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第175回 男の知らない女のホンネ

 先週の「週刊ポスト」に[秘密の座談会]と冠して「男が知ったら卒倒する オンナがSEXの最中に考えていること」という記事が掲載された。

 座談会のメンバーは女性4人。25歳(広告代理店勤務、未婚、男性経験13人)、32歳(主婦、男性経験4人)、37歳(主婦、男性経験8人)、45歳(看護師、バツイチ、男性経験30人前後)。彼女たちの発言のいくつかを拾ってみる。

 「よっぽど上手い人じゃないと、我を忘れるほど夢中になるなんてないよね」「相手にじっと見つめられてる時って、『いま私、ちゃんと感じてるように見えるかな』『不細工な顔になってないかな』って、自分がどう見られてるか、実はすごく気にしちゃう」「あんまりワンパターンなセックスだと、心の中では、してる相手がいつの間にか変わっちゃう」「疲れてる時とかは、チラチラ時計を見ながら『早くイッてくんないかな』って考えることありますね~」

 一般の女性たちのホンネも読んでおきたいと思い、この雑誌を買ったのだが、読んでみるとビデオで会う女の子たちと同じようなことを言っていた。この座談会のニュアンスとして感じ取ったのは「セックスのとき女が実は冷静なのを、男は何もわかっていない。そりゃあ、熱中するセックスをしたときには何も考えられなくなるけど、最近はそんな男がいないのよ」というものだ。彼女たちには「お気の毒に」と言いたい。

 話は変わるが、泉谷しげるの歌に「裕福の飢餓」というのがある。30年ほど前、テレビの仕事で彼と一緒にヤップに行ったとき、僕はその歌が好きで「あれを歌ってくれよ」と頼んだのを覚えている。日本人が裕福になり、平和を謳歌し、暮らしも安定し、肥満になったからこその飢餓をパラドキシカルに歌った曲である。

 泉谷の警鐘も空しく、その後の30年間も僕たちは飽食街道をまっしぐらに突き進み、そして今があるように見える。たとえば「肉が硬い」「霜降りがいい」という声を耳にすると、かつて食べる物があるだけでありがたかった時代を経験した僕としては、物質的な豊かさはどこまで行っても「満ち足りる」ということがないんだなぁと思う。

 これと同じようなことがセックスでも起きているんじゃないかと思うのだ。かつてこの国には「結婚するまではしない」という考え方もあった。それが変わってきたのは、コンドームの品質向上とピルの普及が大きかったと思われる。とりあえず妊娠の心配がなくなれば、セックスのハードルは下がる。

 AV監督の僕ですら、面接に来る女の子たちの話を聞いていると、あまりに節操がないというか、もう無茶苦茶だなと思うときがある。簡単にしてしまうから感動もないし、この座談会記事にあるように冷静に分析する余裕も生まれてしまう。いろいろな抑圧や制約がなくなり、自由になったぶん、本当のセックスからはかえって遠ざかってしまったのだ。

 なにも女の側の責任だけを追及したいのではない。本当のセックスができなくなったのは男も同様で、それは時代の風潮といえよう。童貞くんが増加中と聞くが、性体験の少ない男がこの座談会記事を読むと、ますます性に臆病になり、自信を失くしていくに違いない。

 政治・経済のみならず、性もいま見えないところで土壇場に立たされているのである。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第174回 上流階級のお嬢様が教えてくれたこと

 「バイ菌がいっぱいだから、プールはダメですよ」「喫茶店みたいなところはヘンな人がいるし、(テレビドラマで拳銃を撃つシーンが出てくると)ほら、こんなことになるのよ。入るのならフルーツパーラーにしなさい」

 喫茶店で銃をブッ放すのは確かにヘン、というかアブナイやつだが、そう言っているこの会話の主も相当にヘンだ。これは元総理大臣を伯父に持つ、さる上流階級のお嬢様が話してくれたことである。彼女は親から「プールはダメ」「喫茶店はダメ」と言われて育った。一事が万事この調子なのだそうだ。

 ある日、彼女は親への反抗から茶髪に染めてみる。親が激怒したのは言うまでもないが、ちょうどそのとき伯父である元総理とも家の前でばったり出くわす。彼女の頭を一瞥(いちべつ)した元総理、口から出たのはこんな言葉だったという。「きょうは仮装大会かい?」。冗談でも皮肉でもなく、彼は本当にそう思ったのだろう。

 今から18年前、彼女は「ザ・面接」に出演した。親が知ったら卒倒しそうだが、もちろん内緒で、彼女にとってはそれも親への反抗なのである。彼女に限らず、この年からお嬢様たちの出演が一気に増える。彼女たちに共通しているのは、家庭がとても厳しく、親が過干渉であることだ。しかもその内容たるや、「バイ菌だらけのプール」や「銃弾が飛ぶ喫茶店」に象徴されるように無茶苦茶なマインド・コントロールである。

 当時、僕の上の娘が15歳、下が12歳だった。ビデオに出たお嬢様たちの話を聞いて、僕は思春期の娘2人に対して決して干渉はするまいと思った。彼女たちの自由にさせよう。そして「もしも何かあったときには、お父さんが必ず守るから」とだけ伝えておいた。そして実際そのとおりにした。

 これを読んだ人のなかには「そんな手放しで自由にしてしまって、本当に大丈夫なのか?」「子どもは判断力も未熟なのに、親として無責任ではないのか?」と言う人がいるかもしれない。あるいは「過干渉というけれど、それも子どものことを心配し、子どもの幸せを願うからこその愛情なのだ」と。

 だが、僕はこう思うのだ。どんな子どもも親の後ろ姿を見ている。親の生きざまが子どもへの規範となる。だから親がブレなければいいのだ。未熟な子どもは失敗もたくさんするだろう。でも未熟だからこそ、失敗も含めていろいろな経験を積ませてやりたい。親子のパイプがつながってさえいれば、本当に困ったときには必ず親に助けを求めてくる。アドバイスするのは、そのときでいい。いざというときには、たとえ何を犠牲にしてでも子どもを助ける、その覚悟さえ親が持っていればいいのである。

 行動を起こす前から「あれはダメ」「これはダメ」「ああしなさい」「こうしなさい」と言いつづけていれば、いつしか子どもは自分で判断ができなくなってしまう。何事にも他力依存となり、ペナルティを背負うことを極度に恐れるようになる。失敗もなければ、それを克服した経験もないのだから。

 18年前といえば、今のように単なる好奇心やノリで出ちゃうという時代ではなかった。親への隷属という透明の檻に閉じ込められた彼女たちにとって、ビデオ出演は自暴自棄のすえに辿り着いたひとつの結論であったかもしれない。たとえそうであったとしても、その一歩は彼女たち自身の意思だったのだ。

 作品の中には、彼女たちのSOSと再生が記録されている。しかし、当時、自由を奪う親に反抗して自らの意思で何らかの行動を起こせたのが、ほんの一握りの子どもたちであったというのもまた事実である。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第173回 代々木流ビデオ編集講座

 前回の「撮影講座」につづいて「編集講座」である。「撮影はともかく、編集なんて難しそう」と思っている人もいるだろう。しかし、撮りっぱなしの映像をそのまま見るよりも、要らないところを削ったり、順番を入れ替えたり、ちょっとBGMをつけただけで、それはまったく違う魅力を放つものだ。そして編集という作業には、撮る楽しさと同じか、それ以上の面白さがある。ビデオカメラを買えば編集ソフトが入っていたり、パソコンによってはソフトがあらかじめインストールされているものもある。そこで、初心者にもできる編集のコツをお伝えしようと思う。

 〈ポイント1〉オープニングで見る人の心をつかむ
 前回、子どもの運動会ならば、いきなり競技が始まるよりも、会場の状況を説明するロングショットの画を前もって撮ったほうがいいと書いた。せっかく撮ったのだから、それをオープニングに使わない手はない。オーソドックスなこの方法は、見ている人を自然と運動会へ誘(いざな)ってくれることだろう。撮ったままを見せる前提ならそれで申し分ないのだが、編集をするのであれば、もう少し欲をかきたくなる。たとえば、アバンタイトル(タイトルが出る前のプロローグ)として、運動会のハイライトシーンのいくつかをフラッシュ(瞬間的な短い場面)で合計1分間くらい入れるのも面白い。入場行進、玉入れ、綱引き、リレーといった各種目をつないでもいいし、友達とはしゃいでいるところや、バトンを受け取るところ、子どもが転んでいるところ、ゴールの手前といった象徴的なシーンをつなげてもいいし、両方のごちゃまぜでもいい。いずれにしても、各々のカットは1秒から10秒程度の短いもの。見る人の気持ちを惹きつけるのが目的だから、意味不明でもかまわない。ただし、勝ったか負けたか、何位でゴールしたかなど、重要な結果は当然ながらここでは使わない。

 〈ポイント2〉ギクシャクしない流れを作る
 オープニングが終わっていよいよ本編だが、本編で複数のシーンをつないでいく際、そのつなぎ目では、時間の経過も場所の移動も省略されているため、唐突感というかギクシャクした感じが出やすい。これを多少なりとも是正する方法にフェードイン・フェードアウトがある。前のシーンが終わって画がだんだん白く(あるいは黒く)変わっていき(これがフェードアウト)、そこから次の画がだんだん見えてくる(フェードイン)。すると、見ている人は場面が変わったことを理解してくれる。ほかにもワイプといって、前の画の上下左右いずれかから次の画が入り込んできたり、円や四角の形で画が切り替わっていく方法がある。フェードイン・フェードアウトやワイプもいいが、僕がオススメしたいのはインサートという手法だ。インサートとは挿入のことだが、前の画と次の画のつなぎ目に、また別の画を挿入する。

 〈ポイント3〉インサートこそが編集最大の効果である
 「ザ・面接」では1作あたり僕のメインカメラで約4時間、助監督のサブカメラでも同じ時間を撮っている。サブカメラは主に審査員の女性の表情を追っている。素材としては合計8時間分の画があるわけだが、これを2時間前後の作品に編集する。全体の4分の3にあたる6時間分は捨てていることになる。1人の女の子が面接にやってきて、男優2人のバトルがあって、どちらかとセックスをするという流れだが、これを全部見せたら、とてもじゃないが見る人は疲れてしまうし、飽きてしまうだろう。そこで削ぎ落としていく部分が出る。そのぶん時間は経過しているし、場面も変わっている。そこにインサートするのが、審査員の表情や反応である。このインサート映像はつなぎのギクシャク感を是正するという消極的な効果のみならず、メイン映像を引き立たせるポジティブな効果も発揮する。コンサートなどのライブ映像に観客のノリノリ映像をインサートすることによって歌や演奏がいっそう際立つのと同じである。

 〈ポイント4〉主人公以外の素材が主人公を輝かせる
 運動会でよく見かけるのは、自分の子どもばかりを撮っている人である。もちろん気持ちはわかる。だが、編集のことを考えればインサート用の素材をたくさん撮っておくといい。たとえば空模様の変化や校庭の花や鳥や虫といった自然の風景でもいいし、ドキドキ感やワクワク感が伝わる子どものコメントでもいい。「今からリレーですが、どんな心構えで行きますか?」とカメラを向ければ、子どもは「必ず1位でバトンを渡します!」とか、横にいる友達に「絶対に負けないから!」と言うかもしれない。そのインタビュー映像をリレーの始まる前にインサートする。あるいは、他の子が走っているときでいいので、観客の親たちが応援で思いっきり盛り上がっているところや悔しがっているところを撮っておく。これを自分の子の走りの映像とカットバック(交互)で見せていけば、わが家のちょっとした“世界陸上”になるかもしれない。

 
 〈ポイント5〉BGMでまったく違う世界ができあがる
 「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」などで、いいセックスをしたあとに、恋人同士でもここまではしないだろうというくらい見つめ合ったり抱き合ったりしているシーンに音楽をつける際、とかくロマンチックな曲が画と合いそうだが、僕はあえて激しい曲をぶつけてみたくなる。はまらない場合もあるけれど、一見相反するものがハーモニーを生み出すと、見えない二人の内面がそこに立ち現われてくることもあるのだ。また、〈ポイント2〉でギクシャクしない流れが大切だと書いたが、インパクトを与えたい見せ場では、あえてそれまでの流れを断ち切るように、そのシーンをカットイン(フェードインのように徐々にではなく、いきなり切り替わること)で入れることもある。その際、編集ソフトによってはできないものもあるだろうが、一例をあげれば前の画が終わる数秒前から次にカットインで入ってくる画の音だけを先行して流すのである。見る側は一瞬戸惑い、次の画で腑に落ち、強い印象を受けることだろう。

 5つのポイントを簡単に紹介したけれど、編集をしていると、たとえば「綱引きでせめぎ合ってる足元の画があればなぁ……」といったように映像の足りない部分にイヤというほど気づかされる。撮り直しがきけばいいが、運動会や結婚式のように1度きりの出来事はむろんのこと、たとえ日常的なシーンにしても、前回とまったく同じ状況というのはほとんどないものだ。だが、一期一会ゆえ、その痛恨の思いは必ずやあなたの撮影の腕を上げてくれるに違いない。


テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第172回 代々木流ビデオ撮影講座

 一般の人たちがビデオを撮る機会といえば、以前なら子どもの運動会とか、友人の結婚式とか、特別なイベントが多かった。あるいは、幼い子を持つ親が成長記録として……というように、撮る人も限られていた。今はビデオカメラも高性能なものが安くなり、デジカメはもちろんケータイやスマホでも動画が撮影できるから、だれでも手軽に日常のシーンを残しておける。


 かつて村西とおると雑誌で対談したとき、彼は自分で撮ることの面白さを僕に力説した。僕はピンク映画のころから組んでいたカメラマンにずっと撮影を頼んでいた。だが、アダルトビデオで僕は監督というより質問者みたいな立ち位置なので、自分でカメラを持って語りかければ女の子は自然とカメラ目線になる。そうなれば見ている人も、女の子と向き合えるわけだ。それは確かに面白いと思った。


 しかし、多少なりとも映画畑でメシを食ってきたから、カメラワークの難しさはわかっている。はたして素人の僕で撮れるのか……。オートフォーカスで撮るにしても、そのころのカメラはピンが合うまで時間がかかった。でも、ドキュメンタリー形式なんだから、それもありだなと僕は思い直した。こうして1991年の「素人発情地帯」シリーズから僕自身がカメラを持つことになった。


 そこで今回は、20年撮ってみて気づいたコツというかポイントのいくつかを紹介しようと思う。撮影テクニックについて書くのは初めてだ。すでに玄人はだしの人には無用だろうが、初心者やこれから始める人には少しは役に立つかもしれない。


 〈ポイント1〉3段階で被写体に迫っていく
 第1段階はズームを広角側にいちばん引いた状態(ロングショット)で撮る。こうすると全体像がフレームの中に入りやすい。そのぶん、被写体は遠く、小さくなる。第2段階は被写体に寄っていき(ズームイン)、全身かバストアップくらいまで近づく。第3段階はさらに寄って、顔などのクローズアップ。


 〈ポイント2〉第1段階は“状況”を説明する
 第1段階の「引きの画」というのは、いわば状況説明である。たとえば子どもの運動会ならば、いきなり駈けっこが始まるよりは、会場である校庭全体の様子が先に映っていたほうが、見る側に臨場感が伝わり、感情移入がしやすくなる。子どもたちの元気なざわめき、観客である親たちの声援、空模様や風の強さといった全体の状況がここには入ってくる。ロングショットでめいっぱい引いても校庭すべてが入らない場合や、そこまで引くとあまりにも遠すぎる場合は、カメラをパーンすることでエリア全体をカバーする。パーンとはカメラを横に振ること。ズームはカメラが電動でやってくれるが、パーンは撮影者が自分の体を横に回しながら行なう。ここで気をつけなければならないのは、初心者のパーンはとかく動きが速すぎるという点だ。速いと、そこに貴重な何かがあったとしても見る側には伝わらない。


 〈ポイント3〉第2段階は“関係性”を見せる
 第1段階の「引き」と第3段階の「寄り」の間に位置するこの第2段階では、被写体の関係性が見せられるといい。たとえばひきつづき運動会を例にとれば、駈けっこの前に出場選手たちが整列して順番を待っていたとする。自分の子どもが隣のライバルと何か話しているかもしれない。あるいは先生から競技の説明を受けているかもしれない。たとえ音声が鮮明に拾えなくとも、2人ないし複数の登場人物たちの関係性が見えてくると、映像はがぜん面白くなる。


 〈ポイント4〉第3段階は“内面”を撮る
 第3段階は主人公のクローズアップである。クローズアップとは内面を撮りたいという思いの表われだ。だからカメラは思いっきり寄って顔の表情を狙う。運動会の駈けっこならば何位でゴールしたかも重要だが、たとえ1位になれなくても、そのとき子どもがふと見せる表情は、順位よりも大切な思い出になることがある。目は口ほどにものを言うというけれど、アップで顔の表情を撮る際、感情が表われやすいのは実は口元である。では、その口元にさえ表情の変化がない場合はどうするか? 子どもも大勢の人の前で自分の感情を抑えているかもしれない。僕ならば、とっさに顔以外の場所を探すと思う。たとえばグッと握りしめたこぶし、軽やかな(あるいは重い)足どり、肩を落とした後ろ姿……。なお、クローズアップを撮る場合には、ズームで被写体に寄る。カメラが近づきすぎないほうがいいのだ。すぐ近くからアップを撮ると、顔が多少変形するし、背景にもピンが来てしまって被写体が際立ちにくい。


 〈ポイント5〉見えないからこそ想像をかき立てる
 映像とは、目に見えるものだけでなく、その向こう側にある形のないものまで撮ることができる。ところが、ちょっと裏ワザ的になるが、逆に見えないからこそ見る側のイマジネーションをかき立てるというケースもある。何年か前、娘が孫をつれて遊びに来ていたとき、「そろそろ帰るよ~」と言うので、僕はカメラを向けた。2人は和室にいて、彼らの後ろには障子がある。障子の向こうは庭なので外光で明るい。カメラを構えた僕からは逆光になる。冬だったから帰り支度に、寒くないよう母親がわが子に服を着せてやっている。映っているのはそのシルエット。2人の表情はまったく見えない。だが、そこには親子の気持ちが映っていたと思うのである。



テーマ : 日記
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第171回 「ザ・面接」20周年

 来年「ザ・面接」シリーズが20周年を迎える。僕は今、これまでの作品を1本ずつ見返し、総集編を編集している。今年12月にリリース予定の第1弾は、シリーズが誕生した1993年の作品(8本)を1本にまとめる。「ザ・面接大全」のようにそのまま収めるのではなく、解体&再構築である。

 ということもあって、今回は「ザ・面接」シリーズを撮りはじめた頃の話を書いてみようと思う。シリーズ初期は、事務所に面接に来た女の子を男優たちがいきなり犯すというスタイルを取っている。フェミニスト集団が「人権侵害だ!」と本気で殴り込んでくるくらいにはリアルなレイプである。

 当時、事前面接で女の子と話をしていて、「ビデオで何やってみたい?」と訊くと「本当のレイプは怖いけど、ビデオだったら犯されてみたい」と答える子が多かった。「じゃあ、今度の○日に撮影しよう。でも、『さぁ、今から犯すよ』じゃ面白くないでしょ? だからその日、いつ始まるか、どういう形になるかは、こっちの都合でやるからね」と言っておく。すると「そのほうがドキドキするわ」という言葉がだいたい返ってくる。そしてこうも伝えておく。「レイプシーンというのは、レイプされるほうが主導権を握るんだよ。抵抗してあげないと、レイプにならないからね。だから、もし激しく犯されたかったら激しく抵抗すればいい」と。

 このように、始まりは半分お芝居みたいなところで女の子は撮影に入っていく。「それでリアルなレイプシーンなど撮れるのか?」と思う人もいるかもしれない。そのカギを握るのが男優だ。シリーズ開始当時は、市原克也、チョコボール向井、平賀勘一、平本一穂の4人のなかから毎回3人を呼んでいた。彼らには「手加減するなよ!」と言っておく。手加減すると、逆に女の子の心に傷をつけ、それがトラウマとして残ってしまうかもしれないと思ったからだ。オスの本能全開で「こいつとヤリたいんだ!」という欲情を前面に出して完全に相手を撃ち抜き、エゴを崩壊させないと……。

 「私が抵抗すればいいのよね」くらいの気持ちで事務所にやってきた女の子たちは、男優側の向き合い方があまりにもマジなので意表を突かれる。今見返してみても、彼女たちの顔にはありありと恐怖が走っている。

 僕は撮りながら、男優たちの激しさに「おいおい、そこまでやるか」という場面も数え切れないくらいあった。「女の子を傷つけてしまうかなぁ……」と不安になったこともある。だが、止めに入ったことはない。始めたかぎり途中では降りられない。女の子が自分を明け渡してしまうまでは。

 男優は男優で、逡巡があったはずである。たとえば平本はシリーズが始まって間もない頃、画の中では使っていないが、「俺、レイプはできません」と言ってきた。彼もどんなシリーズなのかはわかっていたはずだが、実際やってみたら「これ、マジじゃん」と思ったのだろう。そんな彼に「きょうは、とりあえずおまえが好きなようにやれ」と僕は言った。ところが手が出せない。女の子のほうはエッチなビデオを見て、その気になっているのだが……。

 平本が女の子に行ったとき、市原と平勘には「たぶん平本はやれないと思うから、おまえらが行って、チョッカイを出し、彼がやりやすいようにしてくれ」と言っておいた。2人は女の子の前でオチンチンを出したり、愛撫して「もう濡れてるじゃんか」と煽ったり、チョッカイを出すだけ出しておいて、途中で引き揚げてしまう。

 平本1人がその場に残される。下半身まる出しの女を前に何もしないまま、じっとたたずんでいるのだが、やがて彼は自分のシャツを脱ぎ、女の子に着せたのだった。僕はカメラを回しながら近づき、女の子に「どうだったの?」と訊く。「最後までやってほしかったんじゃないの?」。彼女は否定しない。僕がしつこく「本当はもっとやってほしかったんだ」と念を押したとき、初めて彼女が小さくうなずく。平本はそれを見て愕然とする。

 彼は最初「相手の人格を無視してやるのは、やっぱりしてはいけないことだ」と思っていたはずだ。それが「女って、こういう願望を持ってるんだ。とことんやったときに、ここまで自分を解放して、こんなにいい顔になるんだ」と現場の経験を通してつかんでいく。

 つまり、「ザ・面接」におけるレイプとは、女の子たちがそれまで自分の外側につけた社会性という名の殻を打ち砕き、本性を剥き出しにするひとつの方法論だったわけだが、とはいえ「ただ犯すだけじゃ、つまんないよな」という思いが僕の中にあったのも事実だ。

 だから、レイプのセックスが終わったあと、女の子に「今度はあなたが男優を好きにしていいよ」と言っている。男たちがヤッてヤラれる。レイプを途中で止めない代わりに、これである種のバランスが取れるようにも思えたし、ヤラれる一方ではなく、ヤラれた女が復讐するというのは、見ている人も面白いんじゃないかと思ったのである。

 こうして「ザ・面接」の7作目で渡辺美乃に出会う。まるで菩薩のような眼差しで男たちを見つめ、しごき、くわえた3人の男のザーメンを残らずすすり飲む。レイプのあとのリベンジで、男優の1人が責められていると、残りの2人はそれを面白がり、お客さんになって見ているのがふつうだ。ところが、美乃のときには「俺もしてほしい」と全員が自らすすんで参加してしまった。男優3人を見事手玉に取った彼女を目の当たりにして、「この子で『ザ・面接』の逆バージョンを撮ってみたい」と僕は思った。

 その3カ月後、美乃をメンバーの中心に据え、女たちが男を解放する「平成淫女隊」シリーズが立ち上ってゆく。

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