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第334回 幸福のとき


 いま会社の要職に就いている人のなかには、ペーペーのころがいちばん楽しかったと言う人たちがいる。こういう時代だから企業内でのストレスや軋轢(あつれき)も並大抵ではないだろうし、過去をふり返ればそういう重責がなかった時代が懐かしく感じられるのかもしれない。

 僕はといえば、彼らのような社会の枠組みからは外れたところで生きてきたので、ノルマに押し潰されそうになったり、会議で吊るし上げを食ったりというのはない。ただ、いつのころがいちばん楽しかったかと訊かれれば、それは小学校の時分だろう。父から暴力を振るわれたり、新しい母との間に距離があったり、隣村の連中にいじめられたり……と、つらいこともあったものの、楽しいことのほうが多かったよなぁと思う。いや、正確に言うなら、つらかったことすら、いまは懐かしく思えるのだが。

 自然がいっぱいあったし、ただし戦後のモノがない時代だったから、遊び道具もたとえばまっすぐな木を切ってきて、握るところ以外の皮を剥いて刀にしたり、竹トンボやバンピュー(Y字型の投石機を僕らはそう呼んでいた)を作ったり……。でもそれは自分1人で作っていたわけではなく、いつもつるんでいた友達4~5人とワイワイ言いながらやっていたから楽しかったのだと思う。山に自然薯を掘りに行ったときも、川で泳いだり魚を獲ったときも、思い出の中には必ず友がいる。加えてあのころは体験することごとが新鮮だったし、毎日が充実していたのだ。

 だが……と思う。いま僕はそれとはまた違う幸福の中にいるではないかと。

 同居している娘夫婦に生まれた孫が、再来月で1歳になる。僕が早めに帰宅した日や休日には、夕食を家族一緒にとることが多い。テーブルについて元気に離乳食を食べるのを見ていると、孫は食べ終わるなり僕に手を伸ばしてくる。娘夫婦が食器を下げたり洗い物をしている間、僕が相手をするのがわかっており、まだ言葉はしゃべれないけれど「遊ぼう!」と言っているのである。

 「パパは?」と僕が言うと父親をチラッと見て笑う。「じいじの時計」と言えば僕の腕時計を指さす。ついこの間まで乳飲み子だったのに、ここまで言葉がわかるようになったのだなぁと思う。ソファに移り、膝にのせて「ブリッジ」と言うと体を後ろに反らしながら身を預けてくる。でも、したくないときにはぐっと顎を引いてがんとして動かない。ひとしきり遊んで、飽きるとぐずり出す。ぐずり出すのは行きたい所があるからだ。リビングの隅にエアロバイクが置いてあるのだが、自分の背より高いそれに登りたいのである。危なっかしくてしょうがないのだけれど、下から体を支えてやるとハンドルにぶら下がる。やはり男の子だなぁと思う。

 女の子しか育ててないから、男の子ってこんなにアクティブなのかと驚かされる。くんずほぐれつ一緒になって30分も遊んでいると、もうこっちは汗だくになる。自分の娘とさえ、こんなには遊ばなかったかなぁという思いが頭をよぎる。孫と一緒にいると、僕はありのままの自分でいられる。孫は自分のしたいことをする。いやだったら絶対にしない。そこには嘘もないし、駆け引きもない。だから僕もそのときどきで自分の内側から湧き上がってくる感情――歓びだとか愛おしさを、てらいもなく素直に表現できるのである。

 そして、この子は娘が産んだんだよなぁという感慨もそこにはある。幼いころからやんちゃで自然児のように育ってきた娘。社会の型にはハマらない娘が母親になったんだなぁという感慨である。もともと同居する予定ではなかったし、こうして孫と毎日過ごせるのは僕にとっては思いもよらぬ幸運である。その幸運の中にいて、かつて紹介したムヒカさんの言葉を思い出す。「幸せは命あるものからしか、もらえないんだ」という言葉を。






Aito-sei-long

第333回 セックスレスの大きな要因


 新幹線が走り、オリンピックが開かれたころの話だから、もう50年以上前になる。僕はストリップの興行を任されていた。踊り子が日舞と洋舞を合わせて10~12人、幕間のコントを担当するコメディアンが3人、そしてバンドマンが3~4人。これがステージに上がる一座である。束ねているのは太夫元(たゆうもと)と呼ばれる人間だ。

 こういうグループがいくつもあって、同時に全国あちこちを回っていた。僕はおのおののコースを切ったり、各興行先へ集金をしていたが、そこで顔を合わせた太夫元やその下の若い衆によく言ったものである。「おまえら、まんべんなく回ってるかい?」と。

 太夫元はだいたい一座の看板の子とデキている。若い衆も別の子とデキている。では、それ以外の女たちはどうなるのか? 限られた狭い世界で1人が複数に手を出せば、チームワークを重んじる一座は成り立たなくなる。そこで、ほかの一座の太夫元や若い衆が、それ以外の女たちのために通ってくるのである。彼らも自分の所に女がいるわけだから、どの道かけもちには違いないのだが。

 つまり視点を換えれば、自分の所の女だけ見ていればいいという話ではない。僕が言った「まんべんなく回ってるかい?」とは「ほかの一座の女の子たちもちゃんとフォローしてるのか」という意味である。

 安い給料で使っているのもあって、男のいない女の子たちは隙があれば簡単に逃げてしまった。特に目を光らせておかなければいけないのが、将来看板になりそうな子だ。で、彼女たちをつなぎとめておくために男たちはがんばる。当時ストリップの一座というのはかなり管理された中で動いていたので、女の子たちは男日照りしていた。みんなセックスがしたい。彼女たちの性欲を満たすこと、それは太夫元や若い衆にとって重要な“仕事”なのだった。

 ところが、ほとんど毎日その“仕事”をしている彼らからは似たような泣きがよく入った。「あの子、イカねえから疲れるし、つらいですよねぇ」と。そのような子にかぎって何度も要求するからだ。将来の看板を嘱望されるような子だから、顔もスタイルも当然悪くない。にもかかわらず、僕に泣きを入れるくらい彼らは「やりたくない」のである。

 話は飛ぶが、「愛と性の相談室」でセックスレスにまつわる相談が少なからずある。女性のほうが「もうしたくない」という場合もあるけれど、「夫(あるいは彼)が抱こうとしない」というのも多い。僕は彼女たちに訊く。「あなた、イッてるの?」と。ほとんどの人が「イッてない」と答える。

 女性がセックスでイクかどうかは、セックスレスの大きな要因だと僕は思っている。とはいえ、セックスレスの責任が一方的に女性の側にあると言いたいわけではない。なぜならば、イケない女性には共通して足りないものがあるからだ。それは絶対的な安心感というか、相手に自分を全部さらけ出せるという信頼感である。

 なぜこの安心感や信頼感がないのかといえば、たとえば男を信じられなくなるような出来事が過去にあったケースもあれば、相手の男自体に問題があるケースもあるだろう。いずれにしても、セックスは2人でするものだから、どちらか1人ががんばってもどうなるものでもない。

 逆に、女がイッてくれると、男はまたしたくなる。そして、なにより自信が湧いてくる。その自信はいろいろなところに反映されるだろう。仕事もしかり、生き方そのものもしかり。だから、やはり男は女をイカせなきゃダメなのだ。それは相手のためでもあり、自分のためでもあり、2人のためでもある。






Aito-sei-long

第332回 対話Ⅲ



――“オーガズムを体験させるのが得意な監督”って伺ったんですけど。

――

――切実です。

――

――それって、私じゃダメってことですか?

――

――イキたいという思考が邪魔って言われると……。

――

――確かに100パーセント夢中になれてないかも……。

――

――好きな人だとよけいに考えちゃいます。

――

――感じてる私の顔ヘンかなとか。

――

――私でホントに満足してくれてるのかなとか。

――

――「取り逃がし続けてる」って言われるのはちょっとショックです。

――

――今にいないと起きないって……今にいるつもりですけど。

――

――歩きスマホですか?

――

――確かに2つのことを同時に、しかも同じレベルで体験することはできないです。

――

――ええ、少しずつ見えてきた気がします。

――

――えっ、本性?

――

――引かれたりしないかな……。

――

――本当にですか?

――

――ええ、快感にこだわってましたけど……。

――

――レールが違う?

――

――明け渡し?

――

――崇高な感情に打たれる?

――

――再誕……。

――

――私の理解を超えてます。

――

――確かに抱き合うだけで幸せだなぁと感じたときも……。

――

――はい、彼の温もりとか……。

――

――甘える感情ですか?

――

――そっか、今にいるって、そういうことなんですね。

――

――心が共鳴……。

――

――いちばん大切なものを軽く見ていたのかもしれません。

――

――社会に合わせた私が死んだとき、崇高な感情に打ち震え、私は生まれる。

――

――うーん、これ凄いです。

――

――オーガズムというものを取り違えていました。









Aito-sei-long

第331回 女の側の心理――そこを男は見落としている


 女がイクかどうかに男はこだわる。女がイケば、男は己に自信を持つ生き物である。そのために精力剤が欠かせなかったり、テクニックを磨いたりする。ヘタなテクニックなど身につけても策士策に溺れるのが関の山で、目合(まぐわい)が大切なのだとさんざん書いてきた。ところが、目合をしてもイカないケースがある。それを今回は紹介しよう。

 いま再編集している「ザ・面接 VOL.122 回春エステとエロ女神 ピアニストも来たんかい」(2011年)から。離婚後1年以上していない美和子(30歳)を面接するのは、一徹とじったの中折れ委員会。美和子はイケメンの一徹を差し置いて、なぜかじったを選ぶ。じったは「初めての女がいい、可愛くても2回目はない」というタイプ。現場で見ていても、自分本位というか、ほとんど女のことを考えてない。だが、やりたさ一心から美和子の中のタンポンまで食べてしまったから、彼女はその一途さを買ったのかもしれない。

 けれども、じったは例のごとく中折れしてしまう。すると美和子は手を上げてチェンジのサイン。順序としては一徹の番だが、まだ勃っていないので銀次が行く。じったは「勃ったら入れさせてくれる?」と未練がましい。銀次は目を見ながら美和子の内面に入ろうとしている。このへん銀次は上手い。彼女もそれに呼応するよう銀次を見ている。そこへ「美和子、勃ったよ!」とじった。審査員たちからは失笑が起こる。まさにつながろうとしているかに見えるセックスの最中、遅きに失した間抜けな言葉だ。

 ところが、ここで美和子はじったを呼ぶのである。している銀次も腑に落ちないだろうが、審査員からも「なんで!?」という声。挿入され突かれながら、じったに「さっきのとどっちが好き?」と問われて「じった!」と叫ぶ美和子。だが、ここでもじったは中折れする。「まだチャンスある?」と性懲りもなく訊くじったに「検討する」と答えた彼女は「切なくなってきた」と漏らす。

 そこで一徹が行くが、あえなくチェンジ。次に、さっきいいところで邪魔された銀次がふたたび行き、渾身のセックスが始まる。「こっちはいつでもOKだよ!」とじったは混ぜっ返すが、その雑音に惑わされぬよう銀次は美和子を自分へと向かせる。じつに官能的なセックスだ。そしてついに銀次はイクが、美和子のほうはと言えばこれがイッていない。意識的にイクことを拒絶しているように僕には見えた。感じていて、受け入れてるんだけど、最後の最後で開いていないというか。

 彼女が本当にイッたのは、その後、じったと奥のソファでしたときである。このときはじったもさすがに中折れはしなかった。さらにそのあと、片山が行くものの、片山はイッても、やはり美和子はイッていない。じったとイケるわけだから、イケない体ではないのだが……。美和子が1人の男に操を立てる女かといえば、途中でチェンジのサインも出すくらいだから、そこまでではないだろう。

 冒頭に「女がイクかどうかに男はこだわる」と書いたが、とりわけ男優は相手をイカせるという宿命を負った男たちだ。イッたふりでもOKな現場ならプレッシャーもさほどではないだろうが、「ザ・面接」ではまさにそこが問われる。

 なぜ美和子はイカなかったのか? その一点に銀次は納得いかなかったはずである。だから、僕が別の審査員のセックスを撮っているとき、美和子に「なぜじっただったの?」と聞きに行っている。彼女はこう答えたそうである。「きょうビデオに初めて出て、初めてセックスする相手と最後までちゃんとしたかった」と。この思いが、中折れするじったに何度もチャンスを与え、他の男優たちを拒みつづけた理由だったのだ。

 女が心の中で何を思っているのかは、はたから見ているだけでは当然ながら知りえないことだ。けれども……。「女の側の心理を見落としたままでは、決してイカないのがセックスですよね」。銀次がぽつりとつぶやいた。






Aito-sei-long

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