週刊代々木忠
いまこの瞬間の代々木忠の想いが綴られる
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第223回 中国の暴動と日本のお父さんに見る進化と絶滅のボーダーライン
同じ日に見た2つのテレビ番組。「NHKスペシャル」と「Mr.サンデー」。扱っているテーマはまったく異なるのに、続けて見たら問題の根っこは同じなんだと思えてきた……。
見ていない方のために、それぞれの内容を簡単に紹介しておこう。
まず、6月16日午後9時からの「NHKスペシャル」。タイトルは「中国激動 怒れる民をどう収めるか ~密着 紛争仲裁請負人~」。中国では1年に約20万件の暴動やデモが起きているという。20万件と言われても、なんだかピンと来ないが、平均すれば1日あたり約550件起きていることになる。それって、凄い数字だ。
カメラは土地開発をめぐって住民と地元政府が対立して
いるひとつの村を映し出す。地元政府が土地開発を強行するのは、開発が莫大な利益を生むからだ。中国の場合、もともと土地の個人所有は認めておらず、使用権のみが与えられている。農業を生業(なりわい)とする住民たちの土地使用権を幾ばくかの補償金と引き換えに取り上げ、立ち退かせて、その広大な土地を大企業に売る。
つまり、住民に貸していても上がりは知れてるわけで、それでは中央政府が課してくる税収の債務が果たせず、地元政府は生き残っていけない。大企業はその土地にたとえば工場を建てたり、ニュータウンやショッピングセンターを建設したりするわけだが、この村の場合、地元政府は日本円に換算して30億円を手にしている。
しかし、土地を取られた住民たちは、とても食ってはいけない。与えられた補償金もすぐに底をつく。この村では土地開発業者と住民との間に乱闘が起き、多くのケガ人が出ている。そればかりか、立ち退きを拒んでいた住宅で不審な火災が発生して人が死んでいるし、国に苦情を訴えようとした者は地元政府の役人に連れ戻され投獄されたりしている。
ただし、こういった対立は、この村に限ったことではない。なにせ日に550件の暴動だ。そこかしこで同じようなことが起きている。それは経済成長の陰で広がった社会のひずみでもある。
カメラが入ったこの村では、住民たちの命がけの抵抗に遭い、土地開発は中断を余儀なくされている。手に負えなくなった地元政府の役人は、事態を収拾すべくというか、開発を再開すべく、民間の機関に仲裁を依頼する。それが番組タイトルにもある紛争仲裁請負人・周鴻陵(しゅうこうりょう)さんの会社である。
この続きはあとで書くとして、いったん同16日午後10時から放送された「Mr.サンデー」(フジテレビ)にもふれておこう。今回この番組の中で僕が面白いなと思ったのは、日本の父と娘の関係の変化である。
番組によれば、今「パパ大好き!」と言う娘が増えているらしい。といっても、幼稚園児や保育園児ではなく、年頃の娘たちの話だ。ついこの間まで、父親たちは「おんなじ空気を吸うのもイヤ!」とか言われてたんじゃないのか。それが今や娘たちは父親と腕を組んでデートをしたり、一緒に撮った写真をケータイにいっぱい入れていたり……。
2人で食事に行って、娘から「あ~ん」とデザートを食べさせてもらっているお父さんの姿が映る。それを見つめる娘は、まるでわが子に向けるような眼差し。また、別の家では、長風呂でなかなか出てこないお父さんにしびれを切らした娘(24歳)が、なんと自分も風呂場に入っていく。もちろん裸で……。中ではダイエット話で盛り上がっている模様。あとで「恥ずかしくないのか?」と訊かれたお父さんは「小さい頃からずっと入れてましたから」と答える。ええっ、さすがに風呂はないだろ!と僕はツッコミを入れつつ、でも凄いなぁと思った。
一方、対極にあるような父娘も紹介される。食事の風景。子どもは3人いるのだが、食事中は私語禁止。4年前にもこの家庭を取材しており、その画も流れるが、まったく変わっておらず、聞こえるのは食器の音と父親の声だけ。この威厳に満ちた昭和のオヤジが言う。「大人を敬う気持ちを親がきちんと教えないといけない」と。確かに僕らが子どもの頃、「子は親の言うことを聞くもの」とよく言われた。だから、彼の言い分もわからないではないけれど、見ているだけで僕は息が詰まりそうになった。
中国の村に話を戻そう。地元政府で住民交渉を担当してきた役人のインタビューがある。彼によれば、これまでは説得しやすい住民から切り崩していったそうである。わずかな補償金を握らせて「この村全体が栄えるのに、なんでおまえは従わないのか!」と強引に迫る。そして説得が難しい住民には、わざと時間稼ぎをして諦めるのを待つのだそうだ。
これまではずっとそれで押し通してきた。それに対して住民たちは泣き寝入りするしかなかった。ところが、今は違う。「政府はおまえらのことを一番に考えて、やっているんだから」なんて言っても、「なに寝言いってんだ!」になる。“知らしむべからず”だった民が、インターネットや住民同士の情報交換ですでに“知ってしまった”のだから、地元政府の嘘や建前はもはや通用しない。
にもかかわらず、役人は「民は御上(おかみ)の言うことに黙って従うもの」という旧態依然とした考えをいまだに捨て切れないでいる。これって、似ていないだろうか? 「子は親の言うことを聞くもの」という考えを切り替えられない昭和のオヤジと。
もちろんオヤジはオヤジなりに、子どもの行くすえを案じ、よかれと思って、父の威厳を保とうとしている。だから、住民のことなど所詮は考えてはいない役人と同列に論じるのは、ちょっと可哀想かもしれない。だが、「親の言うことを聞いときゃ間違いない」という論理を力ずくで押し通していけば、いつかどこかで手痛いしっぺ返しを食うはずである。年間20万件の暴動を抱える中国が、このまま行けば内部から崩壊しかねないのと、そこは同じなのだ。
紛争仲裁請負人の周さんのところには、この村のみならず、中国各地の住民からも地方政府からも、仲裁の依頼がたくさん寄せられている。そして、なんと中央政府からも中央党校の教材にしたいと、「住民の集団抗議行動への対処」をテーマに執筆を依頼される。中央党校といえば、習近平国家主席が昨年までトップを務めていた、共産党幹部養成の中枢機関である。そんな重要な案件を民間に依頼するなど、これまででは考えられないことだった。しかし、それほど中国は追いつめられ、切迫した危機感を抱いているのだ。
「父親とはこういうもんだ」という固定観念に縛られ、甘い顔など見せたら子どもにナメられると思い込んでいる昭和の父たちよ、時代の変化に自らが対応できるのか、あるいはできないのか。そのカウントダウンはすでに始まっている。残された時間は……中国とさほど変わらないのかもしれない。
6月27日(木)、全28タイトルに増えました!
2013-06-28(00:00) :
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第222回 ナチュラル
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2013-06-21(00:00) :
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第221回 巨根ゆえに
人妻はアダルトビデオに欠かせない存在である。彼女たちは作品に力を与えてくれる、ありがたい存在なのだ。ただ、監督という立場を離れ、妻をもつ一人の男に戻ったとき、「夫がいながら、おまえ何考えてんだ!」という思いも正直ぬぐい切れない。そんな相反する気持ちで彼女たちと向き合ってきたが、先日撮った「ザ・面接 VOL.134」に出た人妻には、心から「ああ、出てよかったな。出るしかないよな」と思った。
なぜなら、彼女にはこんな事情があったからだ。結婚して3年。ダンナさんは外国人で、ある宗教の信者(国籍と宗教名はあえて伏せておく)。彼女自身は日本人で30代後半。ここまでなら、ビデオに出る理由もないのだが、ダンナさんのオチンチンが並外れて大きいらしい。どのくらい大きいかというと、握ろうとしても指がまわらないのだそうだ。
結婚して最初のセックスで彼女のアソコは切れた。それ以降、痛くてできない。ダンナさんもそこは理解してくれて、もう入れようとはしないという。「そうすると、彼はあなたを手でイカせるの? あるいは舐めるとか?」と訊くと「宗教上、そういう行為は許されないんです」と彼女。いや、「そもそも結婚する前に寝てるだろ」って話なんだが、それも「宗教上、許されない」らしい。
「なんで別れないの?」と訊いた僕に、彼女はこう答えた。「尊敬してるから」。ダンナさんはものすごく厳格というか、とても敬虔な信者なのだ。戒律によれば、クンニやフェラといった愛撫ばかりでなく、自慰行為も禁じられている。だから彼は自分で出すこともしない。
彼女も結婚と同時に入信しているが、「私は守ったフリをして守っていない」そうで、この3年間、ダンナさんがいないときにビデオを見ながらオナニーしてきた。そのビデオの中では、みんな自由奔放に快楽を貪(むさぼ)っている。だから、彼女も一歩を踏み出すことにしたのだ。最愛の夫と暮らしながら、彼女にとってはそれしかセックスする方法がなかったのである。このダンナさんならビデオを見ることもないだろうし、バレる可能性は確かにきわめて低い。
現場で終わったあと、彼女は今の思いを吐露した。それを聞いて、エキストラの女の子たちは口々に「よかったね」と彼女を肯定した。何人かはウルウルしている。特異なケースではあるけれど、女同士ゆえ彼女の気持ちはよくわかったに違いない。
僕はといえば、戒律を守らせてしまう宗教の力についてあらためて考えていた。彼女の場合は挿入もできなかったわけだが、もしふつうのサイズだったとしても、許されるのは挿入だけのセックスであり、前戯といえる前戯はないのだろう。つまり、それは生殖のための行為として認められているだけで、快楽の追求が許されているわけではない。
僕は教義も知らないけれど、その宗教の中には人間の本能を禁じてでも、それを補って余りある教えがおそらくあるんだろうと思う。そして性の快楽を戒めたのは、当時の状況というか、社会的な背景が大きかったはずだ。ただ、時代が移り、人々の生活様式が変わろうとも、その戒律だけは変わらずに生きている。現代人である僕としては、そこに違和感を覚えるのである。
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2013-06-14(00:00) :
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第220回 反スマホ過敏症
つい先日のことである。事務所が入っているビルの1階で、僕はエレベーターを待っていた。階数表示ランプが降りてきて、ドアが開く。なかには若者が一人乗っている。が、スマホを見ていて出てこない。ひと間(ま)、ふた間……。気づいてないのか? 声をかけようかと思ったとき、やっと彼は歩き出した。顔は上げない。
エレベーターホールと呼ぶには狭い場所なので、僕は脇に立っていた。だが、視界に僕が入ってないのか、そのまま進んでくる。肩があたりそうになって、思わず僕のほうがよける。彼は無言でスマホに目を落としたまま、ビルから出ていった。「目ぇ覚まして歩けよ!」と言ってやりたいところだが、きっと同じビルの人間だろう。僕はやり場のなくなった苛立ちを飲み込んだ。
場所は違っても、似たような経験をした人はたくさんいるんじゃないだろうか。僕も今回が初めてというわけではない。歩道などで正面からスマホを見ながらまっすぐ歩いてきて、こちらがよけたというのは数知れない。彼らが、それこそ脇目も振らずに何をしているのか、僕は知らない。ゲームかもしれないし、LINEなのかもしれない。
僕には彼らがまるで異次元にいるように見える。肉体はそこにあるものの、意識はスマホの中の世界に行ってしまっている。道を歩いていて、人とぶつかりそうになったら、「すみません」とか「失礼」とか、ふつうは何かを口にする。他意はないことを表明することによって、無益ないざこざを回避したり、お互いがイヤな気分にならないための術。それも重要なコミュニケーションである。
ところが、彼らは言葉を発しない。いや、そもそもぶつかりそうになったこと自体、わかってないのではないか。彼らはそこにいるように見えて、じつはいないのだから……。
こんなこともある。道を歩いていると、後ろから話し声がする。同じ人間の声しか聞こえないので気になってふり返ると、一人しかいない。ひとり言なのか? よく見るとイヤホンのようなものを耳に入れてしゃべっている。電話なのだ。
ケータイやスマホを耳にかざして話しているのは、もうざらである。“自分の世界”真っ只中で、傍から見てるとバカみたいだが、本人はテンションマックス。大声でプライベートな話をしている。大勢の人が行き交うパブリックな場所で。
もともと電話はプライベートなものだったはずだ。家庭や企業に固定電話が引かれたとき、かりに家族や社員に聞かれることはあっても、見ず知らずの人の耳に入ることはない。公衆電話も昔はボックスの中に入っていて、ドアを閉めて話をした。店先や駅構内などに剥き出しで置かれた場合でも、近くに人がいれば通話口を手でおおい、小声で話したものである。個人的な話を他人に聞かれたくないというのもあるけれど、やはりそれが嗜(たしな)みだと思ったからだ。
にもかかわらず、今はプライベートとパブリックがボーダーレスになっている。公衆の面前で個人的な話をケータイやスマホでガンガンしている者にとって、まわりの人々は単なる景色としか映らないのだろう。
ケータイが登場し、それがスマホになって、いろいろ便利になったのは僕にもわかる。それまでは自分が行動することで手に入れていた情報が、どこにいようとスマホ画面に呼び出せるようになった。だが、便利なのがいいことばかりとは限らない。それじゃあ、肉体を持っている意味がないじゃないかと僕はしばしば思う。
僕のような人間を「反スマホ過敏症」というらしい。なるほどそうかもしれない。しかし言わせてもらえば、ほんの何年か前までは僕のような考えがふつうだったと思うのだけれど……。
1日に2時間以上、スマホの中の世界にいると、それは依存症の可能性もあるらしい。みなさんは大丈夫だろうか?
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2013-06-07(00:00) :
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