2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第122回 あなたは中派? 外派?


 事前面接の際、「セックスでイッたことはあるの?」と訊くと、「ある」と言い切る子は少ないものの、「中はないですけど、クリトリスでなら……」と答える子はそれなりの数いる。「ああ、クリトリスならイケるんだね」「ええ、私、外派なんですよぉ~」

 ソトハ? 初めて聞いたとき「なんのこっちゃ?」と思ったが、どうもアダルト系の雑誌では、そういうネーミングがされているみたいだと後から知った。挿入でイケるのが「中派」。クリトリスでイケるのが「外派」なのだと。だから、女の子たちは、まるで血液型を訊かれたみたいなノリで「私は外派なの~」ってあっけらかんと答える。

 え? 違うぜ、それは……と僕は思う。血液型はタイプの分類だから、そこに優劣はないし、何かが成熟するとA型がB型になるなんてこともない。だが「外派」は、自分を明け渡すべきセックスで、社会性を落とせない子なのだ。本当の自分が出せないから相手とはつながれず、自らの性感帯を刺激して快楽を得る。いうなれば自己完結なのである。

 来月リリースされる「ザ・面接VOL.121」では、6人の審査員が偶然、対照的に座っていた。どういうことかというと、正面、つまり面接に来る女の子の後ろに位置する3人は、50人、50人以上、20人と男性経験の多い子ばかり。それに対し、向かって左側に座る3人は、全員足しても30人に満たない。

 で、男優たちがどちらに興味を示したかといえば、経験人数の少ない左側の3人にだった。とはいえ、経験は少ないほうがいいと彼らが思っているからではない。実際、面接軍団は熟女も大好きである。軍団が興味を示さなかったのは、彼女たちとは“つながれない”と本能的に感じ取ったからだろう。僕も同じことを感じていた。

 数をこなしていない子が相手とつながれるとは限らないが、体験人数が多い子は、次から次へと刺激だけを求めて相手を替える。ところが、だれとしても結局満たされないから、人数だけがどんどん増えてゆくのだ。一方、つながれる子の場合は、つながったところで恋愛が成立する。満たされるから、次へは行かない。

 では、そもそも相手とつながれない原因は、どこにあるのだろう?

 僕がこれまで出会った「外派」の多くに共通しているのは、小さい頃から親の愛情を充分に受けていないという点である。もともと本能は快を求めるが、まだ自分ではなにもできない乳幼児期、親の愛情こそが快である。時間の経過とともに再び欲求(不快)が生じ、再び愛情によって快へと変わる。このように不快と快のくり返しで、本能は少しずつ成熟してゆく。成熟していけば、「本能」は「愛」へ、そして「母性」へと開花してゆくけれど、その手前で止まってしまえば「愛」はない。すると、なかなか人のぬくもりを感じ取ることが難しくなる。

 SMじゃないと感じないという子は、この傾向がさらに顕著だ。先日面接した子は、幼児期にお父さんからアバラが折れるほど、毎日のように蹴られたという。父親に絶対服従という環境で育った彼女は、やはり極度のMである。今、彼とのセックスにおいても「咥えろ!」と命令されれば、自然と体が動く。ところが、やさしくされて、同じ目線で向き合われると、どう対応していいのかがわからない。

 では、命令と服従の関係でこそあれ、それはそれで相手とつながっているのかといえば、つながってはいない。汚い言葉を浴びせられ、苦痛を伴う命令に服従している自分に陶酔しているにすぎない。Sもまたしかり。つまり、SMにおけるパートナーは、互いに自分の刺激を喚起するための道具でしかなく、SもMも自己完結なのである。

 親から充分な愛情を与えられなかったのは、なにも本人の責任ではない。時間を遡ることはできないが、では将来にわたって「外派」は「中派」にはなれないのかといえば、もちろんなれる。先に紹介した「ザ・面接VOL.121」で面接にやってきた1人は、その好例である。それが3人のうち、誰なのか? そして何がポイントなのかを、見て確認いただけたらと思う。



mensetsu121f.jpg

第121回 福島へ(後編)


 朝8時半、いわき市社会福祉センターには、続々とボランティア希望者たちがやってくる。前日、四倉から久之浜にかけて津波が襲ったあとを目にした。海岸沿いの家々はすでに建て直しが始まっているところもあれば、時が止まったようにまったく手つかずのところもあった。

 だが、津波による破壊の規模からすれば、テレビで見るかぎり福島県よりも宮城県や岩手県のほうがひどい。だから復興のボランティアも宮城県が多いと聞いていた。しかし、比較すれば少ないはずの福島で、これだけの人々が朝から集まってきているのだ。社会福祉センターの駐車場には、ボランティア初参加のグループと2回目以降のグループが分かれて列をなしている。その数は初参加の人たちのほうが圧倒的に多い。

 僕がカメラを持って社会福祉センター近くの道を歩いているときにも「初めてなんですが、ボランティアの受付はどこですか?」と声をかけられた。60代と思われる女性2人だった。受付場所をお伝えしたあと、話を聞けば、同じ福島県内から自分たちにも何か手伝えることはないかと思い、やってきたのだと言う。ボランティアといえば若者をイメージしがちだが、困っている人を助けたいという気持ちに年齢は関係ないのだとあらためて気づかされる。

 そして、カメルーンとケニアから来た青年2人にも会った。なにかの関係で日本に住んでいたのだろうが、人を助けたい気持ちは年齢だけでなく、国境すらも越えるのだと思った。

 その日の午後は、東京から用意してきた小さな羊羹百数十個を持って、第一原発から三十数キロの所にある避難所を訪ねた。生活必需品はこの時期もうほとんど間に合っていると聞いていたから、日持ちのする甘い物がいいように思ったのだ。人数と羊羹の数が合ったので、快く受け取ってもらえた。

 そして、その避難所で暮らす年配のご夫婦からも話がうかがえた。奥さんはもともと高血圧気味ではあったが、避難所の集団生活でこのところずっと血圧が高いそうだ。そこで生活しないとわからない、人には言えないストレスも多いことだろう。その苦労はいかばかりかと思うけれど、でも、お互いを気づかい、手を取り合うように暮らすお二人の姿がどこか羨ましくもあった。過酷な状況にあっても、つながっている人がいれば人間は生きていけるのだと教えられた気がした。

 被災地で暮らす人たちの話は、そのほかにも何人かうかがうことができた。とりあえずボランティアの話も聞けていたから、残るは原発で事故処理にあたっている東電の下請けの人たちの話である。実は着いた日の夜、ある温泉宿を訪ねていた。事前に何軒もの宿に泊まれるかどうかを確認したとき、断られた旅館のひとつだった。いま営業していないというところも少なくなかったが、この旅館とその近くに点在する数軒の宿は、東電スタッフの貸し切りになっているという。

 前夜訪ねたときには、だれにも会うことはできなかった。そこで東京に戻る日の午前中、ダメもとでもう一度、その温泉宿に行ってみようと思った。地震国である日本に原発は向かないと僕は思っているけれど、今回、原発で働く人たちから話を聞きたいのは、そこで何かを暴いてやろうと思ったからではない。ただ、彼らの話に耳を傾けたいという、それだけの理由だった。最後の日、彼らに会えたかどうかは、文末の映像で確認いただけたらと思う。

 たった2泊3日でどれほどのものが見えたのかと言われれば、ほんの一部にすぎないのはよくわかっている。社会福祉センターに朝から並んだ人たちのようにボランティアもしていないから、被災された方たちのお役にも立ててはいない。なのに大きなカメラを抱えたどこの誰とも知れぬ男に、出会った人々のほとんどはあたたかな眼差しで話を聞かせてくれたのだった。

 なかでも、女性たちの「元気」には、逆にこちらが励まされているような感覚をおぼえた。前回書いた一人で切り盛りしている飲み屋のママも、話を聞かなければ、毎日避難所から通ってきているとは微塵も感じない。津波で壊れた「道の駅よつくら港」では土日に復興イベントが開かれていたが、そこに集まった女性たちも逞しかった。炊き出しをしている一人のおばちゃんは、僕にまで「これ、食べてって」とお握りを手渡してくれた。ゴーストタウンと化したある温泉街では、外壁が崩れ落ち、ひび割れながらも、働かなければ食べていけないと一人、喫茶店を営業している女性もいた。

 多くの男たちが想定外の天災や人災によって呆然と立ち尽くしている中、きっと女たちは自分の手の届く範囲から行動を始めたのだ。地に足の着いたその一歩こそが、日本の新しい歴史を創っていくのだろうと、僕は東京へ戻るクルマの中で感じていた。




第120回 福島へ(前編)


 前回紹介した孫正義氏「自然エネルギー財団」創設の話は、その後、テレビでも新聞でもいっこうに見かけない。それなりに気にしてチェックしているつもりだが、たまたま僕が見逃しただけなのか。あるいは、東電からは広告費として年間何百億ものカネがテレビ局に行っているそうだから、クライアントのご機嫌を損ねてまで「脱原発」の旗は振れないということだろうか。

 そんな状況だったから、福島第一原発から16キロの所に自宅があり、今も避難所暮らしを強いられている40代後半の女性と話したとき、当たり前の生活もままならない彼女が、孫さんの「自然エネルギー財団」の話をよく知っているのには驚いた。彼女は常磐線いわき駅前にある飲み屋を一人で切り盛りしている。その日はゴールデンウィークの第1日目にあたったが、駅前の繁華街でも人通りはまばらだ。

 僕は彼女に「避難所では、そういう話が頻繁に交わされているんですか」と訊いてみた。すると「原発関係に限らず、いろいろ情報は早いですよ。何かあればケータイやメールで友人たちからすぐに入りますから」と言う。やはり、今や政府発表のワンウェイ情報を鵜のみにするような時代ではないのだ。たとえ避難所生活であっても、自分たちに有用な情報であれば、だれもが受信者と同時に送信者になりうる。

 つづけて彼女から話を聞いてみると、ご主人は今回の震災で精神的にかなり参ってしまっているようだった。それ以上は訊かなかったが、おそらくまだ仕事ができる状態ではないのだろう。東京で大学に通っている娘さんのためにも、自分がいつまでも落ち込んではいられないと彼女は思ったのだ。「女はいったん肝がすわると強いね。その点、男は……。だから『男らしく』って育てられるんだろうね」。彼女は一瞬考え、すぐに思い当たったように「ああ、そうですよね」と笑った。

 震災が起きたときから一度現地を訪ねたいと思っていたが、この連休でやっと福島県に行くことができたのだ。福島では、被災された住民の方、ボランティアをしている人、そして原発で事故処理にあたっている東電の下請けの人たちから話が聞けたら、というのが行く前の希望だった。

 といっても、僕はジャーナリストではないし、取材した話をテレビや新聞で発表するというわけでもない。これまでこのブログにも書いてきたが、今の僕たちに本当に必要なものは“つながり感”だとずっと思っていた。恋愛も性も、相手とつながるための重要な手立てなのだ。

 昨年、宮台真司氏とある雑誌で対談したとき、僕は彼にこんなことを言った。「恋愛できない若者たちが増えているけれど、どうしたら彼らが恋愛できるようになるかをずっと考えていたんです。韓国には徴兵制度が、タイには仏門入門があるように、日本も高校なり大学を卒業したら1年か2年、ボランティアを全員に義務づけたらいいんじゃないかと思うんですよ。体を使ったボランティアを通して『与えるがゆえに与えられる』を実感として自分のものにしてゆく。そのような意識階梯を獲得し、人間力を高めることで、本当の恋愛があちこちで起こるはずです。ボランティアの義務化が国民に定着すれば、人々が失いかけている“つながり感”はきっとよみがえる」と。

 たとえば、この“つながり感”とボランティアという2つだけを例にとっても、震災の前と後で、世の中は大きく変わろうとしている。いや、ある部分では完全に変わってしまったように僕には感じる。僕などが言わなくても、みんながつながろうとしているし、自らの意思でボランティアに出かけていった人たちの数たるや膨大だ。「岐路」という話で書いたように、それらの大きな変化はすべていいことばかりではなく、気をつけなくてはならない点もある。だが、いずれにしてもそのような内的変化の震源地を、僕は自分の目で確認しておきたいと思ったのだった。

 くだんの飲み屋は、ママの人柄ゆえか、閑散とした目抜き通りとは対照的に混み合っていた。「あちらのお客さんは、きょうボランティアのために郡山市からいらしたんですよ」とママが言う。20歳前後の若者だった。「東京から来たんですけど、ちょっとボランティアの話、聞かせてもらっていいですか」とカウンターの席から小上がりにいる彼に声をかけてみた。

 ボランティアはきょうが初体験だと言う。体のあちこちが痛いと言いつつ、彼の充実感というか昂揚感がこちらにまで伝わってくる。いわき市でボランティアをするには何時にどこに行けばいいのかを彼から教えてもらう。「明日、あなたを一日カメラで追いかけてもいいかな」と訊くと「いや、オレなんか、いいですよ」と言ったあと、「あ、そうだ、オジサンも一度ボランティアしてみるといいよ。人生変わるから」とアドバイスをくれた。

 僕は翌朝、彼が教えてくれた時間よりも少し早めに、ボランティアの受付場所まで行ってみようと思った。ただしカメラを持って。

(つづく)


*福島で撮った映像は次回掲載する予定です。

第119回 理想の国


 先週、USTREAM で自由報道協会主催の孫正義記者会見を見た。原発が事故を起こした現在、「エネルギー政策をどうするか」がテーマである。僕は地震国である日本に原発は適さないと思っているが、孫さんの話を聞いて自然エネルギーへの期待値がさらに高まった。僕がそう感じたポイントをいくつか紹介しよう。

 原子力発電のメリットとして筆頭に上げられるのは、発電コストの安さである。僕もそうだが、多くの日本人のイメージの中にそれは色濃く刷り込まれている。かつての「エネルギー白書」には、太陽光、風力、水力、火力、原子力という5つの中で原子力が最も安く記されている。

 ところが、ここには追加コストが隠されていて、そのうえ事故保険などを入れると、実は他を上回るというのである。実際アメリカでは、昨年、原発と太陽光発電のコストが逆転している。太陽光のコストが今後も下がりつづけるのに対して、原発は上がりつづけるという。

 安全神話は崩壊しコストも高いとなれば、それでも原発を維持・推進したいと思う日本人は、そこに利権を有するごく一部の人間くらいだろう。世界的に見ても、原子力発電所の新設は1980年代をピークに下り坂だ。

 2009年度の日本の発電電力量のシェアは、火力が一番多くて61%、次に原子力で30%、自然エネルギーは9%しかない。しかも、9%の中には水力発電(ダム)も含まれる。最大シェアの火力は、石油・石炭を原料としているため、コストはこれからも上がってゆく。

 では、自然エネルギーはどこまで実用性があるのかだが、たとえば太陽熱発電についていえば、6年前には日本のメーカーが世界トップ5のうち4社を占めていた。つまり、それだけ日本は世界に先駆けてソーラー技術を開発していたということだろう。ところが、現在ではトップ5に1社しか残っていない。

 それにひきかえ、ドイツでは太陽光発電が年々伸びている。だから、エネルギー自給率は日本が4%なのに対し、ドイツは28%と高い(2008年)。なぜドイツの太陽光がそこまで伸びたのかといえば、政府の促進策・ポリシーがあったということである。具体的には「太陽光エネルギーを何年間にわたりこの価格で買い取りますよ」と、発電にたずさわる者がやる気の出る条件を示したからだ。

 これを全量買取制度というが、日本では原発を推進させるためか、やる気の出ない条件しか示されなかった。ところが、震災のあった3月11日の午前、偶然にも太陽光における全量買取制度の条件見直し案が閣議を通過していた。ドイツがそうであったように、買取価格アップの法案が通れば、日本の電力は新しい時代を迎えるだろう。

 風力発電は世界的に見ても伸びているという。日本も潜在的能力が高く、国内の全電力をまかなうことも夢ではないそうだ。だから、震災や放射能によって今後何年も人が住めなくなった広大な土地に、太陽光と風力の大規模な設備を作るという構想もあるようだ。

 地熱発電も世界で急激に伸びている。しかも、日本が世界3位の地熱資源国であり、特に東北地方には豊富な資源が眠っているという。さらに、世界の地熱発電設備の75%以上が日本製なのだそうだ。ということは、現在、日本の技術が世界一ということだろう。

 僕たちの払う電気料金は、火力や原発に頼る限り年々上がってゆく。自然エネルギーに転換すると、設備投資も含めていっときは今より上がる。試算では、現在1世帯あたりの電気料金の平均月額が約8000円。それがいったん8500円にはなるものの、その後は必ず下がってゆくと。

 孫さんの話を簡単にまとめると、以上のような内容なのだった。専門的なことはわからないが、でも、孫さんの話を聞く前から、これからは日本の各地域ごとというか、それぞれの風土に合った自然エネルギーの発電方法があるだろうと思っていた。と同時に、これまでなぜそれが産業として育っていかなかったのかを考えると、そこには利権に群がる巨大な力の存在も見え隠れする。

 しかし、それらの権力構造が「ピラミッド型の力学」、つまり一方通行のトップダウン形式だったとすれば、現在は独自の判断で行動を起こす自治体が出てきたのも事実だ。行動に出たひとつひとつの自治体を円心(円の中心)に見立てれば、「多次元的な円」ができあがる。それは、言い換えれば真の意味の「自立」でもある。

 東北地方は、まったく新しい都市国家を築くチャンスだと僕は思う。あれだけの土地があり、ゼロから創ってゆける。そればかりか、今回の震災を身をもって体験した人たちには、他の人々にはない大きな発見や気づきや学びがあるに違いない。

 戦後の焼け野原から出発し、日本は世界に冠たる経済大国になった。でも、経済的な豊かさが本当の幸せなのかと僕たちは疑問を抱きつつあった。今回、多くの犠牲を払ったものの、いや、多くの犠牲を払ったからこそ、世界の雛形になるような“つながり感”に根ざした理想の国を創造するチャンスを手にした。その出発点は東北地方をおいて他にはないと僕は思っている。

カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
QRコード
QR