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第238回 祭りと友と商店街

 北海道にいる娘が孫2人をつれて泊まりに来ていた。ちょうど隣町の祭りがあり、「なつかしいから、子どもたちをつれて行きたい」と言う。そこで僕も一緒に4人で出かけた。

 家を出て、ほんの20、30メートル行ったところで、太鼓の音が聞こえてくる。つづいて、お囃子(はやし)の音も。僕は祭りが好きである。あの音を聞くとワクワクしてくる。音のする方向へ4人で歩いていくと、次の辻で一行に遭遇した。

 先頭は、背に「神」と書かれた白装束のおじさん。そのあとに子どもたちが太鼓車を引っぱっている。大きな和太鼓が1張乗っているだけなので、大人なら2人もいれば、子どもでも10人くらいで充分そうだが、すでに40、50人の子どもたちが長い引き綱をつかんで歩いている。上の孫もすぐにそれに加わる。

 ドーン、ドーンと打ち鳴らしながら進んでいく太鼓は「来るぞー!」とまわりに告げる露払いか。そのあとに、笛や太鼓といったお囃子を乗せた山車(だし)がつづき、最後は大人たちが担ぐ神輿(みこし)だ。

 で、一緒に出かけた娘はといえば、行く先々で幼なじみに出会い、話に花が咲いている。娘が通った小学校・中学校の、ここは学区内なのだ。久しぶりに会った同級生たちと「わー!」とか「久しぶり!」とか「私、子ども3人なのよ」「うちは2人!」とか、とにかく大盛り上がりで、一緒に行った僕のことはとりあえず忘れている。

 その光景を見ながら、僕はよそ者だが、娘はここが地元なんだよなぁと思った。娘は夫の転勤で2年東京を離れているけれど、ずっとここで暮らしていたとしても、ふだん同級生と会うことはそれほどなかっただろう。こういう機会でもなければ。

 太鼓車を引っぱっていた子どもたちは、駅前で福袋のようなご褒美をもらって解散になった。そのあとは、神輿がこの地区の氏神を祀る神社に向かって商店街をのぼってゆく。
 会社では大人しいサラリーマンも、家事や育児に追われる主婦も、お店をやっているダンナもオカミサンも、神輿を担ぐこのときばかりは血湧き肉踊り、真剣そのものの形相。お互いの肩書きは消え、オスとメスの本能がほとばしっているように僕には見えた。それを見ている6歳の孫も、目が輝いて高揚しているのがわかる。

 今は、全国のいたるところで“シャッター通り”と化した商店街を見かけるけれど、ここの商店街は珍しく活気に溢れている。祭りを見ても、地元への愛着と誇りのようなものを感じる。その団結は、きっと地域のコミュニケーションが健全で、昔からあった人間関係が商店街とともに生きているということなのだろう。

 そして、たとえふだんは忘れていようとも、この地域の中心にはまぎれもなく神社の存在があるということなのだ。かつては、日本のどの町や村でもそうであったように。





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第237回 秋の夜長

 30年ほど前は、仕事が一段落ついた9時10時からでも、友人たちと飲みに出かけた。友人の多くが鬼籍に入ったのもあり、今は仕事帰りに誰かと飲みに行くことはめったにない。仕事自体も昔のように深夜や明け方までぶっ通しでやることはなくなった。

 その代わり、夜、僕は自分の時間を持てるようになった。日によって帰宅時間は前後するけれど、帰って、風呂に入って、食事が終わるのがだいたい10時前後である。それから僕は2匹の犬たちと一緒に庭に出る。

 広い庭ではないが、庭を囲むようにウッドデッキが家から張り出している。そこなら犬の足もそんなに汚れない。僕もウッドデッキにそのまま座り込む。で、何をするかというと、特に何をするというのではなく、犬と戯れたり、月や星を眺めたり、気が向けばストレッチや腹式呼吸をしたり……。

 話は変わるが、わが国のネット依存者は、中高生で50万人以上、成人で270万人以上と推計されている。現代はネット社会だから……などと言ってはいられない状況がある。

 ネット依存が引き起こすのは、睡眠障害やうつ症状といったメンタルのトラブルだけではない。視力や筋力の低下、骨粗鬆症、長時間のオンラインゲームでは脳血栓や心不全で急死するケースまであるという。

 僕はネット依存ではないけれど、1日じゅうパソコンでビデオの編集をしていると、これは体に悪いなぁと実感する。じっと同じ姿勢のまま動かず、長時間同じことをしているのは、ネット依存者と共通するものがある。

 しかも、事務所を出たとき意識を切り替えたつもりでも、頭の中には編集の仕事が残っている。考えていないようで、まだ考えている。つまり、“今ここ”にいない状態なのである。

 それに対して、庭で犬と遊んでいるとき、ストレッチをしたり、腹式呼吸をしているとき、僕は“今ここ”にいる。加えて、月や星という遠くを見ることは、パソコンのモニターという近くばかりを見ていた眼球を緩めるというか、休めているのだ。

 夜のすごし方として、僕は自分の部屋で民族音楽を聴くのも好きである。YouTube で検索すれば、いろいろな民族音楽に出会える。たとえば今気に入っているのは「FOLI」。見ていただければわかるが、ここには生活があり、その生々しさの中に僕は懐かしさを感じる。

 ずっと昔、僕らの祖先が生活を始めたころ、やはりそこには音があったはずだ。音楽のリズムというのは、こういうところから生まれたんだなぁと思う。民族音楽を聴いていると、リズムに合わせて体も動いてくる。そうして自分の中で滞(とどこお)っている何かが中和されていくのを感じるのである。

 部屋でテレビを見る夜もある。ケーブルテレビに「アニマルプラネット」というチャンネルがある。世界最大級の動物エンターテインメントチャンネルだが、なかでも野生動物ものをよく見る。

 たとえば、草食動物はエサとなる草を求めて3000キロも旅をする。その途中で、弱いものは肉食獣に食われ、ついてこられないものは群れから置き去りにされる。そこには「生きる・食べる・死ぬ」が記録されている。

 見ていると、僕ら人間が彼らの世界からいかに遠く離れてしまったかと思わざるを得ない。出過ぎてしまったと言ってもいいかもしれない。

 庭も、民族音楽も、野生動物も、共通するのは自然である。日々なんらかの形で自然にふれることで、僕は安心できるし、落ち着くのだ。それがいつの頃からか、心地よい自分の時間になった。歳をとったということかもしれないけれど……。





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第236回 あっぱれ!

 少子化が叫ばれて久しいが、先日、監督面接で会った女性(37歳)は子どもが6人いるという。いちばん上が中学生で、下はまだ幼稚園前。出演動機は、子どもが多いので生活費を稼ぎたいとのこと。ご主人の給料は月40万。今どき少ないとは言えないものの、子ども6人ともなれば大変だろう。このように主な動機はお金だが、「AVを見てると楽しそう」とも言う。

 職歴を訊いていくと、20代のころにヘルス、ピンサロ、ランジェリーパブに勤めている。そして、2カ月前からヘルスに復帰した。これもお金が目的らしい。もちろんご主人には内緒である。

 しかし、ここまで読まれた方は、AVにも興味があるし、収入を得る手段として風俗を選ぶくらいだから、ダンナさんとはセックスレスか、してても回数が少なくて欲求不満なんだろうと思うかもしれない。たしかにビデオに出る主婦で、「子どもができたら、しなくなった」「してもおざなり」とこぼす人は多い。

 ところがである。彼女いわく、ずっと夫婦仲はよくて、現在も週3回はしているというのだ。週3といえば、ほとんど1日おきのペースである。「自分から行くの?」と訊いたら「私から行くこともあるし、ダンナのほうから来ることもあります」。敵わねえなぁ……と僕は思ってしまった。だが、彼女は「私たちの間ではこれがふつうで、ちょうどいいんです」と言う。

 しかも、彼女もご主人も、最初から子どもはたくさん欲しいと思っていたそうで、ずっとゴムなし。今は7人目ができてもいいと。この少子化時代に、もう表彰ものだと僕は思った。

 けれども、驚くのはまだ早い。現在、彼女にはセフレが5人いる。内訳は20代2人、30代2人、40代1人。彼らとだいたい月5回(1人平均1回)はしてるという。さらには、オナニーが週2回。とても体ひとつじゃ足りない感じだ。僕は思わず「何食ってんの?」と訊いてしまった。

 では、話してみた彼女の人となりはどうなのか? これが、いたって“ふつう”なのである。常識を備えているし、偏った考えにとらわれていないし、会話のキャッチボールは心地よく進む。見た目からは、とてもそんなにセックスしてるとは誰も思わないはずだ。かといって、自らの欲望を持て余し、悩んでいるわけでもないから、セックス依存症ではないだろう。

 ダンナと子どもがいながら、5人もセフレをつくり、ヘルスで働き、ビデオにも出たいと言う。ふだんならば「それってどうよ!?」と言いたいところだが、彼女と話していて、なぜか否定する気持ちにはなれなかった。もう超えちゃってるというか……。

 女性は歓びを知ってしまうと、本当は毎日でもしたいと思う。男も若いときにはそうであったように。ところが今は、男も女も“したくない子”が増えている。それは生きものとしての生命力が衰えてきているようにも僕には映る。だから、セックスが好きで、実際これほどしている彼女は、人間の本来あるべき姿なのかもしれないと思うのである。

 そんな彼女が、現場ではいったいどんなセックスするのだろうか? 僕はそれが見てみたいと思った。




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第235回 老いない魔法

 夏には気の合う友人たちと千葉の別荘に出かけるのだが、今年は女房の具合が悪かったり、看病疲れから僕が風邪を引いたりで、行けないままになっていた。朝夕秋めいてきて、友人からは「そろそろどうですか?」の声もかかり、女房の具合も落ち着いていることから、先日、男5人、3泊4日で行ってきた。

 メンバーはいつもの顔ぶれで、下が50代後半、上が77歳のジャイアント吉田さんだ。若者はいない。さすがにみんなこの歳なので、老眼鏡や遠近両用の世話になっていると思いきや、最年長の吉田さんは新聞や雑誌を読むのにも眼鏡を使わない。老眼鏡がなくても、あの小さな文字が見えるのだ。

 目だけではない。これまで虫歯で歯医者に行ったことはあると言うが、77の今なお、全部自分の歯である。これって、凄くないだろうか? 残りの4人は、アンチエージングの秘訣を吉田さんから聞き出すことにした。

 彼は若い頃から「体が資本だ」と考えており、武道をたしなみ、ずっと体を鍛えている。今も週に2日はスポーツジムに行く。たしかに長年の弛(たゆ)まぬ稽古やトレーニングは大きな効果をもたらしているはずである。

 けれども吉田さんいわく、目や歯が現役なのは、それ以外にも理由があるという。彼は日本催眠術協会の理事長であり、催眠術をたくさんの人たちに教えている。彼は率先して自分にもアンチエージングの自己催眠をかけつづけているというのである。たとえば「歯はもう全部、死ぬまで自分の歯でいる」と。

 人に教える手前、身をもって実証しないと自信をもって言えないというのもあるはずだが、もともと好奇心が人一倍旺盛な人である。いったい自己催眠でどこまでできるのか、本当は自分がいちばん知りたいに違いない。

 10年ほど前、吉田さんは友達と立ち話をしていて、バックしてきたフォークリフトに足を轢(ひ)かれた。運転していたのは、地元のバイトのおじいちゃん。吉田さんも、まさかおじいちゃんがこっちをぜんぜん見てないとは思わなかったらしい。

 結果、足首を複雑骨折。歳は当時もう60代の後半だし、ケガの場所が場所だし、複雑骨折だしで、もとどおりになるのは難しいだろうと思われた。なかには、寝たきりになってしまう人だっているくらいだから。

 ところが、吉田さんは「絶対もとどおりになる」と自己催眠を入れつづけたそうである。そして今はまったくふつうに歩けるばかりか、走れるし、涼しい顔で正座までしてみせる。

 「だけど苦労もあるんだよ」と吉田さんが言う。要は自己催眠が上手くなると、自分の思いが肉体に与える影響が顕著になる。日常生活の中ではいろいろな人と接するし、体調がいいときばかりではない。そんなときに、ちょっとでもネガティブなことを思うと、思っただけでそれが体に来てしまうようなのだ。

 さて、吉田さんのアンチエージングの秘訣は自己催眠にあったわけだが、今回、千葉で友人たちと過ごしていて、自己催眠に加えてもうひとつあるんじゃないかと僕は思った

 それは吉田さんが“自分の体の声”に忠実であるという点だ。たとえば、前回ゴールデンウィークに集まったとき、彼は酒を一滴も飲まなかった。もちろん飲めないわけではない。飲んでも美味しくないと感じたときには、僕らがいくら勧めても飲まない。ついつい、つきあいで……とはならないのである。それが今回は2日目、朝風呂から上がったときに「ビールでも飲もうかな」と言い出した。きっと体がビールを求めていたのだろう。

 こうした「オレはオレ」という生き方は、社会から見たら「わがまま」とも取られがちだが、それを貫けば老いてヨレることもないように思える。僕ら5人はだれもサラリーマンの経験がなく、それぞれの道で自由に生きてきた。吉田さんの「体が資本」じゃないが、だれかが守ってくれることはないから、その都度自分でなんとかしなきゃならなかった。

 それでも、この歳まで楽しい人生を送ってこられた。今の人たちはとかくリスクを計算し、回避しようとしがちだけれど、思いどおりに行かない可能性や失敗するかもしれない危険性は、なにも悪いことばかりとは限らない。それらは、生かされているのではなく、自分で生きているという証(あかし)でもあるのだから。




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