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第207回 まごころか? 商売か?

 前回はタイの売春婦の話を書いた。「僕のために料理を奪い合うのもそうだが、買い物をすれば僕に代わってとことん値切ってくれる、汗をかけばサッとハンカチで拭いてくれる。それに何よりも一緒にいて楽しい」。だから、彼女が僕の財布から札を抜くのを見ても、見なかったことにしたのだった。

 でも、読者のなかには「カネを盗むくらいだから、いろいろしてくれることも、結局は商売のためというか、計算ではないのか?」と思った人もいるかもしれない。もしも計算だとすれば、そこからそもそも騙されているのではないかと。

 テレビ番組の取材でタイへ行くようになって、買春ツアーの裏側も見えてきた。彼女たちはお客を空港まで送ってきて、「寂しい!」「心痛い!」と言いながらボロボロ涙を流している。そのお客が出発ロビーに消えていったかと思うと、すぐに次の客が到着する。「ハイ、社長さん!」と満面の笑顔。恐ろしく切り替えが早い。

 じゃあ、やっぱ商売じゃんと思われるだろうが、必ずしもそうとは言い切れないものがある。まるで感情の抑制機能が壊れてしまったかのように溢れてくる涙はウソ泣きなのか。快晴の空みたいに屈託のない笑顔は作り笑いなのか。僕にはそれらがどうしても演技には見えないのだ。

 話は変わるが、「とびっきりギャル無垢剥くメニュー」という作品の撮影でタイに行ったときのことだ。知り合いの脚本家(とりあえずAとする)が一緒に行きたいと言う。「じゃあ、助監督としてこき使うぞ」って言ったら「やる」と言うので連れていくことにした。

 ところがバンコクに到着すると、Aは1人でソープに行って、女の子を連れ出し、3泊4日のパタヤ取材にこっそり同行させた。パタヤからは島に渡るのだが、Aが集合場所に現われない。「もういいや。どうせ助監督じゃないんだし、ほっとけ」と僕らは撮影に出かけてしまった。撮影を終えて夕方帰ってきたら、女と一緒にいる。みんなからはもちろん大顰蹙(だいひんしゅく)である。

 そんなことがあって、バンコクに帰り、ソープの女の子は店に戻った。翌日帰国の僕らはローズガーデンとか、何カ所か残っているところを撮り終えた。夜になると、ソープの子がやってきた。「これ、ラブレター!」と言って、Aに封筒を差し出す。みんな「ヒューヒュー!」と囃したて、「どうせ請求書だよ!」というカメラマンの言葉に大笑いした。

 照れながらAが封筒を受け取り、中を見ると、案の定、請求書である。金額は日本円にして確か十数万はあったと思う。高額だ。店から連れ出すだけでも料金が発生するし、4日店を空けさせているから、そういう金額になるのだろう。でもAにはカネがない。「貸して!」とみんなに泣きつくものの、帰国前夜ともなれば誰もそんな大金は持ってない。「もう謝るしかないだろ!」とみんなが言い出すと、Aは彼女の前に正座して「カネ、ない」と謝った。

 すると、彼女は「マイペンライ」と言う。「いいよ、ないならしょうがない」と言っているのだ。予想外のリアクションに、みんな少なからず感動している。だが、ポイントはここである。裏を読めば、日本人はあとから必ず送金してくると彼女が計算しているとも取れなくはない。実際にAはその後、カネばかりか、電気釜をはじめ生活に必要なモノを送っており、自分もくり返しタイに行っているのだから。

 しかしである。「マイペンライ」と言ったら、Aが送ってこなければそれで終いだ。その時点で、彼が送ってくる保証はどこにもない。

 ここまで読んでくれた人は、「標題の〈まごころか? 商売か?〉の結論は、どっちなんだ?」と思っているだろう。僕はこう思う。ギリギリで生きている人間は、無意識のうちにその瞬間瞬間でベストを尽くそうとする。まごころも真なり。商売も真なり。どちらか一方だけということはない。だから、彼女たちのシーンをどこで切り取り、それにどういう意味づけを与えるかは、受け取るこちら側の問題なのだ。

 現地で仲よくなった向こうのツアーガイドたちが言う。「日本人、売られてきて貧しい女にすぐ可哀想って言うから、カネ、いいようにむしり取られる」。それが彼らから見える真実だ。では、脚本家のAはどうか? なぜ彼はあの子にハマッたのだろう。きっと彼女のやさしさやまごころにふれて幸せだったからだ。それがAにとっての真実である。2つの相反する見方は、じつはどちらも正しいのである。


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