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第330回 世界一貧しい大統領


 初めて彼のことを知ったのは今年の3月頃だっただろうか。たちまち魅せられた僕は彼をもっと知りたいと思い、ネット等で情報があれば見たり読んだりしてきた。そして先日、「Mr.サンデー」(フジテレビ)で彼の特集が組まれた(2015年10月11日放送)。彼とはウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカその人である。

 彼は“世界一貧しい大統領”と言われている。大統領に就任した際、財産は中古のフォルクスワーゲン1台のみ。大統領としての給料の9割を社会福祉に寄付して、残りの1割で生活していた。彼は番組内でこんなふうに言っている。

 「みんな〈豊かさ〉を勘違いしていると思うんだよ。大統領は王家のような生活をしなければと思い込んでいるようでね。私はそうは思わないんだ。大統領というのは多数派が選ぶのだから、多数の人と同じ生活をしなければいけないんだ。国民のレベルが上がれば、自分もちょっと上げる。少数派じゃいけないんだよ」

 彼は7歳で父を亡くし、母が家計を支える極貧の中で育った。だが、大統領になって、現実に富を手にできる機会が訪れても、その思想と行動がブレることはなかった。それを如実に表わしているのが、2012年リオ会議(Rio+20)での有名なスピーチだ。その一部を紹介しよう(邦訳は「Mr.サンデー」のもの)。

 「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、限りなく多くを必要とし、もっともっと欲しがることである。ハイパー消費社会を続けるためには、商品の寿命を縮めて、できるだけ多く売らなければなりません。10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです。長持ちする電球は作ってはいけないのです。もっと働くため、もっと売るための使い捨て社会なのです。私たちは発展するために生まれてきたわけではありません。幸せになるために地球にやってきたのです」

 リオ会議とは〈環境と開発〉に関する国際会議で、約120カ国の首脳が集まった。地球の気候変動が後戻りできないほど危機的状況にあると科学者たちが警鐘を鳴らす現代、彼のスピーチは聴く者の心に響く。

 そんな彼の清貧の思想の原点が、じつは日本にあるという。幼い頃の極貧生活で貴重な収入源が花の栽培だった。彼の家の近所に十数軒の日本人家族が住んでいて、みんな花を栽培していた。昔ながらの日本人で、みんなすごく働き者だったという。幼かったムヒカ氏も彼らから花の育て方を教わり、家計を助けた。

 日本へ敬愛の念を抱く彼が番組のインタビューに答えて、「日本人は魂を失った」と言い切った。

 「人間は必要なものを得るために頑張らなきゃいけないときもある。けれど、必要以上の物はいらない。幸せな人生を送るには、重荷を背負ってはならないと思うんだ。長旅を始めるときと同じさ。長い旅に出るときに50kgのリュックを背負っていたら、たとえいろんな物が入っていても歩くことはできない。100年前、150年前の日本人は、私と同意見だったと思うよ。今の日本人は賛成じゃないかもしれないけどね」

 「今の日本は産業社会に振り回されていると思うよ。すごい進歩を遂げた国だとは思う。だけど本当に日本人が幸せなのかは疑問なんだ。西洋の悪いところをマネして日本の性質を忘れてしまったんだと思う。日本文化の根源をね。幸せとは物を買うことと勘違いしているからだよ。幸せは命あるものからしか、もらえないんだ」

 本当の幸せとは何なのか? 僕たちが幸せだと思ってきたものは、じつは幸せとは別のものではなかったのか? 彼は日本の子どもたちに向けても、こんなメッセージを残している。

 「日本にいる子どもたちよ。君たちは今、人生で最も幸せな時間にいる。経済的に価値のある人材となるための勉強ばかりして、早く大人になろうと急がないで。遊んで、遊んで、子どもでいる幸せを味わっておくれ」

 子ども時代の遊びは生命力の源とも言うべき脳幹を鍛えてくれる。たとえば幼い頃から塾通いで勉強に明け暮れ、たまの息抜きがゲームというのでは、生身の人間と向き合う機会も少ない。「幸せは命あるものからしか、もらえないんだ」。その言葉の意味を僕たちは真に理解し、行動に移す時期に来ている。






Aito-sei-long

第328回 総理大臣の呼吸法


 「4-7-8」なる呼吸法が話題になっている。ハーバード大学出身のアンドルー・ワイル博士が20年前に提唱したこの呼吸法は、「4秒鼻から息を吸い」「7秒止めて」「8秒で口から息を吐く」というものだ。最近になって週刊誌やネットで頻繁に紹介されたきっかけとしては、先月とある懇親会で安倍総理が「私は『4-7-8呼吸法』をやっていて、これをやると気分が落ち着く」と言ったからとか……。

 これまで僕は何度も呼吸法の話を書いてきた。「深い腹式呼吸は6秒口から吐き、4秒鼻から吸う」と。まず吐くことから始めるのは、吐き切れば自然と吸うからであり、呼吸法では吐くことこそが肝心というのも書いた。「4-7-8呼吸法」は、吸うことから始まっているものの、まず事前に吐き切ったあとに4秒吸うという意味らしいので、ここは同じと言ってもいいだろう。吐く時間が6秒ではなく8秒だが、これも要は吐き切ることが大切であり、初めてやる人は吸う4秒に対して6秒くらいがちょうど吐きやすいだろうと思うが、8秒吐きつづけられるのならそれに越したことはない。けれども、僕にわからないのは、7秒止めるというところである。

 なぜ息を止めるのか? 現代人は無意識のうちに呼吸が浅くなり、悩んだり何か考え事をしているときに息を止めていることさえあるから、意識的な呼吸、つまり呼吸法が必要なのだと思う。それなのに、意識的な呼吸でわざわざ息を止める理由はいったい何なのか? 息を止めれば血圧も上がってしまうだろう。7秒といったら、けっこうな時間である。ネットの記事の中には〈7秒息を止めることで酸素が血流に影響を与える時間ができる〉と書かれたものも見かけたが、説得力に欠けるのではないだろうか。

 僕がいま毎日実行している深い腹式呼吸法は(とりあえず吐いたあとに吸うところから書けば)、1から4まで吸い、5で手放すが横隔膜は下がったままでキープする。ただし吸ってはいないから、めいっぱい吸い込んだ空気はわずかずつ漏れはじめる。そうした状態を6、7、8、9と維持し、10で横隔膜のキープを緩め(横隔膜が上がってくる)、11、12で腹筋を絞りつつ完全に吐き切るというものである。これは4吸うのに対して、漏れているところも含めて吐くが8という、1:2になっている。

 僕がこの歳までビデオを撮ってこられたのは、呼吸法を続けてきたことが大きな一因と言える。だから、ことあるごとに、みなさんにもオススメしてきた。安倍総理は「呼吸法で落ち着く」と言っていたけれど、安倍さんに限らず、政治家たちはみんな呼吸法を実践すればいいのにと僕などは思ってしまう。呼吸法を続けていれば、本来の自分を曲げてでも腹の底に溜め込んだものが自然と外へ出てくるようになる。それは言い方を換えれば、本来の気づきである。そうして人は本当の自分を取り戻すことができるのだと思う。本当の自分になれば、たとえば新たな法案について考える際、党内右へならえで保身に走る必要もないだろうし、大国の前に言いなりになる必要もないはずである。









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第327回 何のためにセックスするのか?


 何のために人はセックスするのか? あらためてそんなふうに問われると、答えに窮する人もいるかもしれない。「ザ・面接」に出演した女の子たちの声をいくつかアトランダムに拾ってみる。

 花嫁修業中のさな(22歳)は、親が1500万もする高級外車を買ってくれるほど、お金持ちのお嬢さんだ。体験人数は20人くらいだと言う。出演動機は「エッチがうまくなりたい」。誰かから「ヘタ」と言われたわけでもないのに、本人としては「万人ウケするセックスがしたい」ようなのだ。なにも万人にウケずとも自分の好きな人とだけ合えばいいように思うのだが、今の時点では誰と結婚するかわからないし、セックスが理由で、結ばれるものも結ばれなくなるのはイヤだということだろうか。彼女の話を聞いていて気になったのは、セックスを「うまい・ヘタ」でとらえていることだった。

 面接官は森林と優作だが、さなは優作を選び、ある程度までは行くのだけれど、優作が中折れする。そこで森林が行くが彼女は相手にせず、結局じったが行く。ところが「気持ちいいんだけど、勉強にならない」と言って、彼女は途中でやめてしまう。それを見ていたエキストラたちの感想を聞いたあと、最後にカメラを向けると「まだまだ上を目指そうと思います」と言う。僕は「もう目指さなくてもいいって、みんな言ってるよ」と言ったあとで、「3人いたじゃない? どの人が一番よかった?」と訊いてみた。優作か? 森林か? じったか? しかし彼女の答えは「あんまり覚えてない」であった。

 当然ながら聞いた男優はガッカリする。けれども、これはさなに限ったことではない。別の回に出演したかすみ(26歳)という女の子も、終わったあとに感想を求めると「さっぱりしました」と答える。続けて「誰としたか、覚えてる?」と訊いてみたが、返ってきたのは「覚えてない」だった。べつに男優の名前を知らないとか、そういう話ではない。もちろんその場で「あの人としたでしょ」と指させば「ああ、そうだった」と言うはずだが、要するに「誰としたか」は覚えてない程度の印象しか残っておらず、そこには関心がないということだ。

 なぜこういうことになるのか? それは冒頭に書いた「何のために」セックスするのかとじつは関わってくる。それを書く前に、もう2人ほど紹介しておこう。

 空港職員の由恵(26歳)は「2年間セックスしていない」と言う。彼女の体験人数は4人。職場でそういうチャンスがなかったのかもしれない。ともかく彼女はセックスがしたいのである。たとえば複数の男からされて、上の口も下の口もふさがれ、まわされることだって、「それもアリよ」と答える。彼女のセックスを見ていて、僕はもう充分だろうと思っていた。ところが、そうでもないようだ。市原が「満腹を10としたら、どれくらいや?」と訊くと「1.5」と答える。その後、別の男優としてもまだ「5」だった。

 化粧品販売の佳子(30歳)の出演動機は「今まで男性とエッチなことをしてもイッたことがないので、こういう所でそれをお仕事にしている方だったら、うまくイカせてもらえるかなと思って」というもの。面接官は片山と銀次。2人は例によっていきなり強引に責めていく。言葉なぶりも加わり、股間をガン見していると「今、シャワー浴びてないから」と言う。この抵抗はいい感じだなと思った。ところが、彼女は次第に自分の言葉に酔っていく。「舌使いが上手」「いやらしい音がする」「興奮しちゃう」……。そして自分の世界へと入っていくのだ。そのうちに「もっと激しくして!」「もっと! もっと!」と注文が出てくる。見せ物としてはいやらしいのだけれど、これでは自己完結で終わってしまう。

 彼女たちは何のためにセックスをしていたのだろう。さなは「エッチがうまくなりたいから」。由恵は「2年間セックスしていない」ので、欲求不満が溜まっていた。佳子は「イッたことがないので、プロの男優ならイカせてもらえると思って」。理由はそれぞれ違うけれど、3人ともセックスが「手段」になっている。うまくなるための手段、欲求不満を解消するための手段、イクための手段。これ以外にも、なかには男をつなぎとめるためにセックスしている人もいるだろうし、枕営業のように仕事の成績を上げるためにセックスしている人もいるかもしれない。

 だが、「手段としてのセックス」をしている限り、相手とはつながれないのである。では、「手段ではないセックス」とは、いったいどんなものだろう。次にその一例を紹介する。

 真弓(37歳)はエキストラの1人として「ザ・面接」に出演した。以前にも書いたことがあるが、僕はエキストラの中に仕込みの子を用意する。彼女とは事前に会っていたが、「やりたくなったらやってもいいけど、やりたくないときにはやらなくていいよ。それは撮ってもしょうがないからね」と言っておいた。とはいえ、彼女の中に「私はセックスするんだ」という意識がどこかにはあったはずだ。だからこそ「さあ、やるよ」では面白くないし、彼女も「どういうふうにやろうか」と思考が働く。そうさせないためには「まさかこんなところで」というタイミングが重要になる。

 2人目の面接が終わり、その感想を真弓に聞いているとき、片山と銀次と森林が彼女を囲み、森林が彼女の指を舐めはじめる。そのまま森林の舌は耳へ……。いつしか片山も反対側の耳を舐めている。「固まってるから穴ほぐしてたるわ」と市原。あれよあれよという間にパンティを脱がされ、みんなの前でアソコを指でいじられて、真弓はなすすべがない。複数の男たちに体じゅうを愛撫されたまま、銀次のそそり立つ男根が口の中に入ってくると、彼女はたまらずしゃぶりはじめる。テーブルに手をつき、立ちバックで銀次のが挿入されると、「まだダメ、動いちゃダメ」と言うが、おかまいなしに突きながら、銀次は彼女の顔を斜め後ろに向かせて、「ちゃんと見てごらん」と彼女の目を見る。そして「気持ちいいだろ」とやさしく耳元でささやくと、真弓はぼろぼろと涙をこぼした。「もうここまで来たんだ、銀ちゃんに甘えろ」と僕は言った。ソファに移ってからも、彼女は銀次の目を見ながら「銀次さん、気持ちいい」と涙を流しながら高まっていく。見ていた他のエキストラたちも、一様に「胸がいっぱい」「泣きそうになっちゃった」と真弓のセックスに感動している。

 真弓は意表を突かれたのだ。突如始まった自分へのちょっかいに考える間もなく、みんなの前で辱めを受け、気づいたときには相手である銀次と向き合わざるを得ない状態になっていた。だから、「誰としたかは覚えていない、そこにはそもそも関心がない」という状況とは違い、「銀次とした」のである。相手の心とつながれたからこそ、あの涙は溢れ、それは見ている者たちの心まで熱くした。真弓は決して「何かのために」セックスをしたのではない。「手段ではないセックス」とは、このように「生まれながらの心」が「交わる」ことであり、究極的に溶け合って瞬間恋愛に陥るということである。









Aito-sei-long

第326回 サイレントベビー


 これまで撮影現場や事前面接、愛と性の相談室などを通して、女性たちが抱える悩みと向き合う機会がたくさんあった。悩みは人によって異なる。たとえば恋愛やセックスに幻滅してしまっている人もいれば、何十人何百人とセックスをくり返しながら満たされない人もいる。その原因というか、そもそもの発端は同じところにあることが多い。それは主に幼い頃の親との関係である。

 サイレントベビーという言葉をご存じの方も多いだろう。初めて聞く方のために簡単に説明すると、赤ちゃんはお腹が空いても、オムツが汚れても、暑くても、眠くても泣く。言葉の話せない赤ちゃんは泣くことで(あるいは笑うことで)自分の意思を伝達しようとする。ところが、いくら泣いても親が何もしてくれなければ、やがて赤ちゃんは泣かなくなる。これがサイレントベビーである。

 なぜ泣かなくなるのか? 親の手を煩わせないために、聞きわけのいい子になったのではない。自らの意思の伝達を諦めてしまったのだ。アメリカの発達心理学者のエリク・H・エリクソン博士は「人は赤ちゃんの頃に基本的信頼感を形成する」と言う。「基本的信頼感」とは、言うなれば「人を信じ、自分も信じる力」である。いくら泣いても親が応えてくれなければ、基本的信頼感がうまく形成されないまま大人になっていく。表面上は如才なく社会生活を送っているようでも、深いところでは人を信じられなかったり、自己肯定感が希薄だったり……。

 かつては「抱きグセがつくから、赤ちゃんが泣いても頻繁に抱かないほうがいい」と考えられていた時代もあった。だが、前述のような理由から今は抱いてあげたほうがいいと言われている。僕のところでも、娘がちょっと部屋を出ただけで孫が泣き出す。ダンナがいるときにはダンナが、いないときには女房や僕が孫のところに行って、声をかけたり抱いたりしている。

 このように子育ては手がかかるものだが、今やシングルマザーは108万人。ただし、これは前回2010年の国勢調査の数字だから、この5年でさらに増えているだろう。子育てをフォローしてくれる親兄弟と同居していればいいが、お母さん1人ではなかなか大変だろうと思う。さらには、スキンシップ以前に経済的な問題も看過できない。というのも、現在は「子ども6人に1人が貧困」と言われている。「両親のいる世帯」の貧困率が12.4%なのに対して、「親が1人の世帯」は54.6%と4.4倍になる(2012年、厚生労働省)。

 先日、テレビであるシングルマザーの家庭を特集していた。小学校低学年の子が2人いる家庭だった。お母さんはそれまで働いてなんとかやっていたのだが、過労で倒れた。それ以来週に2日くらいしかパートに出られなくなり、いい月でも収入は8万円くらい。そこから家賃や光熱費等を払うといくらも残らないから、子どもに食べさせられない。学校があるときには給食が1日のうちで重要な食事だったが、夏休みにはそれもない。お母さんも仕事しているときに1日なにも食べていない。飴玉をポケットに入れて、それをなめるだけだ。ちょっとお金があれば、そうめんを買う。具はなく、そうめんだけなのだが、子どもたちは美味しそうに食べていた。さぞかし腹が減っていたのだろう。

 僕が子どもの頃も貧しかったけれど、まわりも貧しかった。しかし、貧しいからこそみんなが分け合っていたという記憶がある。「ドジョウがいっぱい獲れたから」「柿がたくさん生ったから」と。当時は地域が支え合っていたのだ。その地域が今は崩壊している。かつて地域が支えたものに匹敵する何かを制度が作っていかないと、この貧困からはなかなか脱出できないだろう。この原稿を書いている矢先、政府が本日(10月1日)、子どもの貧困対策専用のホームページを開設したというニュースが飛び込んできた。テレビ朝日のニュースによれば、このホームページでは子どもが検索しやすいように「家で食べるご飯がない」「進学したいけどお金がない」など60個の「悩みごと」から当てはまるものを選ぶことで、相談窓口や支援情報を探すことができるようになっている。ぜひ有効に機能していってもらいたいと願う。子どもたちが生きやすい世の中を作るのは大人たちの役目なのだから。









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