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第325回 真似る


 東京五輪のエンブレム問題が世間を騒がせてからしばらく経つが、今回は「真似る」について書いてみたい。盗用か否かという文脈においての「真似る」は当然ながら否定的な意味合いだけれど、「真似る」こと自体がいつも悪いとは限らない。

 人間は真似ることから新しい事柄を学んでいく。とりわけ武道や芸事は先達の確立した基本を型どおりに模倣することから始まる。「守破離」という言葉があるが、「守」は基本の型を身につける段階、「破」は身につけた型を応用する段階、「離」は型から離れて自分独自のものを創造してゆく段階。基本ができていない我流ではなかなか上達しないと言われる。かといって、型どおりのままだといつまで経ってもオリジナルは生まれない。

 以前にも書いたことがあるが、僕が「ある少女の手記・快感」という作品で初めて監督をしたとき、映画のセオリーなんて知らなかった。だから、映画を勉強してきた監督たちからは「あんなもの、映画じゃないよ」とさんざん言われた。たしかに映画理論を無視したメチャクチャな作りだったのだ。それでも、どうにかこうにか映画ができあがったのは、助監督として現場で見たことを見よう見まねでやったからだ。型を身につけるまでには至ってなかったけれど、これも模倣である。

 その後、ビデオの出発点である「ザ・オナニー」が売れると、他メーカーからは似たような商品がたくさんリリースされた。とはいえ、これはトクホ飲料でも保温下着でも1000円カットでも……要はどんなジャンルでも起こりうる資本主義経済の常である。

 ところが、驚いたのは(当時はレンタルでなく、すべてセルだったが)、有名な家電量販店が「ザ・オナニー」の海賊版、つまり違法コピー商品を山積みしていたことだ。中国の話ではない。都内の一等地で堂々と売られていたのだ。どう見たって、これはアウトだろう。さすがに僕も腹が立って「どういうことなんだ。全部、海賊版じゃないか!」と撤去を求めたら、渉外係みたいなのが出てきた。平身低頭謝るのかと思ったら、「うちも現金で仕入れてるんだから、文句があるんだったら、あんた買い取んなよ!」と言うではないか。どこの世界に、真似されたものを自分で買い取るバカがいるだろうか。

 しかし、1980年代初頭といえばアダルトビデオに著作権など認められてなかった時代。とりあえずビデ倫ができて自主規制はしていたけれど、警察の扱いとしては裏ビデオと大差なく、保護する気などさらさらなかった。海賊版を作る側もそれがわかっているから、やりたい放題。流通経路を逆にたどって製造元をつきとめても、また別の所が作りはじめる。その明け暮れに疲れ果てた僕は思った。いつまでやってもキリがないから、もう気持ちを切り替えよう。海賊版ができるってことは、それだけ多くのお客さんから支持されている証でもあり、それはありがたいことなんだと。だから、この不毛な争いにエネルギーを費やすのではなく、創作活動に使おうと。ちなみにビデ倫の中に海賊版排除を目的とした監視機構ができたのは、のちに警察の天下りを入れてからである。

 話は変わるが、同居している娘夫婦に生まれた孫が月齢8カ月になる。親たちや僕ら夫婦がテーブルを叩くと、幼い孫も真似をする。バンザイをすると、バンザイをする。たったそれだけのことなのに、こちらとしては真似されることがたまらなくうれしいのである。身ぶり手ぶりで自己表現を始めたばかりの赤ん坊だからというのもあるけれど、きっと大人同士でも、好意を持っている相手が真似するぶんにはうれしいのだと思う。恋愛心理でよく言われる「ミラーリング」がそれである。

 人はかくも模倣する生き物だ。さらには、ネット検索やコピペなど、以前に比べて簡単に真似ができてしまう環境がまわりにある。でも、どうせするなら人を心地よくさせる模倣でありたいものである。









Aito-sei-long

第324回 スマホ買いました…


 日本の移動式電話の始まりは自動車電話だそうである。僕も30年ほど前、初めて自動車電話を買った。運転席と助手席の間に置いて、電源はクルマのバッテリーから取り、アンテナは後ろのトランクの上につけるというものだ。固定電話しかなかった時代に、外に出て、そこから自由に電話をかけられ、またかかってくるというのは、当時にしてみれば画期的な出来事だった(途中で1ケタ増えたが、このときの電話番号を今も僕は携帯で使っている)。

 自動車電話が進化したのが、ショルダーホンというもの。自動車電話の場合、自由に電話ができるといっても、クルマの中にいることが前提となる。しかし、ショルダーホンならば歩きながらでも、店や電車の中でも電話ができた(僕は引きつづき自動車電話を使っていたので、ショルダーホンには買い換えなかったが)。ただし、その名のとおりショルダーホンは肩にかけて持ち運ぶ。電話機の下にはカバンのように大きなバッテリーがあり、重さは3キロもあった。

 バッテリーが小型化されると、電話機と一体化されてハンディタイプになる。ここからがまさに携帯電話である。とはいえ、初期の携帯電話は重さが900グラムもあったから、かなりカサ張るものだった。このあと、携帯電話はどんどんダウンサイジングされて軽くなるとともに、「iモード」「EZweb」「J-スカイ」といったインターネット接続サービスが始まる。ここから携帯文化が一気に花開く。もしも携帯が今も電話機能しかなかったら、みんなこれほど夢中にはならなかっただろう。

 ところが僕は、パソコンなら家にも会社にもあるし、移動手段はほとんどクルマだから、携帯は電話できればそれでいいと思っていたのだ。なので、家族がみんなスマホに買い換えても、1人だけずっとガラケーを使いつづけていた。だが今年、膀胱がんの手術で入院する際、病室で退屈そうだし、パソコンは持ち込めないというので、とうとうスマホに買い換えた。

 使ってみてどうだったかといえば、いろいろな情報がその場で手に入るし、便利なのはよくわかった。同居している娘夫婦と一家4人でLINEのグループを作成すれば、確かにメールでやりとりするのとは比較にならないくらいの楽しさと手軽さがある。写真も動画もきれいに撮れるし送れるから、孫の動画を自分の部屋で見ながらニタニタすることもある。同じ屋根の下に暮らしていてこれなのだから、遠く離れてなかなか会えないじいちゃん・ばあちゃんにしてみれば、孫の動画はもうたまらないものがあるだろう。

 しかし便利になったぶん、失ったものもあるように思う。上の娘が遊びに来ていて、女たち3人がそろった日のこと。以前ならば、よくまぁこれだけ話すことがあるなーと思うくらい賑やかだったのが、静かなのである。あれ?と思って見ると、3人が3人とも自分のスマホに入り込んでいる。家族の会話が明らかに減ったのだ。

 これはどうにか避けたいなぁと思った僕は、できるだけ女房と会話をしようと心がけているのだけれど、スマホで何かを検索しているときには、だいたい生返事である。そういうときには寂しさを感じたり、ちょっとムカッときたりする。この先、同居している娘夫婦と孫がマンションに移り住むことになったら、また女房と2人の生活になる。そのときスマホの中に逃げ込まれたら、イヤだなぁ、つまんないなぁ……と思う今日この頃である。








Aito-sei-long

第323回 売買春は合法化すべきか?

 先月、アムネスティ・インターナショナルが「売買春の合法化」を支持する方針を決定した。ご存じの方も多いと思うが、アムネスティといえば世界最大の人権団体。これまでにノーベル平和賞を受賞し、今や世界で700万人以上がその運動に参加している。

 そんな団体が、「合意のもとで」(自分の意思で働いている)という条件はつくものの、「売買春は合法化すべきだ!」と言い出したものだから、他の人権団体や女性団体からは、当然のごとくと言うべきか、非難が殺到した。ハリウッドの女優たちからも強い反対の声があがったという。

 では、なぜそんなことをアムネスティは言い出したのだろうか? アムネスティの事務局長が言うには「性労働者は世界でもっとも軽視された集団であり、ほとんどが差別、暴力、虐待の危険に常にさらされているから」。

 娼婦は古代からある職業だと言われている。人類あるところに売春あり。「売買春が違法か? 合法か?」はこれまで各国でくり返し議論されてきた。現在、合法としている国はタイ、台湾、オランダ、フランス、ドイツ、デンマーク、スイスなど……ほかにもたくさんある。

 合法化して問題がないかというと、そんなことはない。たとえばオランダは合法化すれば女性に対する強要や暴力、性病の予防ができると考えた。ところが現実には脅迫されて売春を強要されているケースがなくならないという。

 たとえばスウェーデンは完全解禁ではなく、買う客のほうを罰することにした(売る女性にはお咎めなし)。しかし、これによって客は海外に買いに行く一方、国内の売春は地下にもぐり、危険はいっそう増したともいわれる。また、かりに児童売春が行なわれていたとしても、客はそれを通報しない。言うまでもなく自分がパクられかねないからである。

 さて、わが国はといえば、売春防止法によって売春は禁じられている。だが、罰則はない。売春防止法でパクられる可能性があるのは、第5条の勧誘に抵触した売るほうのみで、買った男はいずれにしても裁かれない(相手が未成年の場合、淫行条例には抵触する)。売春防止法の罰則規定で問題になるのは、客から暴力行為を受けたり、料金を踏み倒された場合でも、女性はなかなか訴えづらいという点だ。

 歴史をふり返るまでもなく、いくら法律で禁じようが買う者は絶対にいるし、売春はなくならない。違法とすれば、そこに付加価値が生じて、地下へともぐる。犯罪の温床にもなるだろう。このように違法にしても解決せず、さりとて完全に解禁しても、あるいは売る側・買う側のどちらか一方だけを罰しても、どのみち問題はついてまわるというわけである。

 じゃあ、どうすればいいのかだが、とかく売買春の議論で思うのは、結局のところ「性処理の捌(は)け口の場を解禁するのか、しないのか」というだけの話に聞こえる。まるで娼婦はモノ扱いだ。アムネスティが言う「性労働者は世界でもっとも軽視された集団であり」というのは、まさにその通りだと思う。

 僕は現場でいろいろな女性と接してきて、日本の性の現状はふつうの人よりは深く知れる立場にいる。その立場から言わせてもらえば、売買春が合法か違法かを論ずる前に、そこが性処理の単なる捌け口ではなく、何かを分かち合う場であり、人が真に癒される場であり、同時に性を教わる場だととらえない限り、なにも変わらない気がする。

 性は個人個人に委ねられてしまっている。本能なんだから誰かが教えずとも、あらかじめ身についていると言いたいのだろう。だが、本当にそうだろうか。人間をあらしめている、その根源とでも言うべき性。これまでどの国も、必然である性の本質に対してあまりにも無知であるがゆえに軽視しつづけてきたように僕には思える。言い方を換えれば、「性とは何か」「性はいかにあるべきか」――そこを引いたところで、ちょっと見下したところで片づけちゃってるように見えるのだ。人権が主張される一方で、人と人との温もりはどんどん希薄になっていく時代だからこそ、人類は真摯な態度で性を哲学・科学する必要があると思えてならないのである。










Aito-sei-long

第322回 右脳セックス


 左脳は「論理的な思考」を担い、右脳は「五感を通じた感覚や感性」を担うといわれている。それぞれの特徴を個別に対比させてみると、次のようになる(「貴方の効き脳はどっち? 右脳派? 左脳派?」より引用)。

        test-004.jpg

 右脳・左脳については、これまでメディアでもさんざん取り上げられてきたから、みなさんもよくご存じだろうし、上の対比を見れば、右脳と左脳の違いがすんなり頭に入ってくることだろう。

 さてここで、≪左脳≫を≪左脳セックス≫、≪右脳≫を≪右脳セックス≫と置き換えて、もう一度その中身を見返していただきたい。たとえば最初の「論理←→直感」。「論理でするセックス」と「直感でするセックス」。あなたなら、それぞれどんなセックスをイメージされるだろうか?

 「詳細指向←→鳥瞰指向」。セックスにおける「詳細指向」とは何だろう。さしずめ、脚フェチ、パンストフェチ、声フェチといったフェティシズムは「性の詳細指向」と言えるだろう。

 このように個別の対比項目を、セックスに置き換えてイメージしてほしいのだが、もう1つだけ例を記せば、「戦略の構築←→可能性の探求」。セックスで「戦略の構築」といえば、事前に得た情報から作戦を練り、それを1つ1つ実行に移していくさまが目に浮かぶ。一方、「可能性の探求」は、自分の好奇心が出発点で、行為も探り探りだが、相手の反応を感じ取りながら進んでいき、やがてどこかに行き当たるといったところか。

 ≪左脳セックス≫は、一歩引いて冷静に相手やセックスをとらえている感じがする。セックスで我を忘れてヨガりまくるということはおそらくないだろう。一方、≪右脳セックス≫は自分から行動を起こし、向き合い、溶け合うセックスを感じさせる。これは≪左脳セックス≫が思考オクターヴ主導であるのに対して、≪右脳セックス≫が感情オクターヴ主導だからだろう。僕がどちらをオススメするかは言うまでもない。

 では、≪右脳≫にしっかり機能してもらうためには、どうすればいいのだろう? 踊りや音楽を楽しんだり、サーフィンやロッククライミングに熱中したり、なんでもいいから遊びに夢中になったり……というのがいいと思う。要するに、体を使い、夢中になって何かを楽しむことで、考える隙がない状態を作り出すということである。これが今この瞬間を感じて生きるという体質を育む。そうすればセックスもおのずと≪右脳セックス≫になっているはずである。










Aito-sei-long

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