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第209回 個人主義は幸せかい?

 昨年(2012年)、ストーカー被害が過去最多になったという。テレビや新聞、ネットで読んだ人も多いことだろう。警察庁によれば、その数、前年比36.3%増の1万9920件。長崎県や神奈川県のストーカー殺人事件で世間の関心が高まり、相談や被害を届け出る敷居が低くなったと見ているようだ。たしかにそういう面もあるだろうし、実際の件数自体も増えているのだろう。

 なぜかといえば、ストーカーに走るのは、人とコミュニケーションがうまく取れない人間が圧倒的に多いのではないかと思うからだ。ストーカーを擁護するつもりはないけれど、人とコミュニケーションを取れない人間が増えているのは、動かしがたい事実なんじゃないかと思える。

 人と意思疎通ができなくなれば、そこで溜め込んだストレスは、捌け口を求めてどこかに向かう。向かう先はストーカー行為に限らず、酒だったり、ギャンブルだったり、セックスだったり、人によってはドラッグだったりもする。

 たとえば、そうやって飲む酒は、苦しさから逃れるための手段だから、結局のところ、酔いさえすれば銘柄なんかは何でもいいのである。何百人とセックスしてしまう女の子は、僕からすれば、もう人間としていないわけで、相手は誰でもいいのだ。

 では、なぜコミュニケーションを取れない人間が増えたのだろう?

 いろいろ原因はあるはずだが、僕は「過度な個人主義」が最も大きな要因のように思う。個人の権利と自由を尊重する風潮のなかで、それがすでに行き過ぎているのではないかと。

 あたかも家のまわりを高い塀で囲むみたいに、他人が土足で自分の中に踏み込まぬよう、権利という壁を築いているように見えるのだ。プライバシーは保たれるものの、壁が堅牢になれば他者との風通しはおのずと悪くなる。ときに自分の壁に風穴をあけてみても、そこから見えるのは他人の壁だったりもする。

 個人主義は戦後に輸入されたものだが、たとえば欧米で小さな子どもを寝かしつけるとき、子ども部屋のベッドにひとり置かれた子が、最初の晩は30分泣いたとする。だが、慣れていくうちに30分が20分に、20分が10分になり、やがて子どもはひとりで寝られるようになるのだそうだ。これを欧米では、自立をうながすためのしつけだと言う。

 親子のスキンシップの重要性はこれまでも書いてきたけれど、幼児期にスキンシップが不足していると、大人になって「自我収束」が起こりやすくなる。自我収束とは、「どうせあの人は○○に決まってる」と相手を否定し、自分も心を閉ざして、何かに期待すること自体をやめてしまう心のありようだ。自我収束が起これば、当然ながら人間関係は孤立していくし、自らの活力も低下していく。要はどんどんネガティブになっていくのだ。

 それでも子どもの頃、たとえば集団で遊んだりしていれば、それは外圧へ適応していく模擬訓練・実践的訓練にもなるだろう。実際、集団遊びをくり返すほど、脳神経回路が発達するという報告もある。

 ところが、ひとりでテレビやゲームに興じていると、脳の回路が単純化されてしまい、結果的に特定の回路は強化されるものの、その他の神経回路を使わないように脳が習慣づけられるという。

 今やケータイやパソコンでネットゲームをやるために、親さえ殺してしまう事件が起きている。そこにハマッてしまった子どもにとって、ネットゲームはドラッグのようなものではないだろうか。ドラッグならば売った者も買った者も厳しく罰せられるけれど、ネットゲームはそうはいかない。

 「過度な個人主義」とは、人間が人間らしく生きられない世の中のように僕には見える。もしそれを克服し、自分の人生を取り返そうと思えば、つまるところ、友をつくって、遊びを持つしかない。とはいえ、すでに閉じてしまった人にとっては、友をつくることさえなかなか難しいかもしれない。

 そういう人は、呼吸法を実践して気血の流れをよくするといい。人間関係にも必ずや変化が訪れる。それから、音楽も効果がある。たとえば子どもの頃にスキンシップが足りなかった人には、本能を刺激するラテン系のリズムや太鼓がいい。とりわけ和太鼓は効果が大きい。感情をうまく出せない人には、フラメンコや演歌など、感情を揺さぶる音楽がいいだろう。いずれにしても、頭で聴くのではなく、リズムにのって自然に体が動き、声が出るようになれば、それは人間関係における自己表現へとつながっていくはずである。



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