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第284回 新天地にて


 パンナムのファーストクラスをたった3人で独占し、アメリカに渡ったラジニーシ。オレゴン州に広大な土地を買い、コミューンの建設が始まる。といっても、陣頭指揮をとっているのはラジニーシ本人ではなく、秘書として全権を握り、インド脱出時から采配をふるったシーラという女性である。

 ヒュー・ミルン著『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』(鴫沢立也訳、第三書館刊)によれば、インドのアシュラム(とその周辺)には6000人の信者がいたが、アメリカのコミューンでは20万人まで住める計画だったというから、その規模たるや壮大すぎてちょっとイメージできない(ちなみに日本で現在人口20万人前後の市というと沼津市や鈴鹿市である)。

 パンナムの同便(ただしエコノミークラス)で渡米した側近たちやインドから自力でたどり着いた信者たちに、シーラは所有財産のすべてを供出するよう迫り、コミューン建設の過酷な労働を強いた。不平不満が出れば、ラジニーシの教えである「明け渡し」を説き、自分と対立する者は容赦なく排除した。

 かつて拙著『プラトニック・アニマル』の中でこんなことを書いた。〈制度の価値観や固定観念を捨てるときには、徹底的に捨てなければならない。SEXをするときに、よろいかぶとは脱がなければダメだ。でもそれは、終わってからすぐまた着ればいいだけの話である〉。

 「明け渡し」はオーガズムを迎えるときにも、真理を得たり、悟ろうとするときにも、確かに必要だと思うけれど、「ずっと明け渡したままでいろ」というのでは奴隷と同じである。

 では、秘書が強権をふるい暴走するなか、いったいラジニーシは何をしていたのか? 『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』によれば、笑気ガスを吸っていたという。笑気ガスとは歯の治療時など麻酔代わりに使われるもので、ラジニーシはこれをドラッグ代わりに常用しラリッていた。

 フィリピン大統領だったマルコスが亡命したあと、一般公開されたマラカニアン宮殿に足を踏み入れたことがある。当然ながらマルコスの部屋は広いのだが、ひとつも窓がなかった。独裁者はかくも恐怖心と隣り合わせで日常を送っていたのかと思ったものだ。ラジニーシにしても、笑気ガスでも吸わなければやってられないような状態だったのだろうか。

 マラカニアン宮殿といえば、マルコスの妻イメルダの3000足におよぶ靴も、当時メディアを賑わわせた。ふつうの神経ならば、いくらカネがあるからって、なんで3000足も必要だったんだろうと思うはずである。ラジニーシのロールスロイス90台も、イメルダの靴と同じなのだろうか。

 それでもコミューン建設が進むにつれて、信者たちは増えつづけた。増えれば、まわりの住民との衝突も目立ってくる。するとシーラは、その住民40人の小さな町に不動産を買って信者80人を住まわせ、住民投票の選挙に圧勝し、議会を自分たちのものにしてしまう。そして「アンテロープ」という町の名はやがて「ラジニーシ」に変わる。

 ただし、住民たちから支援を要請されていた連邦政府も、ずっと手をこまねいて見ていただけではない。メディアもラジニーシたちを「アカ」だと騒いでいたし、アメリカにとって彼らは何をしでかすかわからない危険なカルト集団には違いなかったわけである。

 で、結果はどうなったかというと、ラジニーシはアメリカ入国から4年後に逮捕され(偽証罪をはじめとする35の容疑)、罰金40万ドル・執行猶予10年の判決を言い渡されて国外追放になる。シーラはといえば、背任・横領・殺人未遂容疑をかけられ逃走をはかるも、結局逮捕。

 だが、僕にはよくわからないことがひとつある。ラジニーシとシーラ、本当はどちらが“あやつり人形”だったんだろうか?


(つづく)




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