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第20回 「H48」

 「水素」と聞いて、あなたは何を想像するだろう? 

 「元素記号H。原子番号1。最も軽い物質。酸素と化合したら水になる」ということを遠い昔に理科で教わった気もするが、日常生活で水はともかく、水素を意識することはまずないから、大半の人は水素から何も想像などしないのではないだろうか。

 でも、心配はご無用。グルジェフの「水素論」において、学校で習った水素の知識は不要である。グルジェフは「H3」とか「H48」という記号で、僕たちの"意識"についての説明を繰り広げる。

 記号のうち「H」の部分は文字どおり水素の元素記号を意味し、だからこそ「水素論」なのだが、まさか人間の意識が本物の水素から出来ているという話ではない。彼は自分の思想を説明する際、音階や天体や元素などを比喩としてよく使う。

 Hの次にくる「3」や「48」という数字が、意識の階梯(かいてい)、つまり意識の段階というか、レベルを表している。といっても、数字なら何でもここにくるわけではない。「水素論」で用いるのは「1」「3」「6」「12」「24」「48」「96」「192」「384」......といった数字なのだ。

 「3」以降の数字は、倍々で増えているように見えるが、なぜ「4」や「5」といった間の数字はないのだろう?

 これは、実は前回のブログで紹介した「3の法則」と関係がある。ちょっと復習になるが、「3の法則」における3つの力とは、エニアグラムの中では正三角形で表され、「能動」「受動」「中和」がその特性だ。

 グルジェフは、人間の意識の源を「H6」に位置づけている。〈創造の源〉であるこの「H6」には、「能動1」「受動2」「中和3」が内包されている。1+2+3=6、この正三角形が「H6」なのだ。ただし、「能動1」「受動2」「中和3」は力の活動順序であり、物質密度の点から見れば「能動1」「中和2」「受動3」というように、力の導体とも言うべき「中和」が「能動」と「受動」の間にくる。

 「H6」が次の物質を作るとき、創造の活動順序「中和3」(ただし物質密度としては2番目の中和因子)が、今度は「H2」として「能動」の役割をする。こうして、「H2・能動」+「H4・受動」+「H6・中和」=「H12・感情の源」が創造されるのである。この「H12」がまた次の物質を作るときには、同様のことが繰り返されていくわけだが、文章だとわかりにくいので、僕はふだん下の図のように考えている(図が小さい場合はクリックしてみてほしい)。


20090417-yoyogi-1.jpg


 図の中で一番左のエリア「H6」にて、「能動1」を白い円、「受動2」を黒い円で表せば、物質密度としては両者の間に位置する「中和3」が高さ的には中間の左側に入って正三角形を作る。このとき「中和3」は上半分が白、下半分が黒の円になる。

イメージとしては、父である「能動」と母である「受動」から生まれた子の「中和」が、両親の要素を半分ずつ受け継いだと思ってもらえたらいい。この子どもである「中和」も、次の世界「H12」では自らが父(能動)となり、受動と交わって子を生み出す。受動は常に黒で表されるため、半分ずつ受け継ぐ中和は「H12」においては4分の1が白い円となる。これが子から孫、孫からひ孫のごとく「H24」「H48」「H96」......と繰り返されていくのである。

 先ほど「物質密度」という言葉を使ったが、これについても少々説明しておきたい。グルジェフは、宇宙のあらゆるものは「振動」から成り立っていると言う。その観点に立てば、テーブルや椅子といった物質だけではなく、人間の意識や精神活動もまた「振動」から出来上がっているということになる。そして、Hの次の数字が増えるにしたがって「物質密度」は高くなり、逆に「振動密度」は低くなる。

 「水素論」から離れるが、たとえばこんなふうに考えればイメージしやすいかもしれない。水は液体だが、100度を超えたとき蒸発して気体(水蒸気)にもなりうる。このとき体積は約1700倍にも膨れあがる。ということは、水の分子と分子の間隔は大いに離れ、液体のときよりも自由に動き回れるのである。

 実際、窓を開ければ、水蒸気は部屋の外へも逃げていけるだろうが、水がコップの中から自分で出ていくことはできない。つまり、水は水蒸気になることによって、密度が低くなる代わりに、振動は大きくなる。逆にいえば、水は水蒸気より物質密度が高く、振動密度は低い。

 話を「水素論」に戻すと、より振動密度の高い「H24」からは「H96」の世界が"物質的"に見え、より振動密度の低い「H96」からは「H24」の世界を"予感"あるいは"印象"として知覚する。

 図の中にも書いたが、グルジェフはそれぞれの意識世界を宇宙にたとえている。「H1」...絶対、「H3」...全宇宙、「H6」...全太陽、「H12」...太陽、「H24」...全惑星、「H48」...地球、「H96」...月。

 これらはあくまでも比喩なのだが、〈「H48」...地球〉だけは気に留めておいてほしい。なぜならば、僕たちが現実に生きているこの世を、グルジェフは「H48」だと規定している。

 P.D.ウスペンスキー著『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳、平河出版社刊)の中から引用すれば、こうである。「我々は48種類の法則に従った世界に生きている。ということは、〈絶対〉の意志から非常に遠い、宇宙のひどく辺鄙な暗い片隅に生きているということだ」。

 この表現からは、あまり居心地のよさそうな場所とは思えない。なるほど、図をもう一度見てもらえれば、「H48」の地球において、円の中に占める「白い面積」はごくわずかしか残されていないのが一目瞭然だろう。「白い面積」を仮に "神の意志"だとすれば、僕たち人間は、神からかくも遠い所に存在していると言わざるを得ないのである。

次回は、僕が最近撮ったある作品をモチーフにしつつ、「水素論」の示唆するところを、もっと具体的に考えていきたい。



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テーマ : 日記
ジャンル : アダルト

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