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第119回 理想の国


 先週、USTREAM で自由報道協会主催の孫正義記者会見を見た。原発が事故を起こした現在、「エネルギー政策をどうするか」がテーマである。僕は地震国である日本に原発は適さないと思っているが、孫さんの話を聞いて自然エネルギーへの期待値がさらに高まった。僕がそう感じたポイントをいくつか紹介しよう。

 原子力発電のメリットとして筆頭に上げられるのは、発電コストの安さである。僕もそうだが、多くの日本人のイメージの中にそれは色濃く刷り込まれている。かつての「エネルギー白書」には、太陽光、風力、水力、火力、原子力という5つの中で原子力が最も安く記されている。

 ところが、ここには追加コストが隠されていて、そのうえ事故保険などを入れると、実は他を上回るというのである。実際アメリカでは、昨年、原発と太陽光発電のコストが逆転している。太陽光のコストが今後も下がりつづけるのに対して、原発は上がりつづけるという。

 安全神話は崩壊しコストも高いとなれば、それでも原発を維持・推進したいと思う日本人は、そこに利権を有するごく一部の人間くらいだろう。世界的に見ても、原子力発電所の新設は1980年代をピークに下り坂だ。

 2009年度の日本の発電電力量のシェアは、火力が一番多くて61%、次に原子力で30%、自然エネルギーは9%しかない。しかも、9%の中には水力発電(ダム)も含まれる。最大シェアの火力は、石油・石炭を原料としているため、コストはこれからも上がってゆく。

 では、自然エネルギーはどこまで実用性があるのかだが、たとえば太陽熱発電についていえば、6年前には日本のメーカーが世界トップ5のうち4社を占めていた。つまり、それだけ日本は世界に先駆けてソーラー技術を開発していたということだろう。ところが、現在ではトップ5に1社しか残っていない。

 それにひきかえ、ドイツでは太陽光発電が年々伸びている。だから、エネルギー自給率は日本が4%なのに対し、ドイツは28%と高い(2008年)。なぜドイツの太陽光がそこまで伸びたのかといえば、政府の促進策・ポリシーがあったということである。具体的には「太陽光エネルギーを何年間にわたりこの価格で買い取りますよ」と、発電にたずさわる者がやる気の出る条件を示したからだ。

 これを全量買取制度というが、日本では原発を推進させるためか、やる気の出ない条件しか示されなかった。ところが、震災のあった3月11日の午前、偶然にも太陽光における全量買取制度の条件見直し案が閣議を通過していた。ドイツがそうであったように、買取価格アップの法案が通れば、日本の電力は新しい時代を迎えるだろう。

 風力発電は世界的に見ても伸びているという。日本も潜在的能力が高く、国内の全電力をまかなうことも夢ではないそうだ。だから、震災や放射能によって今後何年も人が住めなくなった広大な土地に、太陽光と風力の大規模な設備を作るという構想もあるようだ。

 地熱発電も世界で急激に伸びている。しかも、日本が世界3位の地熱資源国であり、特に東北地方には豊富な資源が眠っているという。さらに、世界の地熱発電設備の75%以上が日本製なのだそうだ。ということは、現在、日本の技術が世界一ということだろう。

 僕たちの払う電気料金は、火力や原発に頼る限り年々上がってゆく。自然エネルギーに転換すると、設備投資も含めていっときは今より上がる。試算では、現在1世帯あたりの電気料金の平均月額が約8000円。それがいったん8500円にはなるものの、その後は必ず下がってゆくと。

 孫さんの話を簡単にまとめると、以上のような内容なのだった。専門的なことはわからないが、でも、孫さんの話を聞く前から、これからは日本の各地域ごとというか、それぞれの風土に合った自然エネルギーの発電方法があるだろうと思っていた。と同時に、これまでなぜそれが産業として育っていかなかったのかを考えると、そこには利権に群がる巨大な力の存在も見え隠れする。

 しかし、それらの権力構造が「ピラミッド型の力学」、つまり一方通行のトップダウン形式だったとすれば、現在は独自の判断で行動を起こす自治体が出てきたのも事実だ。行動に出たひとつひとつの自治体を円心(円の中心)に見立てれば、「多次元的な円」ができあがる。それは、言い換えれば真の意味の「自立」でもある。

 東北地方は、まったく新しい都市国家を築くチャンスだと僕は思う。あれだけの土地があり、ゼロから創ってゆける。そればかりか、今回の震災を身をもって体験した人たちには、他の人々にはない大きな発見や気づきや学びがあるに違いない。

 戦後の焼け野原から出発し、日本は世界に冠たる経済大国になった。でも、経済的な豊かさが本当の幸せなのかと僕たちは疑問を抱きつつあった。今回、多くの犠牲を払ったものの、いや、多くの犠牲を払ったからこそ、世界の雛形になるような“つながり感”に根ざした理想の国を創造するチャンスを手にした。その出発点は東北地方をおいて他にはないと僕は思っている。

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