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前回、「感情オクターヴに大きな変動が起きている」と書いた。書いた以降も、ある被災地で200人のボランティアを募集したところ、わずか10分で600人からの応募があり、すぐに募集を締め切ったとニュースが報じていた。担当者いわく、応募者の大半がボランティア初体験とのことである。
これまでボランティアをしたことのない多くの人が、積極的に行動を起こしている。見えないところで、変化は確実に起きているのだ。ところが、みんながみんなそうなっているわけではもちろんない。
今回の震災をきっかけにして、思考を明け渡せた人もいれば、明け渡せず、いっそう頑(かたく)なになっている人もいる。後者はこれまで以上にエゴを強固にしていくだろう。いちばんわかりやすいのは保身である。たとえば震災が起きてから毎日のようにいろいろな記者会見が開かれているが、その人たちの言うことを聞いていれば、考えているのはみんなのことか、それとも自分の地位が大事かがよくわかる。
このように人間は両極化してゆく。今はまだそれが拮抗している段階だろう。東日本大震災関連のニュースも、このままいけば徐々に減ってゆくはずである。そして、いつかは報道されなくなる。今回の“つながり感”が単なる一過性のものとは思わないけれど、潮が引くように消えていったときに、そこに残っているのが、対人的感性を尊重する社会だったらいいのになぁと思う。
もうひとつ、僕には気になっていることがある。今後、感情オクターヴがどのように変化していくのかという問題である。対人的感性へと昇華していけばいいのだが、そうならなかった場合、何が起きるか?
被災された人たちはもちろんのこと、そうでない人たちも今回の震災によってさまざまなストレスを溜め込んでいる。人によってはストレスなどという生易しいものではなく、不満といったほうがいいかもしれない。その不満は他者からのやさしさや思いやり、つながり感などによって今のところは中和されている。
しかし、中和しきれない不満がどんどん溜まっていくと、精神活動のよりどころが「感情オクターヴ」から「本能オクターヴ」へ移ってゆく。本能オクターヴには、食うか食われるかの世界がある。
この本能オクターヴと、明け渡せなかった「思考オクターヴ」系のグループがくっつくと、最悪のケースでは他国との戦争になる可能性まではらんでいると思うのだ。渦巻く不満に対して、耳ざわりのいいイデオロギーは魅力的に映る。外に敵を求めて内を団結させるというのは、かつての戦争と同じ構図である。
では、そうならないためには、どうすればいいのだろう?
今、多くの人の中では、経済的な豊かさと内的な幸せの対比が起きているのだと思う。内的な幸せに気づくチャンスを、かつて僕たちは経験した。バブルが崩壊したときである。内的な幸せを選択した人もいるにはいたはずだが、その後もIT長者がメディアにもてはやされ、自民党に担がれたり、またある者が「金儲けのどこが悪い?」とうそぶくのをテレビは堂々と流したり……。結局、僕たちの多くは変われなかったのだ。
物質的な豊かさと精神的な豊かさは正反対である。心の幸せは、与えないと与えられない。相手に対する「やさしさ」や「思いやり」は単なる概念に留まっているときには力を持たない。それを行動に起こすなり、思いに込めたときに初めて現象化する。そして、その現象化したものを相手が受け取る前に、まず自分が受け取るのだ。だから、与えない限りはいつもでたっても与えられない。
それにひきかえ物質の世界では、与えたら単になくなってしまうだけだ。そこで、合法的に取るにはどうしたらいいかをあれこれ思考する。内的世界とは真逆の力学が働くわけである。しかも、自分が出している周波数と共鳴する者としか引き合わないので、与える人には与える人が、奪う人には奪う人が現れる。お互い与え合うことによって内的幸福感はいっそう充足するが、奪い合いではどこまでいっても内的幸福は得られない。
これから日本がどちらになるか、今、僕たちは岐路に立っている。
20歳を少し過ぎた頃の話である。当時、大阪の花屋に住み込みで働いていた僕には、つきあっている彼女がいた。被差別部落の子で、クズ鉄など廃品回収業を生業(なりわい)にしている家の娘だった。
花屋のご主人は嵯峨流家元の講師だったから、華道のお師匠さんたちが習いにやってくる。おばちゃんたちが多かったが、なかには若い子もいた。ご主人にしてみたら、なぜ僕がこういう良家のお嬢さんと仲よくしないのかと訝(いぶか)しんでいたはずだ。実際、きれいな着物を来て、ほとんど毎日のように花を買いに来る何人かからはラブコールもあり、僕が目当てなのは気づいていた。けれども、それが恋には発展していかない。
一方、部落の子にはどんどん魅かれていく。天真爛漫な女の子だった。人間臭さがそのまま出ているという点では、今の女房とも似ている。今にして思えば、その人が本来持っている個性というか感性に、僕は共鳴したんだと思う。でも、そのときはただもう会いたいだけで、理屈じゃないのである。それが僕のはじめての恋であり、初体験の相手でもあった。
僕と彼女がつきあっていることを知った花屋の奥さんは「冗談じゃない! そんなことなら外出は禁止!」と猛反対した。上流階級の人間から見れば、ありえないこと、あってはならないことだったのだろう。だが、僕は休憩や配達が早く終わったときには、必ず彼女のところに遊びに行っていた。そこのほうが楽しかったからである。
その後、故郷の小倉に帰って、興行の手伝いをするようになる。剣劇がすたれ、ストリップが脚光を浴びはじめた頃だ。踊り子の一人に魅かれる子がいた。しかし、彼女とも恋愛には発展しなかった。というのは、商品はあくまでも商品で、手をつけるならば面倒を見なきゃいけない。他のところへ行ってしまわないために、だいたい男がくっついてヒモみたいになる。そうなってしまうと、恋愛にはならない。
これは、カタギになって東京に来る際ついてきた3人の女の子の場合も似ている。彼女たちのことは決して嫌いじゃなかったが、かといって、会いたくてしょうがないとか、いつも一緒にいたいというほどでもない。上京してきた彼女たちには「もめたら鬱陶しいのが出てくるぞ」という後ろ盾と性の捌け口が必要だった。代わりに、僕はヒモとして食わしてもらう。要するに持ちつ持たれつの関係である。
そんな東京の生活の中で、僕は今の女房と出会い、彼女に魅かれてゆく。もうどうにもならない。それまでの3人との生活に不満があったわけではない。現に経済的にも精神的にもラクだった。ところが、惚れた女ができると、今度は3人と一緒にいることがつらいというか、イヤなのだ。すでに気持ちはここにはないのに、まるであるかのごとく振る舞うことが……。勝手といえば勝手かもしれない。だが、人を好きになる気持ちは、理屈じゃ説明がつかない。
女房は中学を卒業したあと、バスガイドをしていた。大阪でつきあった子も高校には行かずに家業を手伝っていた。僕自身も高校に行くには行ったが、勉強などしないまま中退した。いずれも50年以上前の話だから、今とは進学率も状況も違うだろう。だが、僕が魅かれたのは、彼女たちが高等教育を受けていなかったからじゃないかとも思うのだ。
大阪の花屋の時代、僕にラブコールをくれた女性たちは、習い事のみならず教育をしっかり受けていた。もちろん社会性もきちんと身についていた。でも、だからこそ、僕は彼女たちから“恋愛のオーラ”を感じなかったのではないか。彼女たちには壁があったように思う。教育の高さとか、家柄とか、いろいろ社会的なものがまず外側にあって、本人のコアはその内側に隠れてなかなか見えてこない。それにひきかえ、僕が惚れた女たちには紛れもなく本能に根づいた人間がそこにいた。
たしかに住み込みの頃の僕は粗野で無知だったから、コンプレックスがなかったといえば嘘になる。だが、それを差し引いても、高等教育を受けたがゆえに、人は知らなきゃいいものまで知ってしまうというか、考えなきゃいいことまで考えてしまうように僕には思える。たとえば喧嘩したとき、こんな状態がずっと続くんなら別れてしまったほうがいいんじゃないか……と先々のことまで考え、ネガティブな結論を導いてしまう。うちの女房は僕と大喧嘩をやらかしても、翌朝には「おはよう」と言ってくる。僕もそうだが、感情オクターヴ系の女房は将来についてあれこれ考えない。
「それは感情論だから話にならない」という言いまわしがある。言い方を換えれば「もっと冷静に、もっと理性的になれ」という意味だろう。これが商談の場で言われるならわかるが、恋愛で冷静になってどうする? 恋愛とはそもそも感情論なのだ。「恋の病」といわれるように、熱病のごとく社会性をぶっ飛ばしてでも、好きという思いが最優先される、それが恋愛ではないだろうか。恋は理屈じゃないのである。
世の中は単身化が進んでいる。でも僕は、男と女は恋愛し、結婚して、女は子どもを産むべきだと思っている。「女性蔑視だ」「男女差別だ」と言われるだろうか。だが、善い悪いは別にして、それはあるべくしてあるものなのではないだろうか。それがあったからこそ、今の僕たちがいるのだから。