週刊代々木忠
いまこの瞬間の代々木忠の想いが綴られる
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第231回 妻の異変
1日目。
夕方になって、女房の具合が急に悪くなった。体をよじるくらい肋骨のあたりが痛いと言う。顔面蒼白で、脂汗も流している。これは尋常じゃない。だが、あいにく土曜日で、きょうもあすも病院は休みだ。救急車を呼ぼうとしたが、行くのなら女房が糖尿病で通っている大学病院がいいだろうと思い直す。救急車だと、どこへ運ばれるかわからない。かかりつけの病院の救急へ電話を入れると、最低1時間から1時間半は待つことになるけれど、とりあえず診てくれると言う。
救急の窓口で状況を話すと、看護師さんが出てきて血圧を測った。232もある(ちなみに、成人の血圧の正常値は上が130未満と言われている)。すぐに奥へつれていかれて、正式に測ると240。造影剤を注入してCTで胸部をスキャンする。疑われたのは大動脈解離だった。けれども、CTの結果から大動脈解離ではないとわかる。ただし、それがわかっただけで、痛みと高血圧の原因はわからない。とりあえず血圧を下げる薬と痛み止めが投与されて、点滴を受けた。
深夜の2時ごろ、降圧剤のおかげで血圧は130台まで下がった。痛みのほうは来たときほどではないものの、まだ息をするのも痛く、その範囲は「肋骨だけでなく背中のほうまで広がった」と言う。どんなふうに痛むのか訊いても、女房は「表現のしようがない」と繰り返す。体の表面が痛いのか、中のほうが痛いのか、それも「わからない」と。
病院側は「血圧が下がったので、家に帰ってください」と言うが、「このまま帰っても、痛みは治まっていないし、入院させてほしい」と僕は頼んだ。しかし「病名が特定できないので入院はできない」と言う。「どの科が受け持つか決められないから」というのが理由のようだ。しかたがないので、その日は家につれ帰った。
2日目。
指示どおり降圧剤を飲んでいるのに、朝から血圧は240台に上がっている。午後まで辛抱していたが、夕方また痛みが激しくなり、とうとう救急車を呼んだ。来てくれた救急隊員にきのうからのいきさつを話し、「できたら同じ大学病院に運んでほしい」と言ったら承諾してくれた。救急車には下の娘が同乗し、僕はあとから自分のクルマで追いかけることにする。
ところが、救急での対応はきのうとまったく同じものだった。血液検査で炎症が起きていることはわかっても、それがどこなのか特定できない。すると娘がこんなことを言った。「帯状疱疹にかかったことがあるんですが、私は表に(発疹が)出ませんでした。母は私と同じ症状だから、帯状疱疹じゃないですか?」。問われた医者は「帯状疱疹だと皮膚科ですが、きょうは日曜なので皮膚科の先生はいません。循環器系の先生とちょっと相談してみます」と言って席を立った。
相談した結果は「その可能性はあるけれども、断定はできません」だった。僕は「その可能性があるのなら、それで入院の措置は取れませんか」と頼んでみた。このまま、また家につれ帰っても痛みは引いていないし、降圧剤の効きめが切れれば、血圧はきっと240台に戻るだろう。だが、医者の返事は「病名が特定できないと入院はできない」という同じ言葉の繰り返しだった。
3日目。
依然として痛みは引かない。降圧剤が切れると血圧が上がるのも同じである。娘とともに女房を同じ病院につれてゆく。これまでと同じ対応になるだろうことは想像がつくけれど、ほかに手がない。「病名が特定できないって、なぜですか!?」と娘が医者に訊いている。医者だったら何でもわかるだろうとは言わないが、なんの病気か医者が診断できなければ、いったい誰ができるんだよと思う。
すると、救急のきょうの担当医は「では、ほかの病院に行ってください」とこともなげに言う。「小さな病院だったら、病名が特定できなくても入院させてくれるところはあるでしょうから」と。僕がキレる前に、娘がキレた。この3日間インターネットでいろいろ調べてきたらしく、医者を追い込んでいる。追い込まれた医者は、「私たちもサラリーマンですから、決められたことしかできません」と平然と言ってのけた。私たちもサラリーマン? それを医者が言うのか……。
4日目。
この日は糖尿病科の主治医が出ている日だった。僕は仕事だったので、娘がつれていった。「帯状疱疹の疑いがあるけれど、断定ができない」と主治医に話したら、「あらためて血液検査をしてみましょう」ということになった。検査結果がわかるのは1週間後。結果自体はもっと早く出るようだが、主治医は週に2日しか出てこないから、最短で1週間後になる。
8日目。
1週間を待たずして、女房はまた強い痛みに襲われ、血圧が240を超えたので、救急につれていった。「主治医のほうが帯状疱疹に絞り込んだ血液検査をしているので」と言ったら、そのデータが目の前のパソコンに出てきた。正常な値は2以下だそうだが、女房の数値は22。10倍以上である。ということは、やはり帯状疱疹なのだろうか。やっと病名が特定できるかもしれない。そうなれば治療方法も見えてくるはずだ。
10日目。
同じ病院の皮膚科に娘がつれてゆく。飛び込みの初診ということもあり、5時間半待ってやっと診察。皮膚科の医者は血液検査の数値を見るなり、「過去に水疱瘡にかかっていると、なにもなくてもこの数値は出ます」とのこと。10日目にしてやっと病名まで辿りつけると思いきや、またふり出しに戻ってしまったような空しさである。
この10日間で救急に4回行った。そのたびに点滴を5時間半かけてやるので、僕もずいぶん長い時間そこにいたことになる。救急医療の大変さの一端は見たように思う。とくに小児科は大変である。相手は子どもだから泣き叫ぶ。それをなだめすかしながら、診察や検査を進めていく。相手が大人だったら、少なくともその苦労はないはずだ。そして、とにかく急患は次から次にやってくる。だから、いちいち情を移していたら、とても医者の身が持たないというのもよくわかる。
しかしである。患者の側からすれば、あまりにも事務的なのは否めない。ペナルティを負いたくないというのもひしひしと伝わってくる。なかなか病名を特定しないのも、もし違った場合の責任を考えて……というのを感じてしまうのだ。
何回か前のブログに矢作直樹先生の話を書いたが、先生が言っていたことを僕は思い出していた。それはまずタテ割り診療の弊害である。科が違えば医者といえどもまったくわからない。判断もしない。それを打開するためには、矢作先生の唱える総合診療医の育成が本当に必要なのだと思った。
もうひとつ、矢作先生の言葉として「『なぜ病気になったのか?』について、患者も医者ももっと考えなければいけない」というのがあった。なぜ女房はこうなったのだろう? 今回具合が悪くなる2週間ほど前から風邪気味だった。それでも庭いじりをしたり、買い物に行ったりしていた。僕は「休んだら?」とは言ってみたけれど、じっとしていられる質(たち)でないのはわかっているから、それ以上は言わなかった。
風邪というのは「免疫力が落ちたよ」というシグナルではなかっただろうか。免疫力が落ちたとき、もし持病があれば出てくるだろうし、ふだんは平気なウイルスや菌にもずっと感染しやすくなるはずだ。だから、もしもあのとき、もっと注意していれば、こうはならなかったかもしれない……。
このあいだ、北海道にいる上の娘と電話で話をしたとき、「お父さん、よしみを褒めてあげて!」と泣かれた。「私は北海道にいて、なにもできなかったから」と。よしみとは下の娘である。聞けば、娘たちはお互い母親の病気についてインターネットでいろいろ調べ、その情報をもとに毎晩遅くまで話し合っていたらしい。姉のほうは昔から最初に計画を立て、それをきちんと実行していくタイプだった。合理的で、無駄なことを嫌う。それにひきかえ妹は、僕に似て、出たとこ勝負の性格。だからいつも姉からは、やりこめられていた。
その姉が初めて「妹を褒めろ!」と泣きながら父親に訴えてきたのである。女房が病気になってからきょうまでの下の娘の献身ぶりが目に浮かんだ。上の娘にはそれがずっと見えていたのだと思った。そして親を思う娘たちの心を、あらためて見せつけられた思いだった。
21日目。
発病から3週間になる。あれから別の大学病院にもつれていったが、「これまでの検査データをすべてもらってきてください。でないと、うちで診るにしても一から全部やり直さないといけなくなるから」と言われた。最初にかかった病院のほうでは、まだ検査が続いている。血液検査もそうだが、測るたびに不整脈が出たり出なかったりするので、近々、検査入院して心電図を一昼夜とることになっている。
とはいえ、鎮痛剤が効いているのか、このところ強い痛みからは解放されている。身をよじるくらいの痛みに襲われる本人が、いちばん苦しいのは言うまでもないが、何もしてやれずにただ見守るだけの家族にとっても、それはつらいことだった。その痛みが遠のいている。鎮痛剤を飲んでもあれだけ痛がったことを思えば、病気は快方に向かっているようにも見える。ほとんど寝たきりだったのが、いまは起きて生活できるようになったのだから。
ただ、引きつづき降圧剤は飲んでいるものの、血圧は相変わらず240を超えるときもある。医者からは「血圧に関しては長い目で見て、治療していきましょう」と言われている。その病名は……いまだ特定されていない。
2013-09-06(00:00) :
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