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第320回 セックス経験1回の女の子


 「ザ・面接VOL.143」の冒頭で、エキストラたちに自己紹介がてらプライベートのセックスについて訊いたところ、20歳の学生は「このまえ1回だけしました」と答えた。1人ではなく1回なのだ。市原いわく「あんたの穴、ほぼ新品やん!」。さてこの女の子、その後、あちこちで同時多発的に始まるセックスを目の当たりにし、はたしてどうなったかというと……。

 自分から服を脱ぎ、オッパイ丸出しで森林に「練習したい」と訴える。オチンチンをさわり亀頭を口にふくむが、森林は応じない。すると今度は「私まだ入れてもらってなくて、きょう入れてほしいんですけど」と、別の子と始めようとしている銀次にすり寄っていく。そして相手の女の子に「1回だけさせて」と手を合わせる。でも、僕はOKを出さなかった。市原が「まずは見ているように」と彼女に言うと、隣でセックスを始める銀次の巨根を未練たっぷりに見つめながら、「すごく太くて美味しそう」などと言う。結局、彼女が交わる機会は最後まで巡ってこなかった。

 僕は内心「この子、面白いなぁ」と思った。だから、次の「VOL.144」でも再びエキストラとして呼んでみることにしたのだ。そこで、もし彼女がしたくなったら、今度は止めないかもしれない。であれば、事前に会っておいたほうがいいような気がした。

 事前面接にやってきた彼女に、アダルトビデオに出るようになったいきさつをあらためて訊いてみた。彼女はこんなふうに答えた。本当はずっとセックスがしたくて、したくて、たまらなかったけれど、高校時代はそういうチャンスがなかったし、大学受験で恋愛どころじゃなかった。大学にさえ入ればと思っていたのに、実際に入ったら、そこでも恋愛やセックスの気配はまったくないのだと……。

 彼女の話を聞いているだけで、その切実さが伝わってきた。彼女がビデオに出たのは、純粋にセックスがしたかったからなのだ。1回だけある体験とは、他のビデオに出演しての処女喪失だった。そのときの感想としては、痛いの半分、気持ちいいの半分、でもMなので多少痛いのは平気だったという。

 つづいて近況を尋ねてみたところ、「ディルド(張り型)を買ってきて、一生懸命練習してます」と言う。おそらくフェラテクとかを磨いているのだろう。僕は「そりゃあ、違うよ」と言った。心の通う「セックス」と快楽を得る手段としての「セックスプレイ」の違いなどを、時間をかけて話し合った。

 「VOL.144」で、ついに彼女は前回からオアズケだったセックスをすることになる。そのシーンの言葉を一部拾い出してみよう。

 彼女「きついですか? 私すごくいい。どうですか? 入ってます。すごいあったかくて、すごく気持ちよくなってきた。ああ、激しいの、いいです。すごくいいです。当たってるのわかる。気持ちいいです。うれしい。はい、気持ちよくて、恥ずかしいのに気持ちいい。すごくいい。あったかくて、すごい気持ちよくて……」
 「ガマンできそうにない!」
 彼女「ああ、いいです。私のこと、気持ちよくなってください。私もすごくいいんで、おかえし……」
 「出そうだ、出ちゃうよ!」
 彼女「は、はい、お願いします」
 「どこに?」
 彼女「中に、私の中に熱いとこ出して、お願い!」

 文字に起こすと文章になっていないところもあるけれど、それは彼女の感情がダイレクトに言葉として出ているからだ。セックスしている相手と真に向き合っている証でもある。100人、200人とセックスを重ねてきても、一度も歓びを体験したことのない子がいる。つねにセフレが4、5人いて、いかにも性を楽しんでるように見えても、セックスごっこで止まっている子がいる。セックスにおいて大切なことのひとつは「自分の気持ちを相手に伝える」ことだが、まだ1回しかセックスしていない女の子が、それを見事に体現してみせたのだった。

 市原はじめ面接軍団は「いい女になった」「絶対モテるようになるぞ」「男、並ぶっちゅうの」と彼女を絶賛した。撮っている僕も、彼女の思いがバシバシ伝わってきて、思わず心があたたかくなった。

 前回、彼女が最初にエキストラで来たとき、あわよくば誰かとできないかとチャンスをうかがっていた。でも、「誰でもいいから」と彼女が言ったこともあって、僕はOKを出さなかった。誰でもいいからではダメなのだ。それは勃起したペニスが必要なだけということなんだから。

 彼女のセックスに対する熱意は、いったん“ディルドで練習”という間違った方向に走りはじめる。そこを僕が指摘したとき彼女が理解したのは、性体験がほとんどなかったことと、ドキュメンタリーな撮影現場にて心の通い合うセックスも見ていたからではないだろうか。そのなかには、女子高のときからずっと卓に恋い焦がれ、やっと願いが叶ったエキストラの子のセックスもあった。

 だからこそ、彼女は「プレイ」ではなく「セックス」ができたのだと思う。




(「週刊代々木忠」は夏休みをいただきます。次に読んでいただけるのは8月28日(金)になります)









Aito-sei-long

第319回 いじめの根っこ


 いじめのニュースがあとを絶たない。小学校・中学校の頃、僕もいじめられていたと言ったら意外だろうか。同じ学校に通う上級生や同級生たちからだった。きっかけは僕の家の庭に植えたビワやミカンやイチジクを、隣村に住む連中が盗みに来たことだ。戦後のモノがない時代だから、みんな腹を空かしていた。とはいえ、みすみす盗られるのが悔しくて、僕は石を投げて全力で追い払った。こうして彼らから目をつけられたのだ。

 それ以来、小学校の帰りに待ち伏せされたり、町で偶然会ったりすれば、囲まれて袋叩きにされ、ときには川に投げ込まれたりもした。こっちはいつも1人だが、向こうは複数、多いときには10人以上いた。「おまえら大勢で卑怯じゃないか!」とずっと思っていたものの、いつもやられる一方だから、ついには自分でも自分がわかんないくらい高揚してしまい、「うわーーん!」と泣き喚きながら、手当たりしだい近くにあるものを投げたり、噛みついたりした。その叫び声から、彼らは僕に「消防車」というあだ名をつけた。

 中学に上がっても、この関係は続いた。「このままじゃ、ずっと勝てない」と思った僕は、彼らのうちの誰かが1人でいるときを狙い、ものも言わず後ろからいきなり殴りつけた。1対1だし、なにせ奇襲だから僕が勝つ。それでも最後まで決して手は緩めなかった。相手にとっては体の痛みもさることながら、僕の危なさは恐怖だったはずだ。「今度やったら殺すけの~!」最後に僕はそう言って、相手の反応を見極めた。本当に殺されると思わさなければ、僕はまたやられるのだ。脅しが充分効いていないと判断すれば「冗談と思うちょるんか!」と言って絞めながら一度落とした。そういうふうに1人また1人と潰していくと、たとえ仕返しで囲まれたときでさえ、僕にやられた当の本人は二度と手を出してこないことに気づいた。

 地域一帯を暴力が支配していた時代である。しかし、いじめなどまるで別世界の出来事であるかのように毎日を送っていた同級生たちもいる。いや、彼らのほうがむしろ多数派だったろう。他人の家に生(な)った果物を盗りに来て、それを阻止されたからといって、ことあるごとに寄ってたかっていじめるというのは、やはり彼らの心に闇の部分があったからだと思う。けれども、それは僕も似たようなものだった。エリートだった父は終戦とともに仕事を失い、商売をしてもうまくいかずに荒れていた。父のイライラの矛先は母ではなく、妹や弟でもなく、いつも必ず僕だった。酔って帰ってくると「親に対する態度が悪い」と言って、いや、理由などその場でいくらでも見つけては、足腰が立たなくなるまで殴られ、投げられ、引きずり回して蹴り上げられたりした。子ども心にも理不尽だと思った。だが、柔道有段者の父に対抗する術は、幼い僕には何一つなかったのである。新しい母にも結局馴染めなかった。こうして親の愛情に飢えたまま、僕はねじれて育ったのだった。

 下の折れ線グラフは、厚生労働省が発表している児童虐待件数の推移である。正確にいえば、児童相談所での児童虐待相談の対応件数。つまり、児童相談所に持ち込まれた虐待のみの数であり、明るみに出ていないものはこの中には含まれない。それはともかく、この数だけを見ても、20年前の45.8倍という増え方である。虐待が最も大きな原因だと思うが、それに限らず子どもの中に溜まった負のエネルギーは捌け口を探している。だから残念ながら、これからもいじめは減らないだろうと思う。


20150724


 いじめによって子どもが亡くなると、「担任はどう対応していたのか?」「校長は知っていたのか?」といった話になるが、もちろん対応できてなかったから、その子は死んでしまったのだ。担任や校長の責任を問うことも必要ではあるだろうし、学校側を庇うつもりはないけれど、一方でもう彼らに期待しても無理なんじゃないかとも思う。なぜならば、教育の現場がいじめに対応するシステムになっていないからである。では、どうしたらいいのだろうか?

 いじめに対応する専従班を早急に置くべきだろうと僕は思う。それに近いことを実践している学校もあるようだが、教師に務まらなければ外部からでもプロを雇う必要があるだろう。専従班の構成は、理屈で説く人、いじめる側の心の傷をケアできる人、いじめる側が暴れても力じゃかなわないと思える人。それぞれ〈思考〉〈感情〉〈本能〉に働きかけることになる。刑事のアメとムチではないが、「おまえの気持ちも察する」というところを組み込んでいかないと、理屈だけで理解させようとしても、あるいは力でねじ伏せようとしても、いじめはより巧妙に地下へと潜るだけだろう。

 だが、いちばんいいのは、そもそも子どもが心に闇を宿さぬよう、親が育てることだと思うのだけれど……。











Aito-sei-long

第318回 対話Ⅱ


――きょうは仕事についての話だね。
――
――就職や転職で悩んでる人は多いのかな?
――
――将来性や安定性、やりがいや待遇面も判断材料ってわけだ。
――
――今の人は大変だね。いや、いろいろ考えることがあってさ。
――
――だって、オレの場合は選べる余地なんてなかったもの。
――
――学歴がない、資格もない、前科はあるけど、小指がない(笑)
――
――ピンク映画の助監督になったのも、なりゆきだったし……。
――
――将来性や安定性なんて端(はな)から頭になかった。
――
――まぁ、ずっと行き当たりばったりの人生だったしね。
――
――それで成功するのは、ほんの一握りの人間だろうって?
――
――そうかな? そもそも成功したいって思いもなかったけど。
――
――じゃあ、訊くけど、なんでそんなに成功したいの?
――
――つまり、そうなったら人生が楽しいだろうってこと?
――
――なるほどね。将来のビジョンというか、目標があるんだ。
――
――目標を達成するためには、努力も惜しまないと……。
――
――え? それがなかなか難しい?
――
――オレは地道な努力なんて無理だね、無理、無理。
――
――だって、努力って楽しいかい?
――
――楽しい将来のために、それまでは楽しくない人生を生きると。
――
――ぜひ成功してほしいね。でないとずっと楽しくない人生だもの。
――
――30年ビデオを撮ってきたのは、努力じゃないのかって?
――
――違うよ、やってるオレが面白いから続いてるだけで。
――
――そう、子供と同じだね。
――
――だけど、大人も子供も、ホントはみんな子供なんだよ、人間は。
――
――それに、オレ自身が面白かったからこそ見てくれた人も……。
――
――たとえば義務で作ったものを見て、お客さんは楽しめるかな?
――
――どんな仕事にも同じことが言えると思うな。
――
――あなたが心から楽しんで作った物やサービスを提供すれば……。
――
――そうそう、お客さんも満足してくれるはず。
――
――それこそがやりがいだろうし、安定性にもつながってゆく。
――
――待遇面なんて、黙っていても後からついてくるだろうね。











Aito-sei-long


第317回 動き出した若者たち

 戦時中、子ども心にも憲兵は怖いなと思った。もともとは軍隊内の秩序維持を任務としていた憲兵は、次第に権限を拡大し、一般市民の思想弾圧にも乗り出した。ひとたび「あいつは赤だ」と噂が立てば、憲兵隊がやってきて問答無用でしょっぴいていったものだ。その空気感は北朝鮮と大差なかったかもしれない。

 戦後をずっと生きてきて、今ほど戦争への危うさを感じたことはない。あの頃に通じる空気感が臭ってくるのである。衆院憲法審査会にて憲法学者が安保関連法案を「違憲」と指摘したにもかかわらず無視したり、自民党勉強会にて安保関連法案に対する国民の理解が進んでいないとなれば「広告主やスポンサーを通じてマスメディアを報道規制すべき」という意見が出たり……。

 安倍政権の強引さが露呈している。自民党から民主党に政権が変わったのは記憶に新しい。結果やっぱ民主党じゃダメだなと多くの人が思ったわけだが、ただ、民主党にエグさはなかった。それがまた自民党に戻り、ここに来てエグさは一際目立っている。

 なにも政治への不信は今に始まったことではない。しかし、単なる不信や失望では済まされない「危機感」が若者たちを動かしている。たとえば先月27日、渋谷のハチ公前には数千人の若者が集まった。長いこと渋谷界隈に事務所を置いているけれど、その間、政治的活動にあれだけの若者が集まったことがあっただろうか。ワールドカップでもないのに……。

 集会を主催したのはSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)。学生の団体が同じ若者たちに向けて「戦争法案反対」をアピールした。マイクロバスの上の演台には「WAR IS OVER IF YOU WANT IT(あなたが望めば戦争は終わる)」の幕。手に持つプラカードにも「私たちは誰も戦争なんて望んでいません」「本当に止める」「憲法まもれ!!」「アンチファシズム」「I am not ABE」「STOP! 安倍政権」などなど……。

 この日、SEALDsのメンバー以外にも、菅直人(民主党)、志位和夫(共産党)、初鹿明博(維新の党)、山本太郎(生活の党)など野党の議員たちが演壇に上がった。山本太郎は「戦争法案には企業の力が動いてる」と言う。「安倍政権が武器輸出三原則を事実上解禁してしまった」と。これは企業を儲けさせるために経団連が出したリクエストであり、「イージス艦1隻造るのに2500社、戦車1輌に1300社、パトリオットミサイルシステムに1200社、戦闘機1機に1100社の国内企業が関わる」のだと。

 しかし、これで雇用されている側が潤うのか、雇用枠が拡大するのかといえばNOで、とりわけ若者たちの多くは非正規労働者として企業に搾取されている。にもかかわらず、戦争法案が成立し、そののち徴兵制でも布かれたら、若者たちが真っ先に戦争に行かなければならなくなる。彼らが「ふざけんじゃねえ」と思ったとしても無理からぬことだろう。

 一方、演台となったマイクロバスが実は共産党系列のものだというネットの書き込みをけっこう見受けた。「裏で糸を引いているのは共産党だから騙されるな」とでも言いたげなSEALDs叩きである。共産党とのつながりがあろうがなかろうが、集まった若者たちの目がニュートラルであることには変わりがないと僕は思う。そこには利権集団に屈するようなシガラミがそもそもないからだ。

 それにひきかえ、当日の夜7時、僕はNHKのニュースを見ていたのだけれど、香港のデモは放送しても渋谷の集会は最後まで無視だった。これだけの動きがありながら、まったくふれないという不自然さである。

 政治の舵取りが危ない方へ向かおうとしている時代、それを変えてゆく若者たちの行動に、僕は今後も注目していきたい。








Aito-sei-long

第316回 癒着と拡張


 2週間ブログを休ませてもらった。梅雨の日本を脱出してちょっと南の島まで……ではなく、病院に逆戻りだったのだ。

 膀胱がんの手術から2カ月経ったが、そのとき傷を負った尿道は癒えることなくオシッコのたびに痛み、トイレに行くのが憂鬱な日々をずっと送ってきた。8年前の手術でも術後の排尿には苦労したものの、さすがにこれほど長く続くことはなかった。

 そればかりか、もともとオシッコの出がいいほうではないが、今回の手術後、日に日に悪くなっていった。まるで尿道の傷が癒着を起こして、内径が細くなってしまった感じなのだ。もしこのまま出なくなっちゃったらヤバイなぁと思った。

 そこで、次の診察予定日まで待たずに、手術した総合病院の外来に行った。予約していないので朝一番に行ったのだが、予約患者の診察は途切れることなく続き、結局3時間待って最後の最後に診てもらった。

 僕としては、ボールペンの柄ほどある内視鏡と電気メスを同時に入れ、人の尿道をズタズタにしておきながら、その後のケアが中途半端なのでこうなったという印象が拭えない。しかし、医者の見解は違った。そもそも尿道はデリケートだし、尿道が狭窄していく病気があるのだという。つまり、膀胱がんの手術と尿道の狭窄は関係ないという主張だ。では、なぜ手術のたびごとに(といっても2回だけど)悪くなるのか?という疑問には答えてもらえなかったのだが……。

 どっちにしても、狭くなった尿道を拡張しなきゃいけないということで再入院と相なった。手術の前日に入院。ところがその夜、熱が39度まで上がる。手術当日の朝も38度台。尿検査と血液検査の数値もよくないようで、手術は延期になった。医者のほうは、風邪に加えて、腎臓が炎症を起こしていると診断したようだ。説明によれば、尿道が狭窄すると尿が腎臓に逆流することがあるそうで、そうなると腎臓に炎症が起こる場合があるという。脈拍数は1分間に105と高いし、不整脈も出ていた。

 熱が下がって手術ができたのは、予定より2日遅れてのことだった。その場になって初めて執刀医がわかる。若い医師だ。大丈夫かなぁ……。主治医と泌尿器科の部長は立ち会いに来ている。「来てるんだったら、主治医か部長がやれよ」と心の中で思う。「若手に場数を踏ませるためかよ」と。

 ところが、手術が始まってみると、どうやら僕の思い違いだったみたいだ。膀胱がんのときと同様に尿道口から内視鏡と電気メスを入れ、設置されたモニターを見ながら癒着した小さな部位を切除していくのだが、実際に患部を直接見ながら切るのとは、やるほうも勝手が違うんだろうなぁとあらためて思った。たとえば映像の編集でいえば、かつてアナログ時代のリニアと現在パソコンを使ったノンリニアとでは、同じ編集でもまったく勝手が違うのと同様に。

 なので、尿道に内視鏡を入れてモニターを見ながら手術する技術は、若手の執刀医のほうが勉強してるし、場数も踏んでおり、年配の主治医と泌尿器科の部長は立ち会ってはいるけれど、逆に勉強しているように僕には見えた。

 話は変わるが、今回の入院ではちょっとした拾いものというか、朗報ももたらされた。先ほど「もともとオシッコの出がいいほうではないが」と書いたが、そう感じ始めたのは、今から8年くらい前のこと。泌尿器科の開業医に行ってそれを告げると、医者はさっそく僕をマングリ返しの格好にさせ、外科用の手袋をはめた指をいきなり肛門から突っ込み、「ああ、こりゃ、前立腺肥大だな」と即決した。

 前立腺は膀胱の下に位置し、ここが肥大化すると尿道を圧迫する。だから、オシッコの出が悪くなるというわけである。それ以来、前立腺肥大のクスリをずっと飲んできた。その開業医にはもう通院していないが、かかりつけの心療内科で同じクスリを処方してもらっている。去年、肺気腫になった際、主治医からは「肺気腫によく効くクスリがあるんだけど、前立腺肥大だと処方できない」と言われていた。

 今回の入院に合わせて、念のため前立腺のほうも一度ちゃんと診てもらうことにしたのだ。すると、まったく問題ないという結果が出た。「は?」である。じゃあ、この8年間は何だったのか? 飲みつづけてきたクスリは? 今思い返せば、僕の肛門に指を突っ込んだ開業医の中で、診断は最初から決まっていたような気もしてくる。それを信じ込んだオレもまだまだ甘いなと思った。そして今後は、肺気腫によく効くクスリが処方されることになったのである。

 今週から仕事に復帰した。排尿時の痛みはまだあるものの、日を追うごとにそれは小さくなっている。







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