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第30回 「呼吸」とセックス

 かつての作品に「サイコ催眠エクスタシー」というシリーズがある。催眠によって女の子をトランス状態へ導き、これまでのセックスでは味わったことのないような快感を体験させる--------簡単に言えば、そういう主旨の作品である。

 最初は「ホントにそんなことができるのだろうか?」と半信半疑だった僕も、現場で女の子の反応を目の当たりにして、想像を上回る効果に驚いていた。とともに「これなら僕にもできるんじゃないか」と思い、催眠について勉強を始めたのである。

 催眠では、ラポール(相手との信頼関係)づくりの後、呼吸によってトランス状態へと誘導してゆく。生まれてから死ぬまで、人は特に意識することもなく呼吸をしているが、催眠においては意識的に深い呼吸をさせることになる。

 僕にも催眠ができるようになったころ、不思議な女の子に出会った。何が不思議かというと、深呼吸ができないのである。深く息を吸い込む、たったそれだけのことが彼女にはできない。「なんでそんなパニックになるの? ゆっくり吸いなよ」と言っても、横隔膜がしゃくってしまうみたいなのだ。

 そこで僕は一計を案じ、吸うのではなく、息を吐くように指示してみた。そのころ僕は毎日のようにスイミングに通っていたが、水泳では吐くことが基本である。吐けば、吸わざるを得ないわけだし。そして、やってみたところ、深く吸えない子も吐くことならできたのである。

 こうして深く吐くことと吸うことができるようになると、再び予期せぬ出来事が起こった。深呼吸を続けていく過程で、泣き叫んだり、この世のものとは思えないような唸り声をあげる子が出始めたのだ。それも一人や二人ではない。

 いったい彼女たちは、呼気とともに何を吐き出しているのだろう?

 退行催眠というのがある。退行催眠では時間を巻き戻し、その人の過去へと遡っていく。人は過去に何らかの理由で心に大きな傷を負うと、本人はさほどではないと思っていても、実際には大きなトラウマになっているということが少なくない。

 年齢退行は、傷になった出来事があらかじめ想定されるケースでは、そこに戻ればいい。そしてその出来事に対する本人の意識を組み替えてあげられれば、トラウマからも自由になれるだろう。

 しかし、防衛規制としてその出来事を忘れたいと思っている場合には、なかなか見つけ出すのが難しく、別の出来事に対する意識を変えても、いっこうに改善されないということが起こり得る。

 話を呼吸に戻すと、退行催眠と違って呼吸は、どの出来事が原因なのかを探す必要もなく、本人が自発的にそのトラウマを吐き出し始めるのである。たとえそれが表の意識からは忘れ去られていたとしても。そして、催眠の指示はまったく与えていないにもかかわらず。

 では、深呼吸をくり返すだけで、なぜそんなことが起きるのだろうか?

 深い呼吸のことを腹式呼吸というのはご存じだと思うが、腹式呼吸は「横隔膜呼吸」とも呼ばれる。肺には肺自体を動かす骨格筋がないので、呼吸は横隔膜をはじめとする各種の筋肉によって行われている。横隔膜は、心臓や肺を含む胸腔と、胃や腸を含む腹腔の、ちょうど境に位置している。胸と腹の間なので、人間の真ん中あたりにあるということだ。

 息を深く吸おうと思えば、横隔膜を押し下げ、そのぶん胸(肺)をふくらませる。逆に吐こうとすれば、押し下げた横隔膜をゆるめて元に戻し、胸(肺)を縮ませる。腹式呼吸というのは、腹に空気が入るわけではなく、横隔膜を押し上げたり元に戻したりする動きに反映して、腹がふくらんだり、へっこんだりするから腹式呼吸なのである。

 ふだんから無意識の浅い呼吸しかしていない子は、横隔膜をほとんど使っていない。僕には、意識的な呼吸をしていないってことは、結局、生かされているだけで、自分で生きていることにはならないんじゃないかと思えるのだった。

 僕の経験から言うと、浅い呼吸しかしていない子は現場でセックスをしても、絵にならない。要するにマグロである。こういう子たちは本能が育っていないか、感情を封じ込めている。

 先ほど横隔膜は胸と腹の間、ちょうど人間の体の真ん中に位置していると書いた。つまり、人間の上半分と下半分を、その名のとおり横に隔てている。思考つまり脳は上にあり、本能である生殖器は下にある。その2つが積極的に活用されない横隔膜によって分断され乖離しているように思えてならない。

 それが深い呼吸によって横隔膜が活性化すると、気が巡るというか、乖離していた思考と本能もつながり始めるのではないかと。そして、トラウマとなって奥底に封印された感情エネルギーも、呼吸によって溶け出すのではないかと思うのである。

 2009年1月16日のブログ「母性のスイッチ」で書いた新田利恵もそうだが、深い呼吸によって泣き叫んだり唸り声をあげた女の子たちは、そこでトラウマを出し切ってしまうと、その後、例外なく現場でいいセックスをしているのである。



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第29回 「クリでイケる」と「中でイケる」と「オーガズム」

 表題の「クリでイケる」「中でイケる」「オーガズム」という3つだが、「どれもイクんだから同じじゃん!」と思ってる人がいるとしたら、それは大きな間違いである。

 まず最初に、「クリでイケる」子から見ていこう。事前面接でも「中(挿入)ではイケないけど、クリならイケます」と言う女の子はとても多い。

 「本能」「感情」「思考」という3つのオクターブで考えたとき、クリトリスでイクというのは、本能的な快にすぎない。思考オクターヴは社会性をしっかり持っている。その結果、感情オクターヴにはブレーキが掛かっている。

 つまり、本能だけが気持ちよくなっているのだ。だからいくら中を激しいピストン運動で刺激しても、感情が「感性」に変容していないかぎり、「H24」の悦びは決して得られない。男が単に快楽を得るためだけの射精も、この範囲内(「H48」)である。

 「H24」での悦びを体験するには、パートナーとの関係性がカギとなる。男も女もオナニーでイク場合、物理的な刺激と思考オクターヴが作り出すイメージや妄想がパートナーだが、セックスでイク場合には、自分と相手の感性同士が共鳴する必要がある。

 「中でイケない」女性のほとんどが、セックスのあいだ目を閉じて、物理的な刺激と思考が作り出すイメージでイコうとしている。これではパートナーの体を借りたオナニーと変わらない。この傾向は、感情が育っていないか、感情を封印している女性に多く見られる。女性を単に性的な刺激やピストン運動でイカせようとしている男の側にも大いに問題はあるだろう。男もまた、感情オクターヴが育っていないのだ。

 では、感情オクターヴを育てるためには、どうすればいいのだろう? まずは、本能を成熟させることが必要である。本能は快と不快によって成長してゆく。不快がいっぱい溜まって、それを解放してあげる。このくり返しによって本能は成熟していく。そして、このプロセスで感情は育ってゆくのだ。ちょうど幼児期、僕たちの依存感情が両親の激励と深い愛情によって感性に成長したように。でも、不運にもそうならなかった人は、これから自分で取り返すしかない。その方法のひとつを次に記そう。

 具体的には、体を動かすといい。汗を流し、苦しみを味わい、それを経て、爽快感や達成感を味わう。そこから、喜びという感情が芽生えてくる。このように、本能動作や本能を使った運動の継続によって、感情オクターヴは育ってゆく。

 感情オクターヴが育ち、「感性」によって相手とつながれば、「中」、つまりセックスでイケるようになる。ただし、このときお互い相手の目を見つめ合っているか否かで違いが生じる。

 相手の目を見ないのは、まだ思考が働いている証左でもあるからだ。「こんないやらしいことをしてるのに、目なんて見られない」というのは、思考から来る恥じらいや照れ臭さである。ところが、見つめ合うセックスでイケるようになれば、思考は「知性」へと変容する。「本性」「感性」「知性」が揃うと、意識階梯は「H24」に達するのである。この「H24」の視座では、「H48」とはまったく違うものが見えてくるだろう。

 たとえば、思考で暴走族を見たとしよう。きっと取り締まりの方法を考えるに違いない。しかし、これが知性だと、「なぜ彼らはそれをやっているのか?」という視座が生まれてくる。思考がヨコ軸での一元的な処理であるのに対して、知性はその深みをタテ軸で見ることができるからである。

 「H48」にいるかぎり、「H96」で起きたことは理解できない。「H24」になってはじめて対極の「H96」をのぞくことができるのだ。だが、「H24」においても、さらに深い「H192」まではのぞけない。壮絶な体験が封印された「H192」の意識世界を理解するためには「H12」の意識階梯を獲得する必要がある。

 表題3番目の「オーガズム」とは、この「H12」を体験することである。ただし、「H24」から「H12」に行くためには、"知性の明け渡し"が起こらなければならない。自らの知性を手放すことによって「H12」の英知とスペースを共有できる。

 もっとも、一回だけオーガズムを体験したのならば、「H12」の英知が身についたというよりは、ちょっとのぞいたということだろう。でも、たとえ一度でも体験していれば、その後、「H12」の世界に関する本を読んだり、話を聞いた際に、その概念が共鳴する。だから、たとえばグルジェフの水素論でも、オーガズムを体験している女の子は容易に理解できてしまう。

 また、その逆も言える。事前に「H12」の階梯で何が理解できるかという情報を持ってオーガズムを体験するのと、知らないで体験するのとでは、明らかな違いが生じてくる。オーガズムにおいては、圧倒的な真実性を持った情報が、快感の津波となって内側から突き上げてくる。知性の中にそれらの情報に対応するデータがない場合、全面的な受容は起こらず(知性が「理性」に変容することなく)、その津波に飲み込まれ、結果、失神してしまう。

 以上のことは、文章で読むだけよりも、下に掲載した〈The map Ⅲ〉を参照してもらえれば、いっそうわかりやすいと思う。



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 〈The map Ⅲ〉を鳥瞰すると、つねに本能オクターヴが引っ張ってくれているのもよくわかる。そして、思考オクターヴはいつも後からついていっている。本能は快を得ようという傾向性そのものだが、それだけが独走してしまうと、手段を選ばなくなるだろう。これでは社会が成立しない。そこで、やはり思考が必要になってくる。それで人間はバランスを取って生きている。

 最後に、「H12」「H24」を体験した人は、ずっとその意識階梯にとどまっているのではないことを付記しておきたい。これまでのブログでも書いてきたように、僕たちがふだん生活しているのは、あくまでも「H48」の世界である。ただ、高次の意識階梯を体験した人は、「H48」にいても、「H12」「H24」の意識階梯にアクセスできる回路を自らの中に持ったということである。

 そして、前回も書いたが、「H24」「H96」「H12」「H192」というように、高次に行けばその対極にある世界と向き合わなければならなくなる。いま僕がこういう文章を書いているのも、かつてたまたま深い闇をのぞいてしまったがゆえに、その対極にある世界と向き合うことになったというだけの話である。

第28回 なぜ恋人ができないのか?

 世は「婚活」の時代である。女の子たちと話していても、「出会いがないんです」という言葉をよく耳にする。恋愛にせよ結婚にせよ、女の子たちに出会いのチャンスがないと言うのなら、きっと男たちにもないのだろう。

 ネット社会は不特定多数の他者と出会う機会を一気に増大させた。出会い系サイトやSNS等を利用し不倫している人も増えていると聞く。にもかかわらず、なぜ本当に愛する人とはなかなか巡り会えないのだろうか?

 ひと言でいえば、恋愛できる周波数を発信していないから出会えないのだと僕は思う。

 ふだん僕たちは「H48」の意識レベルで生きている。「H48」を形成する3つのオクターヴは「本能」「感情」「思考」だが、この意識レベルにおいては社会性が色濃く支配している。

 「H48」にいる人が恋人を見つけようとすれば、同じ「H48」の人としか出会えないし、そのつながりは社会的関係性が強い。たとえば、見た目がいいとか、将来性があるとか、社会的な価値観が相手を測るモノサシとなる。

 そうやって選んだ相手は、社会的には安心できる人であり、他人に紹介するときには鼻が高いかもしれない。でも、それを恋愛とは言えないし、定年と同時に離婚がやってきたりする。

 意識レベルが「H48」から「H24」に上がると、「本能」は「本性」へ、「感情」は「感性」へ、「思考」は「知性」へと変容する。本当の恋愛をしようと思えば、この「感性」こそが必要不可欠となる。「感性」とは社会的な損得ではなく、相手そのものをいいなぁと感じる力である。換言すれば、相手のよさに気づく力なのだ。

 しかも、「H24」に属する「本性」「感性」「知性」はスペースを共有する。つまり「H48」のときとは異なり、場に広がっていく特性をもつ。すると、同じ周波数同士での共鳴が起こる。そこに物理的な距離は関係ない。

 「職場をはじめ自分の身のまわりには対象となる相手がいない」と言う女の子がいるが、自分の「感性」が機能し出せば、そういう周波数を発信する。だから、昨日までまったく知らなかった人とも、今日、予期せぬ場所で出会うということが起こり得るのだ。

 しかも、相手も同じ「H24」の「感性」の持ち主である。社会的な損得計算で惹かれるのではなく、あなたを等身大で見つめ、そのよさに気づいてくれることだろう。だからこそ、本当の恋愛が始まる。

 結局、いい恋愛、いい結婚をしようとすれば、自分が「H24」に行くしかない。下の図〈The mapⅡ〉で「H24」と「H48」の間に〈恋愛境界線〉があるが、それは今書いてきたように、恋愛ができるか/できないかを分かつラインなのである。



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 最後にひとつだけ注意事項を書いておこう。あなたが「H24」に行ったとき、同じ「H24」の人と惹かれ合うのはすでに書いたとおりだが、同時に「H96」の人とも縁ができる。〈The mapⅡ〉を見ると、「H24」と「H96」は、「H48」をはさんで右と左に位置している。タテ軸的にとらえれば、「H48」よりも1つ上か下かというこの2つも、惹かれ合う特性をもつ。

 「H96」を形成する3つのオクターヴは「本能欲」「依存排他」「概念思考」になる。ここでは、そのなかの「依存排他」を説明しておこう。

 「依存排他」の典型的な例としては、女の子が男に尽くして、その結果、フラれるというケース。フラれた女の子は口をそろえて「私はこんなに尽くしたのに」と言う。しかし、その「尽くしている」という思いは、自分自身に言い聞かせつつ、相手にも言葉や態度でアピールしている。だから尽くすたびに、実は貸しを作っているに他ならない。

 この「尽くす」の正体が「依存」なのだ。自分のそばに置いておきたいから、あるいはずっとこちらを向いていてほしいから尽くす。裏を返せば「去られたくない」「失いたくない」という思いが行動原理になっている。

 さらに言えば、「尽くされる」男のほうも「依存」である。男の中にひそむ母性の原風景とでもいうべきものに甘んじているに過ぎず、自立からは程遠い。お互いそこには、愛が芽生える可能性など一点もないのである。

 「尽くす」ほうに話を戻すと、尽くしている彼女の中には「失いたくない」と同時に「もし失ってしまったら」というネガティブな想定も存在している。だから、自分の思いが通じないとなれば、ここぞとばかりにこれまでの貸しを訴え、相手をなじることになるだろう。これが「排他」である。

 それにひきかえ、「H24」ならば「尽くす」という意識そのものがない。あるがまま、自分の感性に従った結果、傍目からは、それが尽くしているように見えるというだけだ。当然、相手に貸しなど作らないから、相手も負担にはならない。

 依存関係をあたかも恋愛だと思い込んでいる女の子たちに、これまで数多く接してきた。相手が「H24」なのか? 実は「H96」なのか? そしてそれにもまして、あなた自身がそのどちらなのかを、〈The mapⅡ〉をヒントに見つけ出し、恋愛のストライク・ゾーンを広げてもらえると、とてもうれしい。

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第27回 柏木みな[後編]

 「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」のあと、「ザ・面接」の審査員として柏木を1本撮った。

 柏木をメインにすえた新しいシリーズを立ち上げるにあたって、しゃべりを含めた彼女の技をもう少し見ておきたいという思いが僕の中にあったからでもある。「面接軍団の中の銀ちゃん(佐川銀次)を好きなようにやっていいから」と僕は彼女に言った。そうしたら、ああ、ここまで言葉なぶりができるのかというところまで彼女はやってみせたのである。

 これでいよいよ「ザッツ回春エロエステ」シリーズをやれると僕は確信した。コンセプトはその名のとおり、回春エステ嬢である柏木が、毎回、プロの男優や素人の出演希望者を相手に「女の快楽を男のあなたに教えてあげる」というものだ。

 「女の快楽を体験する」ためには、男が柏木に自分を明け渡さなければならない。それがいちばんできそうなのは、今のメンバーだと森くん(森林原人)かなぁと思い、シリーズ第1作目には彼を起用した。「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」や「ザ・面接」で柏木は既存シリーズへの一出演者だが、今回は自分が主人になってお客さんを迎えなければならない。かなり緊張もあったはずだ。

 第1作目において、森林は自分を明け渡した。男が素直になってくれるのは、女にとってうれしいことだが、柏木の中でも「そうなのよ! これなのよ!」という手応えと歓喜が湧き起こったことだろう。彼女はこれで自信を抱いたに違いないが、そればかりでなく、森林の感性に共鳴した彼女の感情はきっと何らかの変化を生むだろうと、僕はひそかに思っていた。

 シリーズ第2作目は銀ちゃんを迎えた。ここに来て、柏木のこれまでにない一面がうかがえる。テクニックで感じさせようとするのではなく、相手の気持ちに入っていって、感情をいじることをやりはじめたのだ。これは意識のタテ軸に入ったことを意味する。

 見てもらえればわかるが、銀ちゃんの下半身はアシスタントであるもう一人のエステティシャンに任せっきりで、自分は銀ちゃんの顔のところに行っている。目を介して銀ちゃんの感性と向き合っているのである。

 「ザ・面接」シリーズで、僕は男優たちによくこう言う。「100あるセックスのエネルギーを50にして、残りの50は感情をいじれよ!」と。「そうでなきゃ、ピストン運動ばかりやってても、最後には女が痛くなるだけだぞ!」と。「好き!」でも「可愛いよ!」でも「あんたのオマンコ、気持ちいいよ!」でもいい。そこのコミュニケーションがない限り、所詮はカラミだろうと思うのだ。

 ところが、今回、柏木にはそういう要求を一切していない。本人が自らそこに気づいたのである。銀ちゃんは相手がカッコつけてるとカチンとくるタイプだ。そんな銀ちゃんをテクニックで開かせようとしても、なかなか甘えてはこない。感性と向き合ったからこそ、銀ちゃんはあそこまで甘え、自分を出せたのだ。

 先にも書いたが、柏木はシリーズ立ち上げの前、「ザ・面接」で銀ちゃんとあたっている。でも、あのときは言葉なぶりでせめていき、そういう意味ではテクニック主導だった。だから、あそこで銀ちゃんはとても苦しかったはずである。

 第3作目では、母性が顔をのぞかせている。第1作・第2作と見比べてもらえれば一目瞭然だが、柏木の顔つきがまるで違っている。このように「ザッツ回春エロエステ」シリーズは順調に回を重ね、柏木もだんだん頼もしくなってきた。

 けれども、そろそろ第4作目の準備をしようとしていた矢先、柏木から連絡が入った。「彼ときちんとつきあいたいからAVを引退したい」と。つまり、柏木は"本当の恋愛"を始めたということである。彼女の中でいつも置いてけぼりになっていた「感情」も、男優たちが自分をさらけ出し、明け渡してくるのを受けとめることにより、やっと癒され、「感性」へと開花した。

 僕から見れば優秀な学び手でもある彼女には、心から「おめでとう!」を申し上げたい。ただ、母性が目覚めた彼女なら、今後「エロエステ」シリーズの中でもいろんなことができるなぁと考えていたから、ホンネを言えば、ちょっぴり残念な思いもなくはないのだが......。



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