週刊代々木忠
いまこの瞬間の代々木忠の想いが綴られる
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第227回 児童ポルノ禁止法
「児童ポルノ禁止法」の改正案が衆院に出されたのが2カ月ほど前。その内容についてはいろいろ物議をかもしているので、ネット等で読んだ人も少なくないだろう。
読んでない人のために簡単に説明しておくと、改正案というくらいなので、「児童ポルノ禁止法」自体は今もある(正式には「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」という)。子どもたちの虐待にあたる児童ポルノを根絶するための法律である。
たとえば、大人の金儲けのために子どもの写真や映像を撮って売ったり、子どもに売春させたり買春したりは、当然やってはいけないことで、虐待の根絶が社会的に間違っていると言う人はきっといない。
で、今回の改正案の争点は2つあって、1つは児童ポルノの規制対象が漫画やアニメにまで拡大されたこと。つまり、写真や映像といった実写には、被写体となる子どもがいる。彼らが被害者である。ところが、漫画やアニメの場合、実在のモデルがいるケースを除けば、被害者が存在しないではないかという声があがっている。
また、世界に冠たる日本の漫画・アニメである。それが規制対象となれば、「表現の自由」を阻害しかねないと懸念する声があちこちから聞こえる。だったら「ドラえもんのしずかちゃん」や「トトロのメイやサツキ」の入浴シーンはどうなるのか、児童ポルノか否かの境界線は、いったいどこにあるのかと……。
先月、漫画家のちばてつやさんに会った。ちばさんは現在、日本漫画家協会の理事長もされている。今回の改正案には頭が痛いようだが、それはちばさん自身の作品づくりにおいて困っているわけではなく、若い漫画家たちの「表現の自由」をどう守ってゆくかという理事長としての悩みなのだ。
ちばさんに訊いたら、日本の漫画界において自主規制機関はないというので、「ぜひそれを作られたらいかがですか」と申し上げた。というのは、前述の「児童ポルノか否かの境界線」の話に戻るが、僕はそんな境界線ははなから引けないと思っている。何をワイセツと感じるかは、本人の主観の問題だからである。40年前の日活ロマンポルノ裁判において、検察側はついぞワイセツの概念を示すことができなかった。そしてそれは今も変わらないだろう。
ところが、グレーゾーンゆえに、作り手側は「ひょっとするとこれも引っかかるのか?」という疑念がつねに生じる。実際に摘発されれば、そこに時間もエネルギーも費やさなければならない。ならば、性の学識経験者や専門家を入れた第三者機関としての自主規制機関を作り、そこを「表現の自由」の防波堤にすべきではないかと僕は思ったのだ。
とはいえ、なかには目を覆いたくなるような作品があるのもまた事実だ。描かれた被害者がいないからといって、それが新たな被害者(犯罪)を生まないという保証もない。だから「表現の自由」の名のもとに、野放しがいいというわけではもちろんない。そういった、人の目にふれないほうがいいような作品に対しては、表現の自由の「良心」として、自主的に注意を促すことが可能になる。
ちばさんは僕の話を黙って聞いていた。だが、聞き終わってから「そういう機関は必要ですね」とはならなかった。かといって「そりゃ無理ですよ」と言われたわけでもない。ただ、黙って考え込むその姿を見ていると、タイトな締切との闘いのなかで「審査」というワンクッションを入れることはやはり難しいのだろうと僕は思った。加えて、たとえ自主規制であっても、表現を規制されることへの抵抗もひょっとしたらあったのかもしれない。
改正案の2つ目の争点は「単純所持の禁止」といわれるものである。つまり、持っているだけでアウトなのだ。しかも、児童ポルノの定義が曖昧な状態で……。争点1は漫画・アニメの作り手側におよぶ話だったが、単純所持はすべての人が対象となる。別件逮捕で引っぱろうと思えば、こんなに都合のいい法律はない。
話は変わるが、7年前に撮った「ザ・面接 VOL.90」に現役の保育士(30歳)が出演している。このエピソードは、かつて別の話でもちょっと書いたが、今の保育園児は先生の乳首を大人顔負けのテクニックでつまみ、「きのう、うちのパパとママ、やってたよ!」とか「先生もやるの?」とか「先生の乳首、黒いの?」とか……大人の知らない園児たちの性意識の実態が、先生の口から実にリアルに語られている。
子どもの人格や人権は守られなければならない。けれども、子どものことを本当に考えるならば、いろんなところにペナルティを課す前にやらなければいけないことがあると僕は思うのだけれど……。
(つづく)
7月26日(金)、全30タイトルに増えました!
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2013-07-26(00:00) :
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第225回 医者をめざす彼女の秘めたる性癖
面接会場に入ってきた相馬幸子は、ひと言でいえば覇気のない子だった。隊長の市原が「朝ごはん食べた?」と訊いてしまうくらいに。24歳の大学院生で、専攻は経済。専門的なことを聞いても僕らにはわからないが、「途上国と先進国の関係を学んでいる」と彼女は言った。
そして将来は医学部に進みたいので、また大学に入り直すと。大学院まで行きながら、なぜ医学部に入り直すのか問うと、途上国で医者をやりたいと言う。「途上国と先進国の関係」を学ぶうちに、きっと進むべき方向が見えてきたのだろう。そんな幸子の出演動機は、医学部の学費を稼ぐためだった。彼女いわく、生活費を含めると3000万円くらいかかるらしい。
幸子には、大学院で同期の彼がいる。彼とはどんなセックスをしているのか訊かれて「オシッコをかけ合ったりとか」と答えた。くわしく訊いてみると、週1回くらいの割合で、彼と互いの顔にオシッコをかけ合っているらしい。それも、終わったあとに拭くとは言うけれど、トイレや風呂場ではなく部屋でしていると言う。「賃貸やったら貸したくないな」と市原。
ふつうの人から見たら、かなりの変態である。SMもそうだが、頭を使う人ほど、脳の刺激による快楽を求める傾向が強い。それは幸子と担当面接官・森林との会話からもうかがえる。
森林
「なんでオシッコなんかかけるんですか?」
幸子
「かけられると興奮するんですよ。ふつう絶対あり得ないことじゃないですか、トイレにするものだから」
森林
「あり得ないってことはわかってるんですね」
幸子
「そう、それが興奮するんです」
そしてこのあと、幸子は森林に「オシッコをかけてください」とせがむ。そればかりか、汚い言葉でののしられたいという本人の希望どおり、オシッコとともに「ブタ!」「ド変態!」といった言葉を浴びせかけられた。顔じゅうオシッコまみれの彼女に僕は訊いた。「なんでそんな恍惚とした顔すんの?」。幸子が答える。「うれしいんです」。その表情はキラキラと輝いている。
放尿したばかりのオチンチンをうっとりとした顔で咥え、やがてセックスが始まった。その間も「もっとののしってください!」と本人が言うので、男たちは汚い言葉を浴びせつづけた。セックスが終わると、今度は「精子、飲みたいです」と言う。そしてオチンチンばかりか、コンドームに残った精子までを飲み干した。
これまで女の子たちに、セックスで精子を飲むかどうかについて訊いてみたことがあるが、「好きな人だったら飲みたい」と答える子が多い。だが、幸子の場合は、森林が好きだから飲みたいわけではむろんない。オシッコを顔にかけられるのも、汚い言葉でののしられるのも、そしてコンドームの精子を飲み干すのも、すべて自分を辱(はずか)しめ、貶(おとし)めたいからである。そんな汚された自分を意識し確認することで脳が欲情している。
しかし、刺激は慣れるにしたがって鈍化するから、「ふつう絶対あり得ない」の度合いはどんどんエスカレートしていく。延長線上には食糞もある。
僕はこの作品では、あえてありのままを見せるにとどめた。幸子からたとえば「やっぱり異常だと思うので、ここから抜け出したい。どうしたらいいんでしょう?」と相談されれば話は別だが、実際、彼女は何もアドバイスを求めてはこなかった。ならば、今の段階では大きなお世話にしかならないだろうと思ったのだ。
2005年に撮ったものなので、あれから8年になる。幸子はどうしただろう。その後、彼女に関する情報は何も入ってきていないが、望みどおり医者になり、途上国の医療へ貢献してるんじゃないかと僕は思っている。
なぜそう思うかといえば、将来について語る彼女に、まったく揺れを感じなかったからである。大学名は出せないけれど、あのとき名のある大学の院まで行っていた。医学部入学は大変なことには違いないが、それを訊かれたときも「勉強のほうは、どうにかなりそうなので」と彼女は気負うことなく答えている。学費の件も、それでビデオに出るくらいの覚悟があれば、きっと算段がついたのではないかと。
残るは、セックスである。オシッコかけはエスカレートしているのか? もちろん、8年の変化を予測するのは難しい。ただ、ものごとには必ず原因がある。なぜ、彼女はオシッコをかけられて「うれしかった」のか? それは彼女の中に、いまだ癒されていない心の傷があったからではないかと思うのだ。具体的にそれが何かを訊いてはいないが、ひょっとしたら幼い頃、近しい人間から受けた虐待の可能性もある。なぜならば、そうやって育った子の多くは被虐・加虐でしか相手と関係を結べなくなるからである。
それは、途上国で医者をやりたいという思いにも同じものを感じる。もちろん経済を学ぶ過程で途上国の現状を思い知らされたというのもあるだろうが、医療環境が整っていない国の人々を救うことは、そこに自分の居場所を見つけ、生きがいを見いだし、自分自身を癒すという行為に思える。一人を救うごとに彼女の傷もまた少しずつ癒されていくことだろう。そうして傷は必ず癒える日がやってくる。そうなれば、もうオシッコも汚い言葉も、彼女には必要なくなっているはずである。
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2013-07-19(00:00) :
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第225回 続・矢作直樹先生の話
前回
紹介した矢作直樹先生の講演「科学をはるかに超えた現実――救急医療の現場から」である。
まず象徴的な事例として、ある日救急に運び込まれたAさん(若い女性)のケースがスライドとともに紹介される。彼女は自宅マンションの10階から飛び降りた。下はコンクリート。ふつうは助からないのだが、体じゅうの骨(首を除く)が折れ、内臓も多少壊れることで、衝突のエネルギーが分散され、一命を取りとめた。
元気になったAさんが当時のことをふり返る。じつは飛び降りる1週間くらい前から亡くなった人の声が聞こえたと言う。その声は「体を貸してくれ!」と言っている。Aさんは「やだ!」と拒否したが、声は執拗だったらしい。
一緒に暮らしていたダンナさんに様子を訊くと、Aさんは突如人が変わったように本人が知っているはずのないことをまったく違う話しぶりで語ったと答えた。そして注意していたにもかかわらず、ちょっと目を離した隙に飛び降りてしまったと。
似たような話を僕はこれまでにもいろいろなところで聞いてきた。いや、単に聞いただけでなく、撮影現場で女の子をトランスに入れれば、Aさんのように訳のわからないことを別人の声でしゃべり出し、暴れたり、自らの首を絞めたりする子たちと接してきた。だから、Aさんの事例自体に新鮮さは感じない。新鮮だったのは、東大救急部部長が、たとえば幻聴という脳内現象としてではなく、「これは霊の憑依だ」という前提、つまり霊障(れいしょう)として話を展開したことである。
実際、除霊による治療を年間600人から800人に施術している人の現場に、矢作先生自身も立ち会ってきたと言う。さらにはその能力が自分にも身についてきたと……。そのエピソードからも先生がスピリチュアル・ヒーリング(霊的な治療)の実効性を認めているのがわかる。つまり「東大医学部教授」「東大病院部長」というポジションにいながら、西洋医学一辺倒ではなく、もっとズームバックして事の真髄を鳥瞰している人なのである。
だから、代替医療の必要性にも言及されていた。代替医療とは、西洋医学以外の医療の総称として用いられる。そこにはいろいろな療法が入ってくるわけだが、先生はより高次なものから順に、霊的な「スピリチュアル・ヒーリング」、気功やレイキといった「サイキック・ヒーリング」、カイロプラクティクや鍼灸などの「マグネティック・ヒーリング」をあげられた。ただし、西洋医学を「治」とすれば、代替医療は「癒」であり、施術は「治」「癒」の順が望ましいと。僕のまわりにも、ガンで医者から余命宣告されながら、代替医療で奇跡的に助かった人たちが何人かいる。
この代替医療について聴講者からは、「利権構造が代替医療を封じ込めているのではないですか?」という質問が出た。それに対して矢作先生は明確にイエスとは答えなかったものの、否定もしなかった。そして「利権構造を支えている国民にも問題があるんです」と答えたのである。
これまでのインタビュー記事等で先生はさかんに、「なぜ自分が病気になったのか?」について、患者も医療にたずさわる者ももっと考えなければならないと述べている。そして、「寿命が来れば人は死ぬ」という当たり前の現実が、人々の心から抜け落ちようとしている。だから今の医療はとかく結果だけを求めるけれど、「死」は決して負けではないと。
人間の目に見えるものが可視光線という、きわめて限られた狭い範囲であることに前回ふれたが、矢作先生の講演を聴いていると、西洋医学が施術できる幅もまた限られているという印象を新たにした。僕たちが生きているこの世界について、人はあらかたわかったつもりでいるけれど、サイエンスが解明できた領域はほんのわずかでしかないのだ。
このブログの何回か前の「
ナチュラル
」で書いたように、僕は相反するもの同士が共存する時代に入ったと思っている。これまでは通常医療(西洋医学)に対する代替医療だったわけだが、もし国が代替医療を認めたなら、医療形態は変わり、医療費も激減することだろう。なぜならば、代替医療には手術はもちろん、薬もいらないのだから……。
医療の世界に限らず、利権構造というものは強固な壁に違いない。その内部に身を置きながら、相反するものの重要性を声高に叫ぶことなど、誰にでもできることではないし、どれほど勇気のいることかと思う。でも、ひとりの医師がそれに果敢に挑んでいる。「利権構造を支えている国民にも問題があるんです」。その言葉は、「みんなの意識さえ変われば、利権構造なんていくらだって突き崩せるんですよ」というメッセージのように僕には聞こえた。
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第224回 矢作直樹先生の話
ロフトのイベントに来てくれたカウンセラーTさんの紹介で、潜在能力を研究している人たちと知り合った。そして、そこで教えてもらったある講演会に先月行ってきた。「人間サイエンスの会」というところが主催しているもので、演題は「科学をはるかに超えた現実――救急医療の現場から」。講師は「矢作直樹氏」。
で、どんな内容なのか? 講演案内にはこんなふうに書かれている。
〈虚心坦懐に見ていると臨床現場をはじめこの世ではいろいろなことがあります。この世の世界では限られた波長(おおよそ400nm-800nm:nmはmの10
-9
)のもののみが“見える”ということを理解されているはずです。テレビの映像のもとになる電波(VHFで2m、UHFで0.5m)ももちろん見えません。レントゲン写真で使うX線(0.01nm)も見えません。このように身の回りに見えなくても存在していると認識されているものがたくさんあります〉
テレビ電波のように波長の長いものも、逆にX線のように短いものも、ともに人間の目には見えず、見えるのはその間の、それもとても狭い幅の中だけということだろう。冒頭に〈虚心坦懐に〉とあるが、僕たちは視覚をはじめ五感で感じ取れるものだけが存在しているとついつい思いがちである。
〈さて、医療現場では、私たちの予測と異なって明らかに助かって社会復帰することが無理と思われた症例が無事だったり、その逆だったりすることがしばしば起こります。また医療現場や身の回りでは憑依のような霊障を経験します。このような事例は、交霊によりこの憑依をはずす(浄霊)と、もとにもどることも経験します。こうした経験と先人の教えから私たちのからだは目に見える体とその働きによる心のほかに、目に見えない意識体としての霊魂があることがわかります〉
霊障(れいしょう)とは霊的な原因で起こる災いをいう。もう少し具体的に言うなら、肉体的あるいは精神的な病や、事故、人間関係の不和、異常行動などが起こるとされている。まぁ、それはともかく、講演案内には、憑依(ひょうい)、交霊、浄霊、霊魂という言葉が続く。これが霊能者の講演ならば違和感はないかわりに、今さら聴きに行きたいと僕は思わなかっただろう。
ところが、講師の矢作氏は東京大学医学部教授だという。だからこそ、僕は話が聴きたいと思ったのだ。ただし正直に書くと、霊を語るくらいだからきっと東大の中では異端というか、はみ出しもんというか、決して主流ではないんだろうとも思った。いや、べつに主流でなくてもぜんぜんかまわないのだが……。
しかし実際は、異端どころか、中枢も中枢、将来は東大医学部のトップに立つような人だったのだ。今の肩書きは「東京大学大学院医学系研究科・救急医学分野教授」にして「東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長」。救急部・集中治療部といえば、まさに命の砦(とりで)のような場所である。
現職に就いた2年後の2003年には、いち早く東大病院内に「コードブルー」システムを構築している。なぜ院内なのか? 東京ドームのグラウンド9つ分の敷地には、患者、職員、見舞客を合わせると、約1万人の人々がいる。外来の救急患者に対するシステムはあっても、院内で突然倒れた場合、そこが病院であるにもかかわらず、処置が遅れて亡くなる人がいたのだそうだ。「コードブルー」の構築によって、今では異変に気づいた人の通報から5分以内に院内のどこへでも救急対応チームが出動し、高度救命処置を短時間で実施できるという。
以上はほんの一例だが、現代医療の最先端で日夜活躍し、たくさんの人の命と向き合ってきた矢作先生が語る「科学をはるかに超えた現実」とはいったい何なのか? 詳しくは次回で。
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