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第225回 医者をめざす彼女の秘めたる性癖

 面接会場に入ってきた相馬幸子は、ひと言でいえば覇気のない子だった。隊長の市原が「朝ごはん食べた?」と訊いてしまうくらいに。24歳の大学院生で、専攻は経済。専門的なことを聞いても僕らにはわからないが、「途上国と先進国の関係を学んでいる」と彼女は言った。

 そして将来は医学部に進みたいので、また大学に入り直すと。大学院まで行きながら、なぜ医学部に入り直すのか問うと、途上国で医者をやりたいと言う。「途上国と先進国の関係」を学ぶうちに、きっと進むべき方向が見えてきたのだろう。そんな幸子の出演動機は、医学部の学費を稼ぐためだった。彼女いわく、生活費を含めると3000万円くらいかかるらしい。

 幸子には、大学院で同期の彼がいる。彼とはどんなセックスをしているのか訊かれて「オシッコをかけ合ったりとか」と答えた。くわしく訊いてみると、週1回くらいの割合で、彼と互いの顔にオシッコをかけ合っているらしい。それも、終わったあとに拭くとは言うけれど、トイレや風呂場ではなく部屋でしていると言う。「賃貸やったら貸したくないな」と市原。

 ふつうの人から見たら、かなりの変態である。SMもそうだが、頭を使う人ほど、脳の刺激による快楽を求める傾向が強い。それは幸子と担当面接官・森林との会話からもうかがえる。

森林「なんでオシッコなんかかけるんですか?」
幸子「かけられると興奮するんですよ。ふつう絶対あり得ないことじゃないですか、トイレにするものだから」
森林「あり得ないってことはわかってるんですね」
幸子「そう、それが興奮するんです」

 そしてこのあと、幸子は森林に「オシッコをかけてください」とせがむ。そればかりか、汚い言葉でののしられたいという本人の希望どおり、オシッコとともに「ブタ!」「ド変態!」といった言葉を浴びせかけられた。顔じゅうオシッコまみれの彼女に僕は訊いた。「なんでそんな恍惚とした顔すんの?」。幸子が答える。「うれしいんです」。その表情はキラキラと輝いている。

 放尿したばかりのオチンチンをうっとりとした顔で咥え、やがてセックスが始まった。その間も「もっとののしってください!」と本人が言うので、男たちは汚い言葉を浴びせつづけた。セックスが終わると、今度は「精子、飲みたいです」と言う。そしてオチンチンばかりか、コンドームに残った精子までを飲み干した。

 これまで女の子たちに、セックスで精子を飲むかどうかについて訊いてみたことがあるが、「好きな人だったら飲みたい」と答える子が多い。だが、幸子の場合は、森林が好きだから飲みたいわけではむろんない。オシッコを顔にかけられるのも、汚い言葉でののしられるのも、そしてコンドームの精子を飲み干すのも、すべて自分を辱(はずか)しめ、貶(おとし)めたいからである。そんな汚された自分を意識し確認することで脳が欲情している。

 しかし、刺激は慣れるにしたがって鈍化するから、「ふつう絶対あり得ない」の度合いはどんどんエスカレートしていく。延長線上には食糞もある。

 僕はこの作品では、あえてありのままを見せるにとどめた。幸子からたとえば「やっぱり異常だと思うので、ここから抜け出したい。どうしたらいいんでしょう?」と相談されれば話は別だが、実際、彼女は何もアドバイスを求めてはこなかった。ならば、今の段階では大きなお世話にしかならないだろうと思ったのだ。

 2005年に撮ったものなので、あれから8年になる。幸子はどうしただろう。その後、彼女に関する情報は何も入ってきていないが、望みどおり医者になり、途上国の医療へ貢献してるんじゃないかと僕は思っている。

 なぜそう思うかといえば、将来について語る彼女に、まったく揺れを感じなかったからである。大学名は出せないけれど、あのとき名のある大学の院まで行っていた。医学部入学は大変なことには違いないが、それを訊かれたときも「勉強のほうは、どうにかなりそうなので」と彼女は気負うことなく答えている。学費の件も、それでビデオに出るくらいの覚悟があれば、きっと算段がついたのではないかと。

 残るは、セックスである。オシッコかけはエスカレートしているのか? もちろん、8年の変化を予測するのは難しい。ただ、ものごとには必ず原因がある。なぜ、彼女はオシッコをかけられて「うれしかった」のか? それは彼女の中に、いまだ癒されていない心の傷があったからではないかと思うのだ。具体的にそれが何かを訊いてはいないが、ひょっとしたら幼い頃、近しい人間から受けた虐待の可能性もある。なぜならば、そうやって育った子の多くは被虐・加虐でしか相手と関係を結べなくなるからである。

 それは、途上国で医者をやりたいという思いにも同じものを感じる。もちろん経済を学ぶ過程で途上国の現状を思い知らされたというのもあるだろうが、医療環境が整っていない国の人々を救うことは、そこに自分の居場所を見つけ、生きがいを見いだし、自分自身を癒すという行為に思える。一人を救うごとに彼女の傷もまた少しずつ癒されていくことだろう。そうして傷は必ず癒える日がやってくる。そうなれば、もうオシッコも汚い言葉も、彼女には必要なくなっているはずである。




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