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第65回 女たちの教訓

 作品が終わって、みんな言いたいことをしゃべっているシーンが、「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ 12」ではタイトル前に入っている。

 「セックスに大切なもの、教訓1」と元OLに僕は問いかけた。セックスでは男がイカせてくれないとずっと思っていた彼女。今回の撮影で初めてイケた彼女。そんな子が「愛! 大好きという気持ち。目を見る。そうすると愛を感じる」と答える。

 AV女優も「本当に目を見るのは大事なんだなぁって思った」と。僕は「目を見ない男優がいたら『私の目を見て、ちゃんと私として!』と言える女になれ」と言った。

 つづけて僕は「このスケベなお姉さんのおかげです」とエステティシャンの子に振ると「スケベも地球のためになれば」と彼女は応えた。元OLが「なるよ、子孫繁栄、イエ~ィ!」。エステティシャンが「よかったです、みんなハッピーで」。最後に僕の「全国の男たち、頑張ろうぜ!」で導入部が終わる。

 このように「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ 12」ではタネあかしから入っていく。そして、こういったことを彼女たちがつかむプロセスが作品になっている。僕は感じるのだが、女たちはこういう視点に立つことができる。「エッチが地球のためになる」とか、「幸せになれる」とか。まじめに考えてるというか、まともに向き合っているというか。

 それに比べて男は......。かつて「性感Xテクニック」の南智子さんも言っていたが、「男の性の話は冗談か自慢話になることが多い」。まさにその通りだなと思う。

 今回はエステティシャンの女の子が、みんなを引っ張っていく。作品の中では紹介していないが、彼女の幼児期から今に至るまでの話はなかなか壮絶である。「初めて男を知ったのは、いくつのときなの?」という僕の質問に、「セックスをしたとき? それとも性的な行為をしたとき?」と彼女は逆に訊いてきた。「異性にふれたとき」と僕は言い直した。「挿入以外は8歳までに済ませています」。「え? どういうこと?」。「キスからフェラ、クンニまでは8歳で全部やって、挿入は15歳です」と。

 彼女いわく「実家がレストランを経営していて、親がまったくかまってくれなかった時期、店にバイトで来ていたお兄ちゃんに唯一かまってもらえるのが、その行為だった。かまってもらうには、そういうことをしなければっていうのが植えつけられたという感じですね」。

 彼女にはいろいろなトラウマがあった。その彼女が、この作品に出ようと思った理由は、もちろんエッチが好きで、今の自分を残しておきたいというのもあるのだけれど、それだけではない。彼女の中には、「エロいことは美しいんだ」という信念めいたものがある。それを表現し、みんなに伝えたいと彼女は言う。

 このエステティシャンの女の子はイクことができるが、元OLとAV女優は、一度もイッたことがない。でも、2人を見ていて、イカせるのはあんまり大変じゃないなと僕は思った。それぞれのイケない理由は、ちょっと話していれば見えてくる。

 彼女たちはそれほど大変なトラウマを持っているわけではない。深く人間不信に陥っているわけでもない。社会的に縛られている感じだ。社会に縛られ、自分を出さないことに慣れてしまっている。ここがエステティシャンとは決定的に違う。

 エステティシャンは子どもの頃にそういうことをされて、最初は驚きだっただろうし、こんなことをしていてはいけないと悩んだに違いない。しかし、それを誰にも相談できなかった。

 親とのつながり感を持てない。つながり感を唯一持てるのは、バイトのお兄ちゃんだけだったのだから。そのためには、おちんちんを咥えさせられる。バイトの彼にしてみれば、つながり感ではなく、おそらく単なるイタズラだったのだろうし、なにも言えない子にそういうことをしてしまっている。

 彼女は体験を通して「性はどんなものであるのか?」ということを自分なりに理解したのではないだろうか。「どうあるべきか?」「どうすべきか?」を今まさに実践しているのだ。彼女はその延長線上で、相手を癒してあげたいと思っている。もともと九州出身なのだが、本格的な癒しのアロマテラピーを勉強するために東京に出てきている。

 今回の作品では、同世代の女の子よりも性に対する理解度の深いこのエステティシャンをタテ軸にして、他の2人の女の子が反応したり共鳴していけばいいなぁと僕は思っていた。

 最初からこういうキャスティングをしていたわけではないし、狙いもこういうことではなかった。僕の場合は現場に行って、そこから本当のテーマが見えてきて、そのうえで仕掛けることが多い。その意味では、うまくテーマが炙り出せた作品だと思っている。

 どんなプロセスを経て、2人の女の子が導入部のような心境に至ったのかは、ぜひ作品を見て感じ取っていただきたい。ただ、ひとつだけここで言うとしたら、快楽の奥義とは「溶け合うこと」にある。換言すれば、それは「つながり感」に他ならない。



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テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第64回 快楽の奥義って何だ?

 「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ 12」は「究極の快楽 その奥義は感情にあり」というタイトルである。なぜこういうタイトルにしたかは、おいおいおわかりいただけるだろう。

 この作品には3人の女の子と3人の男優が出演している。女の子は、元OL、AV女優、エステティシャン。男優は、佐川銀次、吉村卓、トニー大木。

 元OL(28歳)は8年間勤めた会社を最近になって辞めた。彼女は社会的な枠組みの中できちっと約束事を守って生きてきたのだが、もう耐えられないと退職を決めた。彼女の言葉を借りれば「つねに上司や同僚の目を気にしつつ仕事をするのがつらかった。このままでは女じゃなくなってしまう」。

 ちなみに彼女は、セックスでイッたことがない。「経験不足でフツーのエッチばかり。彼がイッたら終わり。今までの男たちはみんなそう」。そんなふうに彼女は語った。

 AV女優(21歳)は、当初出るはずの女の子が急遽出られなくなって、撮影当日、代打としてやってきた。だから僕も会うのは現場が初めてだった。聞けば、これまでにAVには10本くらい出ているらしい。彼女もセックスでイッたことがないと言う。じゃあ、これまで出た作品ではすべて演技か?となるのだが、監督からは「適当にピクピクしたらいいから」と演技指導(?)を受けていたようだ。

 そればかりか、先の元OLも、このAV女優も、セックスで女は腰を使わないものと思い込んでいたというから、僕はびっくりである。

 出演者6人がそろったとき、男優のトニーを客に見立てて、エステティシャン(24歳)に性感アロママッサージを披露してもらうことにした。まず彼女はローションを両手でよくこすり、こすり合わせた両手のひらの間に糸を引くネットを作った。それをトニーのペニスにかぶせてゆく。こうしてバキバキのおちんちんをローションでこすったり握ったりしながら、舌はトニーの乳首を這う。ファインダー越しに見ていて、思わず声が出そうなくらい、ねちっこくていやらしい。


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 ところが、トニーは声を出さない。このアロママッサージが気持ちよくないはずはない。なぜ彼はよがらないのだろう? 声を出したらどう思われるのか気にしているのか、あるいは恥ずかしいのか、撮りながら僕もいろいろ考えてしまった。

 彼に「なぜ声を出さなかった? 男優の主体性はないのか?」と訊いたら、「これまでほとんどの現場で『声、出すな』『顔、出すな』『抜き差しだけ見せろ』と言われてきました」と言う。僕はそんなバカなと、ため息が出た。

 休憩時間、銀次がこんなふうに解説した。「変わらないですよ。彼女はいつも上司・同僚の目に気をつかって、本来やるべき仕事に気が向いてない。僕ら男優の場合だと、トニーがさっき言ってたことというのは、対女の子じゃないんですよね。ディレクターに気が行ってる。ディレクターのOKをもらうために仕事をしている。もしくはプロデューサーがこう言ってたということに気が行ってるんですよね。だから、目の前の女の子にぜんぜん気が行っていない」。

 なるほど、男優がそれでは、AVに10本出てもイケないわけである。でも、大なり小なり男たちは、そういうセックスをしているんじゃないかとも僕は思った。

 銀次の言うように、AVの現場でも一般企業でも、起こっていることは結局同じということである。元OL、AV女優、男優の3人に共通しているのが、社会的に自分を縛ってしまっているということだ。前回のブログで「通勤電車のユーウツ」という話を書いたけれど、みんな自分を出さないことに慣れてしまっているように、僕には思えてしかたがない。

 セックスにおいては、元OLの言葉の端々から「男がイカしてくれない」とか「相手の男に技術がないから」というのが感じられる。彼女はイクにはテクニックが重要だと思っている。そういう意味での技術ならば、これまで数千本の作品に出演してきたトニーは、まさに「専門的技能」の持ち主なのだが......。

 いまから18年前、『プラトニック・アニマル』の中で、僕は「セックスのときに社会性をどれだけ捨てられるか」ということをくり返し述べてきた。でも、結局、そこからみんな抜け出ていないというか、状況はよくなるどころか、いっそう悪くなっているようにも思えるのである。

(つづく)

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第63回 通勤電車のユーウツ

 ふだん、僕はクルマで会社に通っている。でも、しばらく電車で通勤してみようかなぁと、たまに思い立って実行してみる。

 東京の通勤ラッシュの凄まじさはあらためて書くまでもなく、経験している人ならよくご存じのはずだ。すし詰めの車両の中、他の人の顔が自分の目の前にあったりする。恋人同士でもないのに、こんな間近に他人と接し、その状態が何十分か(人によっては1時間以上も)持続するというのは、なかなか他にあることではない。

 体と体はくっつき、顔さえ数センチの距離なのに、お互いに無関心をよそおっている。いや、よそおっているんじゃなくて、実際に無関心なのだ。満員電車のマナーは、自分を殺して、降りる駅でドアが開くまで、ただじっと過ぎゆく時間を待つ、僕にはそんなふうに映る。

 知らない人の顔を目の前にしながら「この人は、今ここでは表情をいっさい消して、まるで死んだふりをしているみたいに見えるが、会社に着いたら本当の自分を出すのだろうか?」と電車に揺られながら想像する。いや、きっと出さないんじゃないかなぁ。会社には会社のルールがあって、自分の感情をそのまま吐き出したりしたら、なにかと不都合があったりするんじゃないだろうか。

 では、わが家に帰って、自分の妻や息子や娘の前でなら、本当の思いを気兼ねなく言えるのだろうか? 目の前で死んだふりをしているおじさんの顔をチラッと見たら、どうもそれも非現実的に思えてきた。

 目の前のおじさんだけじゃなく、横や後ろに立っているおねえちゃんやおにいちゃんはどうなのか? みんなが付けている、表情を消し去った仮面は、満員電車の中に限ったものなのだろうか?

 で、満員電車はつらいので、翌日、僕は各駅停車に乗ることになる。時間はかかるけれど、こっちのほうがまだいい。

 ある日のこと、3人掛けの優先席にキャップ帽を横かぶりした若者が1人占領するかっこうで寝ていた。寝ている姿を見ても、背は180センチ以上ありそうだ。

 2つ3つ先の駅で、お腹の大きい女性とおばあさんが乗ってきた。そして、優先席の前に立つ。若者は目をあけない。彼女たちも「すみません。ここ、よろしいですか?」とは言わない。

 僕は、気がついたら優先席の前まで行って若者に声をかけていた。「おにいちゃん、ちょっとほら、ここ、あけてあげなきゃ」。寝ていたおにいちゃんが目をあける。「なんだ、てめえは」とその顔には書いてある。彼は無言のまま、僕を睨みつけた。数秒間の睨み合いになった。同じ車両に乗り合わせた人々の視線を感じる。

 そのあと彼は無言のまま席を立ち、すぐ横のドアの脇に腕組みをして立った。

 「どうもすみません」と彼にともなく僕にともなく声をかけて、女性2人はあいた優先席に腰を掛ける......ものと僕は思っていた。ところが、掛けないのである。同じ場所に同じ姿勢で立っている。結局、終点の新宿駅に着くまで、その状況は変わらなかった。

 いったい世の中はどうなっているんだろう?

 2人の女性が優先席に座らず、言葉すら発しないのは、要するに関わりたくないということなのだろうか? おにいちゃんと僕とのいざこざに巻き込まれるくらいなら、立っていたほうがいいと。そして同じ車両に乗り合わせ、事のなりゆきを見ていた人たちも、やはり面倒なことには関わりたくないと思っているのかもしれない。

 僕はお節介やきではないし、ましてや正義感を振りかざしたいわけでもない。身重の女性とお年寄りでなければ、そこに首を突っ込まなかったかもしれないが、実際には考えるより先に体が動いていた。

 きっと僕と同じ世代の人たちは、人間づきあいというものをそんなふうに教えられて育ったのではないだろうか。でも、今はもう他人との交わりが、とりわけ都会では、これほどまでに希薄になってしまっている。

 僕は満員電車だけでなく、各駅停車でも居心地が悪くなり、1週間も経たないうちに、またクルマで会社に通うことになるのである。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第62回 続・人生最大の失敗

 前回からの続きである。数億円の借金を背負った僕は、もう返せないと思った。しかし、銀行への返済が滞れば、担保として入れた自分の家もなくなってしまう。これまで貧困を経験してきたから、僕一人ならどんなことにも耐えられそうだが、女房や娘たちに罪はない。

 ちょうどその頃、上の娘が大学に入学することになった。入学金と1年分の授業料を前払いしなければならない。その百数十万円を工面するのにも、僕は四苦八苦していた。

 自分がいま人生の谷底にいると思っていても、まだまだ本当の底ではなく、さらに下へ落ちていくというのはよくある話で、金銭的ダメージを負っていた僕に、さらに追い討ちをかけるような話が飛び込んできた。

 サイパンの計画において、契約の調印を任せていたのは、現地で陣頭指揮をとってもらっていた、僕が以前から信頼している日本人と、今回知り合ったサイパン現地の人間の2人だが、彼らが実は裏で結託していて、カナダからの買い付けの話もウソなら、一括契約に変更して、先に支払った分の土地や建物の権利を僕から奪うことも、計画の上だというのである。

 それを僕に打ち明けてくれた人間には「聞きたくなかったなぁ、それは」とだけ言った。とりあえず僕は、その話を自分の腹に飲み込むことにした。

 僕は本業に専念していこうと決めた。というか、そうするしか手がなかった。それまではサイパンに自分のエネルギーが向かっていたわけで、本体がちょっとお留守になっていたのは否めない。それで、とりあえず社長としての責任を取り、他の人間に代表取締役をやってもらうことにした。

 そして僕自身は監督として、たった一人でお金をなるべくかけないで作品を作ろうと思った。それまで人に頼んでいたカメラも初めて自分で持った。その第一作目が「素人発情地帯」である。

 それ以前に、村西とおる監督とある雑誌で対談したとき、彼が手持ちカメラの面白さを盛んに力説していて、僕もやってみたいなぁと思っていたからちょうどよかった。

 「素人発情地帯」は、のちに男優が登場するものもあるけれど、初期は女の子しか出ていない。つまり、僕と女の子が二人っきりで2泊3日とか3泊4日を過ごす。照明や助監督もいない。

 村西監督と違って僕はハメ撮りをしないので、作品には当然ファックシーンがない。「ザ・オナニー」でもそうだが、さすがにオナニーだけではもう持たないだろう。しかし、僕はとりわけ心配もしていなかった。現場では何かを仕掛けて待つという自分のスタイルができていたから、きっと何かが起こるはずだ。

 僕は目の前にいる女の子の内面をえぐるように追い込んでいった。なかには「私もう出来ません!」と帰ろうとする子もいた。心を閉ざしてしまって、没にした作品もある。でも、ドキュメントを撮っている以上、そんなことは当たり前だと今も僕は思っている。

 なあなあで、だましだましでは、決して魅力ある作品には仕上がらない。女の子も必死、僕も必死。だからこそ、見ている人もハラハラ、ドキドキ、ワクワクしてくれるのだと。まぁ、出たとこ勝負といえば、それまでなのだが。

 監督として全精力を傾けて撮った「素人発情地帯」は、そこそこ受け入れられていった。そのおかげもあり、絶対に返せないと思った借金も、家を取られぬまま返済を終えた。

 だが、サイパンにはさすがに何年も行けなかった。僕にとってはあまりに生々しすぎた。嫌なことを思い出してしまうのも怖かった。やっと自分の中でも心の整理がついて再訪したのは、それから数年後である。

 家族でキャピタルヒル北側のその地を訪ねてみると、韓国資本の立派なホテルになっていた。頂の建物はほとんどそのままである。妻は「本当だったのね」と言った。当時、ひと月のうちの1週間はサイパンで過ごしていたが、それまでも品行のよくない僕が向こうで仕事があると言っても、妻は信じていなかったのである。また、いきさつを知らない娘は「お父さん、なんでこんなところを手放しちゃったのよ!?」と言った。

 だれにも気持ちをぶつけられず、自分の殻に閉じこもるしかなかったのは苦しかったし、なによりガアヤン酋長との約束を果たせなかったのは申し訳ないけれど、当時のサイパンでの時間は、今でも楽しかったなぁと思う。そして「素人発情地帯」で目の前の女の子とガチンコ勝負をしているときには、自分の置かれた状況すらも、僕は完全に忘れていた。

 映画屋というのはだいたい貧乏で、僕も300万で下請けをしていた頃は、ずっとお金に苦労していた。それがビデオを撮るようになって、それまで目にしたことのないお金が入ってきたから、勘違いした部分もある。サイパンの計画において金儲けを第一義にはしていなかったとしても。

 人生最大の失敗というテーマで、前回と今回、書いてみた。結果的に傷は負ったし、計画は失敗に終わったけれど、どうにか生き延びてこられたわけだから、これはこれでよかったのかもしれないと今は思っている。

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