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「円と生活」というサイトに「海外で報道される、震災地でのヤクザの活躍」と題して次のような記事が掲載されている。
〈(前略)今回の東日本大震災では、複数の組織が第一波の数時間後には東京で足止めを余儀なくされた人に事務所を開放(実際に利用した人はいるんでしょうか?)、同時に2トントラックを手配して被災地へ水、食料、毛布などの支援物資を緊急輸送しています。
翌日には稲川会が4トントラック25台に紙おむつ、インスタントラーメン、乾電池、懐中電灯、飲料など日用品を満載して東北地方に向け出発しています。
住吉会は避難所を提供、最大派閥の山口組も被災者に全国のオフィスを開放、救援物資を詰んだトラックを東北地方に向かわせています。
なかでも稲川会は、東北地方をルーツとしていることもあり、今回の被害に対するボランティア活動に最も積極的です。
東京支部は3月12日から翌13日の朝にかけて、茨城県ひたちなか市のひたちなか市民ホールに50トンの援助物資を東京から12時間も掛けて送り届けました。その際、受け取り拒否にあわないよう、ヤクザという身分は隠したそうです。
また、神奈川支部も茨城と福島にトラック70台の支援物資を送り届けるなど稲川会全体では、およそ100トンに上る支援物資を提供したと見られています。
彼らは防護服もヨウ化カリウム剤も持たずに任務に当たったそうです。
山口組の構成員は記者に対し、寄付を断られたくないので、彼らのボランティア活動を余り報道して欲しくないと語っています。(後略)〉
この記事から、山口組も稲川会も住吉会もそれぞれトラックを出して、被災地に行っている様子がよくわかる。これらヤクザのボランティアは、日本国内においてはほとんど報道されていない。阪神淡路大震災のときも山口組が炊き出しをやったのが少し報道されただけで、あるときからパッタリとなくなった。
これは僕の推測だが、報道したメディアの上あたりから「これはマズイんじゃないか」というストップが掛かったのではないだろうか。報道がヤクザを認め、肯定するわけにはいかないと。今回報道されないのも、大方そんな思惑というか、誰かの保身が働いてのことだろうと思うのだ。
ヤクザの行動規範は、一般社会の人たちからはなかなか見えにくいだろうが、なぜ彼らが地震のあったその日のうちにも行動に出ているかといえば、「助けを求めている人がいるのに、なにもせずにのうのうとしていて、自分に恥ずかしくないのか」という思いが強いからである。これを任侠と呼ぶが、その思いはカタギ以上に強い。
ヤクザの世界にも本音と建前は存在するし、彼らの行動がすべて正しいわけではないけれど、平時ではない今だからこそ、彼らの中の任侠は発揮されているのだろう。ヤクザは今後とも任侠を精神活動のよりどころとして、その生きざまを見せてほしい。他国の健全なメディアはしっかりと見ているのだから。
では、僕たちは今、何をするべきか?
テレビ報道を通して、世界中が日本人を見守っている。こそ泥はいるものの、略奪や暴動が起きない、それどころか自分も困っている中で他者を思いやる、日本人の矜持に驚きと称賛の声が寄せられている。
僕たちは、人間が人間らしく生きる、その原形ともいうべきものを創り出す義務とチャンスを選んだととらえて前に進みたい。
男たちが草食系になっていくのは、日本が長きにわたって平和だったというのもあるだろう。平和なのはもちろんけっこうだが、種の存続の危機もない。だから、オスがオスとしての野性を発揮する場も同時に失われていった。
ミルク(哺乳瓶)が母乳に取って代わったり、ベビーカーがブームになったりと、乳幼児期にスキンシップが充分に取れていないというのも、原因としてはあるかもしれない。つまり、人と人が肌を合わせたときの、あの温もりや心地よさを体験として持ち合わせていないのではないかと。
でも、よくよく考えてみれば、アダルトビデオも草食系化にかなりの影響を与えたというか、拍車をかけたのではないかと思うのだ。アダルトビデオが世に出るまでは、あそこまであからさまに女の性というものを見せつけられはしなかった。映画で濡れ場シーンがあったといっても、しょせんは男たちが頭の中で作り出したものにすぎない。
多くのAVがどんどん過激になっていくなかで、それを見てきた男たちは、こと自分のセックスに重ね合わせてみたとき、「あんなの、俺はできない」と思わなかっただろうか? 女たちがあそこまで乱れ狂い曝け出すのを目の当たりにして、「とてもじゃないが太刀打ちできない」と本音のところで引きはしなかったろうか?
男とはつくづくナイーブな生き物である。だからこそ、「男らしく」「男らしく」と育てられる。それに対して、女は生来たくましい。「怒りゃ膨れる、叩きゃ泣く、殺しゃ夜中に化けて出る」といわれるくらい、女の生命力というか人間力は強い。「女らしく」という旧来の枷(かせ)も外れ、社会進出とともに女たちも主張するようになったし、本性を出せる時代になった。
かつてセックスのマニュアル本といえば、男向けが相場だったが、今や女向けのセックス・マニュアルも数多く刊行されている。その中には「膣トレ」なる項目もある。昨年だったか、「ザ・面接」に出た一人の女の子が、マンコ・バーベルで毎日鍛えていると話していたが、女たちはこういう本を読んで研究し、膣のトレーニングをしているのだろうか。このありようは自らを商品化しているように僕には見えてしまうのだが……。
男にせよ、女にせよ、マニュアル本でセックスのテクニックを研究するのって、やっぱり自分を信じていないからだろうと思う。この地球上に最初の生命が誕生したのは、今から36億年前とも38億年前ともいわれる。いずれにしても、僕たちの本能というものは、三十数億年という悠久の生命記憶を有していることになる。そんな本能に根づいた自分という生き物を、もう少し慈しみ、そして好きになれば、もっと自分を信頼できるはずだと僕は思う。
多くの女の子たちと話をしてきて思うのは、男にペニス・コンプレックスがあるように、女たちはアソコの締まりがいいとか悪いとかを気にしがちだ。その気持ちもわからないではないけれど、いちおう現場のプロとして言わせてもらえば、「膣トレなんて無用だよ」である。
膣トレで周辺の筋肉が発達し、感度がアップすることは否定しないが、膣トレをやらなくても、気持ちが入れば膣は包み込むように締まってくる。だから、本能に根づいた恋愛感情を無視したセックスからは、決してオーガズムは起きないということを知るほうが大切だと思う。
むかし日活で「セミドキュメント 名器の研究」という映画を撮ったことがある。当時、名器として名高い桜マミという女優に出てもらった。彼女はアソコでタバコを吸って銘柄を当て、グラスに入ったジュースもビニール管で吸ったり戻したりできた。ロケのとき、マミが僕につぶやいた「でも、みんな、私のココが珍しいだけ……」という言葉が印象に残っている。
ある人はセックスの快感を得ようとして、またある人は自分の存在価値を高めようと、たくましくも、違う方向に走りはじめた女たち。そんな女たちに腰が引けて「草食系」というシェルターに逃げ込む男たち。このままでは、男と女はつながれない。その一端にAVの罪があるならば、男と女が本当につながるためのヒントをアダルトビデオが示さなければならない。