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第89回作品の力

 10月21日にリリースされる「ザ・面接 VOL.117 キャンギャル OL オペラ歌手 肛門様のドリル舐め」の編集とMAを終えて、自分で言うのもなんだが、かなり力のある作品になったと思う。

 「ザ・面接 VOL.110」から審査基準に「瞬間恋愛指数」を取り入れることにした。そこからすでに8本を撮ったわけだけれど、この「瞬間恋愛」に男優たちがだんだんハマッてきた。まず、これが作品に力を与えている。

 通常AVの現場で男優たちは、恋愛感情なく、もちろん相手の了解もなく、仕事としてのセックスをする。そういう環境下で長いあいだ男優を続けていると、いきなり「恋愛しろ」と言われても、どうしたらいいのかわからないというのが本音だったのではないだろうか。

 それが回を重ねるごとに、男と女のセックスに当然欠くことのできないものが何なのかに彼らは気づき、それを楽しみ出したように僕には見える。

 このような男優たちの変化に加えて、僕自身、本来のエネルギーも戻ってきたのを感じている。僕が約5年間、うつで苦しんでいたのは、このブログでも書いた。それがやっと抜けたと自分で思ったのは、一昨年の8月のある日、朝勃ちをしたからである。朝勃ちで判断するとはいかにもAV監督らしいと思われるかもしれないが、うつとは生命活力が減退するので食欲も性欲も湧かない。実際、朝勃ちなんて、僕は何年も忘れていたのだ。

 さっそく主治医に「先生、俺、朝勃ちしたよ!」と勇んで報告したら、先生は苦笑し、「でも、これからがいちばん危ないときですから」と釘を刺された。ご存じの方も多いと思うが、うつのどん底にいるときには自殺する活力すらない。ちょっと元気になった頃がむしろ危ないといわれている。

 多いときには8種類の薬を処方されていた僕が朝勃ちを報告したとき、「この2種類の薬は今まで飲んでいたものの10分の1程度にしかあたいしないので、これだけは続けてください」と先生から言われた。

 僕は今でも薬をもらいに医者に通っている。2カ月か3カ月に1回は検診も受けている。きっと最低限の抗うつ剤や導眠剤のお世話には、これからもなるのだろう。でも、それはそれでいいのかもしれないと思っている。若い頃は薬なんかに頼りたくないと思っていた。でも、もう72歳なのだ。若い頃と同じようにはいかない。そのぶん、外部からの潤滑油を足しても、それはそれでいいのではないだろうか。そう思ったら、自分でも気持ちが楽になった。

 僕の毎日の目覚めは、ベッドの中の呼吸法から始まる。みなさんもやってみたらわかると思うが、目覚めたばかりで、思いっきり息を吸おうとしても、ふだんの30パーセントくらいしか吸えない。最初の頃、僕は無理してでも100パーセント息を吸い込もうとしていたのだけれど、あるとき気づいた。腹式呼吸において横隔膜がいつものように下がっていかない。

 2分、3分、5分、10分......と続けていくうちに、息はどんどん深く入っていくようになる。横隔膜で肺を引っぱっておいて、内臓を押し下げいっぱい入ったところで、大胸筋を使って肺を開いてあげる。そうすると100パーセントの吸気が入ってくる。同じ呼吸でも100パーセント入るのと、30パーセントしか入らないのでは、体の免疫力も違ってくる。100パーセント入るようになったら、ベッドの上でそのまま腹筋や背筋などのストレッチを行う。

 このように、うつになる前から続けている呼吸法を、うつがひどかったときも、そして今も続けているおかげで、一部、薬の世話にはなっているものの、以前のエネルギーが戻ってきた。これで、瞬間恋愛にハマッてきた男優たちともガチで勝負ができるんじゃないかと。休憩時間、男優たちに「つまんねぇカラミなんか見せんじゃねーぞ!」とハッパをかけている手前、僕にはエネルギーが必要なのだ。

 次回は、女性の感度と呼吸の関係ついて少し書いてみよう。



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テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第88回 死んだ男が残したものは

 昨年9月、長野に住む友人が急死した。名を湯本という。まだ59歳だった。湯本はずっと医者を信用していなかった。幼なじみである呉服屋の旦那が、亡くなる前日、湯本が横になって扇風機にあたりながら脂汗を流しているのを見て、湯本の母親に「お母さん、救急車を呼ぼう」と言ったら、「呼ぶなっ! 医者なんて俺は信じてないんだ!」と当の本人が鬼気迫る形相で言うので、結局、救急車も呼べなかった。

 僕が湯本と最初に会ったのは、昔なじみのカメラマンに事務所開きのお祝いを届けたときだった。真新しい事務所で、そのカメラマンは「愛染恭子で1本撮ったら」と僕にすすめた。僕のプロダクションにいた愛染が武智鉄二監督の「白日夢」に主演し、ちょうど話題になっていた頃の話である。

 僕とカメラマンのやりとりを湯本は横で聞いていた。彼も僕と同様、お祝いをカメラマンに届けに来ていたのだ。初対面の湯本に「何をしているんだ?」と訊いたら、「イベント関係を......」と答えた。当時デパートの屋上や遊園地では着ぐるみのショーが頻繁に行われていたが、いくつかのキャラクターの権利を湯本は持っていたようである。

 その数年後、湯本は僕にジャイアント吉田さんを紹介し、「サイコ催眠エクスタシー」を撮らせた。このシリーズは、それまでセルしかなかったアダルトビデオが初めてレンタルというシステムで世に出ていく第一陣であった。AVメーカー各社が安価で借りられるレンタルシステムに首を縦にふらないなか、湯本は東奔西走し、僕にも声をかけてきたのである。

 かつてこのブログで「YANNI TRIBUTE」を紹介したが、ヤニーを僕に教えたのも湯本だった。そのころ湯本はヤニーを日本に呼んで、姫路城でコンサートを開こうとしていた。その企画は実現しなかったのだが、ヤニーに限らず湯本の話の多くは規模がデカかった。ところが、それは話だけで、ほとんどが実現しない。取らぬタヌキじゃないが、金額だけなら1兆2兆の話をしょっちゅうしているから、みんなからは「豆腐屋」と呼ばれていたくらいだ。

 話だけで済めばまだしも、そこにはお金のやりとりも介在し、でも企画はいつしか頓挫していて、出した側にそのお金は戻らない。そんな不義理がだんだん溜まっていった。結局、湯本は東京にいられなくなり、亡くなる2年半ほど前、生まれ故郷の長野に戻った。

 湯本からは桃や蜂蜜が送られてきて、「一度、長野にも遊びに来てよ」と何度か電話もかかってきた。でも、彼は僕に対しても不義理をしていたので、ついぞ「行く」とは答えなかった。「俺は長野なんか行かないよ。おまえがまともになって、畑のひとつでも耕し、収穫して、ちゃんと地に足がついたら行くよ」と、僕はその都度、同じ答えを返していた。

 今回、新盆には間に合わなかったが、一周忌の墓参りに友人たち5人で長野に出かけた。湯本の実家は湯田中温泉の中にあった。泊まった旅館「あぶらや燈千」には客室に露天風呂があり、源泉掛け流しで湯があふれている。とてもいい湯だった。板長がわざわざ部屋まで挨拶に来てくれたのにはびっくりしたが、話を聞けば彼は僕のファンで、かつて湯本に頼んで僕のサインをもらったことがあると言う。

 夜には、幼なじみの呉服屋の旦那も来てくれて、湯本の思い出話に花が咲いた。そこで初めて知ったのだが、湯本のお祖父さんの代には、この湯田中温泉の源泉のほとんどを湯本家が持っていたという。それを湯本のお父さんと湯本がすべて売り払ってしまった。

 お祖父さんがあまりにも偉大で、地元ではどこに行っても、大地主であったお祖父さんを引き合いに出される。湯本はそのお祖父さんをどこかで超えたいとずっと思っていたのだろう。慶應大学に入学すると偽り、東京に出てきてからも学校には行かないまま、金だけを送らせた。しまいにお母さんが送金しなくなると、自分が勝手に源泉を売ったり、むちゃくちゃしている。あげくの果て、切る札ビラもなくなって、あちこちで不義理を重ねた。

 また、呉服屋の旦那はこんな話もしてくれた。朝市の場所があまりよくないので、湯本は「ここがいいんじゃないか」と言って、長野電鉄と交渉し、駅のすぐ横の広場に場所を移させたらしい。湯本のことだから「おまえんとこは、朝市にブドウとプラムを出せ」と半ば強引に始め、ひょっとしたらかすりも取っていたかもしれない。声をかけられたほうも断るに断れず、つきあいでしぶしぶ従ったのかもしれない。でも、仮にそうだとしても、湯本が亡くなり、結果的には自由に駅横の広場で商売できる形が残った。

 生前、湯本に「畑のひとつでも耕せ」とくり返し言ってきたけれど、彼は違う形でそれを実現させようとしていたのかもしれないと僕は思った。実は亡くなる2カ月ほど前、湯本はふらりと僕の事務所にやってきた。「助監督に映像のことで教えてもらいたいことがある」と彼は言っていたけれど、長野に戻って以降の再会はそのときが初めてであり、また生きている彼に会うのはそれが最後になった。

 なぜ湯本は、あの日なんの連絡もなく突然やってきたのだろう。口が達者で、うまい話に誘い込むのは誰よりも上手いくせに、その素顔は子どもがそのまま大人になったような、寂しがり屋で不器用な男。事前に「事務所に行く」と言えば僕から断られると思って、無理矢理、用事をでっち上げたのかもしれない。朝市の件でも「自分はこんなに頑張っているよ」と本当は伝えたかったのだろうか。

 湯本はみんなに自分を認めてもらいたかったのだろうと思う。たしかに彼はいいものを見抜く眼を持っていた。でも、詰めが甘いから、時の仏と場の仏が味方をしなかった。僕との長いつきあいでも、形になったのは「サイコ催眠エクスタシー」だけである。

 しかし、そのたったひとつで、僕は催眠を勉強することになり、それはその後、僕の作品全体に影響を与えた。また、このとき湯本が引き合わせてくれたジャイアント吉田さんは、今でも僕のかけがえのない友人だ。一緒に深夜まで酒を酌み交わした呉服屋の旦那も、挨拶に来てくれた板長も、こうして長野に墓参りに来た友人たちの何人かも、思えばみんな湯本がつないでくれた人間関係だったのである。

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第87回何歳まで監督を続けるのか?

 「何年もセックスを撮りつづけてきて、実際のところ、飽きたりはしないんですか?」と訊かれることがある。

 たしかに同じことをくり返していると、慣れが生じる代わりに、新鮮味は失われる。するとドキドキ感やワクワク感もなくなり、人は飽きてしまう。で、僕はどうなのかというと、これが飽きないのである。

 たとえば「ザ・面接」シリーズでは、冒頭で順番を決める男優のクジ引きがある。これは以前にも書いたように、男優に事前の準備をさせず、ぶっつけ本番に持ち込むためである。

 とはいえ、この子だったらこの男優が合うだろうなぁとか、この2人を組ませてこの子にぶつけたら盛り上がりそうだなぁというのが、僕自身ないこともない。実際クジ引きで組み合わせが決まった途端、そのミスマッチぶりに内心マズイと思うこともあるのだ。

 でも、結果的に功を奏するにせよ、窮地に追い込まれるにせよ、決めていないからこそ、僕はドキドキするしワクワクするのだ。いつもベストマッチの組み合わせをしていたら、失敗もしない代わりに、僕自身は撮っていて、きっとつまらなくなるだろう。

 さらに僕の場合は、出演するほとんどがビデオは初めてという主婦だったり、OLだったり、学生だから、当然ながらいつも初対面である。その子たち一人ひとりは性格も違えば、生きざまも異なる。それに向き合ったとき、「へぇ、こんな女の子がいるんだ」とか「こんな人生もあるんだ」という驚きや感動、場合によっては怒りが湧き起こる。

 しかも、本当はだれにも見せたくない自分の悩みや秘め事を、彼女たちは僕の前で吐露してくれる。なぜ吐露してくれるのかといえば、彼女たちの心が負った傷と僕の心の傷とが共鳴しているからかもしれない。だから現場には、信頼関係がもたらす心地よさが満ちている。そして女の子を癒しているようで、その実、僕のほうが癒されているのである。

 このように、僕にとっては毎回が新しい出会いなので、次にはどんな女の子に会えるのか、その子は何を聴かせて、そして見せてくれるのかと思えば、飽きるどころではない。まぁ、あとは体力の問題だけである。歳とともに持久力はだんだん落ちてくるから。

 歳といえば、「何歳までアダルトビデオを撮りつづけますか?」という質問もしばしば受ける。ある時期までは雑誌の取材などで訊かれると、「55歳くらいかな」と答えていた。適当な返事で失礼だとは思いつつ、でも、いくつまでやっているかなんて、僕自身だってわからない。

 「55歳」に特別な意味があったわけではなく、AVに対する世間の風当たりも強かったから、僕がいろいろ言われるのは仕方がないにしても、娘たちが思春期になる頃にはやはりやっていないほうがいいのかなぁ......と漠然と考えていた。だから、何か答えなければと思ったとき、その年齢が口を突いて出たのかもしれない。

 で、その僕は今もう72歳である。この先いくつまでやっているかなんて、相変わらずわからない。先月のことだが、「チャネリングFUCK 悪霊と精霊たち」という作品に出た女の子が、久しぶりに事務所に遊びにやってきた。霊媒体質の彼女が、帰り際、訊いたわけでもないのに、ふと予言めいたことを口にした。

 「監督、80歳まではやっているのが見えるよ」。「そうかい、そこまでやらなきゃいけないのかい」と僕は笑った。でも、もし本当にできるんなら80まではやってみようかな......と思った。



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第86回 この世でいちばん大事なものは?

 表題の質問を10代男性にしたところ、1「お金」(28.7%)、2「人脈」(18.8%)、3「才能」(15.5%)、4「愛」(13.6%)、5「夢」(11.1%)の順だという(ニワンゴのネット調査。1万7783人が回答。2010年7月24日実施)。

 10代にして「人脈」が2位かよ......と呆気にとられつつ、僕らが10代の頃なら、嘘でも「愛」とか「夢」とか答えていそうなものなのに......と思った。現在の10代が答えたトップ3の「お金」「人脈」「才能」は、自由競争というか弱肉強食の象徴のように映る。

 戦後、僕たち日本人はあまりにも貧しかったから、米兵からもらったチョコレートや缶詰を生まれて初めて口にし、えも言われぬ美味しさからアメリカの快適で近代的な生活を想像した。以降、それを実現すべくアメリカに追いつけ追い越せでやってきたのだ。

 結果、物質的な豊かさは僕たちのまわりに溢れた。今どき缶詰など、犬や猫でも、大してよろこんではくれないくらいに。そして僕たち人間のつながり感は、どんどん希薄になっていった。増えつづける児童虐待も、昔だったら隣近所の人間が黙ってはいなかっただろう。それくらい人と人とはつながっていた。それが今や居場所はおろか、生死もわからぬ高齢者が全国で何百人もいるというのだから......。

 かつて僕の作品に出演した女の子から、先日、こんな話を聞いた。彼女は介護の資格を取り、老人介護施設で働いているのだが、ある企業が韓国に大規模な老人ホームを建設したところ、まったく経営が成り立たないのだと言う。

 韓国が高齢化社会に突入したのは、すでに8年前の2002年だそうである。にもかかわらず、現在、老人ホームの入居者が集まらない。儒教の教えから親を敬う姿勢が根づいていて、家族がおじいさんやおばあさんの面倒を見るのは当たり前だという国なのだろう。

 日本も韓国も、戦後の荒廃から立ち上がり、ともに劇的な経済成長を遂げ、現在は発展も一段落した国であることは共通している。景気のいいときというか、発展途上には海外旅行に行ったり、家を建てたり、物を買ったり......と、たしかにそれはそれでよかったのだけれど、それが弾けたときにいったい何が残っているのか? 老人ホームの話ひとつ取っても、韓国には今なお家族の絆が生きているように思う。

 児童虐待と老人介護という両極の例を引いたが、僕はこれまで多くの女の子の内面を覗いてきて、やはり家族の絆こそが、その人の土台なのだと思っている。人間同士の信頼関係、人を愛せるか、それ以前に自分を愛せるか......そこには幼い頃から親に愛されてきたのかどうかが深く関わっている。

 韓流ドラマは今も根強い人気があるようだ。韓流ドラマの多くは、日本のドラマと比べて登場人物たちの感情がダイレクトに現われている。場合によっては、ちょっとクサイくらいに。

 それにひきかえ僕たち日本人は、つながり感の希薄さと相まって、自分の感情をも封印する傾向が強くなってきた。これまでのブログでも書いたが、現場で出会う女の子たちの中には、恋愛のできない子が増えている。感情を封印したまま、本当の恋愛やセックスなどできるはずがない。

 冒頭の意識調査で、2位の「人脈」も3位の「才能」も、要するに1位の「お金」を得るための手段に見える。しかし、いくらお金を手に入れたところで、人間は人間とつながれないかぎり幸せにはなれないのだとつくづく思う。競争社会を勝ち抜き、覇者となっても、結局ひとりでは生きていけない生き物が人間なのだと。

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