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第243回 もしも来世があるならば……

 今回は「来世があれば」という前提で話を進めてみたい。「そんなのありえない」と思ってる人もいる。僕自身そこに行ってきたわけではないのであくまで仮定の話だけれど、その前提に立てば、今の世の中が少しは変わるんじゃないかとも思うのだ。

 関西の一流ホテルで食材の誤表示がニュースになったかと思えば、日本全国ここでもあそこでもと似たような事実が明るみに出た。誤表示といえば悪意も希薄だが、実際には安い食材を高い食材と謳って利益を出しているわけだから(逆なら文句も出ないだろうけど)、偽装としか言いようがない。

 8年前の2005年、「シャブコン」という言葉が有名になったマンションの耐震構造をはじめ食料品の賞味期限や原材料表記などの偽装が世の中を騒がせた。あれほど大騒ぎになっても、今回の当事者たちは、人のふり見て我がふり直せとは一度も思わなかったのだろうか。所詮は、対岸の火事でしかなかったということか。

 偽装に限らず、バレなきゃいいんだという空気は次第に濃くなっているように思える。人に見つからなければ、警察に捕まらなければ、法に触れなければ……。これじゃあ、正直者がバカを見る世の中になってしまう。かつて「おてんとうさまが見てる」とか「おてんとうさまに申し訳ない」という言葉が存在した。人間の良心さえ、このご時世では、背に腹は代えられないのだろうか。

 さて、来世である。人間、死んだらお終いではない。肉体は滅んでも、生まれ変わって次の世を生きる……と考えてみる。ただし、前世→現世→来世は脈絡なくつながっているのではなく、因果応報、つまり過去の善悪の業(ごう)が現在の幸不幸の果報を生み、現在の業に応じて未来の果報が生じる。

 人の目をあざむいて、生涯それが隠しおおせたとしても、あるいは逃げ切れたとしても、結局は次の世で帳尻を合わされることになる。人を不幸にすれば、たとえ死んだ後でもそれは自分に返ってくるということである。

 以前にも書いたが、僕はうつを患っているとき、毎日襲ってくる重度のダルさや孤独感から「ラクになりたい!」とはずっと願っていたけれど、「死にたい!」と思ったことはついぞなかった。なぜなら、ここで死んでラクになっても、どっちみち来世で、自分が逃げたものと再び向き合うことになるんだからと、つねに感じていたからである。だから、僕にとって死は逃げ道にならなかった。しかし、そのおかげで今もこうして生きている。

 死んだら終わりではなく来世があり、その来世は現世の生き方が影響を与えるという考え方は、犯罪や自殺を思いとどまらせる力にならないだろうか。

 また、生きているといろいろ理不尽な目にも遭う。「なんで自分がこんな目に」と思う日もあるかもしれない。僕もこれまで信頼し、金銭的にも応援してきた人間から、いったんそれが儲かるとなったら手の平を返したように手痛い裏切りを受けたことがある。腹が立つじゃ、とても済まないような状況なのだ。

 けれども、そこでヤケを起こして「目にもの見せてやる!」とならなかったのは、「オレ自身がひょっとしたら前世で同じようなことをしたのかもしれない。それの償(つぐな)いとして、あるいはバランスを取るために、自らがそれを設定してこの世に生まれてきたんじゃないか」と自分を説得したからである。

 いろいろな戦い方がある。だが、たとえどんな戦い方で勝ったとしても、相手をやっつけたという気分に束の間ひたるだけで、失ったものは返ってこない。もしも心の空洞を埋められるとしたら、それは「自分が自分のためにそれを選んだんだ」ということだけではないだろうか。そういう視点が人々に定着していけば、少なくとも生きるのがラクになるだろう。そうして、世の中は変わっていくはずである。




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11月29日(金)、全36タイトルに増えました!

第242回 初体験は何歳?


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 上の図は戦前(大正8年)の学校系統図である(文部科学省「学制百年史」より)。今と違って進路が複数あり、多岐にわたっているのが見て取れる。とはいえ、当時ほとんどの人は、義務教育である尋常小学校を卒業したのちには、働きはじめたことだろう。

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 2つめの図は、昭和47年の学校系統図(文部科学省「学制百年史」より)。6・3・3制になってシンプルである。ただ、戦前との違いはそればかりでない。今や高校は当たり前、高校卒業後は半分以上の人間が大学・短大へと進学する。そのうえ、偏差値の高い有名大学に進もうと思えば、幼稚園からもうお受験が始まる時代である。

 就職難や失業率を考えれば、学歴がないと仕事にもありつけないという世の中の風潮がある。それは僕にもわかる。でも、そこに乗っからない生き方だってあるんじゃないかと思うのだ。

 僕自身はグレて学校も行かなかったから、そこに乗っからない生き方を続けてきた。ただ、それは育った環境がそうさせたというより、やはり僕自身がそれを選ばなかったからだと思う。それはビデオの仕事を始めて以降も同じである。僕の作品は「オナニー」も「性感」も「チャネリング」も、つねに王道からは外れている。いつも“空きチャンネル”を狙ってきたようなものだ。ただし、自分がワクワクして楽しめれば、見る人もきっとワクワクしてくれるはずだと思ってやってきた。

 たとえば100人いたとして90人が目指せば、それが主流になる。みんなと同じということで、安心感も生まれるのだろうが、そこでの競争はおのずと激化する。一方、残りの10人のほうに熾烈な競争はない。

 戦後の大量植林で、いっせいにスギやヒノキを植えた。特にスギが多い。その結果、どうなったのか。今、スギ山は大変である。いろいろな木が混在しているからこそ山は強いのだ。戦後の学校教育も、偏差値競争が知ることへの偏重と感じる力の喪失を招き、学歴盲信者を大量に生んだように僕には見える。

 では、今すでに主流の側にいてうまく行かない人はどうしたらいいのか? まったく別なステージで「行動」を起こせばいいのだ。新たな行動を起こしたときに、初めて何かが起きる。行き詰まるかもしれないし、失敗するかもしれない。でも、そうなってこそ、次にやるべきことが見えてくる。

 失敗と後悔、その中には必ず学びがある。言うまでもなく、それは体験をともなった真の学びである。もし人間が本当に成長しようと思えば、この学びをどれだけ得るかにかかっている。自分を責める必要など、どこにもない。

 失敗のない人生なんて、所詮は伸び切ったゴムみたいなもので、おもしろくないではないか。苦あれば楽ありというが、苦も楽もどっちみち同じ量だけ人生では経験することになる。ならば苦もまた楽しである。




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第241回 欲情のすれ違い

 いやらしい映像を見たり、直接さわられたりして、人は欲情する。でも、同じ映像を見てもいやらしいと感じるかどうかは人それぞれであり、さわられる相手によっては、欲情どころか嫌悪感しか湧かない場合だってある。

 このように外的要因に絶対はないけれど、脳のメカニズム的に見れば「性欲中枢」が刺激されれば必ず欲情するのである。性欲中枢は当然ながら男にも女にもあるのだが、男女で影響を受ける部位が違うといわれている。男は「摂食中枢」から、女は「満腹中枢」から影響を受けるのだそうだ。摂食中枢とは、空腹感や飢餓感を感じるところ。一方、満腹中枢は、満腹感や安心感を感じるところ。

 ええっ、空腹と満腹では真逆じゃん!という話なのだが、男の場合はハングリーなほうが性欲をかき立てられ、逆に女は満ち足りて安定しているときのほうがしたくなるということらしい。

 生きものとして考えてみれば、性欲はもともと子作りが目的だから、安定が脅(おびや)かされたとき、種の存続のためにもオスはいっそう種つけに励み、メスは環境が整ったときに身ごもりたいと欲するということだろうか。

 でも、それではオスとメスの欲情のタイミングは、つねに一致しないことになる。こっちがやりたいときに向こうにはその気がなく、こっちがやりたくないときに向こうから迫られても、それはお互い「ちょっと勘弁してよ」である。

 蔓延する夫婦のセックスレスも、このような脳のメカニズムから考えれば、それが当たり前と言えなくもない。夫は家庭内の妻には食指が動かず、バレたらヤバい外の女にわざわざチンチンを勃てる。妻のほうは家庭を持った時点である意味、安定を手に入れたわけだが、自分を女として見ない夫に愛想を尽かし、しかし欲情も後押しして、機会があれば外の男としてしまう。まぁ、結婚しても働いていたり、趣味の場や習い事やネットで知り合う可能性も格段に広がったわけだから、その気になれば今はそういう機会がたくさん身のまわりにあるだろう。

 そう言ってしまえば元も子もないというか、話は終わってしまうのだが、でもそれは「一夫一婦制にあてはめれば」という前提においてである。誤解を恐れず言えば、一夫一婦制であるかぎり、セックスレスは今後も増えつづけることになる。

 では、どうすればいいのか? 一夫一婦制は制度の側が作り出したものだと僕は思っている。かつてこのブログの「結婚の新しいかたち」という話で紹介した母系社会の“通い婚”ならば、男と女の欲情のタイミングも一致するはずである。

 母系社会の“通い婚”とは、男が女の家に夜だけ通ってくる。一緒に暮らすわけではなく、それは子どもが生まれても同様である。かといって、女はシングルマザーで子育てするのではない。母系社会だから、自分の両親や祖父母、兄弟姉妹もずっと同じ家で暮らしている。つまり、生まれた子どもは、その大家族の子であり、全員が親代わりなのだ。

 この場合、女は安定した状態でいられる。家庭を顧みない夫に一人孤独を味わうこともないし、舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)に気をつかうこともないのだから。それに対して男は、不安定だ。通い婚の場合、女が断ればそれで終わり。もちろん男のほうが女の家に行かない自由もあるから、お互いイーブンなのだが、一夫一婦制のように固定化していないぶん、通っていく男のほうがやはりハングリーな状態だろう。

 サイパンによく行っていたころ、現地の友人ができた。ビル、スタンレー、ピーターの3人。彼らは兄弟だが、ぜんぜん顔が似ていない。親しくなるにつれ、お母さんは同じだが、全員お父さんが違うのだと知った。お母さんはパラオの出身で、ビルたちのような母系家族がサイパンにもけっこういることがわかってきた。日曜の午後、食べ物や飲み物を持ち寄り、ビーチでバーベキューをするというので、僕も誘われて何度か行った。家族の中心にお母さんがいる。お父さんたちは少し離れた所にいるが、お父さん同士も仲がいい。親戚や孫たちも来ていて、みんなで食べたり飲んだり、海で遊んだりしている。お母さんが中心だからトゲトゲしさはなく、和気あいあいの時間がゆったりと過ぎていった。当時、こういうのもいいなと感じたものである。

 総務省の発表によれば、2010年、わが国のシングルマザーの数は108万人だという。3年前のデータだが、現在、それより減っているとはとても思えない。

 夫婦がうまくいってない、あるいは、うまくいかなかったという人は、自分や相手の非に目を向けるだけでなく、婚姻制度そのものが、もはや現状に合致していないんだという視点に立てば、また新たな風景が見えてくるのではないかと僕は思う。






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第240回 オスがオスであるために

 かつてヤップにハマッていたころ、帰国途中、グァムに2泊したことがあった。伸び放題だったヒゲを剃って、ビーチやプールサイドにいると「一人ですか?」とか「どれくらいいるんですか?」と女の子たちがやたら声をかけてきた。

 グァムに寄る前、ヤップにはたしか1カ月ほど滞在していたと思う。だから僕はずいぶん日に焼けていた。だが、モテたのは日焼けのおかげでもなさそうだ。なぜなら、日に焼けている男たちなら他に何人もいたし、僕自身、グァムでもっと黒くしたこともあったが、そのときは何も起こらなかったからである。

 きっとこれはオスの匂いだろうなと僕は思った。五感でいう匂いではない何かをメスが嗅ぎつけてやってきている。そのとき僕は何かを発していたのだ。

 今とは違い、当時のヤップはまだ未開の地で、海洋民族である島民たちは気性もなかなか荒かった。男はみな蛮刀を持っており、集落間の抗争で酋長の四男坊が殺されたとか、その報復には巻貝の毒が使われたとか……生々しい話し合いの場が持たれているときに滞在したこともある。さすがに日本人の僕らが抗争に巻き込まれることはないけれど、島全体の空気感というか緊迫感がミクロネシアの他の島々とは違うのだ。

 滞在していたベチョル村は遠浅のリーフなので、遠泳しようと思えばアウトリーフまで行くことになる。そこにはサメもいる。でも、サメよりも怖いのはダツである。ダツは細長い魚だが、特に両顎は前に長くとがっている。小魚のウロコが反射する光に向かって、ダツは時速60キロで突進してくる。そのスピードでダツにぶつけられれば、とがった口は人間の体にも深く刺さり、刺さった途端えぐるように回転するという。だからダツは、村の人々にも恐れられていたのだ。僕は気持よく泳ぎながらも、波を立てないように気をつけた。つねにダツのことが頭から離れなかったのである。

 危険なのは海の中ばかりではない。のどかな砂浜を歩いているときでさえ、危険を察知する感覚は養われる。ヤップには集落を囲むようにヤシの木が密集している。しかもこっちのとは違って、めっぽう背が高い。上のほうにはヤシの実が鈴なりだが、ちょっと強い風が吹けばドスーンと落ちてくる。数が多いだけに、それこそ5分か10分おきくらいに、どこかで落ちる。村人からも「これだけは気をつけろよ。俺たちは助けられないから」と言われた。そりゃ、そうだ。落ちたと思ったときにはもう地面に転がっている。「もし頭を直撃したら、きっと即死だよな」と僕らは話していた。

 その他にもあげれば切りがないが、こういう所で1カ月も暮らしていると、野性が出てくるというか、おのずと本能的になってくる。

 脳を、その進化になぞらえて3つに分ける考え方がある。(1)爬虫類の脳、(2)哺乳類の脳、(3)人間の脳などといわれる。(1)爬虫類の脳は、呼吸や心拍や血圧といった内臓器官を動かす、生命維持のための脳。(2)哺乳類の脳は、快や不快、恐怖や不安、怒りなどの情動をつかさどる脳。(3)人間の脳は、情報や知識を膨大に蓄え、それを論理的に組み立てる脳。

 先日、TOKYO МXテレビで戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長が石原慎太郎議員と対談をしていた。戸塚さんの持論は「脳幹論」というのだそうだが、対談においても盛んに「脳幹を鍛えなきゃいけないんだ」と言っていた。

 脳幹は、前述の(1)爬虫類の脳に属する。要するに、生きものとして根っこの部分である。戸塚さんの「脳幹論」では、現代っ子はこの大事な脳幹を刺激されないまま成長しているがゆえに生命力が弱くなり、精神力も弱くなったという。

 僕も、思考至上主義の現代においては、(1)爬虫類の脳や(2)哺乳類の脳がとかく軽視されてきたように思える。ヤップでの1カ月は、戸塚さん言うところの脳幹をはじめ大脳旧皮質や大脳古皮質、つまり(1)爬虫類の脳や(2)哺乳類の脳を駆使することによって、僕は野性的になっていたと思うのだ。


 これらを鍛えるには、そこを使わざるを得ない状況を作ってやるのが早い。たとえばヨットやサーフィン、ウインドサーフィンといったマリンスポーツは、つねに海という自然の脅威に身を置くことになる。とりわけサーフィンは、それに加えて腰を鍛えることにもなる。また、ロッククライミングなども重力という脅威と隣り合わせであるからオススメである。

 いずれにしても、いつも安全な場所に身を置いて、体を動かさず、汗もかかず、机やパソコンに向かっているだけでは、どんどん野性は退化してゆくことだろう。

 オスがオスでなくなっている。それをメスたちはたしかに感じ取っているのである。





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第239回 初体験は何歳?

 先月、「ザ・面接」で元アナウンサーを撮った。短大卒業後、地方のテレビ局に就職し、5年間アナウンサーをしていた子だ。ローカル局だが、その地方の人ならば、きっとテレビで見かけたこともあっただろう。

 その子が撮影現場で漏らした局アナ時代の性体験は、僕もちょっと驚きだった。プロデューサーの面接資料には、体験人数30人とあった。特に多いという感じはしない。ところが彼女は、アナウンサーをしていた5年間だけで、実際には200人近くしたと言い出したのである。仕事がらみの飲み会があれば駆り出されて、多いときには1日に5人相手したこともあると。

 ローカル局が大変なのは話としては聞いていたけれど、もしこれがスポンサーたちへの“枕営業”だとすれば、まさかここまでとは思わなかった――というのが正直な感想である。彼女の言い分を額面どおりに聞けば、「そういうのが耐えられなくなって、テレビ局を辞めた」そうである。でも、それでアダルトビデオに来るというのも、どうなの?とは思うけど。

 いくらなんでもローカル局の女子アナたちが、みんなスポンサー相手にセックスしてるわけはないので、おそらくこの彼女自身、200人近くとのセックスを楽しんでいた部分もあったはずだと僕は思った。

 なぜならば、彼女は小学校6年から兄の持っていたAVを毎日のようにこっそり見てオナッている。初体験は中学1年。相手は女友達のお兄さん。中学2年のときには49歳の塾の先生ともしている。アナウンサー時代のオナニーのイメージは、会社の取引先の人に手縛りや目かくしをされて無理矢理っぽく……だそうである。

 中1という彼女の初体験は、今回出演したメンバーのなかでは最も早い。性的虐待やレイプ体験などは別にして、初体験が早いと、セックスに対する抵抗感がなくなる傾向がある。そんなことを考えているうちに、女の子たちは何歳で初体験を迎えているのか――という、これまであまり気にしてこなかったことが、僕は急に気になり出した。

 プロデューサーはほぼ毎日面接しているが、初体験はどの子にも必ず訊く質問の1つである。先述のとおり、体験人数が多い場合、少なめに言う子はいるものの、初体験についてはプロデューサー資料と現場の本人発言で食い違ったという記憶がない。古い資料はすでに処分してしまっているけれど、いま事務所に残っているものだけでも、かなりの人数にのぼるはずだ。そこで僕は過去の記録をひっくり返し、初体験の年齢を集計してみようと思った。


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 全体数としては3,293人。いちばん多いのは16歳の755人(全体の22.9%)。13歳から3ケタに増える。中学に入ってから初体験を迎える子が増えるということだ。13、14、15歳で体験する子が1,064人(32.3%)。16、17、18歳で体験する子が1,680人(51.0%)。合わせると2,744人(83.3%)。これが21歳になると2ケタに減る。今回集計した3,293人のなかに処女はいないけれど、それ以前にはわずかだがいた。「ザ・面接」シリーズにも1人出ている。

 16歳がいちばん多いというのは、僕がイメージしていたよりも早かった。高校1年か、人によっては2年だろう。まぁ、ビデオに出ようと思っている子たちだから、世の中全般の初体験年齢よりは総じて早いのかもしれない。

 淫行条例というのがある。それぞれの地方自治体が定める青少年保護育成条例の中にそれはある。ここでいう青少年とは18歳未満の未婚の男女。だとすると、17歳以下のセックスはすべて淫行なのかということだが、民法では16歳以上の女性の婚姻を認めているから、恋人同士がするぶんには16歳になっていればいいということだろう。

 ただ、3000人分の資料を見るかぎり、初体験の相手は「彼」「先輩」「友達のお兄さん」が多いものの、かなり年の離れた男性もちょくちょく見かける。たとえば「塾の先生」「学校の先生」「部活のコーチ」というように。発覚すれば大騒ぎになりそうなケースも少なくないのだ。

 ところで、年の離れた男たちが初体験のお相手となると、同世代の男は何をしてるんだろうという疑問も湧く。男については、さすがに面接資料もないわけだが、女の子を通して見えてくる男たちは、どうも生きもののオスとして元気がない。男が草食化していくのは、平和が続いて、性闘争本能が弱まったからだと以前に書いた。今もそれは一因として僕の中にあるのだけれど、脳に関する本やネットの記事を読んでいて、「なるほどなぁ」と近ごろ思ったことがある。次回は、それについて書こうと思う。




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