週刊代々木忠
いまこの瞬間の代々木忠の想いが綴られる
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第61回 人生最大の失敗
このブログの読者の方から「監督は自分の好きなことを仕事にしていて羨ましいが、これまでの半生の中で人生最大の失敗とは何か?」という質問をいただいた。
失敗自体、数え上げたらキリがないけれど、人生最大となると、やはりこれかなと思い当たることがある。カッコをつけず、さりとて露悪的になることなく、うまく書けるかどうかは自信がないが......。
今から25年くらい前、ヨーロッパ向けの、ボカシのないハードコアを撮らないかという誘いがあった。国内への流通はむろん違法だが、たとえ海外向けでも日本からは出せないということが明らかになる。
そこで、最初は香港での撮影・制作を考えた。実際に香港にも行ってみた。しかし、現地を視察した感想としては、ちょっと違うかなと思った。それに、1997年には中国への返還が決まっている。中国になったら、ハードコアの制作はきっとできないだろう。
香港でないとしたら、どこだろう。当時、ヤップにハマッていたこともあり、ミクロネシアの島々に思いを巡らせた。その頃、サイパンは今と違ってなにもない島だった。あるのは海と山。でも、その手つかずの自然が、僕にはなによりの魅力に思えた。そしてサイパンではポルノが解禁されている。
サイパンの高台、キャピタルヒルの北側に位置する旧日本軍司令部跡地は、サンライズとサンセットの両方が望める場所である。その土地の今の持ち主が、仕事で知り合った現地の知人の甥っ子という関係もあり、その頂(いただき)の約100メートル四方(1万平米)を契約することにした。もっとも、外国人がサイパンの土地を買うことはできないので、55年間のリース契約である。
ここには、ロケセットの他にスタッフルームやリビング、バー、複数の客室をあわせ持った、南国のエキゾチックな建物を建てようとしていた。ヨーロッパ向けのハードコアの撮影・制作が当初の目的だが、当時は雑誌のグラビア全盛時代だったから、各雑誌の編集部からもスケジュールが埋まるくらい予約が取れていた。
こうして資金を稼ぎつつ、僕はキャピタルヒルの頂に続く下の土地も買い足そうとしていた。なぜならば、世話になったヤップのガアヤン酋長と交わしたひとつの約束があったからである。
ちょうどヤップ諸島の中のガアヤン酋長の暮らすマープ島にも貨幣経済が入ってきた頃だったので、みんなお金が必要になっていた。そこで、サイパンのその地に、ヤップをはじめミクロネシアの島々の踊りや生活様式を見せる村を作れば、サイパン観光の目玉になり得るのではないか。そうすれば、マープ島の人々にも幾ばくかの報酬を手にしてもらえるのではないか、僕はそう考えていた。
その計画はサイパン観光局にも話を通し、こちらが想像した以上に歓迎された。地下水脈の地図まで提供してくれたほどである。
建物は大方できあがっていたが、完成まであと少しという段になって、サイパンがブームになりはじめた。それ自体はいいのだが、大きなホテルの建設ラッシュが始まる。すると、ほとんど輸入に頼っていた建築資材がまったく回ってこなくなった。最初に発注していた仕事も、途中でキャンセルせざるを得なくなり、結局、工期は1年遅れることになる。
そうこうしているうちに、下の土地をカナダから買い付けに来ていて、そこにホテルを建てるという話が舞い込んできた。「で、どうするんだ?」と地主が迫る。そこに大きなホテルを建てられては、せっかくのロケーションが台無しになってしまう。それに、キャピタルヒルの北側の頂を選んだのは、そこが人目から隔絶された場所だからという理由もある。ホテルが建てば子どもたちも来るだろうし、もうポルノは撮れない。
頂の1万平米の土地と建物を、僕は自己資金でまかなっていた。だが、下の土地はその数倍の面積がある。そこで、分厚い計画書を作り、日本の銀行に融資を申し込んだ。銀行は充分採算が見込めると判断したようで、僕の家と土地を担保に、融資は認められた。
さっそくサイパンの知人の甥っ子である地主と7年払いの契約を交わし、下の土地も55年間、自由に使えることになり、これでガアヤン酋長との約束も果たせると、僕は胸をなでおろしていた。
ところが、である。悪いことは重なるというけれど、日本ではバブルが崩壊する。銀行の融資は止まり、さらなる担保を要求してくる。でも、僕は頂の土地・建物で自己資金を使い果たし、なおかつ今回の融資で自分の家・土地を担保に入れているから、もうなにも残っていない。
結局、資金繰りはショートし、サイパンの土地も建物も、そして村を作る計画も、すべては水泡に帰してしまう。それでも、頂の1万平米の土地とそこに完成していた建物は残るはずだったのだが、下の土地を契約する際、この計画の陣頭指揮を任せていた人間がこんなことを言った。
「前のやつも2年間得するように契約を一緒にしましたから」。なにげなく言った彼の言葉に、僕は「それはよかったな」とだけ答えていた。彼がそこで言いたかったのは、2年前に契約を済ませていた1万平米の分も、新たに契約する下の土地と一括契約にすれば、どちらも今から55年のリースになるので、頂の土地は同じ金額で通算57年間リースができるという主旨である。
ところが、よかれと思ってしたこの一括契約が、資金ショートとなれば裏目に出て、もともとあった権利すらも失ってしまったというわけである。僕に残されたものは、数億円の借金だけだった。
(つづく)
1万平米の土地に建てた施設
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2010-02-26(12:34) :
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第60回 「代々木忠×週刊実話」
来週2月25日(木)に「代々木忠×週刊実話」というDVD付き雑誌が全国のコンビニで発売になる。一冊まるごと僕の特集と言っていいくらいの内容で、AVデビュー作から最新作までで構成されている。付録のDVDには代々木忠監督作品60タイトルが収録されるというものだ。
ゲラのチェックを終えた今、ちょっと照れくさい気もするけれど、僕自身、過去をふり返るよい機会をもらえたと感謝している。過去の作品で思い出に残るものはたくさんあるが、でもそれ以上に大きいのは、やはり「人」なんだなぁと思う。
初期の作品に出ていた男優として、太賀麻郎、日比野達郎、加藤鷹、チョコボール向井といった名前が思い浮かぶ。彼らは作品の中で女の子の心を開き、自らが惚れていった。そしてときには、撮影後もその思いを引きずって同棲にまで至ってしまう。現場と私生活がボーダーレスになるくらい、彼らが女の子と真正面から向き合い、感情移入できていたという証である。
当時、高橋匠という男優もいた。「いんらんパフォーマンス」シリーズの中で「処女喪失」という作品を撮った。匠はそこに出演している。撮影が終わったとき、処女を喪失した女の子が「やらなきゃよかった」と言った。そのひと言で、匠は男優を引退してしまう。仕事には違いないが、彼はその子にいい思い出をつくってもらいたいと願い、彼女とひとつになろうとしていたのだと思う。
女優としては、咲田葵、沖田ゆかり、栗原早記、豊丸が思い起こされる。この人たちは淫乱ブームといわれた頃に登場した。彼女らにはAVで有名になりたいとか、自分をよく見せたいというカッコづけがなかった。カメラの前で自らの本性をさらけ出し、文字どおり体当たりで現場に臨んだ。僕はそこで女の凄さ、性の奥深さをまざまざと見せつけられることになる。
南智子との出会いも衝撃的だった。女が男を責め、昇天させる。それまでまったく想像もしていなかったことを、彼女は平然とやってのけた。セックスにおいて女が主導権を握るという系譜は、その後も、渡辺美乃、新田利恵、柏木みなへと続いてゆく。
男優・女優以外でも、「性感極秘テクニック」の荒井昭は、挿入なしで女性をあそこまで持っていけることを見せてくれたし、フィンガーバイブによる性感テクニックは当時、社会現象にもなった。
SM調教師の根暗童子に撮影を申し入れた際、「調教は女の子の心理状態もあるので、たとえば1週間の間に、私は私の好きなときにやるが、それでもよければ」と言われた。僕らは、いつ彼が行動を起こしてもいいように、1週間現場に泊まり込み、24時間だれかが寝ずの見張りをした。この体験が「仕掛けて待つ」というドキュメントの手法を僕に教えたのだと思う。
そしてこのブログでも書いてきたように、ジャイアント吉田こと吉田かずおとの出会い。催眠によって、肉体よりも内面がむしろ大切なんだということに、僕はあらためて気づかされる。それはのちの「チャネリングFUCK」「女が淫らになるテープ」「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」とつながってゆく。それ以外の作品においても、外からは見えない心の動きを知る術を、催眠を通して僕は身につけさせてもらった。
とても全員は書き切れないが、こういう人々との出会いから、僕はたくさんのことを教えられ、影響を受け、これまでどうにか続けてこられた。僕は今、過去の自分の作品をもう一度見返してみたいと思っている。そこで、それぞれの作品に登場した「彼ら」「彼女ら」にもう一度会いたいなぁと思う。
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2010-02-19(12:38) :
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第59回 千葉の隠れ家(海の巻)
鴨川市金束(こづか)の農家を去ることに決めた僕は、それでも千葉の自然の中に身を置きたいと思っていた。
そこで吉田さんの奥さんにいい場所があったら教えてくれるように頼んでおいた。いろいろ探してもらったのだが、なかなか気に入ったところが見つからない。
そんなある日、会社でたまたまネットを検索していたら、ある物件が目にとまった。場所は勝浦市だった。金束のように古い農家ではなく、今度は分譲の別荘地である。ただ、海に近く、まわりに自然は残っていそうだ。
ただし、広さもそれなりにあり、南向きの土地がこんなところに残っているとは、きっと何かのいわく付きだろうと思った。
さっそく、僕はダメもとでその土地を見に出かけた。なかなかいい場所である。であれば、「なんでこんな所が売れ残っているんだろう?」という思いはますます強くなる。
そこで、これまで買い手がつかなかった事情を、案内してくれた管理事務所の人に訊いてみた。すると、リタイアしたらここに別荘を建てると決めていた人が、二十数年前にこの土地を買っていたことがわかった。つまり、今まで買い手がつかなかったのではなく、土地は二十数年前に売れ、それ以降、更地のまま放置されていたのだった。
ところが、買った人はここ以外にも別荘を2つ持っていて、千葉はゴルフ三昧・釣り三昧を考えていたが、息子さんから「オヤジ、道楽もいいかげんにしろ」という話になった。それでちょうど売りに出した直後に、たまたま僕がネットで見つけたということらしい。
鴨川が山だったのに対して、勝浦は海。その影響もあるのか、勝浦の人たちは、きっぷがいいというか、ノリがいい。
近くのレストランに食事に行っても、東京のレストランとは違う。東京は接客がマニュアル言葉だ。もちろん勝浦のレストランも最初こそ定型言葉で来るが、こちらがちょっと冗談を言おうものなら、すぐにノッてくる。マニュアルどおりではつまらないので、僕はいつも定型を崩してしまうが、東京ではなかなかそうはいかない。容易には崩れないのである。
東京にいると、僕はどこか仮の姿でいなければいけないような感じにとらわれる。家族や仲間といった内輪の関係を別にして、一歩外に出ると、ナマの感情を露(あらわ)にしないで、素の自分を隠して生きているような......。
「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」シリーズをずっと勝浦の別荘で撮影しているのも、東京のスタジオで撮るのとでは、クルマでたった2時間移動しただけでも、やはり磁場が違うと思えるからである。
それは女の子の気持ちが開放的になるというだけでなく、勝浦では自然が出している波動のようなものがある。敏感体質の女の子は、東京ではあった肌を刺すようなピリピリ感が、ここに来るとなくなったと言う。
今は海に近い隠れ家で友人たちと過ごす。
千葉にハマる前、僕は10年くらいサイパンに通っていた。サイパンまで出かけなくとも、こんな身近に自然があったとは......。今ふり返れば、サイパンに行っていた頃は、人間嫌いになっていた部分もあったように思える。信じた人間が次々に裏切っていく。僕は人とつきあうのに、最初から疑ってつきあいはできない。たくさんの裏切りに遭った。
そんなときに、吉田さんと出会ったのである。前々回のブログに書いたが、彼は今までに出会ったことのないような人だった。
とはいえ、じゃあ東京を引き払ってずっと千葉に住めるかと言われれば、それは難しいかもしれない。もっとも、女房と一緒なら住める気もするのだけれど。
勝浦の海と隠れ家。
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第58回 千葉の隠れ家(山の巻)
前回のブログで、ジャイアント吉田さんとの出会い、そして男友達とよく千葉に行く話を書いたが、今回は「どうしていつも千葉なのか」である。
今から21年前、僕が吉田さんに初めてつれていってもらったのは、千葉県鴨川市の金束(こづか)という場所だった。着いたのは深夜で、辺りは山の中である。東京からわずか2時間足らずで、こんな自然がまだ残っているのかと驚かされた。しばらく滞在して、その思いはさらに強くなった。フクロウは棲んでるし、サルは群れでいるし、イノシシもしょっちゅう来るのだから。
吉田さんのその家は、空き家になった古い農家を借り受けたもので、吉田さん自身がいろいろ手を入れていた。こんなところに住みたいなぁと思った僕は、近在で空き家を探してみたが、なかなか手頃なものが見つからない。
すると、吉田さんが「いいよ、俺、下に気に入ったやつがあるから、ここを使いなよ」と言ってくれた。彼は山の麓(ふもと)にある別の農家も借りていた。そこを2年半くらいかけて改造し、まさにできあがるところだったのだ。吉田さんから大家さんに話をしてもらって、さっそく翌月から僕が借りることになった。「素人発情地帯」や「たかがSEX されどSEX」でもよく撮影に使った家である。
それからというもの、僕は休みが取れると、友人たちを誘ってはその家に出かけた。春先にはウグイス、夏に近づくとホトトギスに起こされる。ウグイスは心地よく起こしてくれるが、ホトトギスは暗いうちから啼きはじめた。夏になれば、自分の体が共鳴するくらい、何百何千というセミたちの鳴き声に包まれる。
夜は夜で、シマヘビとカエルの棲みついた風呂場の浴槽から星空を見入り、虫とヨタカとフクロウたちのオーケストラに抱かれて、自分も自然の一部になってしまう。
こんなこともあった。僕は僕でその家を改築し、神主さんを呼んで御祓いをしてもらった。ところが、神主さんの御祓いがなかなか終わらない。みんな長いなぁと内心思っているが、神事に口も挟みづらい。でも、終わらないのだ。あまりに長いので、さすがに声をかけた。すると神主さんが言ったのは、「ここは凄い場所ですねえ。私、今どっか行ってましたね」だった。
以前うちで助監督をしていたD君も「ここは凄い。気が強すぎる」と頭を押さえた。「呼吸を整えて、しばらくここの場に合わせないと、とてもついていけない」と。また、別のある人は「ここは天河に匹敵する。木の枝が左巻きですもんね」と言う。天河とは、高野・吉野・熊野という日本三大霊場を結んだ三角形の中心に位置する、有名なパワースポットである。木の枝が左巻きか右巻きかは僕には見てもよくわからないが、でも、へぇー、ここは凄い場所なんだと思った。
吉田さんはそれをわかっていて、借りたようである。いろいろ聞いてみると、長狭街道をはさんだ一つ向こうの山に大山不動尊というのがあって、そこは毎年夏前に護摩の行をやる。そこの大山不動を護っていた人が金束の山に代々住んでいたということだった。
吉田さんがそれまで暮らしていた神奈川から千葉に生活の中心を移したのは、ある出来事がキッカケだった。「これ話すと、みんな笑うから」と言いつつ話してくれたのは、UFOとの出会いである。
二十数年前、九十九里の海岸線から少し入ったところを、吉田さんは奥さんとスージーきくちというお弟子さんを乗せてクルマで走っていた。高圧線の鉄塔の上に目映い灯りが見えた。いったい何だろうと思いつつクルマを走らせると、その灯りには足がなく、宙に浮かんでいた。3人は衝撃を受けた。
その後、映画「未知との遭遇」を見たとき、吉田さんは息を飲んだという。「あの映画を作ったやつは、絶対ホンモノを見てるよ。だって、そのものだったもの」。自身の遭遇から数年して、吉田さんは千葉に引っ越した。何かの気づきがあったのか、あるいは何かの踏ん切りがついたのか、それは僕にはわからないけれど。
吉田さんの奥さんのアイデアで、金束の農家からちょっと離れた、山の一角に場所を借り、僕たちは見晴らし台を作った。念のために書いておくと、UFOとの遭遇が目的ではない。単に星を見るためである。夏場はもちろん秋口でも、寝袋の中に入り、寝っころがって1時間、2時間と、満天の星を眺めた。
すると、僕はいろんなことを考えた。灯りのなかった原始の時代、こうして星々を見ながらどんな哲学をしてたんだろうなぁとか。こういうふうに見てるけれど、上を見てるようで、下を見てるとも言えるよなぁとか。そんなことを思いながら眺めていると、夜空の中に自分が落っこちてしまいそうな錯覚にとらわれたりもした。たまたまなんとか流星群のピークに当たったこともある。視界の中をどんどん星が流れてゆく。星が流れるたびに、その場にいるみんなからは拍手が湧き起こった。
見晴らし台にて、僕と吉田さん。
そんなふうに四季折々、昼も夜も自然を満喫する生活を僕は味わっていた。
ところが、ある年、まわりの木々の伐採が始まった。伐採から1年半か2年になるかならないかぐらいで、井戸の水が枯れてしまった。水が枯れると、家がよじれて傾き出した。家の中の板壁が膨らんできて、留めてある板が弾け飛んだり、襖(ふすま)を閉めるとそのままバタンと倒れたり。それは日に日にひどくなっていく。そしてとうとう僕は、自然の真っ只中にあり、不思議な磁場を持つ、思い出のその家を離れる決心をしたのだった。
僕が借りた農家とそのまわりの風景。
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2010-02-05(12:48) :
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