週刊代々木忠
いまこの瞬間の代々木忠の想いが綴られる
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第336回 SM
「愛と性の相談室」に見えたある女性は、セックスでイッたことはないけれど、かつてSMをしたとき、胸や局部をさわられていないにもかかわらず、縄でぐるぐる巻きにされ肩をつかまれているだけで、涙があふれ、体の震えが止まらず、足がガクガクして、くずおれるほどの快感というか、安心感というか、解放されたような、それまで経験したこともない感覚を得たと言う。
今回はSMの話である。僕がビデオで初めてSMを撮ったのは「ザ・オナニー」の翌年(1983年)だから、30年以上前になる。知人からひとりの縄師を紹介してもらった。彼はストリップ劇場のSMショーブームの火つけ役ともなった人物だ。当時、僕がSMに興味を持ったのは、女の子がセックス以上にのめり込んでいる姿を見たからだった。縄で吊るされたり、鞭で打たれても、「先生、先生」と慕っていく。「SMの快感たるや、ふつうのセックスの比じゃない」と語るMの女の子たち。彼女たちはオーガズムを体験したのだと思ったし、未知なる世界を僕はのぞいてみたくなった。
SMにハマる人は知的レベルの高い人が多い。社会的な地位もある。「ふつうのセックスよりも人間同士のつながり感は深く、SMのほうが高尚なんだ」と言う縄師は多い。実際、有名な縄師は世界を股にかけて歩いているし、緊縛はひとつの芸術とまで見なされている。むろん日本の緊縛の文化は世界に冠たるものだと僕も思う。
けれども、オーガズムとは何かを追求しながら女の子と向き合い、そのなかでSMも何作か撮っていくうちに、Mの子たちが体験しているのは本当にオーガズムなのだろうかという疑問が湧いてきた。オーガズムのひとつの特徴は、相手に自分を明け渡すことにある。Sの命令ならば、たとえそれがどんなに過酷であろうとMは受け入れて耐える。これは果たして「明け渡し」なのか?
「明け渡し」のように見えて、これは「服従」ではないのか。オーガズムでは、その後の生き方を変えてしまうほどの気づきが起きる。ところが、SMにおいてはどんどんのめり込んでいくだけだ。行き着くとこまで行けば死んでしまうんじゃないかと思うくらいに。Mは「こんなことまで受け入れる私」に酔い、Sは「相手をこんなに征服している」と自らのエゴに栄養を与えている。どちらも「自己陶酔」であり「自己満足」だから、互いの心がつながっているわけではない。
冒頭に書いた「SMで縛られて涙があふれ、解放された」と言う彼女にも、30年前ならば「そうなんだ、凄いなぁ!」と思ったかもしれないが、今回は「それはオーガズムとは別物だよ」と思わず言ってしまった。そもそも彼女の相談は「どうしたらオーガズムを体験できるのか」ということだったから、SMのときに味わったあの感覚がじつはオーガズムでないことも本人は気づいていたようだ。一方で、いまだセックスにあの「感覚」を求めているのも見て取れる。
SもMも相手に対して虚像を作っていく。心が共鳴し、心情をシェアしているわけではないので、それはあくまでも頭の中で作り出したものだ。なので、いつかは現実とのズレが生じる。それでもSとMの関係が継続していく裏にはお互いが虚像と気づきながらも暗黙のうちにそれをよしとしている向きがある。相談に来た彼女にそれを話したら、それも否定はしなかった。また、以前僕の作品に出て、いまSMにハマッている女の子に同じことを指摘したとき、彼女は「だって自己完結だもん!」とあっさり認めた。
とはいえ、僕はSMを否定するつもりはない。過去に虐待を受けたり、それがトラウマになっている子の場合、SMという上下関係はある意味必然でもあると思う。SMでしか人と関係を結べないということは、換言すれば、SMならば関係を結べるということだ。
相談に来た彼女は、生きていくうえで自分を支えてくれる精神的な拠りどころを求めているように映った。それは幼少からの家庭環境も影響しているかもしれない。SMで得た解放感も、彼女には必要だったのだ。だが、心の拠りどころを内に求められれば、信頼できる自己が育てば、彼女はSMからも卒業して次のステージに行けるように僕には思えた。
2015-12-11(00:00) :
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