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第313回 エロスと笑い


 これまでいろいろなシリーズを撮ってきた。しかし「ザ・オナニー」にしても「いんらんパフォーマンス」にしても、どこかの時点で終わっている。なぜ「ザ・面接」だけが20年以上続いているのか……その一因について今回は書いてみたい。

 とはいえ、シリーズ開始から3年経った頃、僕は「ザ・面接」をいったんやめた。それまでは白昼、事務所でレイプっぽいものを撮っていたけれど、ビデ倫からは「やり過ぎだ」と指摘され、フェミニズム集団も抗議に乗り込んできた。そういう圧力とのせめぎ合いの中、僕は撮影を続けていた。けれども、やめた理由は、外圧とのせめぎ合いに疲れてしまったからではない。

 程なくして僕は販売会社の責任者に呼ばれ、「ショップさんもこのシリーズを当てにしてるのに、途中でやめるってのは、プロとして違うんじゃないですか」と言われた。確かに売ってくれる人や見てくれる人がいるからこそ、僕も撮ることができるんだなぁと遅まきながら思った。だから再開させることにしたのだが、元のままというのでは気が進まない。なぜならば、やめた理由が僕の中でのマンネリだったからである。

 そうは言っても、もともと作品に青写真があるわけではないから、ここをこう変えようみたいなプランもない。どう変わるかなんて撮ってみなきゃわからないのだ。ただ、始めた当初は男優たちもレイプするのに一杯いっぱいだったのに、慣れてくると余裕が出てきて、自分の引き出しも増える。僕にとってはそれがマンネリの要因でもあるのだけれど、慣れたがゆえに生まれた思わぬ副産物もあった。

 たとえば隊長の市原が、男優のちょっとした不手際にツッコミを入れるようになった。すると、それまで女の子の悲鳴と喘ぎ声しかなかった現場に、一見場違いな笑いが起きた。レイプというきわどい行為を大真面目にやっていて、予期せぬところで生じたポカだから、おかしいのである。その一瞬のタイミングを逃さず、独特のセンスとボキャブラリーでツッコむ市原。彼でなければできない芸当だった。

 それからは男優同士もツッコミを入れたり、足を引っ張り合ったり、裏切ったり……笑いは随所に散りばめられていく。エロと笑いは並び立たないと思う人は多いだろう。特にヌクためのみにビデオを見る人にとっては、笑いなど邪魔なだけだと。全盛期たくさん出ていたAV雑誌で、作品評価の指標に「興奮度」や「美人度」はあっても「笑い度」なんてないわけだ。けれども、もしも全編猥褻だけだったとしたら、おそらく「ザ・面接」はここまで続いていなかっただろう。

 ちょっと話は変わるが、ノーマン・カズンズというアメリカ人のジャーナリストがいた。彼の著書は日本でも翻訳出版されていて、その代表作が『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)だ。今から50年ほど前、彼は膠原病にかかるが、医者からは治る見込みが500分の1(0.2%)しかないと宣告されてしまう。そこで自らがその病気の原因と治療法を研究し、医者のサポートのもと、「笑い」とビタミンCの摂取によって奇跡的な回復を遂げるのである。

 現在「笑い」の効能は医学的にも実証されている。笑うことによって、がん細胞やウイルスを撃退するナチュラルキラー細胞が活性化したり、脳の働きが活発になったり、自律神経のバランスが取れたりする。そして、β-エンドルフィンも分泌される。β-エンドルフィンとは、多幸感をもたらし、モルヒネの6.5倍もの鎮痛作用があるといわれる脳内麻薬だ。膠原病であちこちの関節痛に苦しんでいたカズンズも、腹を抱えて笑えるテレビ番組を10分間見て笑うことによって、少なくとも2時間は痛みを感じずに寝られたのだという。ちなみにこのβ-エンドルフィンは、性的に高揚したときにも分泌されることが確認されている。

 話をもとに戻そう。「ザ・面接」がここまで続いてきた一因は、結局、現場に笑いがあったからだと僕は思っている。むろん、医学的な効能があるから取り入れようと考えたわけではない。僕自身が撮っていて面白いから楽しいから続いたのだ。でも、今ふり返ってみれば、性的な高揚を自然と本能が求めるように、笑いもまた体が求めていたのではないかと思うのである。











Aito-sei-long

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