週刊代々木忠
いまこの瞬間の代々木忠の想いが綴られる
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第57回 男同士のつきあい
東京に出てきて四十数年になるが、故郷の同窓会にはついぞ出席したことがない。九州にいる幼なじみや友人たちとも、今はつきあいがない。もっとも、友人関係が仕事を通して知り合った気の合う人たちとの比重が高くなるのは、僕だけではないだろう。
彼との出会いも、「サイコ催眠エクスタシー」シリーズに出演してもらったのがきっかけだった。すでに25年前の話だが、それからずっとつきあいは続いている。彼とはジャイアント吉田こと、吉田かずおさんである。
吉田さんは、彼のまわりの人々からも変わり者で通っている。僕から見ても確かに変わっている。第一に彼は、出世したいとか、一旗あげたいとか、男なら大なり小なり持っていてもおかしくない欲のようなものがない。今の草食系男子ならそれも珍しくないのかもしれないが、僕らの世代で吉田さんのような人は稀有である。
第二は、とても多趣味で、僕は「催眠」というところで彼と深くつながっていったわけだが、それ以前はテレビの中の人として見ていた。年配の人ならご存じだと思うが、吉田さんはザ・ドリフターズの初期のメンバーであり、その後、ドンキーカルテットに参加したミュージシャンである。しかも、ただ単に音楽を聴かせるだけには飽き足らず、腕はいいのにそのとおり演奏しなかったり、変な楽器を持ち出してきたり、あえて音楽の定型を壊そうとしているかのように僕には映る。
この傾向は吉田さんの生き方全般に言える。「人生、シャレ」とでも言いたげに、どこか超然として飄々と生きている。これが第三。
第四に、彼は武術家でもあり、太気拳を創始した澤井健一氏の3番目の弟子だ。太気拳は中国から日本に伝来した武術で、その凄まじさは極真空手にも影響を与えたといわれる。それ以外にも、古い農家を借り、それを2年3年かけ自分ひとりで改造し、忍者屋敷にしてしまったり......。
僕は吉田さんのことをとても面白い人だなぁと思い、彼の魅力にどんどんハマッていった。彼は、会っていて疲れない人である。僕たちはいつもバカ話しかしない。全部、シャレで通してしまう。「一日500円もあれば生きていける」と彼は言うが、実際おカネにまったく執着がないから、ビジネスの話は話題にのぼらない。
吉田さんはイタズラが大好きだ。ザ・ドリフターズの長さん(いかりや長介氏)と吉田さんは旧知の間柄だが、昔から長さんをハメてばかりいた。たとえば地方公演の際、長さんがファンの女性のひとりからデートに誘われた。鼻の下がのびる長さん。つい仲間に美女との待ち合わせを自慢してしまう。聞いた吉田さんは、長さんの腕時計をこっそり1時間遅らせた。そればかりか、旅館に掛かっているすべての柱時計も1時間遅らせてしまったというのだ。
きっとこんなことが日常茶飯事だったのだろう。でも、長さんは子どもがそのまま大人になったような吉田さんを憎めなかった。
僕は吉田さんとつきあうようになって、彼の同級生をたくさん紹介してもらった。僕は吉田さんより2つ年下なので、紹介された人たちもみんな同世代だ。僕の昔からの仕事仲間も交え、男たちばかりがオフの時間に千葉に集う。
僕たちは旬の食材と酒を囲んで、言いたいことを言い合い、眠くなれば勝手に寝て、でも途中で目が覚めればまた話の輪に戻ったり、朝は目が覚めたときに起き出し、散歩をしたい者はふらりと出かけたりしながら、気兼ねなく思い思いの時間を過ごす。その時間こそが、今の僕にとってはかけがえのないものになっている。これも吉田さんのおかげである。
「どうしていつも千葉なのか?」については、次回書くことにしよう。
左から吉田さん、僕、長さん(2000年、千葉にて)
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2010-01-29(12:59) :
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第56回 疲れる仕事
今回は、僕がインサートで失敗した話である。「インサート」といっても「挿入」のことではない。いや、挿入は挿入なのだが、「インサートカット」の略で、映像編集の際の代表的な手法のひとつだ。
たとえば僕の「ザ・面接」シリーズでは、面接を受けにやってきた女の子をメインカメラが追いかけ、それが本編の映像になる。でもサブカメラはそんな面接風景を固唾を飲んで見ている審査員たちを同時に撮っている。この審査員たちの顔が、本編の随所に差し込まれたりする。これが「インサートカット」である。
仮にあるインサートカットが3秒だったとする。すると、本編側の、挿入したい箇所にこれがぴったり収まる3秒分の空きを作るのだけれど、これが間違って2秒だったりすると3秒分の映像が2秒で流れるので早回しになり、逆に4秒に入れるとスローになる。現実には3秒を、2秒とか4秒と間違えることはまずないが、30分の1秒が単位なので、小数点以下がビミョーにずれているというミスを、僕はごくごくまれに犯してしまう。
これがモザイク編集の際に発覚しようものなら、時間のないところで助監督が直さなくてはならなくなるので、助監督からは「本編にはぜったい入れないで、本編の上の別ラインに貼っておいてくださいっ!」とやさしく言われたのだった。
こう見えても実は素直な僕は、助監督の言うとおりにした。インサートカットを一通り入れ終え、ホッとしたのも束の間、今度は本編をさわりたくなる。「う~ん、ここは冗長だな」とか「やっぱり、ここはもう少したくさん見せよう」とか。まぁ、さわり出せばキリがないのが編集なのだ。
だいぶよくなったな。きょうは土曜だし、そろそろ店じまいかな......と思いつつ編集画面を見て、愕然とした。インサートカットがガタガタなのである! どういうことかと言うと、本編の中に挿入するのであれば、本編の他の箇所をつまんだり足したりしても、それに合わせてインサートカットは動いていくが、上の別ラインに貼りつけた場合は、本編が動いても、もと置いた場所のままなのだ。これまで本編に入れ込んでいたので、上のラインが連動しないことに僕は気づかなかった。
せっかく土曜に出てきてやったというのに、今までの仕事はなんだったのだろう。でも、僕が悪い。だから自分で直すしかない、たくさんあるインサートカットを全部。あ~失敗したなぁ。なんで途中で気づかないかなぁ......。こんなの、単純作業だもんなぁ。つまんないなぁ。本当はもう終わってるのになぁ。
そんなことを思いつつ、だれもいないオフィスで、僕はときどき体操とかをして気分を入れ替えながら、4時間、修正作業に時間を費やしたのだった。やっと終わったとき、やはり仕事は楽しくやりたいとつくづく思った......。
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2010-01-22(13:07) :
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第55回 妻
それまで住み慣れた故郷の小倉をあとにするとき、僕はつきあっている女の子たちに「東京に行く」と告げた。すると3人が「私も行く」と言う。まいったなぁと思いつつ、まぁいいか......で上京した。僕が20代最後の年の話である。
僕についてきた女の子たちは3人とも踊り子だった。キャバレーでのショーやストリップが全盛の時代だったから、仕事には困らない。知り合いのコメディアンの奥さんが、キャバレーやクラブへの女の子の派遣業をしていたので、仕事を世話してもらった。僕はといえば、ヒモである。彼女たちにトラブルでもあれば出ていくが、ふだんは仕事がなく、彼女たちに食わせてもらっていた。
コメディアンの家には、大勢の踊り子たちが「きょうの仕事」をもらいに来る。それを目当てにコメディアンたちも集まってきていた。僕は3人の女の子が仕事から帰ってくるまで、コメディアンたちとマージャンをしながら時間をつぶした。帰ってくれば、4人して寝ぐらのアパートに帰るという生活を続けていたのである。
コメディアンの家の2階はピンク映画のロケセットにも使われていたから、僕らがマージャンをしていると、女優たちの嬌声も降ってくる。ピンク映画のロケを横目で見ているうちに、僕はだんだんその世界に興味を抱いていった。ロケに来ていた映画会社の人間とも知り合い、仕事を手伝うようになり、助監督みたいなことをやりはじめた。
かつてしていた興行の経験を素材にしてピンク映画の台本を書いてみた。ためしにプロデューサーに見せたら、「これ、やろう」という話になった。僕も助監督として付いたその映画に、ヒロインでやってきたのが真湖道代である。当時、谷ナオミと人気を二分するくらいの若手の売れっ子だった。
そのころピンク映画をかけている劇場では、映画に出演している女優たちの実演、つまり芝居も幕間に行われていた。僕は助監督をやりつつ、実演のほうでは監督を任された。こちらはすべて自分で台本を書いて演出をする。そこで真湖道代と再会した。最低でも2週間は公演があり、その間は毎日一緒にいる。いつしか僕は、彼女に惚れてしまっていた。
小倉から一緒に上京した3人とは、そのときも一緒に暮らしていた。さて、どうしようか......。いきなりアパートを出ていくこともできたが、やはり正直に話すことにした。すると、彼女たちは「どんな女か、会わせろ」と言う。真湖に告げると「いいわよ」だった。こうして女たちの話し合いは行われ、3人は納得してくれたみたいだった。
僕は彼女たちと別れ、明大前に2Kの安アパートを借り、一人暮らしを始める。そのころ真湖はといえば、池尻大橋にある豪華なマンションに住んでいた。助監督といっても雑役係のような僕と、売れっ子女優の違いである。でも、彼女は実兄の同居を理由に、僕のアパートに頻繁に来るようになり、そのまま一緒に暮らしはじめた。
僕たちは結婚し、日活の下請けの仕事も入ったことから、代々木に会社を作り、そのマンションに引っ越した(僕の名前はここに由来する)。ところが、新たな生活を始めて束の間、わずか何カ月かして摘発を受ける。それが日活ロマンポルノ裁判である。日活作品3本と下請けの僕が制作した1本、これらが起訴された。そして9年にも及ぶ裁判になるのだった。
長期化するにつれ、弁護士費用をはじめ裁判にかかるおカネは膨大で、僕の収入だけではとてもまかなえない。女房はそのときすでに妊娠していたのだが、生活費と裁判費用を稼ぐために妊娠5カ月まで映画に出演し、出産までの1年のうち270日間は舞台に立っていた。そして、倒れた。子どもは生まれるには生まれたが、生後4日目に亡くなった。
女房をここまで働かせていなかったら、この子も死なずに済んだのかと思うと、僕はいたたまれなかった。2人目が無事に生まれたとき、「専業主婦をしてくれ」と頼んだ。彼女が根っから芝居好きなことは知っていたけれど、それでも僕は強引に説き伏せた。「カネは俺が稼ぐから」と。
彼女は立派に二人の娘を育ててくれたと思う。彼女には申し訳なかったと思うものの、やはりこれでよかったのではないかと。女房はつきっきりで子どもをたくましく育てた。だから娘たちも、母親には絶対である。理屈ではなく、生きざまを見せているのだから......。
女房は完全に感情オクターヴ系の人間である。だからこそ、役者にも向いていたのだろう。感情むき出しで来る。バーッと来るが、吐き出したあとはケロッとして、あとを引かない。この切り替えは、いつも凄いなぁと思う。もっとも、疲れて帰ったときにこれをやられると、正直、面倒くさいなぁと思わないでもないが、こっちが落ち込んでいるときには、そのエネルギーによって引き上げられたりもするわけだから、まぁあまり文句も言えない。
ずいぶん前の話だが、あるとき、僕はリコという女の子とつきあっていた。もちろん女房には内緒で。海外ロケを終え、久しぶりに帰ったわが家で、女房の手料理を食べていたときのことだ。味噌汁を一口すすった瞬間、「リコって、かわいい子じゃない」と女房。思わず僕は、味噌汁を噴き出しそうになった。
聞けば、僕が海外に行って留守をしていた間に、リコを家に呼んだのだそうだ。「『つきあうのはいいけど、12時までに帰して』と言ってあるから。そうしたら彼女も『そうします』と言ったからね」と。僕にはまったく反論の余地がない。ついでに言えば、メシもどこに入ったのかわからない。結局、リコとはすぐに別れてしまった。
家にいろ。子どもは見ろ。それで自分は女を作っていたわけだから、自分で言うのもなんだが、僕は本当にいいかげんである。きっと他の女なら、とうに愛想をつかして出て行ってしまったことだろう。彼女だからこそ、41年間も一緒にやってこられたのだと思う。
映画
「(秘)夜這い後家ころがし」の真湖道代
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2010-01-15(14:19) :
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