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第258回 『つながる』がつながって

 拙著『つながる』(祥伝社)を出させてもらったのは2012年3月。ちょうど2年になる。『つながる』が自分のこれまでの本と違うのは、女性読者を強く意識したことだ。

 この本を読んだ女優の中原翔子が、自らプロデューサーとして映画化を企画してくれた。3作品のオムニバス形式で、3人の監督(渡辺あい、深井朝子、安川有果)は全員20代の女性。その話を聞いたとき、僕は女性につながることができたというか、本に返りがあったと実感した。

 なぜ伝わったのか……。おそらくそれは、あの本が頭の中だけで作り出したものじゃないからだろう。読んでくれた方ならおわかりだと思うが、撮影の舞台裏も含めて現場のエピソードをふんだんに入れた。いや、正直に言えば、僕にはその体験くらいしかない。現実に起こった出来事をもとに、なぜそうなるのか、どうすればいいのかを本にした。

 『つながる』映画化の制作陣には、ロフトのイベントにも登壇してもらった。とりわけ中原プロデューサーと深井監督は当日朝にクランクアップし、36時間寝てない状態のまま駆けつけてくれた。

 3作品中もっとも先行している渡辺監督が本の中でインスパイアされたのは、「ザ・面接 お嬢さん、犯ったろか!!」に出演したさゆりというお嬢様のエピソードだと言う。19年前に撮ったものだが、僕もさゆりのことはよく覚えている。

 大学生でありながら、門限9時半をずっと守っているお嬢様。彼女はビデオの中でこう語る。「自由になりたかった、すべてのことから。子どものころからいつも親の監視に苦しめられてきたんです。外をひとりで出歩いていても、誰かにつけられてるような感じがして、行動が抑圧されてるから、精神的にも抑圧されて、つねに追いつめられている。でも、ここまで来たら親も目が届かないだろうって……」。親の過干渉から逃れるためにアダルトビデオに出たさゆりは、そのあと自殺まで考えていた。

 渡辺監督は、さゆりの話を自分の話であり、自分の家族や友人、そして自分の知らない多くの女性たちの話であると感じたと言う。「感電(仮題)」という作品で、若き女性監督がどんな物語を紡ぎ出すのか、今から楽しみである。

 一方、「本の中にあった、本当の大人になるとは『本能が成熟することだ』という言葉に驚き、創作意欲を刺激された」と言うのは安川監督。「本能の成熟」について、僕はこれまで友人たちにも幾度となく話しているが、男の場合は「ああ、そう」とスルーされることが多い。

 「本能」も「成熟」もみんな知っている言葉であり概念ではあるものの、「本能の成熟」と言われると、わかったようでわからないというのもあるのだろう。本能は生まれ持ったものだし、果たしてそれが成熟するのかと。それに大人になる過程で成熟するのは、むしろ理性のほうであり、本能じゃないんじゃないかと。

 ところが、女性のなかにはビビッと来る人もいる。まるで今まで見つからなかったものが見つかったみたいに……。安川監督もそのひとりだろう。ロフトのイベントで彼女とその話をしていると、面接軍団の森林原人が「本能の成熟って、どういうことですか?」と訊いてきた。

 これまでも撮影の日の雑談等で面接軍団には同様の話をしてきたから、今さら何を……という思いもないわけではないが、それにも増して、この場であえてここを訊いてくるとはさすが森林だなと思った。僕は壇上で「本能の成熟」について簡単に説明した。でも、森林は腑に落ちなかったようだ。イベントの合間の休憩時間、楽屋で「もう少し詳しく聞きたいんですが」と言ってきた。

 「本能」というのは快を求める。もともとそこに善悪や正邪などはない。ときには手段さえ選ばないのだから。でもそれじゃあ世の中は成り立たないから、「思考」の中にある社会性が「本能」を抑え込んでいる。それを霊長類の長たる人間の証だと言う人もいるが、事はそう簡単ではない。「思考」で抑え込まれた「本能」は、いつまで経っても成熟しない。そればかりか、求めても得られずに鬱積した不快が、場合によっては狂気の行動を誘発したりする。

 「北風と太陽」の寓話ではないが、一筋縄ではいかない「本能」を力ずくで抑え込むのではなく、育てたほうがいいと僕は思っている。本来ならば赤ん坊のころ、お腹が空いたり、オムツが濡れたりと不快になれば泣き、それをお母さんがおっぱいをくれたり、オムツを取り替えてくれることで、不快は快へと変わる。この充足のくり返しこそが、「本能」を育ててゆく。

 「自分は必要とされている人間なんだ」という自己肯定感を大きくするし、さらに成熟すれば、わが身のことだけでなく、おのずと他者を思いやったり、慈しんだりできるようになる。僕はそれを「対人的感性」と呼んでいるが、「対人的感性」が機能すれば、人の痛み、苦しみ、そして歓びを共有できるようになるのだ。

 そして、求めることを相手にしてあげてこそ、じつは自分が得られるという事実に人は気づいてゆく。人間のいちばん大切な部分が忘れられて久しいけれど、口には出さずとも、みんなどこかでそういうものに飢えているんだなぁと思う。

 女性たちが奮闘のすえに作り上げた映画をきっかけにして、人と人とのつながりが広がってゆくことを祈っている。




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第257回 トマトは野菜ですね

 運転免許の更新において、70歳からは「高齢者講習」が始まるんだけど、75歳になると、さらにその前に「講習予備検査」というのを受けなければならない。早い話が年を取ると、やらなきゃいけない検査や講習が多くなるということなのだ。

 で、先日「講習予備検査」を初めて体験した。これは別名「認知機能検査」とも呼ばれる。まず教習所内の一室に受検者が集められる。この日、集まったのは、僕を含めて男性5名、女性1名の計6名。教官は30代とおぼしき青年。その青年教官が「腕時計をしている人はポケットかバッグにしまってください」と言う。

 何が始まるのだろうと思っていると、おもむろにイラストを見せられる。戦車や太鼓や人間の目やトマトなどなど、最終的には16枚の絵を見せられることになるのだが……。たとえば戦車の絵を見せながら、「これは戦争のときに使われますね」と幼い子どもに諭すように青年教官が言う。「太鼓は何ですか?(ちょっと間があって)はい、楽器ですね」といった調子で。

 「幼稚園児じゃねえんだからよ!」と内心思う。近くの席の男性も、不快を顔に出している。そりゃそうだ。ところが、である。人間の目のイラストをさして「これは何ですか?」と青年教官が訊いたとき、いちばん前の席にすわっていた紅一点の女性が「目!」と答えたのだ。ええーっ!? 「トマトは?」「野菜!」「はい、そうですね、果物じゃないですね、野菜ですね!」。

 切り替え、早いなぁと思う。それにひきかえ、僕は素直になれない部分があって、適当に聞き流していた。16枚全部の説明が終わると、教官はイラストをそそくさと棚に仕舞う。そして「お渡しした冊子の1ページ目を開いてください」と言う。

 そこには「今は何年ですか?」「今は何月ですか?」「今日は何日ですか?」と、バカでかい字(しかも総ルビ)で印刷されている。「いや、それはねえだろうよ」と内心毒づく。教官は「絶対に言葉を発しないでください。ヒントになりますから」。黙って僕も答えを書く。

 「次のページをめくってください」。指示どおりめくると、何も書かれていない。「そこへ時計の文字盤を描いてください。なるべく大きく描いてください」。大きな○を描いて、12、6、3、9と四方に数字を入れ、1、2、4、5……と間を埋めてゆく。「はい、それが終わりましたら、1時45分のところに針を描いてください」。仕方がないから真面目に描いた。免許を更新したいからね。

 「はい、次のページをめくってください」。マス目があって、1から16まで番号が打ってある。「先ほど見た絵を思い出して、それをひらがなでもカタカナでも漢字でも、何でもいいですから、覚えてるだけ書き込んでください」。まいったなぁ、そういうことか……。書けたのは11個だけで、残りの5個はどうしても思い出せなかった。

 ただし、次のページでは「楽器」「野菜」「昆虫」というようにヒントが示されている。ここでは16個全部を思い出して書けた。

 「認知機能検査」の結果が出た。100点満点中86点。76点以上は「記憶力・判断力に心配はありません」とある。日ごろから“物忘れ”には自信があるが、まだ認知症にはなっちゃいないということである。ちょっとうれしい。

 こうしてやっと「高齢者講習」にたどり着く。ここでは、目の検査。といっても若者は視力検査だけだが、僕らは「動体視力」「夜間視力」「視野」を検査測定する。そして、運転シミュレーター。どういうものかというと、モニターの中の直線を走っていて、赤・青・黄がアトランダムに出てくる。青はアクセルを踏みつづけ、黄はアクセルからいったん足を離して、また踏む。赤は即座に離してブレーキを踏む。次にはモニターの中のカーブを運転する。的確にハンドルを切れるかどうか。ただし、先ほどの赤・青・黄がまた予告なしに出てくる。同時に異なる2つの課題が正確にこなせるかどうかが試されるわけだ。

 それが終わると実際コースに出て、実車を運転する。S字や車庫入れなども課せられ、1人3~4周まわる。園児扱いされて不快を顔に出していた男性と「目!」「野菜!」と柔軟に対応していた女性、そして僕がたまたま同じクルマに乗った。

 2人は縁石に乗り上げるし、S字は脱輪するし、車庫入れでは下がっているポールにカキンカキン当てていた。もっとも、これは試験ではなく講習の一環なので、落ちることはない。この人たち、大丈夫かなぁ……。認知症チェックも重要だが、それ以前に技能面のほうがむしろ怖い気もする。

 すべての講習が終わると、先ほどの運転シミュレーターの結果が出た。「反応の速さとむら」「操作の選択と速さ」「正確なハンドル操作」「複数の課題への注意の配分」という4つの項目に対しておのおの5段階で評価される。

 総合評価だけ書くと、僕は「4」だった。「操作が組み合わさった時も、ハンドル操作は適切でした」と書いてある。「当ったり前じゃないの。何十年もの間、ほとんど毎日乗ってるんだから!」とドヤ顔したいところだが、「4」は同年代の中での評価。つまり高齢者の中で見たら……という数値だ。老若男女、すべての免許取得者の中で見ると、僕は「2」だった。

 講習を通して、僕は自分の立ち位置を認識した。「それも寂しいなぁ」という思いもあるにはあるけれど、「知れてよかった」という気持ちもある。「まぁ、受け入れていくべきだな」と僕は心の中でつぶやいた。





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第256回 大雪の降った日に〈後編〉

 僕のクルマが発進できないばかりに、五叉路の交通がすべて止まっている。雪はいっそう激しさを増す。とにかく一刻も早くクルマを動かさなければ。

 左折できなくなった大型トラックは、クラクションも鳴らさないし、パッシングひとつしてこない。いや、トラックばかりでなく、この状況に巻き込まれたクルマのドライバーが1人としてクレームを表わすことなく、無言で僕に注目している感じなのだ。

 ふと、4年前の冬、女房の父の葬儀で行った北海道の風景が脳裏に浮かぶ。なんでこんな切羽詰まったときに……。同じ雪景色だからだろうか。つづけて、そのとき乗ったタクシーの会話がよみがえる。たしか運転手は「北海道のタクシーはマニュアル車だ」と言っていたのではなかったか……。頭の中で何かがつながる。あ、オレのクルマ、マニュアルに切り替えられる!

 僕のはオートマ車だが、ハンドルの左裏側にあるボタンを押すとマニュアルに変わり、同じボタンでシフトダウン、反対側の右ボタンでシフトアップが手動でできるようになる。止まっている今、ギアはローだ。それを右ボタンでセカンドに入れて、アクセルをそっと踏んだ。ローよりトルクが小さいぶん、空転しにくくなるはずだ。

 ピッ、ピッと小さくスリップしながらも、タイヤは雪道をつかんでくれた。やっとのことで動きはじめる。そのときのうれしさと言ったらない。冷静になってふり返れば、信号数回分のことなので時間にして5分か6分くらいだと思うが、僕はゆうに1時間くらいに感じた。

 家の前まで来ると、下の娘夫婦が雪かきをしている。事務所から電話を入れたとき、クルマで帰るのを女房は猛反対した。だが「置いて帰る」とは最後まで言わなかったものだから、「あの人は一度言い出したら聞かない」と思ったのだろう。女房は近くに住む下の娘に電話していた。娘は、連勤明けで家にいたダンナと一緒にやってきて、クルマが入れるよう2人で雪かきしてくれていたのだ。

 2人に礼を言ってクルマを入れ、僕は風呂に入った。ずっとクルマの中にいたから、体が冷えていたわけではない。こたえたのだ。大雪といっても、雪国の人たちにしてみればこの程度は序の口に違いない。にもかかわらず、自分は手も足も出なかったではないか。ふだんなら事故回避に役立つスリップ防止というメカニズムが、逆に雪道を抜け出せない要因になっていたのも、僕にとっては象徴的だった。

 湯船の中で体を伸ばし、ほっと一息ついたとき、思わず「もったいないなぁ」と声に出してつぶやいていた。昔、おばあちゃんたちがよく口にした「もったいない、もったいない」というあれである。

 おばあちゃんの「もったいない」をよく耳にした子ども時代は、もう半世紀以上も昔である。日本もわが家も貧しかった。冬の暖房ひとつをとってみても、エアコンや床暖房などはなかった。水道さえ来ていなかった。こうして浸かっている風呂も、蛇口すらひねることなくボタンひとつでお湯が浴槽を満たす。しかも、全部飲める水なのだ。

 そんなことがいつの間にか当たり前になってしまって、なにも感じないまま過ごしている自分がいた。それが自然の猛威のほんの一部を見せつけられ、気づかされたような思いだったのである。




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第255回 大雪の降った日に〈前編〉

 東京に大雪の降った金曜日、電車にしようかとも思ったのだが、結局クルマで事務所に向かった。クルマ通勤に慣れてしまうと、満員電車に乗るのが億劫になる。天気予報は雪の可能性を告げている。ただし、降り出すのは夕方からで、降雪量も1週間前に比べたら少なそうだ。

 ところが、さにあらずだったのは、あの日都内にいた人なら身をもって体験されたはずである。昼すぎから雪が舞いはじめた。夕方からじゃなかったのか……。しかもどんどん激しさを増してゆく。こりゃ、1週間前より積もりそうじゃないか。帰るんだったら今だなぁ……と8階にある事務所の窓から雪に覆われてゆく街を見て思った。

 翌々日の日曜にクルマを使う用事が入っている。それを考えると、やはり乗って帰りたい。家に電話した。「そっちの様子はどう?」「もうダメよ、こっちは。都心とぜんぜん違うから!」と女房がまくしたてる。「そう。これから帰る」と言って電話を切った。

 電話を切って、時計を見ると午後4時半。すぐに事務所を出た。ノーマルタイヤだが、首都高さえ通れれば世田谷の自宅まではなんとか辿り着けるだろう。首都高の乗り口がすでに閉鎖されていたら、そのときは事務所に戻って、編集の続きをしよう。

 幸い首都高はまだ閉鎖されていなかった。慎重に走って、用賀で降りる。ところが、そのころにはいよいよ雪がヤバいなぁという感じになってきた。とっさにここから自宅に着くまでコインパーキングがどこにあったかを思い浮かべる。行けるところまで行って、最悪の場合はパーキングに入れよう。

 首都高もそうだったが、一般道でもみんな最徐行だ。そのうえ車間距離はいつもの3~4倍もあけている。ふだんなら我先にというドライバーが多いのに、長い車間距離をつめようとするクルマは、ここまで走ってきて1台もいない。僕はハンドルを握りながら妙な連帯感のようなものを感じていた。外圧が生じると内部の結束は固くなるというけれど、これもそうだろうか。

 世田谷通りから成城通りに入る交差点に差しかかる。ここは五叉路で、僕は世田谷通りから右折する。わずかな勾配ではあるものの上り坂。正面の信号は青だ。「なんとか青のまま行ってくれー!」と心の中で念じる。いま上り坂の途中で止まりたくはない。

 ところが、みんなゆっくり走っているので1台前で黄色に変わり、僕のところでは完全に赤になった。停止線で止まるつもりが雪で見えず、結果的には2メートルもオーバーしてしまう。信号待ちの列の先頭である。雪はすでに何センチか積もっている。上りの雪道でも、走っていれば慣性も手伝って進んでいくけれど、いったん止まって、果たして動き出せるだろうか?

 五叉路の信号が複雑に切り替わり、目の前の信号がふたたび青に変わる。頼むぞ! アクセルペダルに置いた足にそっと力を込める。後輪が雪に空転する。クルマは動かない。もう一度踏み込む――空転。何回やっても、空転した時点でエンジンはそれ以上吹けなくなる。スリップ防止機能が働いているのだ。

 そこへ成城通りから大型のトラックがやってきた。めったに大型車は通らない道なのに……。トラックは左折して、僕の右側を抜けようとする。けれども、停止線を大きくオーバーしている僕が邪魔になって曲がれない。トラックの後ろには後続車が列を成し、トラックは後退もできず、交差点内で立ち往生する。信号は順に変わっていくけれど、トラックがいるために他のクルマも通れない。

 原因となった僕は、一刻も早く道を譲りたいところだが、いっこうにクルマは動かない。そればかりか、アクセルを踏むたびに小さなスリップをくり返していたので、クルマが少しずつ横を向きはじめ、尻が左側の車線にはみ出し、今や直進するクルマまでも止めてしまっている。

 間違ったぁ。ひとつ手前のコインパーキングに入れときゃよかった。だが、あとの祭りである。申し訳ないやら、恥ずかしいやら。自業自得とはいえ、のっぴきならない状況に追い込まれる。どうしよう……。

(つづく)



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