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第46回 握った手のひらが膣になる !?(1)

 ブログを読んでくださっている方から質問をいただいた。「社会性が強い女性が自分を解放し、本当にセックスを楽しめるようになるには、どうしたらいいのか?」というものだ。ここでいう「社会性が強い」とは、しっかりしていて、常識や教養も持ち合わせ、社会で足を踏み外すことなど、まずないだろうなぁと思われる女性のことである。

 正直なところ、こういう女性を開かせるのは難しい。そこで、僕がこれまで実践して効果があった方法を、なるべく具体的に書いてみたいと思う。これは僕の作品づくりにおけるギミック(仕掛け)でもあり本邦初公開である。少々長くなりそうなので、次回と2回にわけて書くことにする。

 なぜ社会性の強い女性がセックスを本当に楽しめないのかというと、ひと言でいえば、なかなか"思考のブレーカー"が落ちないからである。セックスをしていても、「本能」や「感情」よりも「思考」が主導権を握っている。相手を分析・評価したり、第三者としての自分が自らのセックスを客観的に見ていたら、エクスタシーなんてやってくるはずがない。

 多くの人は欲情すれば、本能センターが自然と主導権を握るのでそれでいいのだが、社会性が強い人は思考センターが欲情させてくれない。欲情することさえ許さないというか、社会に合わせて作り上げた自分が壊れていく恐怖というのもあるのだろう。

 こういう人には催淫CDも効かない。催淫CDは紙一重で眠りに落ちる意識状態を作り出す。そういうまったく無防備な意識状態のときに初めて暗示は効果を発揮するし、当人にとっては言葉が言葉ではなく、「舐められている」と言った瞬間に、本当に舐められているのと同じ感覚を味わう。そのとき、思考センターは眠りと同様の休止状態。代わりに催眠の暗示を与える、たとえば僕なら僕が、彼女の思考センターになる。ところが、社会性が強い人は思考センターを手放さないし、人にゆだねない。

 ということで、とっかかりとしては「呼吸」がいちばんいいのである。まず、リラックスしてもらうために深い呼吸をしてもらう。とはいえ、深い呼吸をしろと言っても、こういう人は呼吸しながらいろいろ考える。だから呼吸を要求するにしても、事前に本人が「あ、この呼吸はやるべきだな」と思ってくれないといけない。だから僕はこんなふうに言う。

 「吸うときにクリーンなエネルギーを全身に広げてあげる。そういう思いをしっかり持って吸い込んであげる。鼻から吸って全身にそういうクリーンなエネルギーを広げる。そして吐くときには、毒素や疲労素が口からも毛穴からも出ていくことをイメージする。あなたはどんどん透明になっていきます」

 これは実際に、アメリカ・カリフォルニア州にあるエサレン研究所でそういう研究結果が出ていることも僕は言い添える。すると、本人は「あ、きれいになれるんだ」と思ってくれる。思考中心の人間にとっては、科学的な裏付けが必要なのだ。「呼吸というのは、新陳代謝もよくなるし、気の流れもよくなるし、まず血流が盛んになる。それだけでも細胞は活き活きとしてくるでしょ」と。

 エッチとは別に「きれいになれるんだ」ということを説明してあげる。呼吸の効用をしっかり相手に伝えて、納得してもらったうえで呼吸に入るのである。

 まず、体を締めつけているブラジャーやベルトをゆるめて、仰向けに横たわってもらう。最初は、鼻から吸って・口から吐く、その1往復に10秒くらいをかける深い呼吸をしばらく続けてもらう。「呼吸をしているときに、ひょっとしたら感情が出てくるかもしれない。泣きたくなったり、怒りが込み上げてきたり。そういうことが起きる場合があるけれど、もしそういうふうになったら、それを止めないで、泣きたくなったら泣いて」と僕は事前に告げておく。ちなみに、ここで感情が出てくると、彼女を解放するとっかかりができる。

 涙を流さないまでも、呼吸をやっているときに横隔膜が抵抗し、しゃくるような反応が出てくることがある。そこがいちばんサポートしてあげないといけないポイントだ。「大丈夫。いま抵抗が起きているけれど、呼吸を続けて。体の中に溜まっているものを全部出すような気持ちで」。

 早い人だと、その深い呼吸をものの20分もやれば、性的に興奮してきたり、腰を使い出したりする。とりあえず呼吸を続けるということを僕は言い続ける。しゃくったとしても続けてもらう。それを一通り、20分なら20分行う(僕はだいたい10分くらいでそれが起きる)。

 僕は10分くらいで出なかったら、今度は1往復1秒間の速い呼吸に意識を傾けて、ひたすらハァ、ハァ、ハァとやらせる。これをやると、それまで出なかった人でもだいたい抑え込んでいた感情が出てくる。

 ところが、ここで場合によっては、呼吸をやめてしまうこともある。これは逃避のケースと、スピリチュアルな体験をしているケースがある。スピリチュアルな体験とは、自分の過去の何かと向き合っている可能性が高い。ただ、いずれの場合も、彼女が呼吸をやめたら、ちょっと手を握ったりしながら「呼吸を続けて」と言う。

 呼吸をやめてしまわなくとも、速い呼吸に入ったときには、四肢(両手両足)が硬直してくる人もいる。具体的にはたとえば指が曲がらなくなる。手首から先の硬直が始まり、指を伸ばすと「痛い」と本人が言うくらい固まってしまう。この状態になっても強引に呼吸を続けさせると、硬直は全身へと広がっていく。

 いちばん気をつけなければいけないのは、心臓の筋肉などに影響を与えることだ。僕はそこまで行った経験がないが、ブリージング・セラピーに関する本を読んでいくと、そこは危険だと指摘している。だから、初心者がやるときには、四肢の硬直が起きたら、そこでやめたほうがいい。

 道を踏み外さないでしっかり者だと思われている女性でも、実はトラウマを持っている人もいる。トラウマにはいろいろな原因があるが、たとえば幼い頃に母親から虐待を受けていたとすれば、いま・ここではなく、忌まわしい過去のその体験に意識が集中し、僕の言葉は聞こえなくなってしまう。

 場合によっては、目の前にいる人を、レイプした男や虐待を加えた相手と思い込み、激しい抵抗を始めることもある。さらには、表情も声も変わり、まったく違った人格が現れることも......。だから、軽い気持ちではやらないほうがいい。無意識の領域をいじる、この呼吸誘導は何が起きても、愛をもって対応するという不動の心構えが求められる。つまり、催眠誘導しているあなたが動じないということだ。

 彼女が過去のトラウマに意識が集中し、激しい抵抗を始めたり、表情や声が別人のものとなった場合、その呼吸は荒くなり乱れてくる。それまでの「ハァ、ハァ、ハァ」は、あえて表現するなら「アーハー、アーハー」に変わる(「アー」は息を吸い込むときの音)。しかも、本人には乱れた呼吸をコントロールできない。原因としては、襲ってくる「192」レベルのネガティブな感覚に感情オクターブが対応できないからだ。「自分が変になる」という恐怖感の中に彼女はいる。

 もしもこういう症状が出たら、あなたが慌てることなく、彼女の手を握ってあげて、「呼吸をコントロールして。呼吸を自分の意識下に置きなさい。そうすると現実に戻ってくるから」と言い続けることが大切である。無意識の領域の中和されていない心の傷からのシグナルであることが多いから、前述のとおり自然呼吸へと誘導しながら、ハグをして安心感を与え、心身の苦痛が去るのを待つことが重要なポイントとなる。

 そうして戻りはじめたときには「冷たいものでも飲んで」とすすめる。ちょっと飲み物を口に入れるだけで、彼女は現実に戻ってくる。戻ってきたら、「いま、何が起きたの? 話して」と訊く。きっと彼女はいま追体験した何かを話してくれるはずである。

 注意事項とその対応を書いていたら、やはり長くなってしまった。エッチな部分にまで到達せずに申し訳ないが、それは次回ということでお許しいただきたい。




現場にて僕が呼吸誘導しているところ。女の子は欲情しはじめている。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第45回 女がオナニーで想像すること

 前回は「ザ・面接 VOL.111 瞬間恋愛 ガチンコ・バトル」に出演した佐野みすず(30歳)のプライベート・セックスについて書いた。その話の中にも、彼女が「オナニーするとき、どんなことを想像しているか」を少し書いている。

 かつて2人の男からレイプされた際、1人にはフェラを強要され、同時にもう1人にはバックから突かれた、その思い出を想像の中で追体験しながら、みすずはオナニーをしていた。

 同じ「ザ・面接 VOL.111」に出た18歳の予備校生は、小学校6年のときにオナニーを覚え、家族がいてもコタツの中でこっそりしていた。高校2年のときにケータイ・サイトの通販でローターを買い、今はクリに当てたり、膣の中に入れたりしていると言う。

 週に3~4回するオナニーのオカズを訊いてみると、「電車の中で痴漢に囲まれて、パンツの中に手を入れられていることを想像しながら......」がいちばん多いと言う。

 「囲まれて」というのが、どうもポイントみたいである。痴漢に抵抗しながらも、自分1人ではどうにもならない状況の中で、男たちにどんどんやられてしまう、それが彼女をいっそう欲情させるのだろう。



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現在予備校生の彼女は高校のとき、朝の電車で痴漢に遭うと、
たまらず駅のトイレでオナニーし、学校に遅刻していたと言う。


 「ザ・面接」では3人の女性が面接を受けにやってくるが、3人目の子のオナニーについても書いておこう。すでにAV5タイトルに出ている彼女は、小学校2年のときにオナニーを覚え、それからほぼ毎日しており、1日2回の日もあると言う。彼女は本当はずっと寂しいのだ。

 そのオナニーの想像は、レイプ、マンガ喫茶でのセックス、パンスト破り、SMチックなセックス......。

 ここでもレイプが出てくる。マンガ喫茶でのセックスというのは、本来してはいけない身近な場所という象徴なのだろう。パンスト破りはSMチックとほぼ同義だと思われる。

 このように3人とも、オナニーのイメージが強烈だ。しかし、それは今回出演した3人が特別に過激なのではなく、ビデオの現場で僕が出会う多くの女の子たちに共通したことでもある。レイプまがいの、あるいはSMチックな想像が、彼女たちのオナニーのオカズになっている。

 かといって、女がみんなレイプや痴漢を想像しながらオナニーしていると言っているわけではない。たとえば、きょう彼と逢えないから、彼とのよかったセックスを想像しながらオナニーしている子もたくさんいるに違いない。

 また、痴漢やレイプをイメージしている子でも、現実にそういう場面に遭遇すれば、とっとと犯人を警察に突き出したりもするだろうから、これを読んでいる男性諸君はくれぐれも早とちりをしないようにお願いしたい。

 それを前提にしたうえで、なぜビデオに出る多くの子は、無理矢理やられることを想像するのかについて考えてみたい。

 セックスにおけるオスとメスの傾向性からすれば、体のメカニズムも男は能動的に、女は受動的にできているわけだから、男が妄想の中で女をレイプするところを想像しつつオナニーしているのと同じだけ、女が逆の立場をイメージしていても、それほど不自然ではないとも思える。

 それに、種の存続という遺伝子レベルの話からすれば、より強いオスの子を宿したいという欲求もどこかで働いているのかもしれない。

 今は「草食系男子」が指摘される時代だが、オナニーのオカズとして、男にレイプされるのではなく、男をレイプするイメージによって欲情する女が多数派になると、それは大変な時代がやってきたと言わざるを得ない。もっとも、この「ザ・面接 VOL.111」の後半には「肉食系女子」たちが登場するのだけれど......。

 いずれにしても、社会的動物である人間には、タブーを犯す妄想によって欲情するという面が確かにある。AVでも官能小説でも、女教師モノや義母モノなど、背徳をテーマにした作品は枚挙にいとまがない。

 タブーは刺激なのである。しかし、刺激は慣れてくれば鈍化し、さらに強い刺激が欲しくなる。ちょうどSMにおいて肉体の刺激のみを追求していけば、最終的には相手を殺すところまで行ってしまうようなものだ。

 前述の予備校生もそうだが、ローターやバイブを持っている女の子は増えている。電マなら、さらにお手軽に手に入るだろう。だが、これら機械の強い刺激に日常的に慣れてしまうと、実際のセックスで人間の愛撫では感じなくなる。

 2009年06月19日のブログ(「クリでイケる」と「中でイケる」と「オーガズム」)の中でも詳しくふれているが、妄想や強い刺激に頼っている限り、本当のオーガズムは決して得られない。

 たとえば、撮影現場で「もっと奥!」「もっと突いて!」と強い刺激を求める女の子がいる。そんな子のセックスは一見イッたように見えても、僕には電池切れのように映る。求めるだけで、自分からは何も与えていない。「気持ちいい!」とか「好き!」という言葉は、その思いが相手に伝わるわけだが、それより先に自分が受け取る。つまり与えた思いは、自分のエネルギーにもなってゆく。求めるだけではこれが得られず、どんどん疲弊していくだけだ。その果ての電池切れ状態が、見ようによってはイッようにも見えるわけである。これをファインダー越しに見せられても、僕の心は熱くならない。

 妄想や刺激に頼りすぎると本当の悦びは遠ざかるということを、今回「ザ・面接VOL.111」で30歳のみすずは理解したようだった。

 事前面接のとき、僕の問いかけにオドオドしていたみすずの各オクターヴは、おおむね次のとおりである。本能オクターヴは「H96」。これは未成熟な本能と言える。感情オクターヴが「H192」。閉じ込められた感情がここに所属する。そして思考オクターヴが「H96」。これは限定された視野を意味している。

 ところが、思わず「好き!」と言えた佐川銀次とのセックスの後、みすずの各オクターヴは、未成熟だった本能が愛「H24」へ、封印された感情が感性「H24」へ、囚われていた思考が知性「H24」へと変容を遂げていた。これらはセックスにおいて理想的な意識階梯と言える。同時にこの体感は、みすずの今後の性意識にも大きな変化をもたらすことだろう。

 そして当分の間、佐川銀次とのセックスが、みすずのオナニーのオカズになるんだろうなぁ......と僕はひそかに思っている。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第44回 プライベート・セックス

 アダルトビデオに出る女の子たちは、ふだんどんなセックスをしているのだろうか? そこで今回は「ザ・面接 VOL.111 瞬間恋愛 ガチンコ・バトル」に出演した、ある女性の話を書いてみたい。

 佐野みすず(30歳)は一度離婚しており、今は5歳の子どもと2人暮らしをしている。派遣社員で働きつつ、女手ひとつで小さな子を育てていくのは大変なことに違いない。さて、そんな前向きな彼女だが、プライベート・セックスのほうはどうなのか?

 初体験は16歳。以降これまでにレイプ体験が、なんと3回。そのうえ痴漢にもよく遭うと言う。離婚の原因もDVというから、彼女の内面の何かが呼んでいるようにも思われる。

 事前の監督面接にて話したとき、最初のレイプについて、みすずはこんなふうに語ってくれた。

 「おカネも盗られたんですが、男たちから押さえ込まれて手マンされたとき、私はすごく濡れていました。それは私にとっては初めての3P体験で、最後はフェラをさせられながら、バックで中出しされました」

 それ以来、このレイプがオナニーのオカズとなり、その後、2回のレイプを体験することになる。本当ならレイプは忘れたいことに違いないが、忘れたいはずの忌まわしい思い出を想像の中で追体験しつつ、オナニーをくり返している女の子は、みすずに限らず実はとても多い。

 セックスのほうは、現在、新しい恋人が1人とパパが2人いると言う。最近、パパの1人とハプニンング・バーへ行き、膣とアナルの2穴3Pを経験したらしい。パパたちとはアナルセックスを頻繁にしていて、目隠しセックスや全身縛りセックスもよくすると言うから、彼女はセックスをけっこう楽しんでいるかに思われた。

 そんな彼女が、なにゆえAV現場にやってきたのか? ピクピク小さくイクことはできるが、大きなエクスタシーを味わってみたい――それがみすずの出演動機だった。ちなみに結婚までの男性経験は約20人。離婚後は約10人だと言う。

 事前面接では、みすずに催淫CDも聴かせてみた。ところが、ここで意外なことが起きた(正確には「起きなかった」というべきか)。彼女には催淫効果が表われ、充分に感じているのにもかかわらず、まったく腰を使わないのである。ここまで来れば、ふつうなら勝手に腰が動き出すものなのに......。

 「君、エッチのときに自分から腰を使わないの?」
 「え?」彼女はポカンとしている。腰を使うことなど、思いも浮かばなかったという顔だ。

 話を聴いてみると、どうも女は腰を使うものじゃないと思い込んでいるみたいである。セックスは男がするもので、女はされるがままというか......。そんな固定観念が彼女の中に見え隠れした。

 かつてのレイプも、痴漢も、DVも、そして現在の2穴3Pも、アナルセックスも、目隠しも、全身縛りも、全部それらは男がしたことで、みすずにとって、自分は受けていたということなのだろうか。だから、女がセックスで腰など使うものじゃないと思っているのだろうか。

 だから僕は、あえてこんな言い方をしてみた。

 「それはセックスじゃないよ。それじゃあズルすぎるよ。してもらうだけじゃない。腰を使って自分からも下品なところを見せなきゃダメだよ。いいカッコしてるばかりじゃね」

 続けて「目を見なさい」と言ったら、「目を見るのは恥ずかしい」と言う。なので僕は「恥ずかしいよ。恥ずかしいことをしてるんだろう。でも、そこから逃げないで、自分が何をしてるのかをちゃんと認識しなきゃ。相手の目を見て、相手の感性とつながったら、きっと何か伝わってくるものがあるよ」と彼女に言った。「撮影現場では、腰を使ってごらん。そして相手の目を見てごらんよ」と。

 このままでは、またレイプ事件は起きるだろうし、再婚しても夫から殴られたり蹴られたりするんじゃないかと思ったからだ。

 撮影当日、佐川銀次と鈴木一徹が、みすずの相手をした。近頃とくに女の子の内面に入ることに磨きのかかった銀次とのセックスの中で、「好き!」と思わずみすずが言った。かつて夫とのセックスでは、一度も口にしたことのなかった言葉である。

 これまで行為としては弾(はじ)けていても、どこかで感情の回路は断ち切れていたかに見える彼女が、自ら淫らに腰を使い、目と目を介して相手の感性とつながったとき、それまでバラバラだったものが一つに統合されたということなのかもしれない。

 最後に彼女はこんなことをカメラに向かって語っている。

 「見たことがない光が見えました」と。



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テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第43回 裏動画サイト

 以前、このブログで「ビデ倫の崩壊」という話を書いた(2009年02月06日)。内容については繰り返しになるのでふれないが、ビデ倫(日本ビデオ倫理協会)とは設立時からちょっとした縁もあり、僕なりに思い入れのある組織だった。

 なぜそんなことを書くのかというと、今回の話も根っこは「ビデ倫の崩壊」と地続きだと思うからだ。

 今から30年以上前、まだアダルトビデオという言葉もなかった頃、モーテルやホテル向けの業務用ビデオは35mm映画のセンター・トリミングから16mmフィルムで撮影されるようになっていた。これが警察から摘発を受け、自主規制機関であるビデ倫が設立されるきっかけとなった。各家庭にデッキが流通するにはもう少し時間を要する。

 VHSとベータが出だした頃、僕はフィルムではなく、初めてビデオカメラで作品を撮った。「愛染恭子」に始まって、「ザ・オナニー」から「性感極秘テクニック」といったシリーズを立て続けに。でも、その時点で世の中にビデオレンタル店はまだ誕生していない。だから、これらはすべてセルビデオだったのである。

 その後はレンタル主流の時代が続き、アダルトビデオといえば借りて見るものというライフスタイルが定着する。その後、またセルが市場を形成していくわけだが、借りに行く・買いに行くという行為を経ることなく、家に居ながらにしてダウンロードやストリーミングで見られる時代になった。

 そこにはビデオテープというアナログ映像からDVDというデジタル映像に変わったこともネット配信を可能にした要因であるし、手間をかけず見たい時にすぐ見たいというユーザー側のニーズとネット配信は合致するものだったろう。

 前置きが長くなったが、本題はここからである。アダルトビデオは時代とともにメディアや提供の形を変えつつ存続してきたわけだが、業界全体の売上は年々落ちる一方である。

 AVに限らず、この不況下においてはみんなの財布の紐が堅いというのもあるだろうし、そんな中で各メーカーはとりあえず目先の利益を上げるために冒険をしなくなり、斬新な作品が生まれづらいという面もあるかもしれない。

 だが、それだけなんだろうか? ここに裏動画サイトの存在が大きく影響しているように思えてならない。多くの方がご存じだと思うが、今やモザイクのない性行為の鮮明な映像がだれでも簡単に見られる時代なのだ。

 そういう裏動画サイトが存在することは、ずいぶん前から知ってはいたが、正直いうと僕はそれほど気にしていなかった。なぜならば、裏モノというのはこれまでもずっと存在していたし、でもいつの時代もそれはマイノリティであったからだ。モロ見えに関心を持っても、最終的にはしっかりした企画やテーマのある、要はちゃんとした作品づくりをしているものに人は戻ってくる。今にして思えば、僕はそんなふうに高をくくっていたのだった。

 ところが、じっくり裏動画サイトを見てみて驚いた。どの作品もカネをかけているし、女の子の質もいい。映像もきれいで、これではこっちのほうが主流と言われても仕方がないくらいだ。そして、それを見る側の感性も、ずいぶん変わってきたのかもしれないと思った。ちゃんとした作品づくりに人は戻ってくると書いたが、そういうものはまどろっこしく、もっと即物的な映像を求める人たちが増えているのかもしれないと。

 裏動画はアンダーグラウンドにひっそり咲いた徒花(あだばな)などではなく、多少頭打ちになっているとはいえ、もう消えることはない。僕は遅まきながらそう痛感した。

 そこで僕は自主規制機関に対して「なぜここまで野放し状態になっているのか?」と質問してみた。いろいろ話を聞いたところ、自主規制機関も警察に対して裏動画サイトの取り締まりを申し入れているけれども、警察側の回答を要約すると、「殺人サイトや出会い系、自殺、薬物、そっちのほうの取り締まりで手いっぱいで、猥褻(わいせつ)関連までは手が回らない」ということらしい。

 そんなバカな話はないだろうと僕は思った。日本は法治国家じゃなかったのか? それじゃあ、殺人事件や傷害事件が増えたら、窃盗は実質お咎めなしみたいな話ではないか。

 と同時に、そのとき僕の脳裏をよぎったのは、アダルトビデオ業界に以前から流れている、ある噂だった。それはオモテで自主規制して作品を出しているメーカーが、ウラでは海外にサーバーを置いて裏動画サイトを運営しているというものだ。そのメーカーは今はその運営をやめたという表向きの情報もある。ただ、噂の中には、海外にサーバーを置くという発想自体、法の目をかいくぐるために、警察の天下りが知恵をつけたという内容まで含まれていた。

 僕はその噂を鵜呑みにしているわけではないし、そうでないことを心から祈っている。だが、ビデ倫時代にも警察から天下りをした人物が巨額の使途不明金問題で自殺したという事実がある。天下りといえば、代々警察からの天下りで占めていたビデ倫事務局長の席が、なぜか摘発時には空白だったということもある。それに加えて、今回の警察側の取り締まりに関する回答を聞くと、ひょっとすると闇は深いのかもしれないと思わなくもない。

 自主規制機関やその審査団体において、ビデ倫の摘発以降、モザイク処理はいっそう厳格になっている。にもかかわらず、一方ではまったくモザイクの入っていない映像が平然と見られている現実。これでは審査している人たちも、何のために自分たちは毎日真剣に映像をチェックしているのかと思うのではないだろうか。

 しかもこのまま行けば、おそらく5年以内にオモテのAVメーカーの大半は潰れてしまうだろう。そうしたら、自主規制機関に審査を依頼するメーカーもなくなる。残っているのはみんな自主規制しない裏モノばかりなのだから。

 ここまで読んでくれた方の中には、オモテメーカーの代々木は裏動画サイトを駆逐したいんだろうと思う方もいるだろう。それは半分正しい。なぜ半分なのかといえば、ここで僕が言いたいのは、自主規制しているものが摘発され、規制なしのものが平然と存在していること自体がおかしいという点なのだ。

 モザイクの入ったAVを猥褻図画頒布の容疑で摘発しておきながら、性器モロ見えの動画サイトに対してはお咎めなしが今日まで続いているのは、いったいどうしてなのか? 30年以上の歴史を持つ自主規制機関、日本ビデオ倫理協会に向け崩壊への引き金をひいた警察は、この大矛盾に合理性を与える責任があると僕は思う。

 警察は、取り締まるなら公正に取り締まる、取り締まらないのなら解禁にすべきではないのか。ネットを見れば現実には解禁状態なのだから......。

 僕自身、性器を見せたらどうこうという時代はもう過ぎているようにも思う。しかし、解禁にするのならば、自主規制機関は要らないという話ではない。人権問題や虐待の問題、性暴力を誘発しかねない表現への指導など、審査機関にはよりいっそう高度な審査を請け負ってもらわなければと思っている。

 このブログを読んでくださっている方々は、この問題をどう考えられるだろうか? ついては、ディスカッションの場を近々設定してみたいと思う。詳細は、本ホームページ内で後日ご案内する予定である。ぜひ、みなさんのご意見を聞かせていただきたい。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第42回 父の仕事





 今から26年前、僕は「ザ・ドキュメント 出産」という作品を撮った。

 家に帰ってその映像をチェックしているとき、当時幼稚園に通う上の娘が2階から下りてきた。「お父さん、何、見てるの?」。僕は困ったなぁと思った。この作品は、夫婦の性行為から出産までが記録されている。

 娘には「夫婦の営みだとか、赤ちゃんが生まれるところの映画だよ」というような意味の説明をした。すると「私も見たい」と言う。そんな娘に「見てはいけない」と僕は言わなかった。何事も隠すまいと思ったからである。

 もし隠せば、あとでこっそり娘は見るかもしれない。しかも、見てはいけないものを見ているという罪悪感を持ちながら。僕は娘にそんな罪悪感を味わってほしくなかった。だから「じゃあ、なにか上に羽織っていらっしゃい」と答えた。たしか寒い季節だった。

 娘は上に羽織ってきて、作品を全部見た。そこには、お腹をいたわりつつバックからしている絵もあった。もし彼女がショックを受けたら、何を話そうかと僕は考えていた。娘は「すごーい!」とは言ったものの、ショックを受けた様子はない。

 春が訪れて小学校にあがった娘が、妹とふたりで風呂に入っているとき、トイレに向かう僕の耳に、キャッキャ騒ぐ娘たちの声が飛び込んできた。よく聞くと、上の娘が出産のビデオについて話している。「おまんじゅう、ハサミで切るのよ」。妹は「痛そー。えー、切らなきゃ出てこないのぉ?」。

 それを聞きながら、僕は見せてよかったなぁと思った。それほどショックを受けることなく、娘は娘なりに咀嚼(そしゃく)できたのだろう。自分たちもそういうふうにして生まれてきたのだと理解してくれたのだろう。

 3年ほど前、「ザ・面接 VOL.90 女はいつも濡れたいの」に幼稚園の保母さん(保育士)が出演した。今どきの園児たちは親の性行為を見ていて、会話も幼稚園の会話ではなく、やることもすごいと言う。ときには、先生もいじられ濡れちゃって、トイレでオナニーしていると言うから驚いた。

 僕らが想像している以上に、子どもたちは好奇心旺盛だ。知らないのは親ばかりかもしれない。僕は娘にビデオを見せた夜のことを思い出していた。

 その娘が中学2年になったとき、僕は彼女にこんなことを言った。「お父さんに対して秘密を持ったってかまわない。警察のご厄介になってもいい。ただし、どんなことが起きようとも、そこから何かを学びなさい。どんな出来事にも感謝できるような人間になれ。もし、どうしても自分ひとりでは対処しきれない場合には、お父さんに相談してくれ。僕には命に代えてでも君を守る準備があるから」。

 娘は「お父さん、わかった。ありがとう」と言った。僕はそれですごく解放されたのを覚えている。

 こういう仕事をしているのは、娘の友達も知っている。思春期ということもあり、僕の職業が理由でいじめられたりしないかと、そのへんは多少心配していた。子どもも独立した人格として認めていくし、認めて初めて僕も認めてもらえる。あるときから僕はそう意識するようになった。

 僕はいろんな女の子たちを見てきたからこそ、そう意識したのかもしれない。もしもこの仕事をやっていなければ、娘に対する眼差しもまったく違ったものになっていたことだろう。

 そして、自分に娘がいるから、現場で女の子と接するときに「娘にこれができるのか?」という自問が、ふと頭をよぎることがある。ビデオに出る女の子たちを見せ物として晒(さら)すのではなく、「ビデオに出てよかった」「自分が見えた」と彼女たちに思ってもらいたい。それによって、僕は初めて救われるのではないかと。

 いずれにせよ、娘には現場が反映され、現場には娘への思いが反映しているように思われるのである。

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