2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第70回 続・香港珍道中

 なんとか間に合って乗り込んだ飛行機が、数時間後、着陸態勢に入った。高度が少しずつ下がってくる。香港空港も見えてきた。ところが、そのままランディングするのかと思いきや、機体はいきなり上昇を始める。え? なんで?

 機内アナウンスによれば、緊急着陸の飛行機が出たので、しばらく上空で待機するという。隣の席の齋藤さんが「監督と旅すると、絶対なにかトラブルがあるんだよね」と笑う。

 40分以上遅れて到着したものの、今度は、僕が成田でX線検査に引っかかりJALのカウンターに並び直して預けた荷物が最後まで出てこない。その場にいた係の人間に「これで全部?」と訊くと「YES」と言う。仕方がないのでカタコトの英語と身ぶり手ぶりで、成田での状況を説明した。すると「ちょっと待ってろ」とどこかに行った。

 あまりに僕が遅いので、齋藤さんと明石さんがやってくる。旅慣れた彼らは荷物を預けてないから、いつでも動ける状態だ。僕も以前は旅慣れていたつもりだったが......。2人に詫びつつ、この場の状況を説明すると、「続くね」と齋藤さんが笑う。

 探しに行った係の人が、僕の荷物を持って返ってきた。こうしてやっとのこと、僕たち3人は、空港まで出迎えてくれた香港大学の王向華先生、そして彼の教え子たちと対面できたのである。王先生は五十がらみの気さくで穏やかな人だった。

 僕たちは大学から差し向けられた大型のワンボックスカーに乗り込み、小一時間のドライブで香港大学に到着した。広大なキャンパスだ。そこには僕たちが泊まる施設もあった。100年前に建てられたという来賓宿泊施設は、レトロな薫りを漂わせている。

 チェックインでは、ホテルと同様、フライトNOとパスポートNOを書き込み、氏名の欄を見ると、そこには「Dr」とすでに印刷されていた。ここに宿泊するのが他校の教授たちだからだろうと思いながら、僕は「Dr」を2本線で消して自分の名前をサインした。

 ところがである。実はその下に「Mr」「Miss」の欄があったのを後で知ることになる。僕は結局なにも見ていなかったのだ。また齋藤さんに笑われた。

 その後、教授専用のレストランで軽食をとったのだが、香港が一望できる建物の最上階にあり、まるで一流ホテルにいるかのような錯覚に陥る。英国紳士風の男たちが各テーブルで談笑していた。きっと「Dr」たちに違いない。

 午後7時に、王先生のミーティングルームで、講演の事前打ち合わせに入る。講演では自分の作品の一部上映と、エニアグラムのチャート数点を映写使用することを前もって王先生に伝えていたこともあって、アシストしてくれる学生たち(女子学生3人、男子学生1人)も参加しての打ち合わせになった。

 女子学生のなかには東大を卒業し現在博士課程の子もいたが、彼女に限らず、学生たちのレスポンスはきわめて早い。一を聞いて十を知るとはこういうことかと、僕は感動すらしていた。

 その夜は、王先生、先生の奥さん、学生4人、そして僕たちの合計9人で街に繰り出した。日本では、飲み屋をハシゴすることはあっても、食事でハシゴはふつうしない。ところが、王先生は飲茶を食べたあと、海鮮料理を食べに行こうという。

 3軒目は海に近い酒場だったが、そのころになると、9人の心が打ち解けてきたのを僕は感じていた。それには、学院長夫人でありながら庶民的で、場を和ませるのがうまい奥さんの存在は大きかったかもしれない。これならば、明日の講演もうまくいくのではないだろうか。僕は少しだけホッとしていた。

 夜遅くまで楽しい時間を過ごし、僕たち3人は宿のある香港大学へと戻った。しかしである。来賓宿泊施設は鉄格子の扉に固く閉ざされ、中へ入れない。門限を過ぎたということだろう。押せども引けども、堅牢な扉はビクともしない。あたりには人もいない。どうやって中に入ればいいのだろう。僕たち3人は深夜、異国の地で途方に暮れていた。僕は明日の講演がまただんだん不安になってきた......。

(つづく)

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第69回 香港珍道中

 先週の13、14、15日と2泊3日で香港に行ってきた。かつては頻繁にヤップやサイパンに出かけていたが、このところ千葉が癒しの地になっていたので、海外は実に4年ぶりである。

 今回の香港はいちおう仕事である。といっても、海外ロケというわけではない。去年、コンテンツ・ソフト協同組合の代表理事を務める齋藤さんから「香港大学で講演しないか」と誘われた。忙しかったのもあり「来年になって都合がつけば......」と僕はとりあえず断った。これでもう講演依頼は来ないだろうとタカをくくっていたのである。

 講演というのは、どうも一方的に話すみたいで、僕は苦手である。聴く人々はもちろん事前に演題を見て来るとしても、大くくりのテーマだけでは僕の話す内容が、果たして本当に聴きたいことなのかどうかもわからない。ましてや、香港の学生たちが何を期待しているかなど、僕には到底わからない。

 ところが、齋藤さんは忘れておらず、先月会ったとき「監督、4月でどう?」と言う。香港大学で日本文化を研究されている王向華先生という人がいて、日本の現代文化の中の「性」について講演してほしいということらしい。王先生と齋藤さんをつないだ明石さんという人にも僕は会うことになった。明石さんは元新聞記者だが、会ってはじめて、ある老舗AVメーカーの社長をしていた明石さんの実兄であることがわかった。

 どういう話をすれば学生たちが興味を抱くかを、事前に王先生ともある程度すり合わせるということで、僕は講演を引き受けることにした。社会人類学者である王先生はオックスフォード大学で博士号を取り、香港大学ではいま文学院学院長をされているというから、どうやら偉い人らしい。

 しかも、香港大学がどんな学校かをネットで検索してみたところ、イギリスのある教育情報会社が発表した2009年版の「アジア大学ランキング」というリストを見つけたのだけれど、それによれば、1位...香港大学、2位...香港中文大学、3位...東京大学、4位...香港科技大学、5位...京都大学、と続く。これは偏差値だけで決めているわけではないようだが、それにしても大変な場所で講演をすることになったなぁと僕はとても気が重くなっていた。

 こうして、齋藤さん、明石さんと3人で、僕は香港に出かけることになったのだが、早朝、出国の成田税関で早くも一度目のハプニングは起こった。2泊3日の出張なので荷物は大して多くない。それに預けてしまうと、荷物が出てくるまで2人を待たせることになる。なので、僕は荷物を全部機内持ち込みにした。他の2人も同じことを考えたようだ。

 ところが、X線検査で僕の荷物が引っかかる。ヘヤスプレーと筆箱の中の小さなハサミだった。この場でそれらを放棄するか、それがイヤならJALのカウンターに戻って、長い列にまた並び、機内に預ける手続きを取らなければならない。僕は放棄のほうを選んだ。"危険物"のなくなったバッグのファスナーが閉められ、受け取ろうと僕が手を伸ばしかけたそのとき、バッグはまたX線検査に戻される。

 放棄したのに何故また通すのだろうと思っていると、2回目の検査も引っかかった。今度は寝ぐせ直しウォーターだ。いくらテロ対策とはいえ、こんなものまでダメなのか。でも、まぁ、寝ぐせくらいイイやと思うことにして、放棄した。

 3回目、今度はシガーカッターがダメだと言う。シガーカッターとは、葉巻の吸い口を切るための小さな道具だ。カッターといっても、刃が剥き出しになっているわけではなく、葉巻の先端をその中に入れないかぎり切ることはできない。

 こんなものがどうやって凶器になるというのだろう。さすがに頭に来た僕は、草食系とおぼしき若い男性職員に「なんで、こんな小さなシガーカッターがダメなんだ?」と詰め寄った。すると草食系は「他の乗客の指を切ることができますから」と言う。は? これで指を切る? 「もしも本気で指を切るつもりなら、こんなものをわざわざ持ち出して、抵抗する乗客の腕をつかみ、力ずくで指をこの小さな穴に入れて、刃を閉じるよりも、口で噛み切ったほうがよほど簡単だろう」と言ってやった。続けて「君、この作業に矛盾を感じないの?」とも。すると、彼は「多少......」とだけ答えた。

 寝ぐせはあきらめるとしても、僕はこのシガーカッターだけは放棄したくなかった。香港の夜景にひたりながら、シガータイムを楽しみたかったのだ。うーん、出発の時間は迫っていたが、僕はJALのカウンターに急いで戻ることにした。

 その頃、齋藤さんも引っかかっていて、先に無事通過した明石さんは、僕たち2人がいつまで経っても出てこないので、何かヤバイ物でも持ち込んで、別室に連れていかれたと思ったらしい。そうなると、予定の飛行機には乗れない。王先生から直接依頼を受けたのは明石さんだが、この飛行機に乗れなければ今回の講演に穴をあけてしまうと、頭を抱えていたようである。

 結局、飛行機にはなんとか間に合ったものの、最初からこの調子で、明石さんならずとも、僕は先が思いやられた。ちなみに、夜のシガータイムにだけちょっとふれると、僕たち3人が泊まった香港大学内の来賓宿泊施設は全館禁煙で、もっというと広大な大学講内がすべて禁煙なので、せっかく苦労して持っていったシガーカッターも、まったく使う機会はなかったのだった......。
(つづく)

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第68回 売れてる女優を使わない理由

 前回のブログで、僕は女の子より男優とのつきあいのほうが長いと書いた。他社の単体ものでは、女の子を何カ月にもわたって拘束し、男優を作品ごとに替えてゆくのに対して、僕の場合は逆だと。

 これまで幾度となく「なぜ売れてる女優で撮らないのか?」と多くの人から訊かれた。そう言ってくれる人は、無名でとりわけ美人というほどでもないフツーの女の子でこのくらい売れるのなら、美人でバリューがあればもっと売れるだろうに、と思っているのかもしれない。

 ホンネを言えば、きっと僕はそこに抵抗があったのだろう。監督として、売れている女の子に頼るということに。そうでなければ、かつて愛染恭子を手もとに置いて、もっと使っていたように思う。

 当時、僕が運営するプロダクションにいた愛染は、武智鉄二監督の「白日夢」に主演したことにより、本番女優として一躍有名になった。日活時代から一緒に組んでいたカメラマンから「彼女でやってみたら」と言われて撮ったのが「愛染恭子の本番生撮り」シリーズであり、これが僕にとって初のビデオ作品である。

 だが、僕はこのシリーズを5タイトルしか撮っていない。売れなかったわけではない。売上は僕の予想を超えて大きなものになった。もしも月に1タイトルでも同シリーズを撮りつづけていれば、十分それで利益が出たはずだ。

 でも、僕は次から次へと新人に行った。愛染に限らず、有名になるとその女優のイメージというものが形成される。これが僕にとっては曲者(くせもの)なのだ。イメージはまわりが抱いているだけでなく、本人も無意識のうちにその枠からはみ出せなくなってくる。

 それに加えて、ある程度その女の子が見えてしまうと、僕自身が飽きてしまうというのも大きい。がまんして同じ子を撮りつづけるのは、やはり苦痛なのである。

 なぜなら、これはすでに撮ったから、次はどういう見せ場を作っていこうかと、自分の中で義務が生まれてくる。それにひきかえ、新しい子ならば、それをまったく考えなくていい。とにもかくにも未知なのだから。

 では、なぜ男優とは長くつきあえたのだろう?

 アダルトビデオが男優で売れるのではないというのも、そこには影響しているだろう。ただし、男優も売れっ子になっていくと、女優と同様に自分のイメージからはみ出せなくなる者もいる。そうなると、やはり僕の中では拒絶反応が起きる。

 実際に、ある作品では複数の男優が登場したが、そのうちのひとりが自分の作り出したものに縛られて、それを否定するような行動がいっさい取れなくなっていた。僕はファインダー越しに彼のカラミを見ていて、ああ、これじゃあダメだなと思った。結局、彼が出ているシーンは、編集段階でまるまる捨てざるを得なかったのである。

 そうかと思えば、人気が出ても、自分で自分を縛らない者もいる。たとえば、前回書いた太賀麻郎は「いんパフォ」のとき人気があったが、自分のタガには、ついぞはまらなかった。なぜ、彼はその落とし穴にはまらなかったのだろうか? 僕もそうだが、やはり何も考えちゃいなかったからだろうか......。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第67回 「いんパフォ」を支えた男優たち

 太賀麻郎が6月1日に『AV黄金時代』(イースト・プレス刊)という本を出すという。その本の巻末言を依頼されたので、麻郎が出ていた「いんらんパフォーマンス」を自宅でざっと見返してみた。

 「いんパフォ」は全部で50タイトル撮った。そこにはいろいろな男優が出演しているが、メインとなるラインは、速水健二→太賀麻郎→日比野達郎→加藤鷹→チョコボール向井。

 「いんパフォ」を撮りはじめた頃は、まだアダルトビデオの歴史も浅く、AV男優という職業が確立していない時代だった。ピンク映画の男優なら、野上正義、久保新二、松浦康といったベテランとのつきあいもあったが、彼らは基本的に本番をやらない。なぜなら、役者はあくまでも演技の積み重ねによってホンモノを超えていこうとしていたからだ。

 それに対して、アダルトビデオには本番がある。「いんパフォ」以前から僕の作品に出ていた速水健二も役者志望だったから、本番だけを見せることに心の中では逡巡があったかもしれない。

 それにひきかえ、太賀麻郎にはまったくそういう抵抗がなかった。僕にしてみたら初めてふれるタイプである。それまでの男優は、どこかの養成学校を出ているとか、ちょっとお芝居やっていたとか、そういう人たちだった。でも、麻郎は単なる不良だ。演技がどうこうではない。自分がドーンと出てきて、思ったままのことを口にし、そうかと思えば、気をつかうところはつかっている。

 そこには僕自身、男優に対する新たな発見があった。お芝居じゃなくて素が出てくるというのは面白いなぁと。こっちのほうが力があるよなぁと。そんな魅力を僕は麻郎に感じていた。


20100409-yoyogi-pict.jpg


 麻郎だけでなく、日比野達郎も、加藤鷹も、チョコボール向井も、「いんパフォ」を支えたのは、ヤンチャな男たちだった。彼らは世間に合わせた優等生ではない。ある意味、はみ出し者である。制度の世界では落ちこぼれかもしれないが、少なくとも自分を殺して生きてはいない。

 そんな彼らだったからこそ、僕は信頼ができた。ひと言でいえば、とてもわかりやすい。その点、優等生はわかりづらいのだ。本当の自分ではないし、そこに2重3重のバリアを張っているのだから。

 話が飛ぶが、「ザ・面接」はまさに男優が主役である。「ザ・面接」の撮影が始まる2時間以上前から、男優たちはアテナに来て雑談をする。べつにこれといった打ち合わせがあるわけでもないのだが、僕にとってはそのコミュニケーションの時間がとても重要である。

 彼らは前日まで別々の現場でそれぞれの仕事をしてきている。お互いバカ話をしつつも、彼らの体調や内面的なコンディションを、僕はそれとなく見ている。だが、雑談の意義はそれだけではない。

 「ザ・面接」では、隊長の市原克也とクジ引きで選ばれた男優2人が1人の女の子と向き合うわけだが、外れている他の男優たちも一体でなければ、見応えのある作品にはならないと思っている。いま何が起きているのかがわかり、ここで自分が何をすべきかを全員が理解するためには、お互いの波長が合わないとなかなか上手くいかないのである。2時間の雑談とは、この波長を合わせる作業でもある。

 「淫女隊」のときもそうだが、3人のメンバーには撮影前日に入ってもらった。カメラこそ回していないが、前夜に3人がレズまで行けば、あくる日は3人が1つの体のようになって動く。

 たまたま前日に入れない子がいて、コミュニケーションが取れないまま現場に入ると、やはりスムースに流れていかない。3人の中に遠慮やわだかまりがあったりすると、絶対に上手くいかないのである。

 だから、一晩の間にどれだけ自分をさらけ出せて、お互いを理解し合えるかが、大切なのだ。遠慮がなくなってくると、翌日、1人の男に3人が向かってもムダがない。お互いが何をしたいかがふっとわかる。だから、それぞれの位置に行く。顔のほうに行く女の子、下のほうに行く女の子、それを見ていて自分がオナニーを始めちゃう女の子......。僕が指示しなくても、そういうふうになるのである。

 話をもとに戻そう。僕は女の子より男優とのつきあいのほうが長い。「淫女隊」は別にして、女の子は作品ごとに入れ替わってゆく。そういう意味では、他の多くの作品とは逆なのかもしれない。特に単体ものでは、女の子を何カ月にもわたって拘束し、男優のほうを作品ごとに替えてゆく。

 たしかにアダルトビデオは、女の子の裸なりセックスが売りになっている。しかし、僕の作品をずっと支えてくれたのは、実は男優たちであり、これは忘れちゃいかんなぁとあらためて思うのである。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

第66回 「ザ・コーヴ」

 2009年度、第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した「ザ・コーヴ」という作品が、食文化と動物保護、そして東洋文化と西洋文化の狭間で論議をかもしている。

 400年以上続く和歌山県太地町のイルカ漁と、その食文化を、きわめて狭い視野で、なおかつ稚拙な正義感を振りかざしているにすぎないこの作品が、アカデミー賞だというのだから笑ってしまう。この作品を選んだ審査委員たちにも、少なからずがっかりした。

 この映画を、僕はドキュメンタリー作品と認めることは到底できない。なぜならば、ドキュメンタリー映画に求められる客観性が完全に欠落しているからだ。「日本のイルカ漁はイルカへの虐待」という論旨に短絡し、「このドキュメント作品は啓蒙映画」と主張するに至ってはもう救いようがない。

 「日本人のみならず、生き物のすみかを脅かす人間は、すべて悪人である」とも主張している。「おまえ、なに言ってんの?」って感じである。世間知らずのお坊ちゃまでも、もう少しマシなことを言うだろうに。ましてや、本物のドキュメンタリー作家なら......。

 もう一つ、この作品にたずさわった人たちには、決定的に欠落したものがある。「生あるものは、みな生き物の命をいただいて生きている」という真理への理解だ。

 娯楽のための狩り、ゲーム感覚のハンティングで、数え切れないほどの命を奪い、鯨油を取るためだけにクジラの殺戮をくり返してきた西洋人が、日本の風習や文化についてとやかく言うこと自体、オトトイいらっしゃいである。

 イルカ漁や、伝統的にイルカを食卓にのせてきた文化は、今も日本に少なからずある。その地方の人たちは、きっと言うだろう、「あんたたちが牛を殺して食べているのと同じだよ」と。

 生き物の命について語るのなら、「ザ・コーヴ」の監督であるルイ・シホヨスは生きるということの本質を、体験を通してもっと理解してから出直すといい。

 イルカに限らず、多くの命をいただいて、私たち人間は生きている。命をいただいた生き物を供養するという慣わしも、日本各地にごく当たり前にある。身の程を知る日本人の精神性の深淵を理解するには、「ザ・コーヴ」の制作者たちはあまりにも幼稚すぎるように思われる。

 池や川で獲れたコイやフナを殺して食べ、ヒヨコから育てた鶏を絞めて食べていたことを僕は覚えている。僕だけでなく同世代以上の人たちには、食べるために自らが生き物の命を奪った記憶が残っているはずだ。

 かつて僕はタイの屠殺場を撮影したことがあるが、殺されることを察してか、牛たちは抵抗し、形容しがたい声で哭(な)き、涙を流すのを見た。

 しかし、コイやフナや鶏や牛、いやそれ以外にも食べるために殺された生き物たちの死はどんどん見えなくなり、僕たちが目にすることができるのは、切り身となり元の姿を連想できない肉の一部だったりするのも、また事実だ。

 では、僕たちは命をいただいているという感謝をすっかり忘れてしまったのだろうか?

 僕たちは食事の前に「いただきます」と言う。もちろん料理を作ってくれた人への挨拶でもあり、目の前の食べ物を収穫してくれた人たちに対するお礼でもある。

 ただし「いただきます」とは、もともと仏教(浄土真宗)に由来する言葉である。それは「食材となった動物や植物の命を絶ち、それをいただくことによって、私は自分の命をつなぐことができます」という感謝の意なのである。

 「命をいただきます。それに恥じない生き方をします」。これこそが、身の程を知る日本人の精神性だと僕は思うのだが、みなさんはいかがだろうか。

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
QRコード
QR