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第141回 セックスレス 

 訊かれる「セックスレス」についてである。

 厚生労働省の「男女の生活と意識に関する調査」によれば、夫婦のセックスレス化は「31.9%(2002年)、34.6%(2006年)、36.5%(2008年)、40.8%(2010年)」と(2004年は調査が行われなかったようだが)、増加の傾向にある。この数値を見なくとも、多くの人が「きっと増えてるんだろうなぁ」と思っていたかもしれない。

 最新の調査結果では「40.8%」がセックスレスということだから、残りの約6割はセックスしていることになる。ちなみに「セックスレス」の定義とは「特殊な事情が認められないにもかかわらずカップルの合意した性交あるいはセクシャル・コンタクト(ペッティング、オーラルセックス、裸での同衾など)が1ケ月以上なく、その後も長期にわたることが予想される場合」(日本性科学会)だそうである。

 でも、挿入やクンニをしたら、それがセックスかというと、僕はちょっと違うんじゃないかとも思うのだ。

 たとえばオナニーは、自分でエッチな妄想をかき立て、自分の性器を手や道具で刺激して快楽を得る。ここで使われているのは、思考オクターヴ(妄想)と本能オクターヴ(性器への刺激)だ。一方、セックスは、お互いの気持ちが向き合わないとセックスにならない。だから使われるのは、感情オクターヴと本能オクターヴであって、思考オクターヴには休んでいてもらわなくてはいけない。

 セックスで思考が働くと「そこじゃないのに」とか、「この人、ヘタだわ」とか、「早く終わんないかな」とか、挙句の果てには、やりながら違う相手とのセックスを妄想してしまう。このように思考と本能でするのはオナニーであって、セックスではない。たとえ裸で抱き合っていても、各々が自己完結であり自己満足だから、歓びを共有できていない。先の調査で「セックスレスではない」と回答した6割の人のなかにも、この“相手の体を使ったオナニー”をセックスだと考えている人が少なからずいるんじゃないかと思うのだ。

 こういうセックスをしていると、刺激ばかりを追い求めることになる。運よく求めた刺激が得られたとしても、結局、相手と心はつながっていないから空しさが残る。すると、またすぐにしたくなり、より大きな刺激を求めることが続いてゆく。経験人数が100人、200人とか、彼氏の他にセフレが10人も20人もいるという子は、このケースである。でも、その実、心の底ではセックスに失望しているのだ。

 ちょっと余談だが、彼氏の他にセフレがいる場合、セフレのほうはその子に彼がいることを知っているものの、彼氏のほうはセフレの存在を知らないというパターンがほとんどである。しかし、それで二人は本当にうまくいくんだろうかと疑問に思う。要するに、ずっと嘘をつきつづけているわけだから。それとも、それを裏切りとは思わぬほど、心が鈍感になっているのだろうか。

 夫婦でも“相手の体を使ったオナニー”のようなセックスをしていたら、そりゃあ、しなくなるだろうなと僕は思う。感情を閉じて、思考と本能でしていたらマンネリ化してしまう。挿入はしても、お互いが別々のことを考えているかもしれない。夫や妻は、いつしか恋愛感情を伴わない家族同士となり、そこに時間的な距離が加われば、もうエッチな状況は二度と作り出せないだろうなぁと……。

 それに対して、目を見つめ合い、感情と本能でセックスをしていれば、瞬間恋愛が起きる。たとえば夫の、たとえば妻の真に歓んでいる目と向き合った経験があるかないかで、その後の夫婦生活はまったく異なったものになるだろう。相手の歓喜の目に出会うと、崇高な感情に打たれる。それはどんなに金が儲かろうとも、どんなに出世しようとも体験できない感動なのである。

 では、オナニーに救いはないのか? もちろん、救いはある。本来、思考オクターヴ(妄想)と本能オクターヴ(性器への刺激)でするオナニーで、感情オクターヴ(感情移入)を意識的に使ってみるのである。まず、対象となる相手をビジュアライズする。その相手にフェラチオやクンニなどをされて、思いっきり焦らされているところを想定する。そんなシチュエーションにおいて、感情移入し、子どもになっておねだりをする。「焦らさないで!」でもいいし、「好きっ!」でもいい。感情移入するオナニーは、これまでとは違った新たな快感をもたらしてくれるはずだ。そして、セックスで感情オクターヴを使う効果的なレッスンにもなるのである。

 さて、夫婦で瞬間恋愛ができるようになれば、子どもの前で「パパ」「ママ」と呼び合っていても、寝室ではエッチモードへとスイッチが切り替えられる。そんな夫婦にセックスレスは訪れない。心がつながったセックスを好きなだけし尽くすと、もうセックスすら必要としない境地が訪れることがある。どういうことかというと、つながるというのは相手とスペースを共有した状態になることだが、この状態が定着してくると常に相手と一体である。ここまで来れば、もはやセックスさえも不要となる。でもそれはセックスレスではなく、いわば卒業なのである。

 

テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

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