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第218回 姦通罪と家庭崩壊

 姦通罪(かんつうざい)というのがあった。人妻が浮気して、恋人やセフレとやってしまうと、6カ月以上2年以下の重禁錮(今でいう懲役)に処すというもの。浮気相手の男も同罪になるものの、夫が未婚の女性とやった場合には罪に問われない。親告罪ではあるけれど、男尊女卑を絵に描いたような不平等な法律である。

 だが、これがほんの六十数年前まではわが国にあった。第二次世界大戦後、日本国憲法が制定される折に廃止されたわけだが、そのとき「平等ならいいじゃん」という根拠で、「妻同様、夫もダメでどうか」という意見もあったようだ。

 現在でもイスラム圏では姦通が禁止され、最高刑は死刑。イスラム世界ならば、さもありなんという気がするけれど、お隣の韓国にも、廃止の方向で動いているとはいえ、今もって姦通罪は存在する。ただし、夫も妻もダメという平等な形で。

 たった今、男女平等の姦通罪が日本にいきなり復活したら、シャバから人は減るだろう。ネットをのぞいていると、倫理の低下をなげく人たちから「姦通罪を復活したらどうか」といった書き込みも見かける。そうすれば、離婚率も下がり、逆に出生率は多少なりとも上がるんじゃないかと。

 僕も「世間体があるから」「子どもがいるから」等の理由で取り繕ってはいるが、実質的には機能していないというか、崩壊している家庭も少なくないように見える。しかし、結論を先に書いてしまうと、姦通罪を復活させたところで家庭崩壊は食い止められないと思うのだ。

 「夫がいながら、罪の意識はないの?」と不倫中の主婦たちに訊いてみると、「その後ろめたさがいいの!」という答えが返ってくる。背徳も二人が燃えるためのスパイスといったところか。女の貞淑・貞操ばかりが強要された時代と比べたら、女性たちも自由を手に入れたと言える。

 では、自由を手に入れて、幸せになったのだろうか? このまえ「ザ・面接」の現場で、22歳にして男性経験151人という審査員の子に「幸せ?」と訊いたら、「幸せっ!」と元気よく返ってきた。僕はちょっと意地悪に「でも、そんなにやるってことは、やっぱり心に満たされないところがあるから……そういう子が多いんだよ。そういう子って心に傷がある、人には言えないね」、そこまで言った途端、彼女はポロッと涙を流した。

 みんな自由にやって、楽しそうに見えるんだけど、本当は空しいのである。それはなにも女たちばかりではない。男たちのなかで、自分の得意ジャンルの話なら一方的によくしゃべるけれど、対人関係とか恋愛になると、一転して手も足も出ないという人間が増えている。

 これは男も女も、人間力が衰えているからだと思う。戦後、金銭的価値に置き換わりやすいもの、たとえば偏差値の高い学校への進学や大企業への就職といったものにプライオリティを置き、そのための準備には余念がなくとも、人間性という曖昧なものは二の次とする風潮が蔓延した。つまり、競争社会における経済原理が優先されたのだ。

 そこで重要なのは法にふれないこと。もっと言えば、バレなければ法を犯したことにもならない。要は競争に勝つことが重要なのだから。だが、行動の規範を法や決め事にゆだねてしまえば、一人ひとりの主体性は失われてゆく。「それは人間として恥ずかしい」――そんな思いは決め事があろうがなかろうが、自分が自分であるための矜持(きょうじ)であったはずだ。

 だから、家庭の崩壊も、法律で規制したところできっと歯止めはきかない。問われているのは「自分はいかに生きるべきか」という人生観のほうである。




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