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第201回 遊んでこそ人生

 「ザ・面接」の特別版を編集していると、当時の記憶がよみがえる。今は1998年の作品群を見返しているが、この頃すでに僕はつらかったんだなぁという思いが立ち上ってくる。何がつらいかといえば、作品を毎月リリースしないといけないということだ。

 なにせ遊びが中心の人生である。ビデオを始めた頃は、何本か撮ったらヤップやタイやサイパンに遊びに行っていた。さんざん遊ぶと、また日本に帰ってきて仕事をする。もちろん遊ぶにはお金が必要だし、養うべき家族もいた。

 だからといって、仕事が嫌いなわけではない。自分の撮りたいものを撮っていれば、それが月に2本でも3本でも苦にはならなかった。誰に頼まれたわけでもなく、自分が好きでやっていることだから。

 ところが、毎月コンスタントに撮らなければならないとなると、話は別である。自分がノッてるときなら問題ないが、そうじゃないときも撮らなきゃいけない。そうしているうちにだんだん自分が行き詰ってきて、ノルマに押し潰されそうになる。

 「何を言い出すのかと思えば、そんなのがつらいなどと、まるで学生気分の抜けない新入社員か」とツッコミを入れたい読者もいるだろう。あるいは「俺なんか(私なんか)、食うために、やりたくないことでも我慢してやってるのに」と。

 もちろん僕も、社会の中で組織の一員としてやっていくには、そういうわがままは通らないということも一応わかっている。だから自分を抑えて何年かやったわけだが、結局それで体調を崩した。幼い頃から雑草のように育ったから、人よりは逞しいほうで、逆境にも強かったはずなのに……。おまけにそこへ、うつも追い討ちをかけてきた。

 自分でも日に日に体が衰えていくのがわかった。いつもよりはいくぶん体調がよく思える日、女房・娘と一緒に玉川タカシマヤに出かけ、レストラン街の中の中華料理屋に入った。食事中、突然、吐き気に襲われる。トイレに駆け込んで戻したが、もう出るものがなくなっても吐き気はいっこうに治まらず、終わりのほうはガーッとしゃくって血の混じった胃液を吐きつづけた。

 そのまま救急車で運ばれることになるのだが、途中から意識がない。ERで意識が戻ったときには、先生は大きい声を出しているし、看護師さんたちも慌ただしく動きまわっている。そのとき女房は「もうお父さん、ダメかもしれない」と思ったそうである。

 この発作はその後も2度起きた。嘔吐と悪寒に加えて、胸が割れそうな痛みと細胞を針で刺されるような2つの異なる痛みに襲われる。いったんそれが始まると20時間以上続いた。発作のたびに女房や娘たちは覚悟を新たにせざるを得なかったようだ。「今度こそ本当にダメかもしれない」と。

 それまではどうにか仕事をこなしていたが、MAの日、ついに動けなくて音楽家の後藤さんに任せることにした。監督人生の中で仕事に穴をあけたのは、そのときが初めてだった。そろそろ身のまわりを整理したほうがいいのかもしれないと思った。僕はアテナの代表を退き、自分の墓を買った。

 そんなある日、昔の友達から何年かぶりに電話があった。「たまにはお茶でも飲もうよ」と言う。仲のいいやつだったので、体調のこと、うつのことを正直に話すと「そんなの一発で治るところがあるからさ」などと、調子のいいことを言う。気持ちだけありがたくいただき、電話を切った。

 すると翌日も電話がかかってきて、「今から迎えに行くよ」と言う。「わかった、その医院の場所を教えてくれたら、必ず行くから」と僕が答えると、「じゃあ、待ち合わせして一緒に行こう」ということになった。

 このブログでも書いたことがあるが、それが力学療法界の外科医とでも言うべきH先生との出会いである。初日の診療から股関節の矯正をしてもらったのだけれど、これが先生を憎んでしまうほど痛い。だが帰り道、何カ月も忘れていた空腹感を覚え、思わず僕はコンビニで弁当を買った。

 もしも友達があくる日も電話をかけてこなければ、僕が施術を受けに行くことはなかっただろう。あそこが大きな分かれ目だったと思う。その日から生活が変わっていった。

 午前中はさすがに体が動かなかったが、「毎日来院してくれ」という先生の言いつけどおり、午後1時には医院の玄関をくぐった。そして体調のいい日は、施術後にその足で会社に顔を出した。体はどんどん快復していったが、元気になっても、体調を崩す前の生活にはあえて戻さなかった。

 以前だったら、夜中の1時や2時、場合によっては3時頃まで編集をしていた。たとえ行き詰っても、自分で納得のいくまで帰ろうとは思わなかった。でも、それをあっさりやめたのだ。あらかじめ自分で決めた時間までやって、たとえ途中でも続きは明日にまわす。この歳になると自分の集中力の限界もよくわかっている。たとえ深夜まで粘ったところで、翌日冷静に見返してみれば、使い物にならないことをすでに知っているからである。

 そしてもうひとつ。午前中は自分の好きなことに時間を使う。撮影やMAがある日以外は、午前中が僕の遊びの時間である。遊びがないと、きっとまた僕は行き詰る。では、午前中に何をするかといえば、たとえば家の近くを歩く。僕が住んでいるところには、幸いまだ少し自然が残っている。だから、日によっては川沿いに足を延ばすこともある。

 四季折々の花を眺めながら通りを歩き、川に出れば野鳥たちが川原や水面につどっている。気品すら感じるアオサギの横すれすれを、水鳥たちが甲高い鳴き声で通過してゆく。小魚を貪欲にあさる獰猛なカワウは可愛げがない。カルガモ一家の食事タイムはいつまでも見ていたくなる……。

 たとえ都会に暮らしていても自然にふれることによって、僕の中の何かが安らいでいくのを感じる。つねづね人間は自然のサイクルからはみ出してしまった生き物だと思うのだが、自然に身を置いていると、その自然が、はみ出す前の、もと来た道に戻してくれるような気がするのである。

 ビデオを始めた頃、ヤップやタイやサイパンに足繁く通っていたのも、やはり自然に魅了されてのことだった。そういう意味では、僕の遊び方は変わっていないのかもしれない。ただそれを、はるばる飛行機に乗って出かけなくとも、自分の足もとに見つけたというだけで。



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