週刊代々木忠
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第93回 2つの感性
笹口健著『文化とは何か―知性の文化の発見』(日本図書刊行会、1997年刊)という本には、「対物的感性」と「対人的感性」という言葉が出てくる。とてもわかりやすく書かれているので、この本を引用させてもらいつつ、今一度、感性について考えてみたい。
笹口氏は、感性とは人間の五感に入ってくる印象を受けとめる能力で、美しいものを美しい、心地よいものを心地よい、あるいは醜いものを醜いと認識し判定する能力だという。さらに、感性には「対物的感性」と「対人的感性」の2つがあると。
「対物的感性」は美しいものを繰り返し鑑賞したり創作することによって磨かれるが、「対人的感性」は人間ひとりひとりの生命や人生そのものを慈しむ感情を基盤にしており、「対人的感性」をすでに身につけている人々(幼いころは肉親、成長にともなって友人や人生の先輩など)とのふれあいや自分自身の知的な思索を通じて高められてゆくという。
美醜が比較的はっきりしている芸術的基準で判断しやすく、経済的価値につながることもあって社会的にも評価される「対物的感性」と比べて、これといった判定の基準もなく、経済的価値も生み出さない「対人的感性」は社会的評価も低く、人々にこれを身につけさせようと努力させる動機づけに乏しい。
「対人的感性」に対する社会的な評価が低いほど、その社会における感性の文化はバランスを欠き、人の住みづらい社会というわけである。
「対物的感性」は「思考オクターヴの知性」に端を発し、「対人的感性」は「本能オクターヴの愛」に端を発していると僕は思う。
前回のブログで交通事故の話を書いた。いきなり直進車の前に右折で飛び出してきたり、渋滞で止まっているところに追突しながら、謝るどころか、クルマから降りもせず、目も合わせず、すべてを保険会社まかせにしてしまう人たちは、さしずめ「対人的感性」が欠落しているように僕には思える。
でも、それは交通事故というアクシデントの対処法に限った話ではなく、日常そのものにも当てはまる。たとえば、ひとりの人間が会社を勤め上げ、定年退職を迎えた途端にやることもなくなり、家族には邪魔者扱いされて、孤独感に苛まれるという話を耳にする。
僕の友人の友人にも、そういう人たちがいる。彼らは40年以上にわたって仕事を全うしてきた。大企業の部長を務めてきたくらいだから、きっと仕事はできたのだろう。でも、見方を変えれば「本能に根づいた対人的感性」を育ててこなかったのではないだろうか。
若い頃から仕事のスキルアップには余念がなかったかもしれないが、それ以外のものは後回しにするか、犠牲にしてきた。人間関係もつねに仕事を介してのものだから、定年とともに媒介である仕事がなくなれば人とつながれない。そればかりか、会社という枠組みが取り払われてしまうと、自分が何をしたらいいのかすらわからない。
家庭においても結局つながっていないから、妻や子どもたちには邪魔者扱いされて居場所もない。実際にいつも家でゴロゴロされてばかりでは、奥さんにしてもたまったもんじゃないだろう。しかし、これからはそういう老人たちが年々溢れてくるのではないだろうか。
そんな老後はまっぴらだと思っている若い人々も、他人事ではない。「思考オクターヴの知性」「本能オクターヴの愛」「感情オクターヴの感性」のうち、恋愛やセックスでいちばん重要なのは「本能オクターヴに端を発した感性」だと、このブログでも繰り返し書いてきたし、現場でも言いつづけてきた。恋愛もセックスも、相手とつながらない限り、なにも始まらないのだ。
日本における"つながり感"はどんどん希薄になっている。もしも「対人的感性」が磨かれれば、恋愛や結婚は増え、出生率は上がり、逆に離婚率はぐんと下がるに違いないと思うのだが......。
テーマ :
日記
ジャンル :
アダルト
2010-10-22(16:05) :
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