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第210回 心で心を愛撫せよ

 「心で心を愛撫せよ」はオーガズムへ至る奥義である――と僕は思っている。「体で体を愛撫する方法」なら世の中にゴマンとあるが、せっせといじくり、掻き回してみても、それだけではオーガズムへ到達しない。

 僕はセックスの導入部において、女の子を言葉で追い込んでいくことがある。恥ずかしがる言葉をあえてぶつける “言葉なぶり”のようなものだ。なぜそんなことをするかといえば、ひとつには彼女が身につけた社会性という殻を壊すためである。もうひとつは、じつは彼女自身も心のどこかでそれを望んでいるというのがある。

 「さぁ、セックスをしましょう」と始める人間はそういない。とりわけ最初に肌を合わせるときには、どっちかが仕掛けていくことになるだろう。たとえば男が仕掛けたとき、女は「いやっ」とか「ダメッ」と言いつつも、見栄や体面や常識が剥がれ落ちていき、秘めていた欲情が匂い立ってくる。男ならそのプロセスがたまらないわけで、女のほうもそこがいちばん燃えるのだ。

 監督面接で会う女の子のなかで「たまには強引にやられてみたい」とか「一度犯されてみたい」と言う子は多いが、本当は犯されたいんじゃなくて、外側で抵抗しつつも内側で燃え上がってゆく、その感覚を味わいたいのだと思う。抵抗すれば、相手を焦らすと同時に自分も焦らされる。要するにお互いが焦らしっこをしているようなもので、双方にとっての“溜め”なのだ。

 余談だが、今の男たちの多くは「いやっ」「ダメッ」と言われると、本当にそこでやめてしまうという。恥をかきたくないという思いがことさら強く、ちょっと様子を見て難しそうだったら、すぐに手を引いてしまうのだろう。

 そこでやめてしまったらセックスにならない。しかし、逆に自分が優位に立とうとして、言葉なぶりに相手が反応してきたとき、「やっぱりスケベな女だ」と見下せば、それはSMになってゆく。SMでは相手を隷属させたことへの自己満足しか生まない。相手が淫乱になったとき、「心を開いてくれたんだ」という思いが自分の中にあるかどうか、これがとても重要なのだ。考えてもみてほしい。言葉なぶりをして、もし相手がなんの反応も示さなかったら……。それこそ、こんなにみっともないことはない。

 心を開いてくれたという思いがあるからこそ、目の前で、あられもなく喘ぎ悶えるその姿に愛おしさが芽生えてくる。そうしたら、「可愛いよ」でも「好きだよ」でも、愛おしさを言葉にして相手に伝える。もちろん、ちゃんと目を見ながらである。

 そして自分がされる側にまわっても、気持ちよさをどんどん言葉で表現してゆく。「気持ちいいよ」でも「もっと舐めて」でも。とても人前では言えない男の沽券(こけん)に関わるようなことでも、自分を開いて相手に伝える。それが上手かったのが加藤鷹だ。彼はずっとしゃべっていた。セックスしながら、どうかすると10秒と黙っていない。腰使いより言葉数のほうが多いくらいだ。だが、そうすることで、相手の気持ちは自然とこっちに向く。セックスのとき、恋人や妻が目を閉じて、かりに韓流スターに犯されていることを想像していたとしても、妄想の世界から呼び戻せるのだ。

 たとえば映画を見たり、スポーツを観戦していて、体が熱くなったり、思わず涙が溢れてくることがある。なにも体にふれていないにもかかわらず、心が揺さぶられる。セックスでもそれと同じことが起こる。目を見て、思いを会話する。そこで初めて見えない実体同士が愛撫し合う。互いに互いを解きほぐし、一体となって溶け合ってゆく……。オーガズムはすぐそこである。



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