りかけると、孫が笑う。生後2カ月のなんの屈託もない笑顔。一日の疲れやストレスが、その笑顔だけでスーッと溶けていくのを感じる。

 「マンションの頭金が貯まるまで」と言って住みはじめた娘夫婦。だから、初めから期限つきの同居なのだが、孫の笑顔を見ていると、このまま住みつづけてくれたらなぁ……とついつい思ってしまう自分がいる。










女性に見てほしいバナー

3月26日(木)、全52タイトルに増えました!


第303回 フクロウ


 世の中には収集家とかコレクターと呼ばれる人たちがいる。僕は自分でもそういうタイプじゃないと思うのだが、ただ、フクロウだけは別である。ちなみに、フクロウとミミズクは羽角(うかく)と呼ばれる耳のような羽毛があるか(ミミズク)ないか(フクロウ)で分けられているが、ここではまとめてフクロウと記すことにする。

 フクロウを収集してるといっても、生きているフクロウを何十羽も飼っているわけではない。フクロウの置物である。数からすれば、ゆうに100は超える。正確には「集めていた」だが、これはあとで書こう。

 フクロウを集めていると言うと少なからず意外な顔をされるし、「なんでフクロウなの?」と訊かれる。訊かれても……魅かれるとしか言いようがない。でも今回ブログに書くにあたって、なぜ魅かれるのかについても自分なりに考えてみた。

 女房と同棲を始めた頃から、僕はずいぶん鳥を飼ってきた。オウム、九官鳥、インコ、文鳥……あるときはマンションのベランダでアヒルを5羽飼っていたこともある。これまで犬も猫も飼ったけれど、ふり返れば鳥がいちばん多い。

 どうして鳥が好きなのだろう。1年近く前「散りぎわの美学」という話に剣道の達人のことを書いた。祖父母の家に預けられていた僕にとって、彼は実父以上に父のような存在だった。彼はメジロをよく捕りに行っていたし、育ててもいた。小学校から中学に上がっても、僕はメジロ捕りに連れていってもらった。

 戦後の殺伐とした時代、僕自身も荒(すさ)んでいた。ケンカ三昧の毎日である。そんな札つきの不良少年とメジロは一見つながらない。だが、野生のメジロでも、大事に育てれば懐(なつ)くのを僕はずっと見てきた。与えた分だけ返ってくる。そこには裏切りも嘘もなかった。メジロと向き合っているとき、僕はそのままの自分でいられたような気がする。

 それが原風景としてあるからか、鳥を見ていると僕は今でも癒される。家の近くの仙川に行くことはこれまでも書いてきたけれど(「きょうも川にいます」「いのちの清流」)、そこで見ているのはやはりいろいろな鳥たちだ。

 鳥のなかでもフクロウはじつに神秘的である。頭もよさそうだし、じっとこちらを見ていても何を考えているのか読めそうにない。多くの鳥はうるさいが、フクロウはハトに似た鳴き声で物静かだ。かと思えば首が180度回って真後ろを見ることもできる。

 かつて千葉の金束(こづか)で農家を借りていたとき、近くの大きなケヤキの古木にあいた穴にフクロウが棲んでいた。あるとき、すごい速さで一直線に地面まで降りてきて、地面すれすれで初めて羽ばたき、一瞬でスピードを殺すと、また違う方向へと飛んでいくのを目の当たりにした。その間、羽音はまったく聞こえない。見ていなければ降りてきたのにも気づかなかったことだろう。

 僕が持っているのは置物だが、なかには目にガラス玉を入れて、けっこうリアルなものもある。フクロウは独特の目をしている。そのせいか同じ置物でも、日によってその目がうれしそうに見えたり、寂しそうに見えたりする。自分の心のありようで、表情が違って見えるのだ。

 かつて鳥を飼っていた頃、フクロウを飼いたいと思ったことはあった。しかし当時、僕が行っていたペットショップにフクロウはいなかったし、そもそも自分で飼える気がしなかった。そんなとき、女房とドライブに出かけた先で、フクロウの置物を見つけた。胴体の部分が透かし彫りになっていて中が見える。その中にも小さなフクロウが彫られていた。後から入れたような跡はどこにもない。どうやって彫ったんだろう。僕はその木彫りのフクロウを買った。いま思えばここから収集が始まったのである。

 その挙句、100個以上ともなると、僕の部屋だけには納まらなくて、玄関、リビング、廊下、階段……と家のあちこちにフクロウは置いてある(下の画像はその一部)。女房は毎日家を掃除するが、そのたびに1つ1つフクロウをどけて掃いたり拭いたりしなければならない。少ないうちはよかったものの、家じゅうフクロウだらけになったとき、ついに収集禁止令が出た。僕も彼女の言うとおりだと思った。

 余談になるけれど、アテナ映像という社名の「アテナ」はギリシャ神話に登場する女神の名である。その女神の聖鳥がフクロウであると知ったのは、収集を始めて何年も経ったときだった。なにか縁があるんだよなぁと僕は思った。後づけには違いないが、あるものに興味を持つと想像さえしなかったつながりに気づかされたりもするものである。




20150320-yoyogi-pict-final



Aito-sei-long

第302回 結局、セックスとは何か?


 前回のブログで「セックスする人が減れば、人口は減少し、わざわざ火星に移住しなくても済む」なんて書いたものだから、ついに代々木も若者たちの恋愛離れ・セックス離れに匙(さじ)を投げたか……と思った人もいるかもしれない。

 もちろんそんなことはなく、目合(まぐわい)は地球を救うと今でも思っている。おかげさまでこのブログも300回を超えたし、いい機会なのでセックスについてここで簡単にまとめておきたい。

 僕が若い頃は、先輩からたとえば「女はクリトリスをさわれば感じるから」とアドバイスされて、ドキドキするなかその教えを金科玉条のごとく実践したものである。だが、それで相手の女の子がイキまくったなんて話は聞いたことがない。

 その後、「女はこうすれば感じる」というノウハウは、口伝えの域を越え、男性誌で頻繁に特集されたり、マニュアル本としてたくさん出版された。さらには女性誌でもセックス特集が組まれ、女性向けのテクニック本も刊行されている。ということは、それだけ読者がいるということであり、多くの人が「セックスで相手を感じさせたい」と思っているわけである。

 そして、その教えを実践しながらも、思うような結果が得られなければ、また別の教えを求めることになるだろう。今や情報は雑誌や書籍のみならず、ネットに溢れているから事欠かない。「キスのテクニック」「耳の攻め方」「クリトリスの攻め方」「Gスポットの攻め方」「潮吹きのテクニック」「アナルの攻め方」……と“技術論”は発達しているのだ。

 セックスを〈肉体の快楽〉という一面でとらえれば、たしかに技術論で充分なはずである。しかし、人には〈感情〉がある。「相手が愛おしい」とか「好き」といった〈感情〉を置き去りにしたまま、テクニックだけをいくら磨いたところで相手は感じないし、感じさせようとしているのは伝わってしまう。まぁ、それを気の毒に思えば、感じているフリくらいはしてくれるかもしれないが……。いずれにせよ、やっている当人も空しさが残るはずである。

 一方、女の子が好感を持っていれば、男のテクニックが稚拙であったとしても、うれし恥ずかしで感じてくる。男の場合もしかり。たとえばいちばん気持ちのいいフェラは、女の子が男を「愛おしい」と思い、本当にしゃぶりたくてしゃぶってくれるときなのだから。

 ただし、お互い好感を持っているにもかかわらず、相手がイマイチ感じないというケースもあり得るだろう。セックスにのめり込んでいないというか、自分を開いてこないというか……。これはセックスの最中、〈思考〉が働いている場合によく起こる。相手の行為を分析しているときもそうだが、多くは性的な行為に対する罪悪感に起因する。

 たとえば思春期、性に目覚めた自分を人は親に知られたくないと思う。エロ本やAVを隠し、動画の履歴を消し、自慰行為がバレないように注意を払う。性とはイヤらしいことであり、はしたないものであり、人に知られてはならない秘密なのだ。それがいつしか「気持ちよくなること」への罪悪感を生んでしまう。そして、本人が自覚するしないにかかわらず“よい子”を演じてしまうのだ。

 ある時期から僕は現場で無意識に「気持ちよくなるより幸せになれ」と女の子たちに言っていた。いま思えば、気持ちよくなろうとすれば罪悪感が首をもたげるけれど、幸せになろうとすれば罪の意識は感じないということだったのかもしれない。そしてお互いに目を見つめ合えば、思考は働かない。性交とはひと言でいえば心を交わらせることなのだから、上手だったかヘタだったかよりも、そのセックスが幸せだったか空しかったかのほうが、ずっと大切なはずである。








Aito-sei-long

第301回 恋愛しない若者たち


 恋愛しない若者たちが増えている。彼ら彼女らの多くは、恋愛しない理由をこんなふうに語る。「気まずくなるのがイヤ」。

 何に気まずくなるのか? 「フッても気まずいし、フラれても気まずい」。たしかに告白してNGなら、断わったほうも断わられたほうも、気まずさはあるだろう。でも、それが恋愛しない理由なのか……。

 生きていれば、気まずいことなんていっぱいあるわけで、いっぱいあるからこそ、いつまでも頓着してはいられない。僕は職場結婚だった。当時女房は売れっ子女優、僕は名もない助監督。告白してフラれたら、そりゃあ、その後の仕事もやりづらいだろうなぁ……などとは考えなかった。「なぜ?」と訊かれても「好きだったから」としか答えられない。先のことまで考えてないというか、やりづらくなったらそのとき考えりゃいいくらいにしか思っていなかったのだ。

 それに「気まずい」のはあくまでもNGの場合であって、お互いOKならばそんな心配は無用……と思いきや、「つきあっても仲間に気まずい」と彼ら彼女らは言う。

 え? どーいうこと? 惚れた相手よりも仲間のほうが大事なの? これがどうもそうらしいのである。たとえば、1日10時間以上、LINEやTwitterに時間を費やす子がいる。その子曰く「仲間はかけがえのない存在で、ちょっとしたことで関係が壊れるんだったら、恋人はいないほうがいい」のだそうだ。

 そんなことくらいで壊れるのに “仲間”なの? と思っちゃうけれど、僕のほうがおかしいんだろうか。

 「男の子と遊ぶより女同士で遊んでるほうがぜんぜん楽しい」と言う子がいる。これは男のほうも同様で、「男同士のほうが気ぃ遣わなくていいから楽しい」と。僕も男ばかりで千葉に遊びに行ったりするから、その気持ちはよくわかる。でも、なぜ両方楽しもうとしないのか不思議である。

 そこには、やはり「気まずさ」を極力排除したうえでの仲間至上主義、友人至上主義みたいなものが見え隠れする。しかも、一緒にいる仲間や友人が自分と同じように非恋愛状態なら、恋人がいないことに特別焦ったりもしないのだろう。

 だとしたら、彼ら彼女らのセックスは遥か地平線の彼方にしか見えてこない。かねてより少子化が叫ばれ、高齢化社会の問題点が浮き彫りにされている。しかし視点を変えれば、つまりセックスする人が減れば、やがては老いも若きも人口が減るのである。そうなれば、わざわざ火星にまで移住しなくてもいいわけだし、それも自然の摂理かと思えなくもない。







Aito-sei-long

第300回 風俗事情


 最近の風俗はどうなってるんだろうと思い、ネットをのぞいていたら、その細分化されたオプションメニューに驚いた。

 たとえばデリヘルの一例。写メ1,000円、ストッキング(破り)1,000円、コスプレ1,000円、ローター1,000円、オナニー鑑賞2,000円、バイブ2,000円、聖水(放尿)3,000円、電マ3,000円、顔射4,000円、ごっくん(精子飲み)5,000円、アナルファック10,000円などなど。

 これがSMクラブだと、首輪2,000円、猿ぐつわ3,000円、ロウソク5,000円、浣腸5,000円、麻縄5,000円、1本ムチ(1発)10,000円、剃毛10,000円、黄金体塗り30,000円。またコース自体、長いものだと1440分(24時間)480,000円なんていうのもある。

 お客さんは「じゃあ、きょうはコスプレ(1,000円)に電マ(3,000円)と顔射(4,000円)で!」とかなるのだろうか。これでセックスを覚えると、プライベートでもセックスというよりは“プレイ”になっていくように思える。そしてそれは男ばかりでなく、撮影現場の女の子も同じような傾向にある。

 むかしの遊郭には、当然ながらこんなに細分化されたメニューはなかった。僕自身、足繁く風俗に通ったというわけではないが、かつて吉原のソープ(当時はトルコ)に行った際、相手をしてくれたのは、たまたまその店の売れっ子トルコ嬢だった。たしか料金も安くはなかったと思う。

 彼女はそのとき30代で、結婚はしていないようだった。洗いが終わって、ベッドに移動したとき、僕は「目を見てしよう」と彼女に言った。「オレ、目を見てしないとイカないし、見てくれないんだったら、フェラチオされて焦らされて、自分で妄想の世界に入ってやったほうがいいから」と。その時点で彼女のテクニックは相当なものとわかっていたし、目を見ないセックスをするくらいなら、本当にそれでもいいと思ったのだ。

 結局、彼女は僕の目を見た。そしてイッたときに泣き出した。きっと何かを感じ取り、何かに気づいたのだろう。それは彼女にとってショックでもあるようだった。帰るとき、彼女は自分の電話番号を伝えた。もらったメモをしばらく持っていたものの、電話をかけることはついぞなかった。数カ月後、再び行こうという気になって店に電話したところ、戻ってきたのは「もう在籍していません」という返事だった。僕もどこかでそんな気がしていた。

 なかには、僕の作品に出てからソープに勤め出した子もいる。「監督から目を見てするように教わって、お客さんにもちゃんと情を通わすようにしています」と彼女。彼女を知る共通の知人から聞いた話では「お客さんは甘えてくるし、自分もうれしいし、いろんなことを告白されるしで、今やナンバーワンらしいよ」とのことだ。

 どんなに美人でスタイルがよくても、たんなるプレイでは、終わったあとに空しさが残る。逆にちゃんと向き合ってくれて、目を見つめて一緒にイッてくれるならば、お客は絶対にまた来たいと思うだろう。そういう男は、仮にそれまでの経験が浅かったとしても、セックスに、そして自分自身にきっと自信が持てるようになるはずである。








Aito-sei-long

第299回 密室での真相


 13歳で髪が抜け落ち、20歳を過ぎてセラピーやカウンセリングを受け、「ピアノを習いに行ったときにすごくイヤな経験をした」と7歳の頃の断片的な記憶がよみがえる。

 彼女は言う。「女性っぽくなってしまうと狙われる、その恐怖から髪の毛をはじめ女性らしくあることを、体も心もきっと拒んできたんでしょうね。だけど、本当は女性らしくなりたかった」。

 ところどころ髪は生えはじめたものの、恋人には、好きだからこそその姿を見せられなかった彼女。「そういう恐怖で20年も後悔して生きてます。女の人として悦べる20代30代の時間を、自分の心の弱さから経験できなかったかと思うと悲しいなぁって……」。

 被害者である彼女は自分を責めている。いったいピアノ教室で何があったのか? これまで催眠療法までやっても、そこに至ると心にブロックがかかるという。「体にタッチするので有名な先生だったらしいんです。たしかにさわられたことはあるんですよ」と彼女は首のあたりを指さす。

 「いや、それくらいのことでは髪が抜けるまでにはならないと思いますよ」と僕は言った。「いつ・どこで・誰に」までわかっている。なのに、なぜカウンセラーたちは核心を明らかにできなかったのだろう。彼女の中で、いちばんの根っこは依然として中和されていないままなのだ。

 彼女の承諾を得て、呼吸法と年齢退行をやってみようかと思った。けれどもそれにつけては僕のほうにも覚悟がいる。少女はその体験を受け入れられずに心奥に閉じ込め、記憶から消した。もしこの体験が中で乖離している場合、呼吸法を試みれば1人の人格として表に出てきてしまうかもしれない。人格の乖離が起これば、この先、僕は彼女をフォローしていかなければならないだろう。今の僕にそれだけの気力と体力があるのか……。

 「成人してからも記憶がないことってあります?」とやんわり乖離の可能性を訊いてみる。「自分がときどきポツンといなくなっちゃうことはありますね」という返事。微妙なところだ。「じゃあ、たとえば『冷蔵庫になんでこんなものが入ってるの?』っていうのは?」「そういうのはないです」。彼女と話すうちに、乖離はしていないだろうと判断した。カウンセリング等で記憶の断片がよみがえったことにより、乖離にまでは至らなかったのだと。

 そこで、まず呼吸法を彼女に試みた。最初は長息。つづいて短息。「首の力をスーッと抜いて。呼吸を止めると閉じ込めるから出しちゃおう。思い切って! がんばれ! そばについてるよ」。とつぜん彼女が泣き出した。溢れてきたのは閉じ込めていた感情だった。僕には何が起きてるのかまではわからないけれど、「だれにも言えなかったんだ」と彼女の心に寄り添った。泣きじゃくりながら、「早くおうち帰りたいのー!」と彼女は何度もくり返した。

 やはり根っこはここにある。呼吸法で確認を終え、真実と向き合う意思を彼女に再び確かめたうえで、7歳のピアノ教室へ年齢退行を行なう。いったい何が起こっているのか、僕は彼女に訊いてゆく。「レースのカーテンが見えて、『脚広げて』って言うから広げてみようかな」「何かさわって『気持ちいい?』って」「『これはお母さんに言っちゃダメだよ』って言ってる」「お股をさわってる」「ズボン脱いで『ここに入れると面白いよ』って言ってる」「『気持ちいいんだよ』って」「早く帰りたいのに『これをやったら早く帰してあげる』って言うから」「先生『入んない』って言ってる」「チョンチョンチョンってやってる」……。

 「それで終わったの?」と訊くと「入ったけど、痛いデカいのじゃない気がする。でも、この中グニョグニョってされた」。「そのとき痛かったの? 気持ちよかったの?」と訊くと「ちょっと気持ちよかった。でも先生が気持ち悪い。1回じゃない。何回もあった」。

 「ひとつ聞いてくれる?」と今度は彼女が僕に問う。「聞くよ」と答えると「私、悪い子だったのかなぁ……」「悪くない! その先生が悪い!」「汚い子なのかなぁ……」「汚い子じゃない!」「でも『汚い子だね』って言われた」「汚い子じゃないよ! その先生が汚いんだよ!」「でも『お股をもうやったおまえは汚い子だ』って言われた」と彼女は泣き出した。「汚くないよ! あなたは何も悪くない!」と僕は彼女に言いつづけた。

 ピアノの先生にやられていて、イヤなんだけれども感じている自分がいるという、そこが統合できない1つの理由のように僕には思えた。だから大人になって本人が性的に感じようとしても、閉じ込められた思いが抵抗する。

 彼女は恋人と別れたあと、別の男と一度だけ酒に酔った勢いでセックスしている。でも、心がつながることはなかった。そして今は性欲が湧いてくると、SMっぽいことがしたくてたまらなくなるという。自分がマゾなんだと自覚すると同時に、そんな自分をどこかで否定していた。

 「SMも自分を癒す作業だというとらえ方でやったらいいんじゃないかと思う」と僕は彼女に伝えた。今の彼女にとってはSMが性において他者とつながる回路になっている。そこに本人が気づいてやるならば、きっとSMから卒業していけることだろう。

 面談が一通り終わって帰る間際、彼女はこんなことを言った。「(自分が悩んできたことは)父親には絶対言えないことじゃないですか……だけど、いちばん父親に聞いてもらいたかったことでもあるんです」。歳が近いのもあり、じつは僕のほうも自分の娘を彼女に重ね合わせていた。そう思うとなおさら、彼女の体験とそれが与えた影響は、あまりにも残酷で、あまりにも切ない。

 どんなに理不尽でつらい過去でも、それと向き合わなければ克服はできない。根っこが見えた彼女は、もう自分で乗り越えていくに違いないと僕は思った。彼女が言っていた「女の人として悦べる時間」は、まだまだこれから先に待っている。











Aito-sei-long



第298回 途中で終わってしまった恋


 物事には始まりがあって終わりがある。本編のみならずエンドロールの最後の1行まで見終わったような恋ならば、あるいは引きずることも少ないのかもしれないが――。

 先日「愛と性の相談室」に見えた女性は、現在30代後半だが、十数年前に好きな人がいた。プラトニックな関係だった。彼女にはセックスに踏み切れない訳があったのだ。そうするうちに、彼に子どもができた。正確にいえば、彼が遊びでしてしまった別の女性が妊娠した。そして彼はこう言った。「一緒に子どもを育てよう!」。

 なにそれ!? 浮気しといて、よくもしゃあしゃあと……と思われるだろうか。相談者の彼女は日本人だが、彼はアルゼンチン人。余談だが、カトリックゆえ子どもを堕ろせないラテンの人間にとっては「僕の子どもは君の子ども」みたいなところがあって、彼の言っていることはその世界観からすれば特別非常識でもないらしい。

 しかし、日本人の彼女、しかも当時20代前半の彼女にとって、それは到底受け入れられることではなかった。2人の関係を「友達に戻そう」と彼に告げる。こうして突然、恋は終わったのである。

 その後、何人かの男を好きになるものの、どうしても彼を忘れられない。頭では忘れようとしても、心が断ち切れないのだ。

 ところが、話はこれで終わりではない。今から5年ほど前、偶然ネット上で彼女は彼と再会する。その前の年に妻(十数年前に妊娠した女性)と別れ、子どもはその女性が引き取ったようだ。いろいろ話をしてみると、あれからもお互いに気になっていたのがわかる。それから彼女は実際にアルゼンチンまで会いに行っている。とはいえ、つねに不安はつきまとう。かつての寝耳に水だった妊娠報告。似たようなことが再び起きるんじゃないか……。

 心配が完全に払拭されたわけではないけれど、相談に見えたときには「今はそこまで不安にならなくていいのかなって思います。それよりももっと自分が見るものがあるだろうと……」と彼女は言った。

 続けて「途中で終わってしまった恋というのもあるんでしょうけど、彼とは何か不思議な関係なんですよね。だから、先はどうなるかわからないけど、いつか彼と一緒になりたいと思ってます。でも『よしっ行くぞ!』っていう勇気がなかなか出なくて……」。

 アルゼンチンは、日本から見ればまさに地球の反対側。一緒になろうとすれば、現実的にいろいろな覚悟がいるだろう。だが、彼女が本当に悩んでいたのは、物理的な距離の問題ではなく、自分の内面のことだった。

 彼女は13歳のとき、髪の毛が抜けてしまう。行った病院では、彼女だけでなく家族全員が心理テストを受けることになった。テストでは絵を描いたらしいが、その絵に出てきたものとは……? 医者はこう言ったそうである。「この子は7歳くらいのときに何か大きな、すごく大きな傷を心に負っています」。

 親は驚いた。でも思い当たることがない。7歳のとき、この子は何をしてただろうと思い返してみても、「ピアノを学ばせたのがよくなかったのかしら……」くらいだった。そして、すごく大きな傷を負ったはずの彼女自身もまた、何があったのか思い出せないままだった。

 20歳を過ぎた頃、彼女はその原因をつきとめて、たとえそれが何にせよ、心に傷があるのなら治療してみようと思い立つ。そうしてセラピーやカウンセリングを受けながら、少しずつ記憶の断片が明らかになっていく。「私、小さいときに怖いことがあったみたい」、「私、ピアノに行っていたときにすごくイヤな経験をした」。

 そして、深層では男性への恐怖をずっと抱いていたんだと気づいたとき、髪の毛がまた生えはじめたという。それはちょうどアルゼンチンの彼とプラトニックな恋愛をしていた時期でもあった。彼女はそのときの心情をこう語った。

 「彼とセックスしなかったのは、男性に対して恐怖心があったというもあるんですが、同時に(彼を)失う怖さもすごく大きかったんですよ。頭にチョボチョボいろんな所から毛が生えていて、まるで大根おろし器みたいに。腕枕されたらジョリジョリする頭を、大好きな人には見せられなかったんですよ。それがとても悲しかったし、彼は『ぜんぜんそんなの気にしないよ』って言ってくれたのに……」

(つづく)








Aito-sei-long



第297回 大麻という“クスリ”


 日本で暮らしていると、体に有害か否かという議論は耳にしても、大麻が病気に効くというニュースを目にすることはほとんどない。しかし、国外に目を転じれば、アメリカ、カナダ、イギリス、オランダ、ドイツ、スペイン等々、欧米の国々では大麻の医学的研究がかなり進んでおり、実際に医療現場では大麻が処方されている。

 たとえば日本でも、末期がんの患者の痛みを緩和するためにモルヒネが投与されることがある。でも、モルヒネによってがんが快方に向かうということはない。同様に大麻も痛みを緩和するが、モルヒネと違うのは単に痛みの緩和だけでなく、治療効果が認められている点なのだ。

 デジタルメディア「VICE Japan」が取材したある日本人女性は、3年前に大腸がんで1年半の余命宣告を受け、現在(取材時)は抗がん剤治療とともに大麻を利用している。「大麻を吸うことで、どんな効能を感じていますか?」という質問に、彼女はこう答える。「断然、食欲。がん患者はどうしても体重が減っていく。私も25キロくらい体重が落ちてるから……。だからやっぱり自分でも治療してて思うんだけど、体重は抵抗力なの」。

 このように大麻には食欲を増進させる効果がある。そればかりか、がん腫瘍の成長を抑えたり、神経の過剰な興奮を防いだり、体内のバランスを整えたり……と、さまざまな効能が海外の研究からわかってきている。次の膨大な病名群は、大麻を用いることで何らかの治療効果が得られたとされる疾患名である。

 性器ヘルペス、エイズ関連疾患、西部ウマ脳炎後遺症、化学療法回復、帯状疱疹、慢性ウイルス性B型肝炎、慢性ウイルス性C型肝炎、節足動物媒介疾患、ライム病、ライター症候群、ポリオ後症候群、悪性黒色腫、その他の皮膚がん、前立腺がん、精巣がん、副腎皮質がん、悪性脳腫瘍、多形神経膠芽腫、リンパ節細網がん、骨髄性白血病、子宮がん、リンパ腫、グレーブス病、後天性甲状腺機能低下症、甲状腺炎、インスリン依存型糖尿病、偶発性成人糖尿病、糖尿病性腎症、糖尿病性眼科疾患、糖尿病性神経障害、糖尿病性末梢血管病、低血糖症、脂肪腫症、関節障害、痛風、ムコ多糖症、ポルフィリン症、アミロイド症、外因性肥満症、自己免疫疾患、血友病A、ヘノッホ・シェーンライン紫斑病、老年痴呆、振戦せん妄、統合失調症、躁病、突発性大うつ病、反復性大うつ病、双極性障害、自閉症、アスペルガー症候群、不安障害、パニック障害、広場恐怖症、強迫性障害、気分変調性障害、神経衰弱症、書痙、心因性インポテンツ、アルコール依存症、オピエート依存症、鎮静薬依存症、コカイン依存症、アンフェタミン依存症、タバコ依存症、心因性多汗症、心因性幽門痙攣、心因性排尿障害、歯ぎしり、吃音、神経性食欲不振症、非特異的チック障害、トゥレット症候群、持続型不眠症、悪夢、過食症、緊張性頭痛、心因性疼痛、外傷後ストレス障害(PTSD)、器質性精神障害、脳振盪後症候群、非精神器質性脳症候群、頭部外傷、間欠性爆発性障害、抜毛癖、非多動性注意欠陥障害、注意欠陥・多動性障害、パーキンソン病、ハンチントン病、むずむず脚症候群、フリードライヒ失調症、小脳性運動失調症、脊髄性筋萎縮症(II型)、筋萎縮性側索硬化症、脊髄空洞症、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)、多発性硬化症、その他の中枢神経系脱髄性疾患、半身麻痺、脳性麻痺、四肢麻痺、対麻痺、非特定運動麻痺、てんかん、辺縁系激怒症候群、片頭痛、群発性頭痛、脳圧迫症、有痛性チック障害、ベル麻痺、胸郭出口症候群、手根管症候群、下肢単発神経炎、シャルコー・マリー・トゥース病、神経障害、筋ジストロフィー症、黄斑変性症、緑内障、弱視失読症、色覚異常、結膜炎、視神経の集晶、視神経炎、斜視、両眼視、先天性眼振、メニエール病、耳鳴症、高血圧症、虚血性心疾患、狭心症、動脈硬化性心疾患、心伝導障害、発作性心房頻拍、開心術後症候群、レイノー病、閉塞性血栓血管炎、結節性多発動脈炎、急性副鼻腔炎、慢性副鼻腔炎、慢性肺障害、肺気腫、喘息、自発性気胸症、肺線維症、嚢胞性線維症、歯顎顔面異常痛症、顎関節症候群、胃食道逆流症、胃炎、消化性潰瘍疾患、胃腸障害、潰瘍性大腸炎、クローン病、幽門痙攣性逆流症、限局性腸炎、大腸炎、大腸憩室症、便秘症、過敏性腸症候群、術後ダンピング症候群、腹膜痛、非ウイルス性肝炎、膵臓炎、腎炎、腎障害、尿管結石痙攣、尿道炎、膀胱炎、前立腺炎、精巣上体炎、精巣回転症、骨盤内炎症性疾患(PID)、子宮内膜症、月経前緊張症、腟痛、更年期障害、スタージ・ウェーバー症候群、湿疹、天疱瘡、表皮水疱症、多形性紅斑、酒皶、乾癬性関節炎、乾癬、そう痒症、白色萎縮症、脱毛症、ループス、強皮症、皮膚筋炎、好酸球増多筋痛症候群、フェルティ症候群、変形性関節症、外傷後関節炎、膝蓋軟骨軟化症、強直症、多発性関節痛障害、椎間板ヘルニア、腰部椎間板疾患、頚部脊髄症、頚部椎間板障害、頚腕症候群、腰仙後部障害、脊柱管狭窄症、腰痛症、末梢腱付着部症、腱鞘炎、デュプイトラン拘縮、筋痙縮、線維筋痛症、結合組織炎、オスグッド・シュラッター病、ティーツェ症候群、メロレオストーシス、脊椎すべり症、脳動脈瘤、脊柱側弯症、潜在性二分脊椎、骨形成不全症、エーラス・ダンロス症候群、爪膝蓋骨症候群、ポイツ・ジェガース症候群、肥満細胞症、ダリエー病、マルファン症候群、不眠症、睡眠時無呼吸症候群、慢性疲労症候群、振戦、不随意運動、筋筋膜性疼痛症候群、食欲不振症(拒食症)、過換気症、咳、しゃっくり、嘔吐、下痢、尿管痛、悪液質、椎骨脱臼、むち打ち症、ぎっくり腰、肩部傷害、手部傷害、臀部傷害、足の傷害、乗り物酔い、リウマチ、アナフィラキシー様症状。

 まさに万能薬と言うほかないが、日本では使うことが禁じられている。大麻取締法の第四条には「何人も次に掲げる行為をしてはならない」として「大麻から製造された医薬品を施用し、又は施用のため交付すること」「大麻から製造された医薬品の施用を受けること」の2つが明記されている。 絶対的な禁止。だから、研究すらされていないのである。








Aito-sei-long

第296回 知られざる大麻の効用


 「嗜好用」大麻は、自らやらずとも、誰それが所持や栽培で逮捕されたというニュースをしばしば耳にする。それに比べたら「産業用」や「医療用」はニュースになることもまれだ。

 しかし、わが国で「産業用」大麻の歴史は長い。綿のない時代から衣類の原料に使われており、かやぶき屋根、食料、紙と、民衆の衣食住に深く関わってきた。同時に、伊勢神宮のお札(神宮大麻)や神社の注連縄(しめなわ)や鈴縄、横綱の綱(化粧まわしの上にしめる注連縄)などにも用いられ、神聖な作物でもあったのだ。

 ちなみに今なお「麻」の衣類は多数あるものの、現在では亜麻(リネン)と苧麻(ラミー)が麻の名称で流通させてよい繊維であり、大麻は指定外繊維となっている。

 だが世界的に見れば、産業用大麻の用途は以前とは比べものにならないほど広がっている。たとえば茎の部分を熱圧縮して建材に使う。強度があるだけでなく、湿気を吸収・放出するので、内装材として優れている。そして断熱材。いずれも解体したのちは土に返るから産業廃棄物にならない。

 家だけではない。ベンツでは吸音断熱材として、ポルシェやルノーではドアパネルやダッシュボードに使われている。また、大麻から作ったバイオマス燃料はトウモロコシなどより優れており、実際にクルマを走らせることも可能だ。しかも、茎から繊維を取ったあとに残る芯の部分(オガラ)からバイオエタノールやバイオガス液化燃料ができるのだ。

 産業用大麻は嗜好用とは品種が違う。吸引すると酩酊する成分THC(テトラヒドロカンナビノール)の含有量は0.25パーセント以下と少ない。丈は3~4メートルにもなり、茎の直径は数センチ。しかも1年草。一般的な材木の場合、植えてから数十年待たねばならない。石油なら何億年もかかる。それが大麻なら毎年収穫できるのだ(種まきから収穫までは4カ月弱)。

 大麻取締法以来、産業用大麻を栽培できるのは都道府県知事の免許を受けた者だけだが、これとて神事など特定の目的に限られ、新規の交付はほとんど認められないようだ。大麻取締法より前の最盛期には作付面積も2万ヘクタールを超えていたけれど、平成24年度はわずか5.9ヘクタール。

 先ほど用途の一部を紹介したが、各国で研究が進んでおり、それによれば石油からできるすべての製品が産業用大麻からできるといわれ、2万5000種もの工業製品が作れるそうである。また、食用の面から見れば、大麻の実には必須脂肪酸、必須アミノ酸、ミネラル、ビタミンが豊富に含まれている(たとえばリノール酸やαリノレン酸などは、一般に食べられている植物のなかでは最も高い数値だという)。

 このように産業用大麻には禁止する理由が見つからない。麻薬への導入になるとも思えない。もし産業用だけでも解禁すれば、きっと地方は潤うだろう。雑草や病気・害虫に強いので農薬もいらず、肥料も少なくてすむ。荒れ地や降雪地帯でも育つ。収穫期に葉は枯れて落ち、腐葉土となって土地を肥やす。根は地中深くに張り、土を柔らかくして空気を通りやすくし、収穫後には腐って有機肥料となる。それこそ捨てるところがまったくない、全部役立つ作物なのである。


 「医療用」についても書こうと思ったが、長くなったので次回にさせていただく。






Aito-sei-long

第295回 3つの大麻


 このブログを始めて間もない頃、大麻について書いたことがある。ひと口に大麻といっても、その用途から「嗜好用」「産業用」「医療用」に大別されるが、6年前に書いたのは「嗜好用」についてだった。その一部を再録してみる。

 〈僕は、大麻を合法化して国が販売すればいいのに、と思う。べつに大麻を奨励しようとは思わないけれど、これまでも「やっちゃあいけない」と言われつづけて、ずっとなくならない。それは歴史をふり返れば明らかだ。所詮、やる人はやるし、やらない人はやらないんだから。

 (中略)解禁する代わりに、吸引後のクルマの運転はダメとか、未成年者には販売しないとか、やっていい事といけない事のルールを明確にすればいい。

 国が販売することで、大麻常習者に関するデータを把握できるし、分析もできるはずだ。そうして初めて依存症に苦しむ人々を救うこともできるのだと思う。今の状態だったら、検察官の話じゃないが、地下で何が起こっているのか皆目つかめない。

 そもそも大麻は、死刑の国もあれば合法的に買える国もあり、世界の統一見解というものが存在しない。だから、タバコよりも人体に害がないと唱える人もいる。にもかかわらず、大麻反対を叫ぶ人たちの最大の論拠は、覚醒剤など本物のドラッグに入っていくキッカケに大麻がなっているというもの。

 だが、これには大麻を売っている側の手口がある。大麻よりも覚醒剤のほうが少量でも価格が高いぶん、利益が格段に大きい。だから、大麻の客がついた段階で「今回、大麻が切れちゃってるんで、代わりにこれ、やってみてよ!」と覚醒剤を少量渡す。彼らにとってマーケットの確保とは、いかに中毒患者を増やすかだから。

 しかしこれも、もし国が管理したら防げる話である。わざわざ売人から高い大麻を買う必要などない〉

 この文章をアップしてからも、チェコ、ドイツの首都ベルリン、アメリカのワシントン州とコロラド州などが嗜好用大麻を解禁した。「ワシントン・ポスト」によれば、アメリカでは2州に続いて、すでに13の州が嗜好用大麻の合法化を検討しているそうである。

 では日本はどうかというと、昭和23年に施行された「大麻取締法」によって禁じられているが、合法化の兆しは今のところない。「大麻取締法」は戦後、GHQの押しつけで制定された法律だとも言われている。それゆえにか、第一条に立法趣旨(なぜこの法律を作ったかの目的)さえ書かれていない。

 内容を見てみると「第三条 大麻取扱者でなければ大麻を所持し、栽培し、譲り受け、譲り渡し、又は研究のため使用してはならない」とある。ここでいう「大麻取扱者」とは都道府県知事の免許を受けた栽培者や研究者だ。つまり、免許を持っていない僕らは、所持も栽培もダメで、もらったりあげたりしてもいけないと規定されている。

 ところが、この条文のどこにも「吸引」が入っていない。前述の禁止事項があれば、結果的に大麻は手に入らないのだから、吸いたくても吸いようがないということだろうか? しかし、たとえば友達の家に行って、友達が吸っていたので一緒に吸った場合、友達は所持しているからパクられる。一緒に吸ったということでこちらもパクられるけれど、吸引しただけでは結果的に罰せられないと言う弁護士もいる。それくらい穴だらけの法律なのである。

 一方、危険ドラッグをやってクルマを運転し、人を何人も轢いたり、突然誰かを切りつけたり、というニュースをよく目にする。また警察庁によれば、昨年、危険ドラッグの急性中毒等で112人が死亡している。もともと「脱法ハーブ」と呼ばれていたこともあって、危険性が少ないようなイメージがある。そして簡単に手に入った。しかし、その実体はといえば得体の知れない化学薬品である。

 それに対して大麻は、急性中毒や過剰摂取によって死亡したという報告はまだ世界でもないようだ。吸引後のクルマの運転は禁止にすればいいと思うが、これとて、吸引後のほうが運転はより慎重になったというデータもあるくらいだ。世界で高い評価を得ているイギリスの医学雑誌「ランセット」に掲載された論文(2010年)によれば、アルコールは暴力や事故につながるため、あらゆる乱用薬物の中で最も有害であり、大麻はタバコよりも有害性が低いのだと。

 嗜好用大麻を合法化して国が販売すれば、危険ドラッグに走る人も減るだろう。なにより大麻吸引者と覚醒剤売人の接触を断つという大きなメリットが生まれる。ただし、今回僕が言いたいのは「嗜好用」大麻の解禁よりも、じつは「産業用」と「医療用」のほうなのである。これらに関する研究が、立法趣旨のない大麻取締法によって、日本は先進国のなかでも大きく立ち遅れている。それについては次回書きたい。





女性に見てほしいバナー

1月20日(木)、全50タイトルに増えました!


第294回 エッチなオーラが出ている。そして……


 催淫CDの中身は催眠誘導である。聴いた女の子がエクスタシーを感じるように僕が誘導している――と、ここまではこれまでも書いてきた。

 もともとはカセットテープのかたちで、A面に吉田かずおさんによる催眠のレッスン的な内容、B面に僕のセックス・イマジネーションを収めた。ただ、僕のパートも吉田さんの指導のもとである。このカセットテープは東芝EMIから発売されてロングセラーになった。

 のちに、B面をアレンジして現場用の催淫テープを作った。変更箇所はいくつかあるが、最大の違いは終わり方である。市販のものは10カウントで催眠からスッキリ覚める。ところが現場用は、欲情したままだ。つまり、スッキリではなく、それこそ「目の前にいる男だったら誰もいいから、とにかくしたい!」という状態を維持したまま現実に戻している。

 当時、僕はうつで、目の前の女の子を説得するだけのエネルギーもなかったから、とりあえずこれを聴かせて、いやらしいところだけを撮っていこうと思った。女の子の深奥を探ろうというのではなく、ちょっと気取ってたりカッコつけてる女が催淫テープを聴けば淫乱になってしまう、そのギャップを見たかったのだ。

 僕の試みは半ば成功したと言えるだろう。このシリーズに何度か出演している森林原人がその感想をこんなふうに語っている。




 催淫テープ(CD)を聴いて淫乱になった女の子は、そういうオーラを出している。だから、その場にいる男優も女の子のエッチオーラに共鳴してしまうのだ。でも裏を返せば、他の現場で女の子たちはエッチオーラを出さないまま、セックスしているということになる。オーラがなければ男優も自ら勃たせておかなければならない。

 話を戻すと、最初は軽い気持ちで始めたシリーズだったが、催淫テープ(CD)を聴いた女の子から出てきたのはエッチオーラばかりではなかった。過去のトラウマがまるで堰(せき)を切ったように溢れ出してきたのである。考えてみれば当然のことだった。トランス状態に入ったとき、過去も現在も未来も境界線がなくなり、その中でいちばん印象的なものがドーンと表に出てくる。

 結局、僕は彼女たちと向き合わないわけにはいかなくなった。そしてそれを通して見えてきたのは、人は日頃いかに本当の自分を見せていないかということだった。それは他人ばかりでなく、自分自身に対しても、である。

 みんなが一度あのCDを聴くといいのになぁと僕は思っている。そうすると、たとえば「本当の自分はどう思っているのか?」「今いったい何をしたいのか?」「このイライラはどこから来ているのか?」等々、その根っこを知ることになる。そして、自分を縛っているものから自由になれるはずである。CDを聴いたひとりの主婦(40歳)の言葉が印象的だった。

 「そんなに気をつかわなくていいんだよとか言われてる気がするんですよね。ラクになっていいよって……」






Aito-sei-long

第293回 リセット

イヌもネコも今に生きている。

しかしニンゲンは過去を引きずる。

引きずるからONとOFFも

思うように切り替えられない。

ONのようなOFF。OFFのようなON。

そんなときにはまったく違う環境に

わが身を置いてみるのがいい。

僕にとってはヤップやサイパンが

疲れた心と体を修復してくれた。

けれども10年も通っていると

当初のワクワク感は薄れてくる。

そうしていつしか納得し卒業して

また別のものに夢中になる。


yoyogi001-RE2



(*「週刊代々木忠」は年末年始のお休みをいただきます。
次に読んでいただけるのは1月16日になります)



女性に見てほしいバナー

12月18日(木)、全48タイトルに増えました!


第292回 平成生まれの女の子


 毎回「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」は千葉の別荘で撮影している。スタッフや男優が来るのは2日目からで、最初の日は女の子と僕しかいない。なぜ2人きりになるのかというと、その子を開かせるためである。

 以前にも書いたが、僕の撮り方は「仕掛けて待つ」というものだ。男優とのセックスが始まってしまえば、目の前で起きていることをそのままカメラに記録するしかない。思ってもみないことが起きたりするが、それはそれでいいし、逆にそこが面白かったりもする。

 いずれにしてもいい画が撮れるかどうかは、「仕掛けて」のほうにかかっている。女の子を開かせるのも「仕掛けて」のうちなのだ。開かせるとは、心の窓をあけておいてもらうということである。

 では、どうやってそういうモードに持っていくのか? 基本的には対話になるが、そのとき重要なのは、女の子から「この人、ただのスケベなオッサンだわ」とか「監督というより変態ね」と思われることを恐れないということである。監督と女優ではなく、お互い肩書きのない男と女になる。

 最初は広く浅く彼女の話を聞いているが、「ここだな」と思ったポイントはそこを掘り下げて訊いていく。それはたとえば彼女にとってのタブーの部分である。タブーを解きほぐしておかないと、人間なかなか開けるものではない。

 まわりの友人とか元カレとかを非難して、自己の正当性を主張する子がいたとする。客観的に聞いていると「問題はまわりの人間じゃなくて、君のほうだろう」と思ったとしよう。でも、それをそのまま口にしたところで、彼女は開くどころか閉じてしまうに違いない。そこで僕は、なぜ彼女がそう考えるようになってしまったのか、その背景を対話を通して探ってゆく。

 当然、その過程においては僕自身もさらけ出すことになる。そうして女の子が開いたとき、彼女と僕の心はつながっている。そればかりか、話しているテーマは主に性のことなのでお互いに欲情もしてくる。「ヤバイなぁ、オレ、やっちゃうかもしれないなぁ」という瀬戸際まで行くのである。

 そしてその状態のまま、明くる日、男優が来るのを待つ。女の子を焦らし、僕自身を焦らしたまま……。「なんで抱いてくれないの?」とか、「監督、ドSだよね!」とか言われるけれど、ここでやってしまうとせっかく煽った彼女の欲情はいったん解消されてしまうし、僕のカメラもきっと迫り方が鈍化するだろう。

 ところがである。最後に撮った平成生まれの若い子は、これまで出演した熟女たちとはずいぶん事情が違った。撮影1日目の彼女との対話を抜粋してみる。

 代々木「恋人も作りたくないの?」
 女の子「作りたくないです」
 代々木「その理由を聞かしてよ」
 女の子「恋人を作っちゃうと他に遊べないというか」
 代々木「セックスって、もうプレイだ」
 女の子「軽いですね」
 代々木「そんな重要なもんじゃないと」
 女の子「はい、重いセックスがわかんないです」
 代々木「なにセックスぐらいでヤイヤイ言ってるの、みたいな感じか?」
 女の子「友達同士でセックスするので、ふつうに」
 代々木「そうするとあなたの場合は、本当に欲情してセックスをしてるってことはないと。『欲情自体が何なの?』ってことなの?」
 女の子「ちょっとわかんないですね」
 代々木「字面から来ることは想像できるよね?」
 女の子「はい、もちろん。頭では理解できるんですけど。それを自分が感じたことがあるかって訊かれると、いっぱいエッチはしてきたんですけど、どうだったろうと思って……欲情という言葉があてはまるのかなと」

 読んでもらってわかるように、彼女にはセックスにおけるタブーが見つからない。「タブーを解きほぐしておかないと」と前述したが、タブーがあるからこそ、僕は面白いと思っている。いけないことをしているという抵抗がある。だが、それが何かの拍子に外れたとき、いいセックスが撮れる。

 とはいえ、タブーがないのは彼女に限った話ではない。このところ「ザ・面接」のエキストラでも、平成生まれの若い子には同様の傾向が見て取れる。現場でセックスが始まれば、自分の席を立ち、どんどん前に行って間近でながめ、オナニーを始めたり、勝手に参加してしまう子までいる。積極的なのはいいけれど、そこには恥じらいや葛藤はない。

 セックスって股を開くわけだし、相手のものを受け入れるわけだし、生命を次代へつないでいく、ある意味「食べる」と同じくらい重要なことだと、昭和生まれの僕は思うのだが、彼女たちのセックスはあまりにも軽い。お仕事で来てる部分もあるだろうから、プライベートと同一ではないかもしれないけれど、それにしてもなぁと……。

 千葉で最後に撮った女の子に話を戻そう。セックスに抵抗がなく、そのうえ欲情しないというのでは、猥褻感がまったくない。でも、彼女を否定するわけにもいかない。そこで催淫CDを聴いてもらうことにした。僕は彼女を欲情させるつもりだった――。

 催淫CDを聴いて、彼女は喘ぎながらも涙を流した。聴き終えてから「何が起こったのか話して」と僕が訊く。彼女は泣きやまない。やっと「体がビリビリして、気持ちよかったです」と泣きながら答えた。「ずっと涙流してたじゃない? あれは何の涙なの?」彼女は答えない。「教えて」とうながしたが、依然泣きやまず、ずっとタオルを顔にあてている。まるで顔を見られるのも恥ずかしいとでも言うように……。

 彼女にとってセックスは、友達同士でもする、コミュニケーションのひとつじゃなかったのか?

 催眠によるトランス誘導が入っているCDには、聴いた者を欲情させる効果があるけれど、思考の縛りから自由になったとき、人は自らにも隠していた感情の深淵を覗いてしまうことがある。

 おそらく彼女は何かを覗いたのだろう。はっきりとは言わないものの、そのへんをうかがわせる撮影2日目の彼女の言葉をそのまま記すとこうなる。「なんか申し訳なくなってしまって、好きな人に。なんか今までちゃんとしたエッチしてなかったのかなって」。

 好きな人に申し訳ない? 恋人は作りたくないと言う彼女に、好きな人はいなかったはずだ。CDのトランス誘導の中で「あなたの好きな人が手を握っている」という暗示が出てくる。そのとき彼女は気づいたのではないだろうか、本当は自分が誰を好きだったのかを。

 彼女の相手として片山と森林を呼んでいた。ところが、彼女は好きな人への思いが強すぎるのか、心ここにあらずで、男優とセックスしたくないみたいなのだ。僕は半ば強引に男優をけしかけた。このままじゃ作品にならないという作り手側の都合もあるが、それだけではない。気づいた彼女が目合を体験できれば、さらなる気づきが起きるだろうと思っていた。

 結局、森林とすることになったが、後ろ髪を引かれたままの中途半端なカラミに終わる。片山は勃起したまま、自分の番を待っていた。しかし、彼女は「もう満足しちゃった」と言い、この現場はそこで終わったのである。

 これではさすがにボツかなと思った。やはりAVとしては成立しないだろう。にもかかわらず、彼女の“変化”に僕は救われた気がしていたのだった。






Aito-sei-long


第291回 オーガズムと臨死


 オーガズムは「小さな死(la petite mort)」と表現されたりもするけれど、オーガズム体験者と臨死体験者にはいくつかの共通点がある。

 現場でオーガズムを体験した女の子には「今どんな感じだったの?」と訊く。すると何人かからは「別の世界(違う世界)へ行っていた」という答えが返ってくる。「そこはどんな世界だったの?」と僕は質問を重ねる。

 ここで最も多いのが「真っ白い世界だった」というものだ。白い世界にもいろいろある。たとえば一面の雪景色だって白い世界には違いない。すると、彼女たちのほとんどがこう言う。「白い光に包まれていた」と。

 これは臨死体験のなかの「光体験」に似ている。死に臨んで光に包み込まれた人たちは、光から自分が受け入れられ、同時に守られていると感じるようだ。この光体験が深ければ深いほど、“気づき”の度合いも大きくなると言われている。

 オーガズムでも“気づき”が起きる。19歳で好きな男の子どもを身ごもり、あげくに捨てられ、中絶した彼女は、撮影前「誰も人を信じられない。信じられるのは自分とお金しかない」と言っていた。オーガズムの直後に言ったのは「男って私。男の人も女の人も私。私だから一体になって当然なんです」。

 彼女が落ち着いてからさらに詳しく訊くと、「この世の宇宙とか、この世じゃなくてもあの世でも、宇宙とか世界とかいろんなもの引っくるめて全部、私の子宮の中にあるものだって。だからそれを、自分なんだから自分を見守っていかなくちゃいけないなっていうのを、なんか伝えられたのか、自分で思ったのかわかんないんですけど、自分では何も考えてなかったのに、そういうのがポッと出てきて、出てきた途端に自分の心とか気持ちというのがブワーッてこう広がったような気がしたんですよ」。

 また、別の子はオーガズム後の雑談で、「監督は姿かたちのあるものしか表現できない悲しさがある」なんて言い出した。そんなことを言うキャラじゃないし、言われたときには「意味よくわかんねえなぁ」と思ったけれど、今なら「内面をもっと表現しろ」って言ってたんだよなと思う。

 そのほかにも「みんな生まれてきてる価値とか、存在してる意味とか、あるんだなぁって……。うれしいな、なんかうれしい」等々、あげればきりがない。そしてオーガズム以降、180度考え方が変わったり、別人のごとく魅力的に変貌を遂げた男優女優を目の当たりにしてきた。

 なぜそんなことが起こるのか? 自分が「世界そのもの」と同化してしまったからではないかと僕は思う。「世界」とは「すべて」という意味である。それまでは自分の立ち位置から見える限られた風景がすべてだったとすれば、その自分がいなくなり、場そのものと同化してしまうわけだから、もう見えないものはない。客観的に相手のことも自分のこともわかるのである。というか、相手すらも自分の一部なのだ。そういう視座の変化を彼女たちの言葉に僕は感じる。

 しかし、そこを科学的に解明したというニュースは聞いたことがない。セックスはまだまだ科学されていない。そういえば3カ月ほど前、NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」という番組があった(2014年9月14日放送)。立花隆著『臨死体験』(文藝春秋)が書かれるきっかけとなったNHKスペシャル「臨死体験~人は死ぬ時 何を見るのか~」から20年以上が経過し、科学はどこまで臨死体験に迫ったのか興味があった。

 今回の番組で最先端の脳科学として筆頭に紹介されたのは、アメリカのミシガン大学での実験である。世界で初の試みだというその実験がどういうものかというと、ネズミの脳に直接電極を入れ、薬物投与で心停止を起こす。そのとき脳の奥深い部分の脳波を詳細に調べたところ、微細な脳波が発見されたというのだ。これまで医学的には心停止を起こすと、数秒で脳への血流が止まり、脳活動は止まるとされてきたけれど、じつは微細な脳波が数十秒続いていたと。

 これを見た人のなかには「心停止後も脳が活動しているのなら、臨死体験はやっぱり脳内現象なんじゃないか」と思った人もいたはずだ。僕はどうだったかといえば、この脳波が脳のどの部位から発生したものか知りたいと思った。だが、そこは説明されていない。唯一あったのは「脳の奥深い部分の脳波」というナレーション。では、奥深い部分とはいったいどこなのだろう?

 人間の脳でいえば脳幹が最も奥深いが、ここは心臓の拍動や呼吸など、生命を維持するための活動がメインである。だからこそ生命脳とも呼ばれる。これに対して人間脳と呼ばれる大脳新皮質は、ものを考えたり感じたりできるけれど、脳のいちばん外側に位置している。ちなみにネズミの大脳新皮質は切手くらいの大きさと薄さだそうである。ならば、発見された脳波は少なくとも大脳新皮質からではないだろうという印象を持った。そして、もしも脳幹あたりから微細な脳波が数十秒間出ていたとしても、それが「体外離脱」や「人生回顧」や「大いなる気づき」を果たして起こさせるものだろうかと。

 オーガズムも臨死体験も科学的に解明されるには、まだまだ時間がかかりそうである。けれども一方には、オーガズムや臨死を体験し、生き方そのものがポジティブに変わり、人の道標(みちしるべ)になったり、人を癒している人たちがいる。それは誰にも否定できない現実なのである。








Aito-sei-long

第290回 臨死体験


 臨死体験とは、心停止に陥った者が蘇生するまでの間に体験した出来事である。死んでしまった人から話は聞けないけれど、死の淵から戻ってきた人ならば“向こう”の様子が聞けるという意味で、臨死体験は“死後の世界”を知る手がかりになると見られている。

 むろんほとんどの科学者は死後の世界を認めるはずもなく、臨死体験は脳内現象(脳が生み出す幻覚)にすぎないという見解が大勢を占める。

 僕は中学の頃、冬に氷の張った用水プールに飛び込んだ。まわりから煽られての度胸試しみたいなものだが、軽率としか言いようがない。案の定、僕の体には異変が起きた。一瞬頭が痛いなぁと思ったらフーッと視界が狭まり、風景がモノクロになっていくとともに暗くなる。そして意識がなくなった。見ていた友人たちが僕を引っぱり上げ、代わる代わる背負って病院まで走ってくれた。その途中で僕は意識を取り戻した。

 結局、医者には診てもらってないので、はっきりしたことはわからないが、おそらく心臓麻痺を起したのだろう。意識を失うとともに心肺も停止していたかもしれない。だとすれば、友人に背負われ走って運ばれることが心臓マッサージと似たような効果をもたらしたのか……。

 僕のケースが臨死体験にあたるか否かは微妙だが、臨死体験にはいくつかの共通した特徴が見られる。そのひとつに「トンネル体験」がある。これはトンネルのような筒状の中に入ってゆくというものだ。僕の場合も視野が狭まっていったから、とらえ方によってはトンネル体験と言えなくもない。

 立花隆著『臨死体験』(文藝春秋、1994年刊)には、ワシントン州シアトルの小児科医メルヴィン・モース博士へのインタビューで、トンネル体験について博士が語ったこんな記述がある。

 〈「これも神経学的に説明がつくんです。(中略)人が死にかかると、後大脳動脈という後頭葉に血液を供給する血管の血流が減少していきます。すると、後頭葉というのは視覚を受け持っているところですが、その機能がどんどん失われていって、視野が狭くなるという現象が起きます。その結果トンネルの中から外を見る感じになる。これがトンネル体験です」〉

 つまり脳内現象だという話だが、たしかに僕のケースは博士の説明が当てはまる。冷水の中で心臓麻痺を起こして死にかかったとき、僕の後頭葉の血流は減少していったのだろう。

 ところが、臨死体験においてはトンネルの先があるケースのほうが多いのだ。たとえば行く手にまばゆい光が見え、トンネルを抜けるとそこは花たちが自ら光を発しているかのごとく色鮮やかに咲いている世界だったというように……。これは視野が狭窄していく後頭葉の血流減少では説明がつかない。

 このほかにも臨死体験の特徴としては、意識が体から抜け出すのを感じる「体外離脱」がある。たとえば手術中に心停止に陥った患者が体外離脱して、上から手術中の自分を見降ろしていたというケース。視覚も聴覚も断たれていたはずの患者が執刀医や看護師の会話や行動を、蘇生後、細部にわたって正確に語って聞かせたという例はいくつも存在する。

 ほかには「人生回顧(ライフレビュー)」と呼ばれるもの。自分の一生を走馬灯のように見るという体験だ。すでに本人が忘れているビジョンも出てくるという。

 「亡くなった家族との再会」。臨死体験で出会うのは現在生きている人よりも亡くなった人が多く、友人知人よりも家族や親戚など血縁者が圧倒的に多い。たとえば、死んだおばあちゃんから「あんた、まだ早いよ。帰んなさい」と言われたりとか……。もしも脳内現象だとしたら、出会う人もその時点で記憶がいっそう鮮明な、生きている友人や恋人の比率が高まるはずじゃないかという疑問が残る。

 “向こうの世界”にいるときには、心の安らぎや今まで味わったことのないような幸福感を得ることが多い。そして体験の前と後では本人に変化が起こっていることも報告されている。それはいわば “気づき”とでも言うべきもので、いろいろなものを覗いたがゆえに理解してしまったという感じなのだ。実際、臨死体験後は生き方そのものがポジティブに変わったと言う人がたくさんいる。

 臨死体験とは、オーガズムに似ているのである。


(つづく)






Aito-sei-long

このページのトップへ

第289回 死に直面すると


 事務所のスタッフから「監督は若いとき、死に直面したことがたくさんあると思いますが、実際、その場に臨むと何を思うものですか?」と訊かれた。

 不良をしていた頃、死を覚悟したことが何回かあった。そのとき何を思ったかという質問だが、一例をあげれば山陰でストリップの興行を打っていたとき、とある組織の邪魔が入った。

 今ならストリップ劇場という専用のハコがあるけれど、当時はその日の上映が終わった映画館を借りてストリップを見せていた。その地で興行を仕切る組とは事前に話をつけておくわけだが、その組よりも対抗する組織のほうが大きかった場合には厄介なことが起きる。

 山陰の映画館に乗り込んできたのは15~16人はいただろう。こっちは僕を入れて2人。日本刀で応戦した。しょせんは多勢に無勢なのだけれど、殺されずにすんだのは場所が映画館だったのが大きい。椅子が固定されている。だから相手は右か左から来るしかないが、2人が刀を振り回していれば、そうそう近寄れるものでもない。加えて、相手も飛び道具を持っていなかった。

 そうこうしているうちに、ある県会議員がやってきて間に立った。そして結果的に事なきを得たのである。一歩間違えば死んでいたわけだが、死に直面してどう思ったかといえば、べつに恐怖は感じなかった。もちろん逃げ出したいとも思わない。目の前のことに手一杯で何かを考える余裕がないというのもあるけれど、それだけではなかったように思う。

 死に対する本能的な恐怖というのはみんな持っているものだが、それ以上に恐れるのは、親兄弟や子どもといった愛する人や近しい人ともう会えなくなることではないだろうか。当時、家族もいない僕には、そういう失うものが何もなかった。自分の将来に夢や希望があるわけでもなく、心のどこかでいつ死んでもいいやと思っていたのである。

 ところが、カタギになって、結婚し、子どもも生まれて……となれば、そんな僕にも失うものができた。ここに来て死を覚悟したのは、うつのときだ。どんどん体力が落ちてゆく。このまま行けば、あと半年持つかなぁと思っていた。なので自分の墓も買った。死への身づくろいを始めたのだ。

 家族や友人と会えなくなる寂しさは感じたものの、それでも死への恐怖は不思議となかった。生命力が低下すれば思考力も当然落ちるわけで、それも多少は影響していたかもしれない。いずれにしても、そのとき僕は抗(あらが)うことなく自分の死を受け入れるつもりだった。

 若い時分から数々の修羅場をくぐってきたので肝がすわっていた――というわけではない。死とは完全に自分がいなくなることではなく、肉体を離れるだけで、死後も意識なり魂は生き続けるだろうと思っていたからだ。そう思うに至った理由はいくつもあるけれど、本で読んだり目の当たりにしたり人から聞いた「臨死体験」もまた、そのひとつである。次回はこの「臨死体験」について書きたいと思う。





女性に見てほしいバナー



このページのトップへ

第288回 コミュニオン


 たとえば、小さな子どもが転んで泣き出したとしよう。そのとき一緒にいる母親の反応を3タイプあげてみる。

 母親Aはとっさに泣いているわが子を抱きしめる。といっても、抱きしめたほうがいいと考えてそうしているわけではない。思わず抱きしめてしまうのだ。泣いている子のつらさとか、転んだときの痛みとか、そういうものを瞬時に彼女は共有する。子どものほうはスキンシップによる安心感を得る。

 母親Bは転んで泣いている子に「どこ、ケガしたの? 擦りむいたのね。お家に帰ったら消毒してあげる」と語りかける。でも子どもは起きようとしない。「痛いの? 歩けるでしょ?」まだ起きなければ「そんなとこで横になってたら歩く人の邪魔よ。ほら、みんな見てるわよ」。やっと子どもは起き上がる。

 イライラしていたり、精神的に余裕のない母親Cならば、「泣くんじゃない、そんなことぐらいで!」と突き放してしまうかもしれない。突き放された子どもはいっそう泣き出すけれど、そのまま一人置いていかれるのも不安なので、泣きながらでも立ち上がり、母親のあとを追うことになる。

 ちょっと話は変わるけれど、先日「愛と性の相談室」に見えた奥さんは、夫婦仲はよく日々会話もあるようだが、ただセックスにおいてはダンナさんが途中でダメになったり、ダメにならずとも射精まで行くことはないという。奥さんにしてみれば、よほど自分に魅力がないのかと不安になる。実際、行為中に泣き出したこともあるそうだ。ダンナさんは「気にすることはない」と言う。意を決してダンナさんと議論してみても、ケンカにもならなければ、解決にも至らないのだと……。

 で、今回何が言いたいかというと、「コミュニケーション」と「コミュニオン」の違いである。「コミュニケーション」は説明する必要などないほど、そこかしこで使われている。監督面接で会う女の子たちの中には「セックスもコミュニケーション」と言い切る子も少なくない。言葉による意思疎通をコミュニケーションと呼ぶことには何の異存もないけれど、セックスもコミュニケーションだと言われると、僕にはちょっとだけ違和感がある。

 一方、「コミュニオン」のほうは「コミュニケーション」ほどポピュラーではない。キリスト教ではよく使われるみたいだが、『新約聖書』に出てくる「コミュニオン」には「交わり」とか「一致」という訳があてられていると聞く。

 さて、この2つの言葉について、その違いも含めてラジニーシが端的に指摘しているので紹介しよう。バグワン・シュリ・ラジネーシ著『存在の詩』(スワミ・プレム・プラブッダ訳、めるくまーる社、1977年刊)からの引用である。

  〈世界中のあらゆる神秘家たちが
  コミュニケーションということに関する限り
  常に無力を感じてきた
  コミュニオン〈交合〉は可能だ
  しかしコミュニケーションは駄目だ
  まず第一にこのことが理解されなくてはならない
  コミュニオンは全く別な次元に属する
  ふたつのハートが出会う――
  それは〈情事〉だ
  コミュニケーションは頭と頭
  コミュニオンはハートとハートだ
  コミュニオンはフィーリング
  コミュニケーションは知識だ
     (中略)
  あなたが絶頂の瞬間を
  エクスタティックな瞬間を知ったとき
  それを言葉で語ることは不可能と化す〉


 つまり、「コミュニケーション」は主に「思考」が主導権を握っているが、「コミュニオン」のほうは「感情」の領域であり、感じ合う世界である。そこでは相手との一体感が生まれ、至福が訪れる。

 さて、冒頭に書いた3人の母親の反応について思い出していただきたい。感情が表われていたのはAとCだ。ただし感情は感情でも、Cの場合はイライラをぶつけていたわけだから、一体感とは真逆の状態。コミュニオンは、とっさに抱きしめたAである。

 それに対して、Bは思考で対応しており、こちらはコミュニケーション。言っていることはどれも正しいけれど、そのときの子どもの感情と正面から向き合ってはおらず、論理的に諭し、説得している感じだ。子どもとしては到底その場で反論などできるものではない。

 では、「愛と性の相談室」に見えた奥さんの場合はどうだろう。ダンナさんはBタイプのしっかりしたお母さんに育てられたのではないかと僕は想像している。奥さんが困って相談すれば、解決に至るための選択肢をいつも論理的に提示してくれる夫。彼自身、きっと人生の難題は頭脳によって切り拓いてきたのだろう。そして、そんな夫を奥さんも頼もしいと思って見てきたはずだ。

 けれども、ことセックスに関してはそれが当てはまらないんじゃないかと気づく。生じたギャップは、ほかのことのように理路整然と説明されても最後まで埋まらない。なぜならば、奥さんはコミュニオンのほうを求めているのに、ダンナさんはコミュニケーションで応じているから……。コミュニケーションでは、「ふたつのハートが出会わない」のである。






女性に見てほしいバナー



このページのトップへ

第287回 ケンカした翌朝の「おはよう」


 僕も女房も感情オクターヴ系である。だからケンカはしょっちゅうする。しかもぶつかり合うときは激しい。人様にはとても聞かせられない言葉の応酬。それを言っちゃあお終いだよ――ということをお互い何度も口にした。

 でも、バトルが終わって冷静になると、さすがにオレも言い過ぎたかな……とちょっと反省したりする。とはいえ、あれだけ言い争った後である。こっちから「ごめんね」とは言いづらい。素直になれないのだ。

 翌朝目が覚めて、自分の部屋からリビングへ向かう。足も重けりゃ気も重い。キッチンには女房の後ろ姿。僕が起きてきたのに気づいて、女房がふり返る。「おはよう」。まるで何事もなかったかのような、いつもと同じ言葉が飛んでくる。ぎこちなさは微塵もない。自分の妻ながら、勝てねえなぁと思う。

 毎回そうである。たまには先手を打とうと思うけれど、僕にはなかなか言えない。では、女房はなぜ言えるのだろう? 僕と同様、感情的になったら止まらないものの、きっとその後の切り替えが早いのだ。瞬間瞬間に生きている。

 どうしてそういうふうに生きられるのか? それは自分の中にネガティブなものを溜め込んでいないからではないだろうか。溜め込んでいれば、現在の怒りが呼び水となって、過去に中和されていない感情までが溢れ出てくる。

 女房の故郷は北海道の夕張。山の中である。兄弟6人の長女。厳しい自然の中で、親子兄弟、力を合わせ、助け合いながら育ってきた。両親の愛情もたっぷり注がれたことだろう。だから、幼い頃に負ったトラウマはなく、どこまでもポジティブである。

 そういえば、娘たちが小さい頃、学校から帰ってきて「ああ、きょう疲れた~」って言うと、女房は決まって「疲れたんじゃなくて、がんばったんでしょ? なら、『きょうはがんばった』って言いなさい」と繰り返し言っていたものだ。

 一方、僕のほうは3歳のときに母が亡くなって、親戚の家を転々とする。父はいたが、仕事の関係で家を離れなければならなかった。親戚の家で虐待されたとか、いじめられたということはないけれど、子どもなりに気をつかいながら生きてきた気がする。なので、屈折したものが僕の中にはあるのだろう。

 男も女も一緒になるまでは、互いにいいところを見せている。ところが、結婚すればそれまで見せなかった部分が知らず知らずのうちに出てくるわけで、棘の刺し合いになることだってあるだろう。

 むかしは大家族だったし、地域自体1つの家族のようでもあったから、とことん愚痴を聞いてくれたり、厳しくもあたたかく諭してくれる人が何人もいた。でも、今は手を差し伸べてくれる人がまわりにいない。だから、いきなり弁護士と「慰謝料いくら取れるか」の相談になったりする。

 ネットを見れば「夫婦円満の秘訣」について書かれた文章がいくつも出てくる。それらを読むと、やっぱり努力を求めているように感じてしまう。努力はつらいし、どこかで途切れる。そして努力した分の見返りを気づかぬうちに求めてしまう。女房と連れ添って46年になるが、僕らはうまくやろうという努力はしてこなかったように思う。

 お互いに仕事や趣味など、好きなことをしてきた。自分が好きなことをしているわけだから、相手の好きも尊重する。そうするとストレスは溜まりづらいが、それでも腹が立てば溜めずに全部出してしまう。「円満の秘訣」には「ケンカもときには必要」的なくだりもあるが、なにも必要だと思ってケンカするわけではない。気づいたら言っちゃってるだけである。そして今は、庭いじり花いじりが夫婦共通の趣味になった。もちろん主導権は女房が握っている。





女性に見てほしいバナー

11月6日(木)、全46タイトルに増えました!


このページのトップへ

第286回 アダルトビデオの未来


 イッたことのない女性が、目を見なきゃセックスできない男と出会い、イキそうになる。しかし、彼女の異変に気づいた男が「大丈夫!?」と呼び戻してしまう。「放っておいてくれたらイケたのに」と彼女。男のほうはといえば「これで次からはイカせられる!」と何かを掴んだようだ。けれども、その後、彼と何回セックスしても彼女がイクことはなかった。

 これは「愛と性の相談室」に来られた女性の話である。「アダルトビデオの未来」と何の関係があるのかと思われるかもしれないが、共通するのは“知ってしまったがゆえの落とし穴”である。

 アダルトビデオも三十数年を経て、監督も男優も、もちろんメーカーも、どういうふうにしたらウケるのか、売れるのか、ということを知ってしまったように思える。

 それはかつてピンク映画がたどった道でもある。映画の斜陽期、それまでの様式美(たとえばガラス越しの接吻とか、抱き合ってベッドに倒れ込んだら花びらが散るとか)に疑問を抱く監督たち俳優たちがいた。「人間の性はそんな綺麗ごとじゃ表現できない」と。
 そうして新たな性表現が誕生する。彼らは決して性だけを描きたかったわけではない。たまたま嘘のつけない映画屋たちだったのだ。ただ、彼らの思惑がどうあれ、映画館には観客が戻ってきた。場末の二番館・三番館もピンク映画に切り替えられ、映画業界は息を吹き返そうとしていた。

 ピンクが儲かるとなれば、制作プロダクション、メーカー、配給会社が乱立する。製作にカネを出している側は、当然口も出してくる。「オープニングから何分以内に濡れ場を」とか「濡れ場は最低でも何カ所ほしい」とか。「客は濡れ場を見に来ている。ならば濡れ場を増やせば、もっと来るだろう」というわけである。さらには「ポスターはより煽情的なポーズを」「内容はもっともっと過激に」と。様式美という型から自由になるための方法論が、いつしか新たな型になろうとしていた。

 ストリップが廃(すた)れていったのも、似たような道程だ。「額縁ショー」から始まったストリップは、当初、上半身しか見せなかった。僕が興行で全国を回っていた頃も、ショーの最後の最後に踊り子が下をはずしたところで暗転となる。毛がチラッと見えるか見えないか。それでも会場は連夜満席になった。今にして思えば、お客さんのほうもウブだったのだ。

 それが次第に「はい、どうぞ」と開いて見せるようになり、次にはお客をステージに上げるようになった。獣姦を見せたり……。刺激はどんどんエスカレートしていった。ビデオや映画で売れている女の子が持て囃されたこともある。だが、いずれにしても見慣れてしまえばもはや刺激ではなくなり、このシーソーゲームにはどこまで行っても満足というゴールがない。

 僕がビデオを撮りはじめたとき、自分がドキドキするものを撮りたいという思いだけで、売れるかどうかなど考える余裕すらなかった。マーケットも確立されていないのだから、博打もいいとこである。

 ところが、いったんビデオが儲かるとなれば、そこに異業種からもたくさんの作り手が参入してくる。どんな作品がウケるのか。売れる作品にするためにはどう作ればいいのか。それが検討され、ノウハウが蓄積されてゆく。でもそれは型であり、結局、似たような作品がたくさんできあがることになる。

 「もっと可愛い子を!」「もっと刺激的な内容を!」……アダルトビデオは今もその延長線上にある。そのうえ「ヌケるか、ヌケないか」という、とても狭いところに閉じ込められているように僕には見える。そうして、すでに飽きられているのだ。

 ネットの動画配信という売り方も、人目が気になるアダルトビデオにとって、各メーカーとも、またとない朗報に思えたはずだ。ところが、今はネットで見られる無料動画で事足りる人々が増えている。とくに若い層にとって、AVは借りたり買ったりするものではなく、タダで見るのがもはやスタンダードだろう。しかも、そこで見られる映像は、無修正もより取り見取りである。

 もともと計算のないところに新しいマーケットが生まれ、人々が集まり、売るための計算が働き、成長とともに衰退が始まるという趨勢は、なにもアダルトに限った話ではないのかもしれない。

 衰退するAV業界が、もし活気を取り戻す術(すべ)があるとすれば、才能のある監督の個性を活かせるメーカーや、カリスマ性を持った女優や男優の出現を待つしかないだろう。とはいえ、アダルトに出ている女の子のなかには、今や見た目もアイドルに負けないくらいの子がごろごろいる。そういう意味では、もう出尽くした、やり尽くした感も正直否めない。

 創造のための破壊でも起きないかぎり、この流れは変わらない。今後もアダルトビデオはなくなりこそしないだろうが、作品ではなく商品が主流のアメリカンポルノになっていくだろう。

 相手の体を使ったオナニーのようなセックスをする男が育ち、心を通わすセックスをする男はいなくなる……このままじゃマズイよなぁと、業界の隅のほうで主流とは程遠い作品を僕は今も撮りつづけている。でも、じつはそれが僕自身いちばん充実して何よりワクワクするんだけど。





女性に見てほしいバナー



このページのトップへ

第285回 魔が入る


 アメリカを追われたラジニーシは、次なる拠点を探していた(日本もその候補にあがっていたという)。しかし、彼を受け入れる国はなく、結局インドに戻っている。そして1990年、58歳で亡くなった。死因には諸説あるのだが……。

 4回にわたってその生きざまを追ってきたけれど、ラジニーシのように振り幅の大きな男はそうそういるものではない。では、いったいなぜ彼は道を外れてしまったのだろうか?

 僕はひとつの試みとして、スピリチュアル・カウンセラーの早坂ありえさんに霊視してもらうことにした。ラジニーシについて彼女はほとんど知らないようなので、持参した本のうち『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』をまず見せた。


BHAGWAN01.jpg


 カバーの写真を見るなり「この人、死んだ人だよね?」と訊く。僕がうなずくと「魔が入っている。コントロールされてるよ」と彼女は言った。

 それを聞いて「第三の目のイニシエーション」を僕は思い出していた。眉間が第三の目の場所だが、ラジニーシの指先が信者のそこにふれると、信者は至福の境地に至るという。

 だが、これはおそらく催眠の応用だ。相手をトランス状態に誘導しておけば、第三の目にふれて至福の境地に誘(いざな)うこともできるし、ビデオの現場なら下半身へ手をかざすだけで女の子をイカせることもできる。

 しかし、何千人もの信者にトランス誘導をくり返し、場を共有すれば、ラジニーシ自身もトランスに入り、自分を明け渡した状態が長く続くことになる。言ってみれば“窓”がずっと開いている状態だから、なるほど魔が入ってくることもあるだろう。

 つづけて早坂さんに『TAO 永遠の大河 1』(めるくまーる社刊)の中の一枚の写真を見せた。


BHAGWAN02.jpg


 「凄い! 絶頂期だよね!」と彼女はさっきとは打って変わって目を輝かせた。「彼、呼べないかな?」と僕は言ってみた。それからしばらくラジニーシの霊を見ているようだったが、やがて「もう裁きを受けるところに並んでるから、記憶があんまりないよ」と言う。

 早坂さん曰く、人は死んだのち、裁きの場で自分の一生を見せられる。ただし、その時点で生前の記憶は完全に消え、第三者としてそれを見ることになる。そののち、前世でやり残した課題を果たすために転生するのか、霊のまま修行を積むのか、道は分かれるという。ラジニーシは裁きが近づいたので、だんだん記憶が薄らいできているということだろう。

 僕は「それでも訊きたいことがある」と言って呼んでもらうことにした。知りたいことはいろいろあるけれど、しいて言えば2つである。僕には見えないが、やってきたラジニーシに最初の質問を試みた。

 「あなたが毒殺されたという説がいろんな本に出てくるんだけど、実際にはどうだったんですか?」。ラジニーシは「食べ物と注射でやられた」と答えた。

 そして第2の質問。「シーラとあなたの力関係は、実際のところ、どうだったんでしょうか? 言われているように、シーラが自分の好き勝手にしたのか? それとも、じつはあなたの命令で動いていたのか?」。僕にとっては、ここがいちばん訊きたいところである。

 で、ラジニーシが何と答えたかというと、それは「もう帰っていいか?」だった。毒殺についてはすんなり肯定したものの、シーラとの関係というか、どちらがどちらを動かしていたのかについては、聞けずじまいだったのだ。この質問に彼がなぜ答えなかったのか……僕にはわからない。

 早坂さんは僕に言うでもなく、ラジニーシに言うでもなく、「本当は81まで生きる寿命だったよね……」と言った。

 早坂さんの事務所を引きあげるとき、「この本から伝わってくるパワーは本当に凄い。ぜひ私も読んでみたい!」と言われた。この本とは2番目に見せた『TAO 永遠の大河 1』である。「ブログを書き終えたら、また持ってくるから」と言って部屋を出た。


BHAGWAN03.jpg


 今から三十数年前、この本に出会い、夢中になって読んだ。そこから学んだことは、その後の性との向き合い方、そして僕自身の生き方に多大な影響をもたらしたのだった。ラジニーシがそれ以降、『TAO』で語ったこととはまるで真逆の、それこそ執着を地で行くような生き方をしたとしても、あのときの教えが、僕の中で風化したり色褪せてしまうことはない。

(了)






女性に見てほしいバナー



このページのトップへ
このページのトップへ
カテゴリ
週刊代々木忠 (343)
最新記事
月別アーカイブ
QRコード
QR