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第308回 対話 Ⅰ


――いま恋人がいないということ?
――
――でも、たまにセックスする相手はいるんだ。
――
――その人のこと、好きじゃないの?
――
――心から好きになれる人が、いないってことなのかな?
――
――なんでだろうね。
――
――自分のことは好き?
――
――なるほど、もっと自分がこうだったら、というのがあるのね。
――
――ああ、上昇志向か……。
――
――だけど自分を好きじゃない人が、誰かを好きになれるのかな?
――
――自分でも他人でも、好きになる心の場所は同じっていうかさ。
――
――そうそう、同じモード。
――
――極端な話、嫌いモードだと、なにもかも色褪せて見えたりね。
――
――どうしたらいいんだろう。
――
――え? 自分を好きになる方法?
――
――自分を好きになれない原因は、どこにあるんだろうね?
――
――オレも自分で自分をダメだなぁって思ってた時期はあったよ。
――
――でも、そう思っても何も変わらなかった。むしろ悪くなったね。
――
――そりゃそうだよね、自分が自分と戦ってる状態なんだし……。
――
――で、あるときそんな自分を許したの。
――
――だって可哀想でしょ。オレしか許せるヤツはいないんだから。
――
――その後、何か変わったかということ?
――
――うーん、少なくとも生きるのがラクになったね。
――
――あと、固まっていたものが溶け出した感じがしたかな。
――
――さっき、自分に自信がないって言ってなかった?
――
――自信って、自分を好きになることから生まれると思うんだよ。
――
――自信が持てると、人は内側から輝き出す。男も女も。
――
――類は友を呼ぶじゃないけど、同じような人間が出会う。
――
――そう、だからあなたが輝けば、輝いてる人と引き合う。
――
――大好きな人も現われるものなんだね。











Aito-sei-long

第307回 幸せって何だろう?


 ちょうど1年前、突発性難聴になった。それは完治したのだが、かかった総合病院では呼吸器内科にもまわされ、結果、肺気腫と診断された。てっきり歳のせいかと思っていたが、重い家具を動かしたり、ウォーキングで上り坂に差しかかると確かに息切れすることがあった。

 以来、月に1回、呼吸器内科へ吸引薬をもらいに通っている。朝1回それを肺に吸い込むと上り坂も苦にならない。主治医からは「タバコをやめましょう」と行くたびに言われる。「禁煙外来に行ってください」とも。タバコをやめれば、今より悪くなることはない、つまり今の状態をキープできるというわけである。

 なのに、僕はずっとタバコをやめていない。禁煙外来にも行ってない。タバコを吸わない人が読んだら、アホかと思うだろう。もしも今40代とか50代だったら、あるいは娘がまだ学校に通っていて、これから社会人になるとかだったら、主治医の言うとおりにしていたかもしれない。

 だが、娘たちも結婚し、子どもを産んで、家庭を持っている。僕はもう77歳だ。60代にわずらったうつが進行して、心身が極端に衰弱し、死を覚悟したことがある。そのとき墓も買ったし、わずかばかりの財産も娘たちに分割で渡しはじめている。何歳まで生きられるのかわからないが、その時間を延ばすことが僕にとっての最優先事項ではなく、残りの人生も自分らしく生きたいと思うのだ。タバコに限らず、自分の好きなことを我慢して生きていても、あまり楽しくないのではないか。

 WHOの「世界保健統計」(2014年最新)によれば、国別平均寿命ランキングで日本が1位。最近、香港が日本を抜いたという情報もあるが、いずれにしても世界に冠たる長寿国なのは間違いない。一方、国連の「世界幸福度報告書」(2013年最新)によれば、国別幸福度ランキングで日本は43位(1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スイス)。長寿で世界一と言われるより、幸福度で世界一と言われるほうが僕はうれしい。

 幸福とは何だろう? その尺度は人によって異なるはずだが、僕は〈思考〉と〈感情〉と〈本能〉のバランスがうまく取れていることではないかと思う。

 たとえば、富や名声を得たいというのは〈思考面〉。家族・恋人・友人や仕事の人間関係をうまくやりたいというのは〈感情面〉。食欲や性欲を満たしたい、健康でいたいなどは〈本能面〉。これらはあえて端的な例をあげたが、実際には2つないし3つが絡み合っている場合も多い。

 食べるカネにも困っているので、今より収入のいい仕事を見つけたいというのは〈本能面〉から〈思考面〉。営業成績を上げたいが思うようにいかなくて落ち込むというのは〈思考面〉から〈感情面〉。風俗に行って、体だけでなく心もホカホカになったというのは〈本能面〉から〈感情面〉。

 では〈思考〉と〈感情〉と〈本能〉のバランスがうまく取れているとはどういうことなのか? 3つのうちの何かが突出していたり、逆に欠落してたりしないということである。社長の椅子は手に入れたが、友達と呼べる人間が1人もいないというのでは幸せなはずがない。愛する家族はできたが、仕事がないというのも困る。

 とりあえず生活していけるだけのカネがあり、社会における自分の居場所があって、友がおり、つねにイライラしたり不安に苛まれるということなく、セックスでも相手とつながれる。それが僕の考える幸福である。バランスが取れているなら、ひとつひとつは分相応でいい。きっとそれが等身大に生きるということだろうし、自分らしいということだろう。

 タバコを吸い続けて、いよいよ息切れがしてダメになったとき、幸せな人生だったなぁ~と思えれば最高である。










Aito-sei-long

第306回 宗教について思うこと


 地下鉄サリン事件から20年が経過した。最後のオウム裁判の判決は今月にも言い渡されることだろう。けれども、これでオウム問題が終わるわけではなく、オウム真理教の後継団体アレフは今なお信者を増やしているという。

 若い人たちはかつてオウムが起こした事件の数々をリアルタイムでは知らないかもしれない。だがこの20年、メディアはことあるごとにオウムの特集を組んできた。ネットを開けば、オウムがしてきたことはすぐにでも見ることができる。なのに、なぜ今アレフに入信する人がいるのだろう。

 社会が不安定だから、居場所がなかったり、自分の存在価値を実感できない人たちが、拠りどころを求めて吸収されていくのだろうか。

 先日見たテレビの特集番組では、アレフにおいてクンダリニーの覚醒とチャクラの開発のため、信者が呼吸法を実践しているところが映っていた。「何秒吸って、何秒止めて、何秒吐いて」とやっている。呼吸法によってトランス状態を作り出し、そこで暗示を入れれば、簡単にマインドコントロールができてしまう。たとえば仮に「神の理想の国を創る。あなたは選ばれた人なんだ。社会は堕落している。神の国を実現するためには、この堕落した社会を消さなければいけない」と言われたらどうなるだろう……。

 また、呼吸法でトランスに入っているときには幻覚を見ることがある。それは光だったり、過去世だったり、宇宙創成の何かだったりもする。「チャネリング」シリーズの頃、そのような現象は現場でよく起きた。重要なのは、光などを見たことではなく、それを通して本人にいったいどんな気づきが起きたかのほうである。ところが、気づきも起きないうちから「光が見えたのは、悟りの一歩手前まで来ている証(あかし)だ。だからもっと修行しよう!」と言われれば、言われるがまま修行にいっそうのめり込み、そこでの教えがすべてになってしまうに違いない。

 話は変わるが、僕が生まれ故郷にいられなくなり16で大阪に出て、20代後半で実家に戻ったときには、母だけでなくもう父も亡くなっていた。日に幾度となく妹が仏壇に手を合わせていた。亡き父母に語りかけているものと最初は思っていた。けれども、仏壇の中に両親の位牌は見当たらず、妹が拝んでいるのは小さな掛け軸のようなものだったのだ。僕がいない間に、妹はある宗教に入信していた。

 実の兄が家を飛び出し、腹違いの妹弟たちと暮らすなか、妹はその宗教に頼らなければ生きるのがつらすぎたのかもしれない。何もしてやれなかった身としては申し訳ないと思うけれど、妹のその宗教への入れ込み方は僕から見れば度を越していた。その世界がすべてになっている。一方、妹から見れば、そのありがたい教えを理解しようともしない僕はきっと愚かな人間に映ったのだろうが……。

 カルト教団や新興宗教のみならず多くの宗教は、自分のところ以外を邪教と見なす。いや、同じ宗教でも宗派が違えば、お互いがお互いを否定し合う。宗教宗派間の争いでは、血で血を洗う凄惨な行為がくり返されるのも珍しくはない。人々を救済するはずの宗教が、なぜ平気で人を殺せるのか。それは、“絶対”というものを作ってしまったからではないかと思う。この世に絶対などないにもかかわらず、それを持ってしまったがゆえに、それを守ろうとするがゆえに、戦わざるを得なくなる。

 もちろん、僕は宗教のすべてを否定しているわけではない。宗教が多くの人々を救っているというのも事実である。だが、宗教から学ぶことはあっても、僕は“信者”にはならない。自分の人生をその宗教の教義・教典に預けるつもりはないし、“絶対正しい教え”に隷従したくもない。日々右往左往しながらも、その体験を通して学び、自分の足で歩いていきたいと思うから……。







Aito-sei-long

第305回 テロの時代


 先月、NHKの時論公論という番組の中で、アメリカ国家情報長官が公聴会で述べた「テロの発生件数」について伝えていた。「昨年、世界で発生したテロ事件は、1月から9月までの9カ月間でおよそ1万3000件。犠牲者は3万1000人。これは統計がある過去45年間で最悪となる見通しだ」という。

 これを聞いて僕は、かつてこのブログでも何度か書いた「多次元的な円」を思い起こしていた。これまでの「ピラミッド型の力学」が終わり、「多次元的な円」の世界がやってくるというものだ。書いたブログの一部を再録する。

 〈「ピラミッド型」では、頂点に国王や大統領といった支配者がいて、階層が下に行くほど人口が増える。力学的には上への絶対服従が条件であり、上意下達でなければピラミッド型は機能しない。こう書くと、どこぞの独裁国家の話かと思われるかもしれないが、日本のほとんどの会社組織はピラミッド型ではないだろうか。

 この「ピラミッド型の力学」がずっと地球上を支配してきたし、長い間、人々もそれが正しいと信じてきた。というか、多少の難はあっても、さしあたってそれに代わるものはないと大多数の人たちは考えてきた。

 ところが、蔓延する閉塞感。今までのようにカリスマ的なトップがいて、その人の言うことを聞いておけば上手くいくという考えは、至る所で破綻をきたしている。つまり「ピラミッド型の力学」ではもう立ち行かなくなっているのではないか。〉

 一方、「多次元的な円」では、上も下もなく、すべての人がインタラクティブにつながっている。一人ひとりが中心となって何層にも広がっていく円のような状態だ。そこでは頂点を目指すがあまり自分を見失うことはない。しかし、誰かに寄りかかったり、ぶらさがったりもできなくなる。

 話をテロに戻そう。4年前、「アラブの春」と呼ばれる政変が起きた。北アフリカと中東諸国に起こった一連の民主化運動である。これによって、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンなどでは、長期にわたって独裁していた政権が相次いで崩壊していったのだ。

 ところが、時論公論によれば、独裁政権の崩壊後、各国は民主化をめざして動き出したものの、国内の対立や混乱は逆に増すばかりだった。ついには内戦状態に陥り、政府の統治が行き届かない「権力の空白地帯」があちこちにできてしまったという。この「権力の空白地帯」こそが、国際テロや過激派組織の拠点になっていると指摘する。そして、過激な思想に共鳴した人々によるテロが、世界各地に拡散していると。

 これまで独裁政権によって押さえ込まれていたものが、「ピラミッド型」が壊れたがゆえに、それぞれに動き出したわけである。僕がこれまで書いてきた「多次元的な円」は、どちらかと言えば“いい話”だった。これからは頂点にいる人間に頼るのではなく、自分たちが何かをやらなきゃいけない。自分が主人公なのだと。そういう意味では、過激派組織もまた自分が主人公なのだ。いわば負の多次元的円である。

 アメリカ国家情報長官は公聴会にて「過激派組織の数、メンバーの数、そして支配地域が、史上最大の規模になった」と語った。由々しきことではあるけれど、これはもう避けられない過渡期なのだと僕は思う。

 では、どうしたらいいのだろうか。危険な場所には近寄らないというのは誰もが真っ先にあげることだろう。たしかに、わざわざ過激派組織の拠点になっている場所への渡航はしないに越したことはない。だが、それ以上に大切なのは、自分の中にネガティブなものを溜め込まないことではないかと思うのだ。ネガティブなものが溜まっていると、同じようにネガティブなものを持つ人間たちと共鳴し、出会うことになる。

 僕が子どもの頃から隣村の連中とケンカに明け暮れて、ヤクザとつきあうようになり、その世界に入って縁が切れなくなっていったのは、母親の死とともに始まった自分を出せない生活において蓄積していく心の闇が、やはり同じように心に闇を持つ者たちを呼び寄せ、関係を深くしていったのだと思う。

 これは、いじめにも言えるだろう。いじめている側が悪いのは言うまでもないが、しかし、いじめられている子の中にも、その子のせいではないとしても、つらさや怒りや寂しさといったネガティブなものが中和されないまま残っているように見える。

 もはやテロは日本人にとっても他人事ではない時代になったけれど、テロに限らず、「多次元的な円」においては、これまで出会うはずのないものが出会い、連鎖していくことになる。そこでは、意識するとしないにかかわらず、何を発信しているのかが、自分の先々を決めてゆく。くれぐれもネガティブなものがあれば中和しておいていただきたい。










Aito-sei-long

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