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第179回 カラダにいいこと悪いこと

 血液が「サラサラ」とか「ドロドロ」とかよく耳にするけれど、今回はその血液の話。数週間前のこと。帰宅したらテレビで、トマトをベースにいろんな野菜を組み合わせたジュースの効能について紹介していた。このトマト野菜ジュースを飲む前と、1週間飲みつづけた後の血液を比較すると、1週間後のほうがサラサラになっていたという内容だ。血液がドロドロだと、毛細血管にうまく血液が流れないという。毛細血管に血液が行かないんじゃ、“勃ち”も悪くなるよなぁと思わず僕は唸った。

 さて「毛細」とはいうけれど、髪の毛の直径は約100ミクロン。それに対して毛細血管は5~10ミクロン。つまり、髪の毛の20分の1から10分の1の太さしかない。しかも、その中を流れる、たとえば赤血球の直径は7~8ミクロン。ということは、毛細血管の細いところだと、そのままでは通れないことになる。じゃあどうするかというと、毛細血管の弾力性、つまり血管のほうが膨らむ。もしくは赤血球のほうが変形して通り抜けるのだそうだ。

 成人の場合、体内の血管を1本につなぐと、その長さは約10万キロメートルにも及ぶという。もちろん1人分の長さである。地球の外周である赤道が4万キロだから、人間の血管は地球を2周半してしまう。しかも、全血管のうち毛細血管が占める割合が約90%とも99%ともいわれる。要するに、ほとんどが毛細血管なのだ。

 かつてこのブログに「つながれなかった男たち」という話を載せたが、そこで書いた3人の友人たちのことを僕は思い出した。彼らは毎晩、浴びるように酒を飲み、みな50代という若さで亡くなった。「栄養をつけなきゃ!」と言いながら、スッポンをはじめ精がつくと言われるものを彼らはよく食べていた。だが、考えてみれば、まったく逆のことを彼らはしていたのかもしれない。

 とかく現代人は栄養過多だと言われる。栄養の摂り過ぎが、ある年齢に達すれば、生活習慣病を引き起こす。糖尿病も、脳卒中も、心臓病も、脂質異常症(高脂血症)も、狭い血管の中を、ドロドロゆえにうまく流れなくなった血液が引き金を引いている。

 やはり粗食が健康の秘訣なんじゃないかと僕は思う。以前、子どもが小さいときには家族で焼肉屋によく食事に行った。だが、子どもが大きくなってからは、それもない。何かの機会にフランス料理を食べたりもしたけれど、幼いころからずっと粗食で育った僕の舌には、どうも心から美味しいとは思えなかった。頭では「これは高級料理なんだ」と言い聞かせていても、体は本当に歓んでいないというか……。

 そして僕は少食である。映画を撮っていた時分には、肉体を酷使していたので、どんぶり2杯を平らげたこともあったが、いまは月に1度の現場以外はほとんど座り仕事だし、体が要求するものを食べると、おのずと量は少なくなった。だが、血液から見れば、それは体にいいことなのだと思う。

 10年ほど前、家の近所のよく行く薬局の薬剤師から、「これはボケ防止にもいいから飲んでみない?」とすすめられた錠剤があった。ちょっと値は張ったが、「1日あたりで計算すれば大したことないし、ボケるのイヤだしなぁ」と思い、現在までずっと飲みつづけている。それは銀杏葉のエキスである。今回この原稿を書くにあたっていろいろ調べていたら、銀杏葉エキスはトマトなどの野菜よりも血液をサラサラにする効果が高いという記事を見つけた。粗食・少食に加えて、案外この錠剤のお世話になっていたのかもしれない。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第178回 物忘れの達人

 自宅でリビングから自分の部屋に何かを取りに行く。でも、部屋のドアをあけた途端、「オレ、何しに戻ってきたんだっけ?」。ネットでちょっと調べたいことがあって、パソコンを起ち上げる。起動までの間、雑誌をパラパラめくり、起ち上がったら「あれ? 何を検索するんだっけ?」。そんなことがしょっちゅう起こる。

 もう74歳だから……という思いもあるが、先月、ちょっと気になることが起きた。以前、僕の作品に出た女の子から電話がかかってきた。彼女は俗にいう霊媒体質。いろいろ悩みを抱えているようなので、「愛と性の相談室」でお世話になっているスピリチュアル・カウンセラーの早坂ありえさんに一度見てもらったらどうかとすすめた。

 それから何日か経ったある日、翌日が「ザ・面接」の撮影日なので、僕は事務所に1人で泊まることにした。その夜、僕は彼女に電話し、「早坂さんのところにオレは○日に行くことになってるから一緒に行こう」と言ったらしい。「らしい」というのは、のちに彼女がそう言っているものの、僕にはまったく覚えがないからだ。

 リビングから移動したり、パソコンを起ち上げたときの物忘れとは、ちょっと種類が違うんじゃないか。その部分の記憶がまるごと抜け落ちているのだから。ホントにオレは電話したのか? なんで覚えてないんだろう? その女の子が嘘をついているとは微塵も思っていないけれど、白黒ははっきりさせたい思いがある。

 結局、早坂さんのところに一緒に行くことになり、当日その子と待ち合わせをしていた。そのとき僕はふと思い至った。あの夜、彼女に電話したのなら、携帯の電話帳を見ながら、わざわざ会社の電話のボタンを押すとは考えられない。かけるのなら携帯からだ。だったら発信履歴が残っているじゃないか。根本的な解決にはならないとしても、とりあえずひとつのモヤモヤは消える。

 確認するために携帯を開くと、彼女から着信履歴があった。待ち合わせの場所にもう着いているのだろうか。折り返し電話する。さて、問題の発信履歴だが、撮影前夜のものはなかった。彼女のほうが勘違いしているのか……。

 ちょうど現われた彼女にそれを問うたところ、「同じところに電話したら、前のは消えちゃうのよ。さっき電話くれたでしょ?」「え? そうなの」「じゃあ、いまワンコールしてみて」。すると、確かにいちばん新しい履歴しか出てこない。

 まぁ、発信履歴については電話会社に本人が依頼すればその明細をもらえるので、調べようとすればわかるのだけれど、もうひとつ思い出したことがある。あの晩、僕はワインを飲んでいた。翌日は撮影だし、酩酊(めいてい)するほど飲んではいない。

 ただ、寝ようとしたのがすでに午前2時だったので、早く寝つかなければと導眠剤もそのとき飲んだのを思い出したのだ。そういえば、アルコールと導眠剤は一緒に飲んではいけないと医者から注意されたことがあった。まれに記憶が飛ぶこともあると。きっとそのせいだと僕は思うことにした。

 定期的に同世代の仲間たちと、勝浦にあるスタジオ兼別荘に僕は遊びに行く。このところ物忘れの話題になると、みんな他人事ではないだけに「そうそう!」と盛り上がる。そればかりか、最近では話を始める際に「この話、前にしたっけ?」という前置きが入ったりする。それが始まると、聞いている者たちはクスクス笑い合う。

 「物忘れがひどいと言っているうちは大丈夫みたいだよ。認知症になると、物忘れしてることすら覚えてないらしいから」とだれかが言う。みんな、じゃあ、まだ大丈夫だと安心する。また、別のだれかが「自分の女房の名前が出てこなくなったら、ヤバイみたいだね」。みんな、女房の名前を心の中で思い浮かべ、ホッとする。

 お互いキズを舐め合っているようでもあるけれど、僕は1人じゃなくて本当によかったとあらためて思うのだ。「オレだけじゃないんだ」という思いが、心を軽くしてくれる。ストレスはコルチゾールという物質を分泌させ、これが短期記憶をつかさどる海馬(かいば)を攻撃するという。ならば、物忘れで落ち込んだり悩んだりするのは、いっそう物忘れを助長させることになるのではないだろうか。くよくよしても仕方ない。

 勝浦で僕たちは「物忘れも必要なんだよ!」という結論に達した。「長いこと生きていれば、どんどん記憶が溜まってくるから、命に関わるような重要な記憶は別にして、そうじゃないものを捨てていく必要があるんだ!」と。

 その後、ネットで偶然こんな記事を見つけた。〈人間の脳は大事な記憶をすぐ思い出せるようにするため、関連する相対的に不必要な記憶を忘れ、脳の活動を効率化している可能性があると、米スタンフォード大学の研究チームが科学誌「ネイチャー・ニューロサイエンス」の電子版に発表した〉。僕は「やっぱそうだよ!」と思いつつ、今後、酒と導眠剤の同時服用には気をつけようと肝に銘じた。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第177回 肉食系な老人たち

 去年から誘われていたので、この3連休、久しぶりに九州に帰ろうかなと思い、地元で暮らす友人のOに電話した。出るなり「いつになった?」。僕が「14、15、16」と答えると「ああ、そこは温泉行くわ、女と」と言う。Oは現在75歳。奥さんとは死別しているが、彼女が3人いて、3人とも30代である。

 以前「モテるよなぁ」と言ったら「いや、俺みたいなのは、向こうもカネが目当てよ」などと言いながら、まんざらでもない様子だ。

 電話口で、Oは「おまえも女つれてこいよ! 一緒に温泉行こう!」と言っている。なんせ自分が基準だから、女が3人や4人いるのは当たり前だと思っているのだ。僕は「また次の機会にするよ」と言って電話を切った。

 もう1人の友人Nが14日、小倉駅まで迎えに来てくれることになっていたので、行けなくなった旨を伝えるために電話を入れた。ちなみにNも彼女が2人いる。1人は20代、もう1人は30代。そしてNは73歳。

 今回、九州に帰ったら会おうと思っていた友人には、OとN以外にも、Sという男がいる。Sは僕らのなかではいちばん若いが、若いといっても70歳。そして、このSも現役で若い女と“恋愛”している。

 客観的に見てOもNもSも、イケ面からは程遠い。Oは「体重が50キロない」と本人が言うようにガリガリで、頭もうすい。Nは腹が出ている。Sは人相がよろしくない。しかも、みんな高校もろくすっぽ行っていない連中だ。もっとも、カネ儲けだけは上手いのだけれど。

 そんな彼らが、なぜモテるのか? Oは謙遜して「カネが目当てよ」と言う。たしかにカネも魅力の1つには違いないが、ポイントはそこではない。ひと言でいうと、彼らは自分の欲望に忠実なのである。己を知っているからこそ、女の前でことさら自分をよく見せようなどとはしない。ズケズケものを言うけれど、そこには裏表がない。言ったままが本心というか、そもそも計算も計略もなく、ついでに計画もない。

 たとえば、僕が一緒にいたとき、目の前の女の子に向かってOは「やりてえな、おまえとしたい」などと言っている。Nにしても「もうベロベロ舐めたいなぁ」と、嫌われそうなことをいきなり言っちゃったりする。あまりにも露骨だ。ところが、その何日か後には本当にベロベロしちゃってるのである。

 とびきりの美人で頭も切れる若い女の子を落としたとき、僕はNに訊いてみた。「よく落としたな。なんであの子を落とせると思った?」。Nが言う。「そりゃあ、勘よ」。考えてないのである。理屈じゃないところで「これはイケる」と思ったら、先に体が動いている。

 では、Nの言う「勘」を働かせるにはどうしたらいいのだろう? 『大辞泉』によれば「勘」とは「物事の意味やよしあしを直感的に感じとり、判断する能力」とある。「勘」を働かせるためには、「考える」から「感じる」に生き方をシフトすることが重要だと僕は思う。

 「女性のための愛と性の相談室」を開設して半年が過ぎたが、相談に訪れる多くの女性に共通しているのは、行動する前に考え過ぎているという点だ。「思考」とは知識や情報を判断材料にしているわけだが、知識も情報ももともとは自分の外側にあったものである。

 それに対して「勘」は過去の経験から条件反射的に起きてくる。言い方を換えれば、身をもって学んだことが判断材料になっており、それらは端(はな)から自分の内側にあって、借り物ではないのだ。

 ただし、勘だから「これはイケる」と思って「イケない」こともある。実際フラれれば、Nも人並みに落ち込んでいる。だが、すぐに次の興味や対象に関心が移り、引きずっている間がない。次に何かをやろうというワクワク感のほうが強いのだ。きっとフラれた経験すら、彼の勘にいっそう磨きをかけるのだろう。彼らを見ていると生命力が旺盛だし、つくづく生き物として健康だと思う。

 一方、いまの若い人たちは反抗期のない子が多いという。僕の目には若者たちがどこか骨抜きにされちゃってるように映る。親や学校や社会に合わせて、自分を殺している。それが身についてしまい、空気を読んだり、他人からどう思われるのかに、多くのエネルギーを使っている。

 僕たち70代とは時代も育った環境も違うのはわかるけれど、行動する前に考え、そのあげく「やっぱりやめておこう」と自分で結論を出してしまうのは、かえすがえすも勿体(もったい)ないなぁと思うのである。人生は「考える」ためにあるのではなく、「楽しむ」ためにあるのだから。

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第176回 AV業界の深い闇

 先々月、「ビデ倫裁判」の第二審判決が東京高裁で言い渡された。結果は有罪。

 以前にも書いたけれど、一方で無修正動画が野放しで流されているというのに、修正しているほうが有罪なのである。しかも、ビデ倫のモザイクが薄くなったのは、インディーズものと同レベルまで基準を緩和したためだが、インディーズ側にお咎(とが)めはない。

 だれが聞いてもおかしな話だが、これがまかり通ってしまうのは、利権争いだからである。僕は、そもそもビデ倫が警察の天下りを入れたことが、ここにつながったと思っている。

 かつてビデ倫の審査員は「必然性のない濡れ場は認められない」と言ってはばからなかった。そこには社会に与える影響をつねに視座として持ち、自らも性を探求しようとした者の自負があった。

 だから再審ばかりか、再々審まであり、そのたびに僕は審査員とバトルになった。それはとてもエネルギーのいる作業ではあったけれど、そのおかげで自分の行き過ぎを気づかされたり、性に対して襟を正すことにもつながっていった。

 アダルトビデオ業界が急成長を遂げたために、ビニ本業界をはじめ異業種の人々が雪崩(なだれ)を打って参入してきた。彼らにとって、ビデ倫審査員とのせめぎ合いなど、かったるい以外のなにものでもなかっただろう。今こういうものを出せば売れる。でも、審査がなかなか通らない。とはいえ、ビデ倫を通さずに流通させればパクられるかもしれない。

 彼らは理事会社として名を連ね、自分たちの意向が通りやすい審査員を入れ、要職に警察OBの天下りを迎える。こうすれば先述の問題はどれも解決する。いや、それがビデ倫である必要すらないのだ。メーカーが自分たちで審査機関を作り、そこに警察OBを天下りさせれば、過激な商品を世に送り出し、なおかつパクられない保険ができあがる。

 ずいぶん前になるが、僕のところにも知人を間に立て「ビデ倫を抜けて、今度新たに作る審査機関に加入してくれないか」というアプローチがあった。「老舗のアテナが移れば、みんな来るだろうから」と言うのである。僕は「方向が違うから、勘弁してくれ」と言って断った。

 メーカーは審査機関に審査料を収める。そして審査が通ったものにはパッケージ1つ1つに「審査済み証」としてのシールを貼る。このシール代金も審査機関に収める。つまり、多くのメーカーが加入すれば、その審査機関にはそれだけカネが入るということである。

 ビデ倫が摘発を受けたのは、天下りのポストである事務局長の席が、なぜか空白の期間だった。業界の中には、ビデ倫を潰すことによって、そこに加入していた多くのメーカーをある審査機関に誘導したかったという見方もある。現に審査機関はたくさん存在しているのだから。

 今、過激な作品(?)が世の中に溢れている。もはやセックスではないものが、あたかもセックスのように売られているのだ。天下りを入れ、警察とズブズブの関係になっていれば、パクられる心配もないだろう。

 ところが、その刺激的なものがすでに飽きられてしまっている。特に若い人たちにとって、アダルトビデオはおカネを払って見るものではない時代である。アダルトビデオに限らず、タネを蒔(ま)くことを忘れて、刈り取りだけに躍起になっていれば、いつしか何も育たなくなってしまう。

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