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第126回 多次元的な円の時代

 
 先日、NHKスペシャルだったか、震災後の自動車産業について報じていた。その中でこんな話がある。三菱自動車は下請け工場のほとんどが西日本に集中していたため、東北に多くの下請け工場を持つ他メーカーと比べれば打撃は小さいだろうと考えられていた。

 ところが、部品の供給が思いどおりには進まない。いったいどうなっているのかと首脳陣も頭を悩ますなか、ひとつの意外な事実が見えてくる。

 クルマとは部品のかたまりみたいなものだが、日本の自動車メーカーの競争力は、その数多くの部品の調達体制にあると言われてきた。自動車メーカーから1次、2次、3次、4次、5次……と、それこそ孫請けどころではない下請けの構造があり、それは下へ行くほど会社の数が増える。まさに自動車メーカーを頂点とするピラミッド型である。

 しかし、今回の震災で調達ルートを洗い直したところ、三菱自動車に使われている、ある半導体の工場が東北にあって震災の被害を受けていた。そればかりか、その半導体はその会社でしか作れないものだとわかってくる。下請け構造からすれば底辺に位置していたのだろうが、それは多くの会社で構成される「辺」ではなく、取り替えの効かないたった1つの「点」だったのだ。ということは、「ピラミッド型」と思われていた構造が、実は、下に行くとまた1点に集約する、形としては「ダイヤモンド型」だったのである。

 経済誌のなかには、この構造を「生産回復の足を引っ張る」と評するものもある。たしかに、たった1つの小さな半導体が供給できないだけで、設計図どおりのクルマができないのだから「足を引っ張っている」とも言えなくはない。でも、僕はそこからまた違う面が見えてくる。

 きっとこの半導体メーカーは、かつて孫請けの、そのまた孫請けのような位置にいて、ずいぶん追い込まれていたのではないだろうか。このまま三菱自動車だけに頼っていても、先がない。ならば、新たな顧客となる他の自動車メーカーを見つけなければと、独自の技術開発を始めたのではないだろうか。クルマには30~80個の半導体が使われ、なかには100個を超える高級車もあるらしい。各半導体メーカーがしのぎを削るなか、この会社は今や三菱自動車のみならず世界の自動車メーカーがこの半導体を求めるまでに成長していた。

 ということは、もはや単なる下請けではなく、この半導体メーカーを中心とする新たな円ができていると言えるのではないか。だから、この「ダイヤモンド型」こそが、これまでもこのブログで何回か書いてきた「多次元的な円」なのだと僕は思う。もはや上も下もなく、自分を中心にした円が同時にいくつもできる、それが「多次元的な円」だから。

 こんな話もある。以前、孫正義氏の自然エネルギー構想はこのブログ「理想の国」でも紹介したが、6月15日に行われたエネルギーシフト勉強会(第二部)には菅総理大臣もやってきた。USTREAMでその様子を見ると、まるで別人のようにイキイキとした菅さんの姿が印象的だ。

 自然エネルギーについては30年も前から取り組んできたと菅さんが言う。たしかに話を聞いていると、付け焼刃でないのはよくわかる。だが、原子力を推進したい者たち、その利権に群がる者たちの妨害によって、ついぞ彼の持論が通ることはなかった。それがここに来て、孫さんの力を借りることによりエネルギー改革を起こそうとしている。

 マスコミはそれを揶揄しているけれど、僕はそうは思わない。一企業家が政治を動かし、総理大臣もその力に頼るという時代に、すでにシフトしているのだから。

 余談だが、エネルギーシフト勉強会の様子をUSTREAMで見ていて、これまで“イラ菅”などと言われもしたが、基本的に菅さんは思考オクターヴ系なのだと思った。対話のキャッチボールも頭を通して言葉が出てくる。だから笑いを取る話も、オチは論理的である。一方、孫さんは感情オクターヴ系だ。ひとつひとつの言葉に彼の思いや信念が宿っているので、聞いていてストンと心に落ちる。前回、エネルギー政策に関する記者会見にて「自然エネルギーの構想は素晴らしいけれど、本当にできるのか?」という質問が出たとき、孫さんは「できるかできんかわからんけど、やらなきゃいかんことがある」と答えている。もしこれが菅さんだったら、きっと違う答え方をしていたことだろう。

 話を元に戻そう。いつもと違う元気な菅さんをマスコミは揶揄するものの、今回のエネルギーシフト勉強会の様子が、テレビや新聞といったマスメディアからではなく、USTREAMというネット配信によって人々に伝わってゆくこと自体、ピラミッド型が機能しなくなっている、ひとつの証だろうと思う。

 「多次元的な円」はあちこちで始まっているけれど、最後に被災地の仮設住宅について僕が感じていることをひとつ。従来、仮設住宅といえば横一列に並んだプレハブをイメージする人も多いだろう。横一列では入口が全部同じ方向を向いているので、各世帯同士のコミュニケーションもなかなか生まれないそうだ。すると、家の中で孤独死ということも起きてくる。

 そこで被災地からは、円を描くように仮設住宅を配置し、各戸の入口をすべて内側に向けて建てるというアイデアが出ている。こうすると、円の内側に共有スペースができあがる。ふだん以上に助け合いが必要なとき、ここから生まれるコミュニケーションはお互いを救っていくに違いない。

 あいにく従来型の横一列で建ててしまった場合には、玄関の前のポーチというのだろうか、その部分にウッドデッキのようなものを敷き、並んだ各戸をつないでしまうというアイデアがあるそうだ。こうすると、ウッドデッキによってつながった所は、靴を履かずに行ける、内と外の中間的なエリアというか、両方を兼ね備えたスペースになる。

 このように、被災地の人たちが生活に支障を来たし、追い込まれた末に出てきたアイデアは、圧倒的な説得力を持ち、なおかつ魅力的だ。仮設住宅といえばこういうものだという既成概念のもと、トップダウン形式で決められたところになかなか入居者が集まらないというのもうなずける。とても住みたいとは思えない代物なのだから。国が与えるという「ピラミッド型」ではなく、そこに住まう人々がアイデアを出し合い、かつ自らが中心となる今は「多次元的な円」の時代なのである。

 そこかしこで芽生えはじめたこのような無意識が、集合意識を形成し、やがて“大きな変化”をもたらすように僕には思えるのである。

第125回 あなたの中の天国と地獄


 自分の中に地獄を持っている人は、天国をも持っている人だと僕は思う。たとえば苦しさや寂しさ、怒りや自責の念といったものがあれば、その同じ量だけ、慈悲心も生まれてくるのだと。

 だから、慈悲心あふれる菩薩のような境地は、ともすれば怨念ともいうべきドロドロとした世界を生き抜き、その果てに到達できるものかもしれない。ただ、いったん菩薩の境地に達しても、自責の念や怨念のほうも再び首をもたげてくる。天国と地獄、光と闇のあいだを行ったり来たりして、だんだん安定してゆくのではないかと思う。

 光のほうへ安定するためには、まず、菩薩の境地を獲得してなお自分の中にある闇を理解することだろう。理解できないうちは、行ったり来たりをくり返しつつ、まわりに困っている人がいれば、無意識にその人を助けようとしたりする。

 僕自身がそうだった。「素人発情地帯」や「女が淫らになるテープ」といったシリーズにおいて、出演した女の子の闇をのぞき、その闇から彼女が解放される手立てを一緒に探してきた。それはカメラを回している時間にとどまらず、仕事をほっぽり出してその子に時間を割いていた。そんな姿を見ていた女房からは「人のことを心配するより、まず自分じゃないの?」と言われたこともある。

 だが、今にして思えば、それは文字どおり「自分」なのだった。困っている女の子の力になりたいというその思いは、まず僕自身が受け取っていた。だから彼女を癒そうとして、僕は自分を癒していたのだ。

 恋人同士や夫婦間にそれを当てはめると、これまで出会った多くの女の子たちから「私はここまで尽くしたのに」的な話をよく耳にする。彼のため、夫のために、私はあれもした、これもしたと。彼女たちに共通するのは、「尽くす」という名の貸しを作り、起きるべくして起きる破局と同時に、貸しが恨みつらみに形を変えるということだ。そして「男なんて……」と男性不信に陥り、そういう自分をもまた嫌悪している。

 もしも「尽くしている」という行為が、実は自分の心の空洞を埋めるための作業であり、しかも「尽くした」分だけ、空洞は自らの手で埋められてきたのだと知れば、相手を恨まないどころか、破局もやってこないのではないかと思う。

 これは教祖や霊能者と呼ばれる人たちにも当てはまる。最初は愛から始まるのだが、ある時期から信者を増やすことに執念を燃やし、偏狭的になっていく指導者もいる。この場合も、自分が自分を癒していることを忘れなければそうはならないのに……と僕は思う。

 話が抽象的になったが、今回言いたいことは2つ。今、自分の中に地獄があるという人は決して悲観しないほうがいい。山が高ければ高いほど、谷は深いものだ。あなたの中には必ずや大きな天国が存在している。そして、人のために何かをしたとき、すでにあなた自身がそのよろこびと癒しの果実を受け取っているということだ。相手に見返りを求める必要など、もともとないのである。

第124回 咲く


春から初夏へ色とりどりの命と出会う。

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第123回 恋愛できない訳


 恋愛できない人たちが増えている。恋愛だと思っていても、実は依存でしかない人たちも増えている。そこで今回は、本当の恋愛に至るための土台というか、前提条件のようなものについて考えてみたい。

 「自由」という言葉は小学生も知っている。国語辞典には「自分の意のままに振る舞うことができること」とある。このように「自由」は束縛などがなく、自らの思いどおりに、言ってみれば「好き勝手にやっていい」という意味である。

 しかし、その「好き勝手」には「責任」が担保されていなければならない。つまり責任を取るという覚悟があって、初めて自由は行使されるべきだ。自由は主張するけれど、責任を取ることは考えてないというのでは、お子ちゃまと言われてもしかたがない。

 これまで何度も書いてきたように、世の中は今「ピラミッド型」から「多次元的な円」に変わろうとしている。「ピラミッド型」は、権力、支配、対立、競争……と、男性性の社会だった。それに対して「多次元的な円」は、母性、共生、創造、受容……と、女性性の社会である。

 前者は、上意下達の一方通行だったから、「これ、やりなさい」と言われて、その指示に従っていればよかった。これはある意味、ラクである。自分の意に沿わない指示もあるだろうが、うまくいかなければ他人のせいにしていれば、とりあえず済むのだから。でも、これでは本当の恋愛はできない。

 後者は、上も下もなく、自分が中心になる。それは他者も同様なので、自分を中心とする円は無数にでき、だからこそ多次元的となる。だれかからの指示はない。白紙に自分で絵を描くようなもので、描かないかぎり何も始まらないし、たとえ描き損じたとしても他人のせいにはできない。つまり「自由」なのだ。本当の恋愛ができるのは、言うまでもなくこっちである。

 このように自由とは、自己決定・自己責任であるから、真の意味の「自立」と言える。自分の自由が認められるためには、他者の自由をも認めなければならないから、独占欲とか執着は禁物だ。ところが恋愛においては、執着がもたらす嫉妬がとても多いし、それで悩んでいる人にもよく出会う。

 では、どうすれば執着することなく、成熟した恋愛ができるのだろう?

 僕は3歳で母が亡くなり、父も仕事の関係で家を出ていったので、自分が責任を負うということには比較的早い時期から慣れていた。たとえば、腹が減ってどうしようもないとき、近くの畑からトマトを盗って食べた。でも、捕まれば袋叩きに遭う。それは文字どおり体で覚え込まされた。だから、その覚悟があって盗りに行くのである。

 戦時中だったから、いつ爆弾が落ちてくるかわからない。実際、アメリカ軍の飛行機はしょっちゅう飛来していたし、爆弾もよく投下された。戦後は戦後で、自分が食べるためには銅線を拾ったり、ヤクザの手先になって米軍キャンプに忍び込んだりした。生きることに精一杯で、先のことなど考える余裕もなかった。好むと好まざるとにかかわらず、その瞬間瞬間にしか生きられなかったのである。

 けれども、結果的にはこれが幸いしたとも言える。恋愛に話を戻せば、瞬間を生きることこそが、執着を生まない唯一の方法なのだ。僕は若い頃には何人もの女たちと恋愛をしたが、彼女たちを本気で好きになっても、執着は湧かなかった。だから、嫉妬に苦しんだ経験もない。

 「ザ・面接」シリーズにおいてある時期から「瞬間恋愛」をテーマに取り上げたのも、恋愛のヒントにしてもらえればという思いがあったからだ。今という瞬間に意識をフォーカスし、好きな人とのセックスに熱中できる人は、その後は好きな人のことなど意識になく、仕事にも熱中する人だと言えるだろう。こんな人は過去を引きずっていない。でも、今とトータルに向き合い生きていれば、実は別れもやってはこないのである。
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