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第286回 アダルトビデオの未来


 イッたことのない女性が、目を見なきゃセックスできない男と出会い、イキそうになる。しかし、彼女の異変に気づいた男が「大丈夫!?」と呼び戻してしまう。「放っておいてくれたらイケたのに」と彼女。男のほうはといえば「これで次からはイカせられる!」と何かを掴んだようだ。けれども、その後、彼と何回セックスしても彼女がイクことはなかった。

 これは「愛と性の相談室」に来られた女性の話である。「アダルトビデオの未来」と何の関係があるのかと思われるかもしれないが、共通するのは“知ってしまったがゆえの落とし穴”である。

 アダルトビデオも三十数年を経て、監督も男優も、もちろんメーカーも、どういうふうにしたらウケるのか、売れるのか、ということを知ってしまったように思える。

 それはかつてピンク映画がたどった道でもある。映画の斜陽期、それまでの様式美(たとえばガラス越しの接吻とか、抱き合ってベッドに倒れ込んだら花びらが散るとか)に疑問を抱く監督たち俳優たちがいた。「人間の性はそんな綺麗ごとじゃ表現できない」と。
 そうして新たな性表現が誕生する。彼らは決して性だけを描きたかったわけではない。たまたま嘘のつけない映画屋たちだったのだ。ただ、彼らの思惑がどうあれ、映画館には観客が戻ってきた。場末の二番館・三番館もピンク映画に切り替えられ、映画業界は息を吹き返そうとしていた。

 ピンクが儲かるとなれば、制作プロダクション、メーカー、配給会社が乱立する。製作にカネを出している側は、当然口も出してくる。「オープニングから何分以内に濡れ場を」とか「濡れ場は最低でも何カ所ほしい」とか。「客は濡れ場を見に来ている。ならば濡れ場を増やせば、もっと来るだろう」というわけである。さらには「ポスターはより煽情的なポーズを」「内容はもっともっと過激に」と。様式美という型から自由になるための方法論が、いつしか新たな型になろうとしていた。

 ストリップが廃(すた)れていったのも、似たような道程だ。「額縁ショー」から始まったストリップは、当初、上半身しか見せなかった。僕が興行で全国を回っていた頃も、ショーの最後の最後に踊り子が下をはずしたところで暗転となる。毛がチラッと見えるか見えないか。それでも会場は連夜満席になった。今にして思えば、お客さんのほうもウブだったのだ。

 それが次第に「はい、どうぞ」と開いて見せるようになり、次にはお客をステージに上げるようになった。獣姦を見せたり……。刺激はどんどんエスカレートしていった。ビデオや映画で売れている女の子が持て囃されたこともある。だが、いずれにしても見慣れてしまえばもはや刺激ではなくなり、このシーソーゲームにはどこまで行っても満足というゴールがない。

 僕がビデオを撮りはじめたとき、自分がドキドキするものを撮りたいという思いだけで、売れるかどうかなど考える余裕すらなかった。マーケットも確立されていないのだから、博打もいいとこである。

 ところが、いったんビデオが儲かるとなれば、そこに異業種からもたくさんの作り手が参入してくる。どんな作品がウケるのか。売れる作品にするためにはどう作ればいいのか。それが検討され、ノウハウが蓄積されてゆく。でもそれは型であり、結局、似たような作品がたくさんできあがることになる。

 「もっと可愛い子を!」「もっと刺激的な内容を!」……アダルトビデオは今もその延長線上にある。そのうえ「ヌケるか、ヌケないか」という、とても狭いところに閉じ込められているように僕には見える。そうして、すでに飽きられているのだ。

 ネットの動画配信という売り方も、人目が気になるアダルトビデオにとって、各メーカーとも、またとない朗報に思えたはずだ。ところが、今はネットで見られる無料動画で事足りる人々が増えている。とくに若い層にとって、AVは借りたり買ったりするものではなく、タダで見るのがもはやスタンダードだろう。しかも、そこで見られる映像は、無修正もより取り見取りである。

 もともと計算のないところに新しいマーケットが生まれ、人々が集まり、売るための計算が働き、成長とともに衰退が始まるという趨勢は、なにもアダルトに限った話ではないのかもしれない。

 衰退するAV業界が、もし活気を取り戻す術(すべ)があるとすれば、才能のある監督の個性を活かせるメーカーや、カリスマ性を持った女優や男優の出現を待つしかないだろう。とはいえ、アダルトに出ている女の子のなかには、今や見た目もアイドルに負けないくらいの子がごろごろいる。そういう意味では、もう出尽くした、やり尽くした感も正直否めない。

 創造のための破壊でも起きないかぎり、この流れは変わらない。今後もアダルトビデオはなくなりこそしないだろうが、作品ではなく商品が主流のアメリカンポルノになっていくだろう。

 相手の体を使ったオナニーのようなセックスをする男が育ち、心を通わすセックスをする男はいなくなる……このままじゃマズイよなぁと、業界の隅のほうで主流とは程遠い作品を僕は今も撮りつづけている。でも、じつはそれが僕自身いちばん充実して何よりワクワクするんだけど。





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第285回 魔が入る


 アメリカを追われたラジニーシは、次なる拠点を探していた(日本もその候補にあがっていたという)。しかし、彼を受け入れる国はなく、結局インドに戻っている。そして1990年、58歳で亡くなった。死因には諸説あるのだが……。

 4回にわたってその生きざまを追ってきたけれど、ラジニーシのように振り幅の大きな男はそうそういるものではない。では、いったいなぜ彼は道を外れてしまったのだろうか?

 僕はひとつの試みとして、スピリチュアル・カウンセラーの早坂ありえさんに霊視してもらうことにした。ラジニーシについて彼女はほとんど知らないようなので、持参した本のうち『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』をまず見せた。


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 カバーの写真を見るなり「この人、死んだ人だよね?」と訊く。僕がうなずくと「魔が入っている。コントロールされてるよ」と彼女は言った。

 それを聞いて「第三の目のイニシエーション」を僕は思い出していた。眉間が第三の目の場所だが、ラジニーシの指先が信者のそこにふれると、信者は至福の境地に至るという。

 だが、これはおそらく催眠の応用だ。相手をトランス状態に誘導しておけば、第三の目にふれて至福の境地に誘(いざな)うこともできるし、ビデオの現場なら下半身へ手をかざすだけで女の子をイカせることもできる。

 しかし、何千人もの信者にトランス誘導をくり返し、場を共有すれば、ラジニーシ自身もトランスに入り、自分を明け渡した状態が長く続くことになる。言ってみれば“窓”がずっと開いている状態だから、なるほど魔が入ってくることもあるだろう。

 つづけて早坂さんに『TAO 永遠の大河 1』(めるくまーる社刊)の中の一枚の写真を見せた。


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 「凄い! 絶頂期だよね!」と彼女はさっきとは打って変わって目を輝かせた。「彼、呼べないかな?」と僕は言ってみた。それからしばらくラジニーシの霊を見ているようだったが、やがて「もう裁きを受けるところに並んでるから、記憶があんまりないよ」と言う。

 早坂さん曰く、人は死んだのち、裁きの場で自分の一生を見せられる。ただし、その時点で生前の記憶は完全に消え、第三者としてそれを見ることになる。そののち、前世でやり残した課題を果たすために転生するのか、霊のまま修行を積むのか、道は分かれるという。ラジニーシは裁きが近づいたので、だんだん記憶が薄らいできているということだろう。

 僕は「それでも訊きたいことがある」と言って呼んでもらうことにした。知りたいことはいろいろあるけれど、しいて言えば2つである。僕には見えないが、やってきたラジニーシに最初の質問を試みた。

 「あなたが毒殺されたという説がいろんな本に出てくるんだけど、実際にはどうだったんですか?」。ラジニーシは「食べ物と注射でやられた」と答えた。

 そして第2の質問。「シーラとあなたの力関係は、実際のところ、どうだったんでしょうか? 言われているように、シーラが自分の好き勝手にしたのか? それとも、じつはあなたの命令で動いていたのか?」。僕にとっては、ここがいちばん訊きたいところである。

 で、ラジニーシが何と答えたかというと、それは「もう帰っていいか?」だった。毒殺についてはすんなり肯定したものの、シーラとの関係というか、どちらがどちらを動かしていたのかについては、聞けずじまいだったのだ。この質問に彼がなぜ答えなかったのか……僕にはわからない。

 早坂さんは僕に言うでもなく、ラジニーシに言うでもなく、「本当は81まで生きる寿命だったよね……」と言った。

 早坂さんの事務所を引きあげるとき、「この本から伝わってくるパワーは本当に凄い。ぜひ私も読んでみたい!」と言われた。この本とは2番目に見せた『TAO 永遠の大河 1』である。「ブログを書き終えたら、また持ってくるから」と言って部屋を出た。


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 今から三十数年前、この本に出会い、夢中になって読んだ。そこから学んだことは、その後の性との向き合い方、そして僕自身の生き方に多大な影響をもたらしたのだった。ラジニーシがそれ以降、『TAO』で語ったこととはまるで真逆の、それこそ執着を地で行くような生き方をしたとしても、あのときの教えが、僕の中で風化したり色褪せてしまうことはない。

(了)






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第284回 新天地にて


 パンナムのファーストクラスをたった3人で独占し、アメリカに渡ったラジニーシ。オレゴン州に広大な土地を買い、コミューンの建設が始まる。といっても、陣頭指揮をとっているのはラジニーシ本人ではなく、秘書として全権を握り、インド脱出時から采配をふるったシーラという女性である。

 ヒュー・ミルン著『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』(鴫沢立也訳、第三書館刊)によれば、インドのアシュラム(とその周辺)には6000人の信者がいたが、アメリカのコミューンでは20万人まで住める計画だったというから、その規模たるや壮大すぎてちょっとイメージできない(ちなみに日本で現在人口20万人前後の市というと沼津市や鈴鹿市である)。

 パンナムの同便(ただしエコノミークラス)で渡米した側近たちやインドから自力でたどり着いた信者たちに、シーラは所有財産のすべてを供出するよう迫り、コミューン建設の過酷な労働を強いた。不平不満が出れば、ラジニーシの教えである「明け渡し」を説き、自分と対立する者は容赦なく排除した。

 かつて拙著『プラトニック・アニマル』の中でこんなことを書いた。〈制度の価値観や固定観念を捨てるときには、徹底的に捨てなければならない。SEXをするときに、よろいかぶとは脱がなければダメだ。でもそれは、終わってからすぐまた着ればいいだけの話である〉。

 「明け渡し」はオーガズムを迎えるときにも、真理を得たり、悟ろうとするときにも、確かに必要だと思うけれど、「ずっと明け渡したままでいろ」というのでは奴隷と同じである。

 では、秘書が強権をふるい暴走するなか、いったいラジニーシは何をしていたのか? 『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』によれば、笑気ガスを吸っていたという。笑気ガスとは歯の治療時など麻酔代わりに使われるもので、ラジニーシはこれをドラッグ代わりに常用しラリッていた。

 フィリピン大統領だったマルコスが亡命したあと、一般公開されたマラカニアン宮殿に足を踏み入れたことがある。当然ながらマルコスの部屋は広いのだが、ひとつも窓がなかった。独裁者はかくも恐怖心と隣り合わせで日常を送っていたのかと思ったものだ。ラジニーシにしても、笑気ガスでも吸わなければやってられないような状態だったのだろうか。

 マラカニアン宮殿といえば、マルコスの妻イメルダの3000足におよぶ靴も、当時メディアを賑わわせた。ふつうの神経ならば、いくらカネがあるからって、なんで3000足も必要だったんだろうと思うはずである。ラジニーシのロールスロイス90台も、イメルダの靴と同じなのだろうか。

 それでもコミューン建設が進むにつれて、信者たちは増えつづけた。増えれば、まわりの住民との衝突も目立ってくる。するとシーラは、その住民40人の小さな町に不動産を買って信者80人を住まわせ、住民投票の選挙に圧勝し、議会を自分たちのものにしてしまう。そして「アンテロープ」という町の名はやがて「ラジニーシ」に変わる。

 ただし、住民たちから支援を要請されていた連邦政府も、ずっと手をこまねいて見ていただけではない。メディアもラジニーシたちを「アカ」だと騒いでいたし、アメリカにとって彼らは何をしでかすかわからない危険なカルト集団には違いなかったわけである。

 で、結果はどうなったかというと、ラジニーシはアメリカ入国から4年後に逮捕され(偽証罪をはじめとする35の容疑)、罰金40万ドル・執行猶予10年の判決を言い渡されて国外追放になる。シーラはといえば、背任・横領・殺人未遂容疑をかけられ逃走をはかるも、結局逮捕。

 だが、僕にはよくわからないことがひとつある。ラジニーシとシーラ、本当はどちらが“あやつり人形”だったんだろうか?


(つづく)




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第283回 裏切りの脱出


 僕はラジニーシの哲学に傾倒しながらも、なぜ会いたいとは思わなかったのだろう。

 ひとつには、ラジニーシに弟子入りした仕事仲間、彼らから受けた印象がある。具体的に何をどう言ったかは忘れてしまったけれど、覚えているのは、ラジニーシについて語るとき、彼らがしばしば奥歯にものが挟まったような言い方をしたことだ。もっと直截に言えば、どうやら快く思っていない感じなのだ。

 にもかかわらず、ラジニーシの写真が入ったマラはいつも首からさげている。僕からすれば、それはちぐはぐに見えた。でも、そのワケを彼らは語らない。謎が解けたのは、ずいぶん後になってからである。

 ヒュー・ミルン著『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』(鴫沢立也訳、第三書館刊)という本が1991年に出た。著者のミルンは、プーナにアシュラムをつくる前からの弟子で、プーナ時代に側近となった人物。彼はこの本の中で、ラジニーシにまつわる衝撃的な事実を綴っている。

 1970年代後半、ラジニーシのもとに世界じゅうから多くの人間が押し寄せる。アシュラム拡大の裏には、彼ら信者の献身的にして無償の労働がある。もちろん金銭的な貢献も。カネのある信者は多額の寄付をし、アシュラム内のいい場所に住む。ない者はアシュラムの外に掘っ立て小屋を建て、女なら体を売り、男なら麻薬の売買によってカネを稼いだ。こうして教団の資産は莫大にふくれ上がるが、税金は払っていなかったようだ。

 それに加えて、映画や雑誌でさえヌード御法度だったインドにおいてフリーセックスである。だが、子どもを産むことをラジニーシは許さない。最初は女性の不妊手術。残酷だということで反対が起きると、今度は男のパイプカット(著者のミルンもパイプカットを受けている)。こうして妊娠は避けられたものの、性病がアシュラム内に蔓延してしまう。

 売春、麻薬、莫大な資産、脱税、フリーセックス、性病。そして不法滞在および偽装結婚。もう無茶苦茶である。警察当局の手が伸び、また暗殺者から命を狙われることも度々で、とうとうインドにはいられなくなる。

 1981年、ついにラジニーシはインドを脱出し、アメリカへと向かう。その際、出国手続はいっさいなく、乗っていたロールスロイスをそのまま滑走路に入れ、ボーイング747の前輪近くに停めたという。巨額の賄賂が動いていたのだ。しかも、ファーストクラス40席すべてを押さえ、そこに乗るのはラジニーシと伴侶といわれる女性と女性秘書の計3人のみ。

 ラジニーシに帰依していた数千人の信者たちは、アシュラム内にいた者も、掘っ立て小屋にいた者も、みんな置き去りにされたのである。『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』でこの脱出劇を読んだとき、かつて、僕の仕事仲間がラジニーシについて語るとき、なぜ奥歯にものが挟まったような言い方をしたのか、わかった気がした。

 けれども、彼らはマラを捨てなかった。どうしてだろう? ラジニーシは弟子たちに執着を捨てるように教え、明け渡しを求めた。おそらく置き去りにされた彼らは、こう思ったのではないだろうか。ラジニーシは今も自分たちを試しているのだと。

 渡米したラジニーシは、ロールスロイスを買いつづけ、その数は結果的に90台に達する。「執着を捨てよ」と言っていた彼がである――。


(つづく)





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第282回 セックス・グル

 ラジニーシは35歳まで大学で哲学の教鞭をとっていたというが、たしかに哲学や思想、宗教に関する知識量たるやハンパない。前回紹介した『TAO 永遠の大河 1』(スワミ・プレム・プラブッダ訳、めるくまーる社刊)の中でも、主だった宗教の教祖たちに対する思いを独特の語り口で説いている。その一部を抜き出してみる。

 ジャイナ教の家に生まれたので、最初はジャイナの開祖マハヴィーラから。〈彼は偉大だ。悟っている。だが、広大な砂漠のようだ。彼の中では、ひとつのオアシスにも出くわせない。(中略)マハヴィーラについて話すとき、私はひとりのアウトサイダーとして話す。彼は私の内側にはいない。私も彼の内側にはいない〉。

 続けて〈同じことが、モーゼやマホメッドについても言える〉と。〈彼らはみな同じカテゴリーに属する。彼らはあまりにも計算ずく、極端論者だ。彼らは反対の極端をのがしている。(中略)もし道で、マハヴィーラやモーゼやマホメッドに会ったなら、私は敬意を表し、そして逃げ出すだろう〉

 イエスについては〈私は彼に深く共感する。私は彼とともに苦しみたい。そして私は、彼のかたわらで、その十字架をしばしの間かついであげたい。だが、われわれは平行線のままだ。けっして出会わない。(中略)彼はいい。だが、良すぎる。ほとんど非人間的なまでにいい〉。

 ゾロアスター教のツァラトゥストラについては〈私はあの人を、ひとりの友人を愛するように愛している。(中略)良き友――永遠に一緒にいられる。ただし、ただの友だちだ。友情はいい。が、充分じゃない〉。

 ブッダについては〈彼はあまりにも洗練されていて、とてもこの地上には根づけない。彼はどこかより高次の天国にふさわしい。そういう意味で、彼は一面的だ。天と地は彼の中では出会わない。彼は天上的だ。が、地上的な部分が抜けている〉。

 では、肝心の老子はどうか? 〈私が老子のことをしゃべるのはまったく違う。私は彼に関わってなんかいない。なぜならば、関わるためにすら、或る距離が必要だからだ。私は彼を愛してもいない。というのも、どうして自分自身を愛することなんかできる?(中略)老子のことをしゃべるとき、私はまったく彼と一緒だ。「完全に一緒だ」と言うそれすらも本当じゃない。私は彼だ。彼は私なのだ〉。

 冒頭のマハヴィーラ以下、否定的だったり、突き離していたり、褒めていても全面的には受け入れていなかったり……。けれども、最後の老子は手放しで絶賛している。1974年、ラジニーシはインドのプーナという地にアシュラム(修行場)をつくるが、アシュラム内の自宅を「ラオツ(老子)ハウス」と名づけているくらいだ。

 このアシュラムには、欧米をはじめ世界各国からラジニーシを師と仰ぐ若者たちが押し寄せることになる。もちろん日本からも……。アシュラムの規模が大きくなるにつれて、いろんな瞑想法のグループができ、たとえばタントラ・グループのセッションでは、参加者が裸になって、相手を替えながらみんなの前でセックスするようになる。

 これは意識的にセックスにのめり込み、耽溺し、そこを超越するという、自己解放の試みなのだが、ほとんどの宗教において、性的なものは修行の邪魔だと見なされる。まさに宗教の本場ともいえるインドにおいて、修行場内でのフリーセックスである。周囲の衝撃は想像を絶するものだったに違いない。いや、他の宗教から見たら、衝撃どころでは済まされない話だ。

 僕はラジニーシの講話録に精神的な拠りどころを求めていたけれど、彼が修行においても性を肯定していると知ったとき、女の股ぐらでメシを食っている身としては、やはりどこか救われた思いがしたものだ。こうして僕は、ラジニーシに一気にのめり込んでいく。

 当時、まわりの仕事仲間にも、インドへ行ってラジニーシに弟子入りした者たちがいた。彼らは一様に長髪で、マラを首からさげている。マラは108個の木製の玉からできており、先端のロケットにはラジニーシの写真が収められている。彼らに紹介を頼めば、ラジニーシと会うこともできたかもしれない。けれども、僕はラジニーシの哲学に傾倒しながら、会いたいとは一度も思わなかったのである。


(つづく)



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