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先日、NHKスペシャルだったか、震災後の自動車産業について報じていた。その中でこんな話がある。三菱自動車は下請け工場のほとんどが西日本に集中していたため、東北に多くの下請け工場を持つ他メーカーと比べれば打撃は小さいだろうと考えられていた。
ところが、部品の供給が思いどおりには進まない。いったいどうなっているのかと首脳陣も頭を悩ますなか、ひとつの意外な事実が見えてくる。
クルマとは部品のかたまりみたいなものだが、日本の自動車メーカーの競争力は、その数多くの部品の調達体制にあると言われてきた。自動車メーカーから1次、2次、3次、4次、5次……と、それこそ孫請けどころではない下請けの構造があり、それは下へ行くほど会社の数が増える。まさに自動車メーカーを頂点とするピラミッド型である。
しかし、今回の震災で調達ルートを洗い直したところ、三菱自動車に使われている、ある半導体の工場が東北にあって震災の被害を受けていた。そればかりか、その半導体はその会社でしか作れないものだとわかってくる。下請け構造からすれば底辺に位置していたのだろうが、それは多くの会社で構成される「辺」ではなく、取り替えの効かないたった1つの「点」だったのだ。ということは、「ピラミッド型」と思われていた構造が、実は、下に行くとまた1点に集約する、形としては「ダイヤモンド型」だったのである。
経済誌のなかには、この構造を「生産回復の足を引っ張る」と評するものもある。たしかに、たった1つの小さな半導体が供給できないだけで、設計図どおりのクルマができないのだから「足を引っ張っている」とも言えなくはない。でも、僕はそこからまた違う面が見えてくる。
きっとこの半導体メーカーは、かつて孫請けの、そのまた孫請けのような位置にいて、ずいぶん追い込まれていたのではないだろうか。このまま三菱自動車だけに頼っていても、先がない。ならば、新たな顧客となる他の自動車メーカーを見つけなければと、独自の技術開発を始めたのではないだろうか。クルマには30~80個の半導体が使われ、なかには100個を超える高級車もあるらしい。各半導体メーカーがしのぎを削るなか、この会社は今や三菱自動車のみならず世界の自動車メーカーがこの半導体を求めるまでに成長していた。
ということは、もはや単なる下請けではなく、この半導体メーカーを中心とする新たな円ができていると言えるのではないか。だから、この「ダイヤモンド型」こそが、これまでもこのブログで何回か書いてきた「多次元的な円」なのだと僕は思う。もはや上も下もなく、自分を中心にした円が同時にいくつもできる、それが「多次元的な円」だから。
こんな話もある。以前、孫正義氏の自然エネルギー構想はこのブログ「理想の国」でも紹介したが、6月15日に行われたエネルギーシフト勉強会(第二部)には菅総理大臣もやってきた。USTREAMでその様子を見ると、まるで別人のようにイキイキとした菅さんの姿が印象的だ。
自然エネルギーについては30年も前から取り組んできたと菅さんが言う。たしかに話を聞いていると、付け焼刃でないのはよくわかる。だが、原子力を推進したい者たち、その利権に群がる者たちの妨害によって、ついぞ彼の持論が通ることはなかった。それがここに来て、孫さんの力を借りることによりエネルギー改革を起こそうとしている。
マスコミはそれを揶揄しているけれど、僕はそうは思わない。一企業家が政治を動かし、総理大臣もその力に頼るという時代に、すでにシフトしているのだから。
余談だが、エネルギーシフト勉強会の様子をUSTREAMで見ていて、これまで“イラ菅”などと言われもしたが、基本的に菅さんは思考オクターヴ系なのだと思った。対話のキャッチボールも頭を通して言葉が出てくる。だから笑いを取る話も、オチは論理的である。一方、孫さんは感情オクターヴ系だ。ひとつひとつの言葉に彼の思いや信念が宿っているので、聞いていてストンと心に落ちる。前回、エネルギー政策に関する記者会見にて「自然エネルギーの構想は素晴らしいけれど、本当にできるのか?」という質問が出たとき、孫さんは「できるかできんかわからんけど、やらなきゃいかんことがある」と答えている。もしこれが菅さんだったら、きっと違う答え方をしていたことだろう。
話を元に戻そう。いつもと違う元気な菅さんをマスコミは揶揄するものの、今回のエネルギーシフト勉強会の様子が、テレビや新聞といったマスメディアからではなく、USTREAMというネット配信によって人々に伝わってゆくこと自体、ピラミッド型が機能しなくなっている、ひとつの証だろうと思う。
「多次元的な円」はあちこちで始まっているけれど、最後に被災地の仮設住宅について僕が感じていることをひとつ。従来、仮設住宅といえば横一列に並んだプレハブをイメージする人も多いだろう。横一列では入口が全部同じ方向を向いているので、各世帯同士のコミュニケーションもなかなか生まれないそうだ。すると、家の中で孤独死ということも起きてくる。
そこで被災地からは、円を描くように仮設住宅を配置し、各戸の入口をすべて内側に向けて建てるというアイデアが出ている。こうすると、円の内側に共有スペースができあがる。ふだん以上に助け合いが必要なとき、ここから生まれるコミュニケーションはお互いを救っていくに違いない。
あいにく従来型の横一列で建ててしまった場合には、玄関の前のポーチというのだろうか、その部分にウッドデッキのようなものを敷き、並んだ各戸をつないでしまうというアイデアがあるそうだ。こうすると、ウッドデッキによってつながった所は、靴を履かずに行ける、内と外の中間的なエリアというか、両方を兼ね備えたスペースになる。
このように、被災地の人たちが生活に支障を来たし、追い込まれた末に出てきたアイデアは、圧倒的な説得力を持ち、なおかつ魅力的だ。仮設住宅といえばこういうものだという既成概念のもと、トップダウン形式で決められたところになかなか入居者が集まらないというのもうなずける。とても住みたいとは思えない代物なのだから。国が与えるという「ピラミッド型」ではなく、そこに住まう人々がアイデアを出し合い、かつ自らが中心となる今は「多次元的な円」の時代なのである。
そこかしこで芽生えはじめたこのような無意識が、集合意識を形成し、やがて“大きな変化”をもたらすように僕には思えるのである。