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第74回 「YANNI TRIBUTE」

 中学生のころ、米軍キャンプで僕はアルバイトをしていた。ちょうど朝鮮戦争のさなかだったので、北九州には米軍キャンプがたくさんあったのだ。

 親しくなった一人の黒人兵士が戦場へ行く前日、「これ全部おまえにやるよ」とたくさんのレコードをくれた。ジーン・クルーパーやマイルス・デイビスをはじめとするジャズの名盤ばかりだった。といっても、当時の僕にはすべてが初めて聴く曲である。世の中にはこんな音楽があるのかぁ......と、めまいを覚えた。

 それからというもの、ジャズを聴きあさった。ジャズに魅了される一方、九州という土地柄、和太鼓にもハマッていく。そんなところへ、ラテン系の音楽が入ってきて、マンボの時代が訪れる。ラテン音楽は肌に合った。フラメンコも聴きはじめた。こうしてその後もいろいろなジャンルの音楽に僕はふれてきた。

 今、音楽に関して思うのは、次のようなことだ。

 民族音楽的なリズムは「本能オクターヴ」と共鳴する。たとえば鬼太鼓座(おんでこざ)や鼓童(こどう)の音は、本能に響き、本能を揺さぶる。ラテン系やアフリカンビートも本能オクターヴを直撃する。

 フラメンコやタンゴや演歌などは「感情オクターヴ」を癒す。17世紀末、フラメンコを生み出した感性の民ジプシー。そのフラメンコは20世紀に芸術にまで昇華する。フラメンコのドンであるペトロ・ぺーニャは言う。「フラメンコは人類の大切な遺産だ。感情、心がこもっている並はずれた音楽だ」と。わが国においても、敗戦によって日本人のプライドは傷つき、感情がズタズタになったのを癒してくれたのは、演歌だった。

 一方、クラシックには「思考オクターヴ」が反応する。クラシックを聴くことにより、考え過ぎを中和しているのかもしれない。

 このように音楽のジャンルによって、共鳴する「オクターヴ」も変わってくる。ところがである。ひとつの音楽で「本能」も「感情」も「思考」も同時に癒してしまう音楽がある、と言ったら驚かれるだろうか。

 それが「YANNI TRIBUTE」である。これはヤニーが、中国の紫禁城とインドのタージ・マハルでのライブを収録したものだ。「YANNI TRIBUTE」は音楽だけのCD版と、映像と音楽のDVD版が出ているが、僕はDVDのほうを断然お薦めする。なぜならば、映像と音楽を同時に体に入れることによって、魂が揺さぶられる効果はいっそう高まる。実際、カメラワークも編集も上手い。

 ヤニーのありように共感し、触発され、術を競い合ったソリストたち、まさに現代の匠たちが奏でる異次元の世界。私たちはどこから来て、どこへ行くのかに気づきはじめたアーティストたちの饗宴。「本性」「感性」「知性」の融合。それが「YANNI TRIBUTE」である。

 僕はその映像と音楽にふれたとき、まず鳥肌が立った。圧倒的な音のメッセージ性。研ぎ澄まされた旋律。本能を揺さぶるリズム群。そして三位一体のハーモニー。すべてをゆだねるに値する世界に包まれていた。なぜかうれしかった。気がつくと、涙があふれていた。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第73回 本能と直観を育てる方法

 先日、高校教師をしている40歳の男性から手紙をいただいた。その手紙によれば、風俗の女性を抱いたことはあるけれど、いわゆる素人女性とは生まれてこのかた恋愛もセックスもしたことがないという。

 手紙を読ませてもらって、この人は本能が未成熟なのだと思った。もっとも、本能が未成熟なのは彼だけに限った話ではなく、いまや多くの日本人が彼と似たり寄ったりのような気もする。

 人間が食うや食わずの頃は、衣食住を確保するために全精力を傾ける。これは「生活の文化」の時代であり、本能の領域がそのほとんどを占める。わが国の歴史をふり返れば、直近では第二次世界大戦後がそれにあたるだろう。

 とりあえず衣食住が満たされれば、次には「感性の文化」が花開く。たとえば空腹を満たすためには美味い不味いなどと言ってはいられないが、余裕が出てくればグルメだ美食だということになり、寒さを防げればとりあえずなんでも着たのに対して、デザインが流行がという話になる。もちろんこれらの感性は、芸術をも育んでゆくわけだが。

 次に来るのが「知性の文化」の時代である。いまの日本がこれで、思考オクターヴ系が主導権を握っている。戦後、物質的豊かさを追求してきた、そのツケというか、歪みがあちこちに現れたとき、人は心の豊かさにいったん目を向けようとはしたものの、名ばかりの「ゆとり教育」は失敗に終わり、格差社会の警鐘とともに、少子化もあいまって、教育熱は以前にもまして顕著であるように僕には映る。

 さて、冒頭に紹介した素人童貞である高校の先生も、手紙を読ませてもらったかぎりでは、思考オクターヴ系であると拝察する。思考型人間は情報を集めて分析するのが得意だ。より正しい結論を導き出そうとするがあまり、情報量は多ければ多いほどいいと思い込んでいる向きもある。

 でも、そのぶん本能が未成熟だから、とりわけ感情オクターヴと本能オクターヴが主導権を握るべき恋愛やセックスでは、自信がなく、でもそれを情報で埋めようとして、さらに迷い道へと入ってゆく。

 今回は、本能と直観を育てる方法のひとつを紹介しよう。

 季節も暖かくなってきたので、あなたが山に行くとする。それも自分ひとりだけで。持って行くものは、1リットルの水、塩、そしてテントか寝袋。ちなみに塩は山ヒル対策用である。どのみち、野宿を覚悟してほしい。

 街のネオンが見える所ではなく、まわりに人工物のない山がいい。なぜなら、武器も食べ物も灯りも持たず、自然の中に身を置くことが今回の目的であり、それがすべてだから。できれば月の出ない夜がいい。

 目的地には、遅くとも日没前には到着したい。必要な人はテントを張り、そうでない人は寝袋を敷く場所を確保して、訪れる夜を待つ。暗闇があたりを支配し、その闇が深くなるにつれて、自然は徐々に音を消してゆく。

 何も見えない中で、物音ひとつに聴覚を研ぎ澄ませ、見えない闇を凝視する。匂いにもきっと敏感になる。言われなくても、自分の五感をフルに働かせることになるのだ。

 ちなみに、ある人に言わせれば、里山はかえって危険なのだそうだ。里山とは人里近くにあり、人間の住む場所とその対極にある自然との境界線でもある。つまり山に棲む動物たちが里山に下りてくるのは、だいたいエサがないときで、彼らは戦闘態勢でやってくる。だから充分気をつけてほしい。

 万一なにかのトラブルに巻き込まれたとしても、僕に文句は言わないでいただきたい。自己責任のもと、あなたがたったひとりで、リスクと向き合うのである。何が起きるか、わからない。だれにも頼れない。頼れるのは自分だけ。究極の恐怖。

 この恐怖に対するあなたへの報酬は「野性」である。あなたの中に眠っている野性が、必ずや目を覚ますに違いない。野性は本能オクターヴの成熟を加速させ、感情オクターヴの直観を働かせはじめる。直観とは言い換えれば「洞察力」である。それまで見えなかった物事の真理が実感をともなって見えてくる。きっとあなたの、その後の人生は変わる。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第72回 不思議な夜の出来事

 今から12年ほど前のことである。このブログでも紹介した山の家(千葉県鴨川市金束)に僕はやってきていた。そのときはいつもの仲間に加えて、3人の女の子たちも一緒だった。

 彼女たちはいずれも多重人格者である。3人の中にいる複数の人格のなかには、小さな子どもがいる。そして、ひとりに子どもの人格が出ると、ほかの2人にも同様のことが起こった。

 陽も落ちて夜の帳(とばり)につつまれた頃、"3人の子どもたち"と「庭で花火大会をしよう!」という話になった。僕たちは母屋の囲炉裏の前を離れ、みんなで庭に出た。山の家は敷地の正面奥に母屋があり、敷地の右端に別棟として風呂場と蔵が並んでいる。つまり、敷地の中央は大きくあいた庭になっているのだ。

 花火に打ち興じていたから、僕は囲炉裏の火のことを忘れていた。もっとも、忘れていたのに気づいたのは母屋に戻るときである。だれも見る番をしていなかった火は、もう消えているに違いない。

 ところが、囲炉裏の前に行って驚いた。火は小1時間前、母屋をあとにしたときと同じように燃えている。「誰か、くべたの?」と思わず僕は訊いていた。炭壺をのぞくと、確かに炭は減っている。でも、誰がくべたのだろう? 庭から母屋に戻った者はひとりもいなかったはずなのだが......。

 すると、まいちゃんという子どもの人格がこう言った。「ここにいる人が、炭、ちゃんとやってくれてたよ」。ここにいる人? この山の家は僕が借り受けており、だれも住んではいない。つづけて、まいちゃんは「おばあちゃんが『いいのかなぁ』『いいのかなぁ』って言いながらやってたよ」と言う。「おばあちゃん?」。「うん、イガグリ頭のおじいちゃんもいたよ」。「そう......。炭、減ってるもんねぇ」。

 僕はまいちゃんの話を聞きながら、この世には実在しない誰かが、実在する炭をくべていたのだろうかと思った。「満月の夜はできるの、そういうことが」と彼女は言い添えた。庭の上には、大きな満月が青白い光を放っている。

 僕は彼女に「どういう人だったの?」と訊いてみた。「おじいちゃんと、おばあちゃんと......全部で3人いるよ」と彼女が答える。「じゃあ、せっかく炭を入れてくれたんだから、お礼しなきゃね。何がいいかなぁ?」。ややあって、「うん、『お酒がいい』って言ってる」。「どんなお酒、なんだろうねぇ?」。「日本のお酒」。

 僕は台所から日本酒とグラス3つを持ってきて、囲炉裏のコーナーに白い紙を敷き、その上に日本酒の入ったグラスを並べた。「ひとりはジュースしか飲めないから」とまいちゃん。くわしく聞くと、おじいちゃんとおばあちゃん以外は、どうも子どもらしい。「ああ、そう、わかった」と僕は、ひとつのコップをオレンジジュースの入ったものに取り替えた。

 それからしばらく囲炉裏を囲んで、みんなで飲み食いしながら盛り上がっていると、一緒に来ていた鬼闘監督が大声を出した。「あれーっ! お酒、減ってる!」。入れたときより確かに量が減っているように見える。その後も夜が更けるまで宴は続いたのだが、グラスの中身は少しずつ減りつづけたのだった。まいちゃんの言ったとおり、満月の夜にはこういうことが起きるらしい。

 多重人格(解離性同一性障害)は、自分では抱え切れない心的外傷を受けたとき、それを自分に起こったことではないと、人格を切り離すことによって苦痛から逃れる防衛機制だという。多重人格者の中に子どもの人格がいるのは、その幼い時期に誰かから心的外傷を受けた証左でもある。人によって状況は異なるとしても、圧倒的に多いのは親からの虐待だと言われる。

 子どもは大人に比べたら、力も弱いし、知識や経験も少ない。だから、最も愛する親から暴行を受けたり無視されたりしたら、自分が悪いのだと思い、なにも打つ手は見つけられないだろう。しかし、子どもだからこそ、大人には見えないもの、たとえば視覚ではとらえられないものや言葉の向こう側にあるものが見えることもきっとあるに違いないと僕は思う。だから、虐待などはもってのほかだが、どうせわかりはしないだろうと、ゆめゆめ嘘などもつかないほうがいい。

 余談だが、のちに地元の人たちに花火の夜の話をしたところ、その山の家では、かつてイガグリ頭のおじいさんがおり、その孫は5歳のときに病気で亡くなったそうである。

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第71回 続々・香港珍道中

 前夜に締め出しをくった僕たち3人は、このまま野宿というわけにもいかず、明石さんが王先生をはじめあちこちに電話をかけまくった結果、やっと鉄格子の扉を開ける暗証番号を聞き出すのに成功した。

 といえば聞こえはいいが、門限を過ぎた場合の扉の開け方を書いた紙を僕は渡されており(英語だけど)、そこには暗証番号がひときわ大きな数字で書かれていたのだった。

 一夜明けて講演当日、来賓宿泊施設の専用レストランで僕たちは朝食をとった。きのうのレストランもそうだが、ここでもあちこちで、世界の大学からやってきたであろう学者たちがテーブルを囲んでいる。きのう、王先生とのミーティングに向かう際、僕が講演の参考文献やノートを抱えて歩いていると、キャンパスで行き交う学生たちは、他大学からの来賓を見るような視線を投げてきた。いま、このレストランでの対応も同様だ。

 それに加えて、まわりはホンモノの学者となると、僕はなんだか自分までもが学者になったような気分に陥っていた。自分で自分を笑っちゃうけど、これが実に気分いいのである。

 いやいや、そんなことは言っていられない。きょうは講演本番だ。そのために来たのだから。その講演は、ほとんどぶっつけ本番になってしまった。事前に用意した7つのチャートも2つしか使わなかったし......。

 講演の風景は、齋藤さんが撮ってくれた映像の一部を文末につけるので、そちらをご覧いただきたい。

 でも、講演中に集まった300人ちかくの学生たちが最も興味を示したのは、実は元ヤクザの欠落した小指だったのだけれど......。というのも、事前に自分のプロフィールを王先生に送る際、僕は小指がないことも書いた。それを王先生が英語で生徒たちに説明する。僕は最前列の中央に座っている女子学生に「見たいですか?」と訊いた。彼女は「見たい」と言う。なので、座っている彼女の目の前に小指を出すと、学生全員がいっせいに立ち上がったのだった。

 王先生は陽気でパワフルな人物で、奥さんもフランクに接してくれた。2日目の夜も、僕たちは先生夫妻と4人の学生とともに、香港を食べ歩き、飲み歩いた。最後に行ったオープンカフェで、僕は奥さんや女子学生たちから質問責めにあった。むろん性に関する質問も含んでいる。

 たとえば、東大を卒業し今香港大学の博士課程にいる女子学生は、香港滞在中いつも僕の横にいて、ことあるごとに流暢な日本語で通訳してくれたのだが、彼女は、博士号をとって活躍している多くの先輩女性が、本当はプライドと性の狭間で迷い道に入っていることを僕に打ち明けてくれた。そして、自分もこれから先、性とどのように向き合ったらいいのか、きょうは考えさせられたと。

 おそらくは思考オクターヴ系の人間たちがそろった香港大学にて、セックスは単なる快楽の道具ではなく、オーガズムを体験すれば人生までもが変わるのだという僕の話が、彼らのセックス観にもしも一石を投じたとすれば、香港まで来た甲斐があったなぁと、僕はその夜、感じていた。

 さて、3日目は帰国の日である。大学から空港までのタクシーを手配してもらったのだけれど、これがいつまで待ってもやってこない。キャンパスの中には流しのタクシーもいない。

 このままでは飛行機に乗り遅れるのではないかと僕が心配になったころ、明石さんがどこからか1台のタクシーをつかまえてきた。3人が乗り込むと、明石さんが「エアポート」と運転手に告げる。タクシーが香港特有の急な坂道を縫うように下り、街に出た。

 これなら乗り遅れる心配はないと僕が思ったのも束の間、タクシーが止まる。降ろされたのは、空港行きの電車の駅だった。まぁ、これがなかなか快適な電車で、30分もかからず空港に到着したから問題はなかったのだが、最後の最後までおかしくも楽しい旅だった。



僕の話を的確に通訳してくれているのが王向華先生(Dr.Dixon)

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